第三十一話 深き闇への誘い
あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。
ピールスリン亡命政府が共和国政府を潰し、ピールスリン王国政府が復活した。各地で復興のための準備が進められるかと思いきや、市場原理主義万歳の政治家・官僚たちが中枢を担う国において、復興資金を国家が出すわけがなかった。
大企業や高名な資産家からのフィランソロピーにより、地域格差がありながらも着実に進んでいた。
「それにしても奴隷が解放されて良かったですー」
カルラが手にしていたのは、新聞だ。白黒刷りの、現代的な新聞を知っている太郎からすれば随分と読みにくいが、体裁は整っている。
『ピールスリン王国政府、正式に奴隷制度廃止へ』
この発表は、周囲の国々からはすぐに受け入れられた。理由の一つに、ピールスリン王国政府は、共和国政府との戦いにおいて有利に進めるために奴隷解放を謳ったのではないかという意見もある。奴隷解放を実施するといえば、逃亡奴隷などが積極的に参加してくれる可能性が高くなるからだ。
他にも、周辺諸国はすでに奴隷制を廃止しているところも多い。
さらに、周辺諸国は奴隷解放を時において奴隷商への補償に多額の予算を割いたが、一方でピールスリンの国是は市場原理主義。ピールスリン王国政府は『いずれにしても奴隷制度は崩壊していた』といい、一切の補償をしないと明言した。
しかし、懸念も存在している。
ピールスリンが国際社会で輸出国家として優位に立てたのは、奴隷制度を利用して労働力を安価に使用できたからだ。そのため、今後はコスト・プッシュ・インフレと、輸出量の減少が同時に発生するとされ不景気に突入することがすでに専門家の間でもほぼ確実視されている。
「でも、間違いなく不景気になるのは嫌だな……。ただでさえ汚職が蔓延しているのに」
冒険者ギルドの職員は、何かと理由をつけて利用者からお金をむしり取る。力関係がある以上、一番被害を受けるのは力を持たないものなのだ。
「そうだ、旅行に行きませんかー? 北方の島国ですー」
カルラは、新聞の広告欄を指さした。そこに書かれていたのは、広告代理店が主催する、北方の島嶼群への旅行ツアーである。
「思ったよりも安いな。これなら、王国政府の協力金で払えるぞ」
ピールスリンから出発後、カッステンを経由してブルーストよりも北にある島嶼群を見て回るというもの。
「ふむ。北方の者は我が神託を知らない者が多いと聞く。彼らに教えを進ぜられるよい機会だ」
「でも、4泊5日ですか……。できる限り節制したいところですが……」
アマラは、この旅行に怪訝的だ。
「まあ、こういうのもいいでしょ」
太郎は今までのことを思い出した。ろくな思い出がなかった気がするのだ。しかも、厨二病を患っている変な女騎士につきまとわれ、なんか戦争