第四話 金の街
船内を騒がせた未曾有の大事件が無事解決し、船内は平穏に戻った。
だが全然平穏な顔をしていない人物が一人、甲板におり柵に凭れ掛かりながら地平線を眺めている。
「お、お腹空いた……」
太郎はそう呟き腹部に手を当てる。
とはいえ、船内には食堂がある。営業しているし、食材もある。実際、食べている人だっている。だとしても、太郎たちは食事にありつけないのだ。
「私もですよ。太郎さん。なんでギルドはあんなにぼったくりなのでしょうね」
財布の中には五月の太陽が描かれたアルゼンチンペソ硬貨が一枚だけだ。
現実世界でアルゼンチンに旅行へと行った際、記念にと思い両替せず財布に入れておいたものだ。ロス・グラシアレス公園の雄大な自然が太郎の脳裏に浮かんだ。現実世界に戻れないとは言え、また見たい。そう思えるものであった。
しかし、悲しい哉こっちの世界では何の価値もない。ただただ、空腹に喘ぐばかりである。呆然としながら地平線を眺めていると、建物が多く聳え立つ陸がどんどん近づいてきていた。
すると、魔法による拡声器を高い音が聞こえてくる。
「この船はまもなく、ラグーヌーに寄港いたします。二時間ほど停泊致しますので、その間ラグーヌーに降りることも可能です。希望の方は添乗員までお知らせ下さい」
その言葉を聞き、アマラが身支度を始める。
「ラグーヌーですか……取り敢えず行ってみればタダ飯が食べられるかもしれません。行きましょう」
そう言って太郎たちは停泊後、添乗員に連絡しラグーヌーに上陸した。改めて街の様子を見ると、天を貫くような高層建築物が競うように生え、間の道には数え切れんばかりの人が蠢いていた。
「すごい街だなぁ」
思わず声が漏れてしまい、誰かがこちらに来る気配を感じた。
「む? 君、知らないのか。この街、ラグーヌーを」
誰かと思い声の方へと振り向くが、そこにいたのは見覚えのある顔。ピールスリンのギルドで出会った面倒臭そうな奴、フランクであった。
「この街、ラグーヌーは人口自体はピールスリンの半分ほどでしか無い。しかし、金鉱山のある巨大な島をラグーヌー政府が管理しているとだけあって、税金など存在しない。そして、圧倒的な福利厚生制度の充実度。そして、その財力を活かしたカジノに惹かれて集まってきた人々で街は埋め尽くされているのだ! そして……あれ?」
フランクは熱心に太郎たちに語っていたが、太郎たちは途中から通り過ぎていった。
「ああいうやつは話し出すと止まらないタイプだ。早めに逃げて正解だった」
我ながら自らの行動は正しかったと納得する太郎に対し、アマラが話しかける。
「でも、カジノとか良くないですか?一攫千金かもしれませんよ?」
カジノ。日本ではあまり縁のない言葉である。とはいえ、全く興味がないわけでもない。一攫千金を狙えれば食費を捻出するようなことなどなくなるのだから。
「そうだよなー。でも、元本が無いからにはどうしようもないからな」
港湾から暫く歩くと、繁華街に入る。そこで太郎たちが驚いたのは、空車となっている馬車の止め方だ。馬車を止めたい人は懐から取り出した大量の札束を見せびらかすように振るのである。すると、空車の馬車は我先にと、多く振っている人の前へ停車する。
「みんな金持ってんだな……それに比べ、僕たちは本当に惨めと言うか……」
光り輝く街の物に目を奪われるも、アルゼンチンペソ硬貨を思い浮かべ瞳に涙を貯めつつ歩いていると、何かに躓く。
大きな音を立てて、派手に転ぶ。
「大丈夫ですか、タローさん」
「何だ? おっとこれは失敬。すまないね」
振り返ると、そこには足を伸ばした酔っぱらいで額が汗ばんだの中年男性が居た。ふくよかな体をしており、頭は氷雪気候のように何も生えていない。しかし、美女たちに囲まれて満面の笑みを浮かべていた。
すると、中年男性は懐から札束を取り出す。
「治療費と慰謝料これで足りるか? お? こちらは彼女さんかい? おまけに札束をやろう」
太郎の前に札束が三束転がる。中年男性は文字通り太っ腹だった。
「キャー素敵! 抱いて!」
元々男性が侍らせていた女性陣は、他のことなど見えていないように男性を取り囲む。
「いや~。ラグーヌーの美女も良いけど、他の地域の美女も良いよな~」
男性は美女に夢中。美女は男性に夢中で、太郎のことなど何も見ていないようだ。
「ここの住民はすごいな……」
「彼女らは出稼ぎでしょうが、私は生理的にきついです」
札束三束を拾い上げ、良いことを思いつく。
「カジノでもっと増やせないかな?」
しかし、太郎の予想に反してアマラは訝しげな表情をする。
「止めといたほうが良いんじゃないですか?」
「いやいや、ここは金持ちの国だよ?そんな厳しくないでしょう」
太郎は考えついたことを適当に言ってみる。
すると、譲歩してくれたのか溜息を吐きながらも「まあ、良いんじゃないですか」とアマラが同意してくれた。
「じゃ、カジノへ向かおうか」
カジノを探しに繁華街を歩きはじめる。すると、一際目立つ巨大な建築物を発見する。頂上を見ようとするが、太陽光によって見えないくらいの高さだ。そして、気が狂いそうになる人の流れ。笑みを浮かべた者も多いが、死んだ魚のような目をしている者も少なくない。
どうやらドレスコードのゆるいカジノのようだ。あまつさえ、建物の入り口に刻まれた『カジノ』の三文字。太郎は興奮を隠せなかった。勢いよく入ろうとすると、直ぐに制止された。
「当店では、入場料お一人様当たり1000ネスを頂戴致します」
高そうなタキシード姿の従業員はそう言った。
さっきの男性から貰った金額は30000ネス。アマラの分を払っても十分足りる額だと思い2000ネス支払った。
「どうぞごゆっくり」
その言葉を受けて奥へ進む。真っ先に太郎が思ったのが、この場のうるささだ。スロットマシーンの音はもちろん、昂ぶって興奮している者の歓喜の声。そして、全財産取られたような発狂の声。様々な声と音が交差している。
耳を塞ぎつつも、太郎は目についた誰も居ないテーブルに座った。
「私、ドリンク取って来ますね」
「ああ」
アマラを送り出し、ディーラーと対峙する。テーブルに他の客が居ない。暫く待っていたのだろう。テーブルを見渡し『MIN:1000ネス、MAX:50000ネス』と書かれている札を見つける。あの後、太郎が独自に文字の勉強を行っていたため難なく読むことができる。そして、ディーラーはこう言った。
「チップに交換しますか?」
「ああ。取り敢えず10000ネス」
10000ネスをテーブルの上に置き、チップに取り替えられる。
「プレイスユアベット」
その言葉を聞き、ベッティングエリアに1000ネス分のチップを乗せる。
「ノーモアベット」
そして、手元に二枚のカードが配られる。 一枚目は……
『2』。二枚目は……
『7』、ディーラーの一枚は『4』であった。
合計で9。まだまだヒットしても問題ない数字だ。
「ヒット」
三枚目は……
『5』。合計で14。なんとも微妙な数字である。ヒットするか、スタンドにしてディーラーのバーストを狙うか悩ましい。
しかし、資金にはまだ余裕がある。そのため、太郎は攻めることにした。
「ヒット」
四枚目は……『6』
「スタンド!」
何やら自分の後ろとディーラーの後ろに悪霊の様な存在が出てきた気がしたが、あまり気にしない。
悪霊は互いににらみ合い、ディーラーの二枚目が開く。
『3』であった。三枚目は『9』、四枚目は『8』でバーストだ。
その瞬間ディーラーの悪霊はがっかりしながら消え失せ、太郎の悪霊は喜びながら消え失せた。その間に、太郎は2000ネス分のチップを受け取る。
「おまたせしました。麦茶です。私は附設のレストランで食事してきます」
アマラは麦茶の入ったグラスを太郎に渡すと、レストランへ向かっていった。
太郎は麦茶を一気飲みし、またテーブルに向かう。とてつもなく緊張するものであった。
今回は5000ネスを賭けることにする。「プレイスユアベット」を待っていると、隣に見覚えのある人物が座る。
「200000ネス交換おなしゃす」
聞いたことのある声、誠意の籠もっていない感じ、船長であった。職務態度からは考えられないほどの金を持っているようだ。
船長は200000ネス分のチップを受け取る。
「プレイスユアベット」
再びディーラーのという言葉を聞き、ベッティングエリアに5000ネスを賭けた。そして、船長は自身のベッティングエリアにチップを乗せる。その額、50000ネス。
「そんなに賭けるのはリスクが高すぎやしませんか?」
一応太郎は船長の財産を気にしてみるが、船長は他人事のように笑いながら答えた。
「これ会社の金だからリスクとかないわ」
一瞬唖然としてしまったが、ここはカジノ。一瞬の油断が命取りになると気合を入れ直す。
「ノーモアベット」
拳を握り締め、カードを待つ。一枚目は『Q』、二枚目は『9』だ。船長の方を覗いてみると、『6』と『2』であった。ディーラーの一枚目は『2』。最善の選択はスタンドにすることだ。
「スタンド!」
太郎の後ろに再び悪霊が現れる。
「ダブルダウン」
船長はそう言い、船長の悪霊も出現する。直後に最後の一枚が配られる。そのカードは……
『1』。ディーラーの二枚目は『10』、三枚目は『6』、太郎の勝利だ。二人の悪霊は悶絶しながら消え失せ、太郎の悪霊はまたも嬉々として様子で消え失せた。
10000ネスを受け取り、船長の方を見るが、船長はなんてことはない顔をしている。
このまま行けば数十万ネスも夢ではない。そう思い追加で交換してもらい、「プレイスユアベット」を聞くと、全額を賭けることにする。
一方の船長は懲りずに50000ネスを賭ける。
「ノーモアベット」
一枚目は『5』、二枚目は『Q』、ディーラーは『2』、船長は『6』と『5』だ。そろそろ時間も厳しい、ここでケリとしよう。
「ヒット」
6であることを祈りながらカードを見る。
『10』
見た瞬間、背筋が凍る。持ち金全て賭けた結果がこれである。後ろにいる悪霊はもがき苦しんだ後死んでしまったように消えた。
「……」
一方の船長は、ダブルダウンで『10』となり、無事会社の金を元に戻しても儲けが出た。
「タローさん、そろそろ時間的に……あれ?」
アマラが食事を終えた時、太郎は朽ち果てていた。生力を全て吸い付くさせたかのごとく。そして、足が重く、千鳥足となっていた。
退席し、侘しい思いにかられながらも港までの道のりを歩く。一方の船長は、憎たらしい笑顔をこちらに見せながら軽やかな歩き方をしていた。
太郎は何も飲み食いせず、ただただ機会と金をドブに捨てていた。自責の念がただただ募るばかりだ。
「やっぱり、ギャンブルに財産全て賭けるべきじゃないね」
「あたりまえでしょう」
辛うじて船に乗り込むと、柵に凭れ掛かった。虚空を見つめる太郎を見て、アマラはため息をついた。
「仕方のない人ですね、レストランであんパン持ち帰ったんですけど食べます?」
袋の中に入った数個のあんパンを見せる。こうなることを予見していたかのように。
「いや、僕あんパン嫌いなんだよね」
冷静に拒絶すると、アマラは顰めっ面になる。とは言え、空腹に耐えきれないのは事実なので分けてもらおうと、「……まあでも──」と言いかける。しかし、アマラは持っているあんパンを海へ投げ入れようとする。
「え? なんで捨てるの? ちょっと待って!!」
太郎たちを乗せた船はブルーストに向けて出発した。
2022/05/22 再改訂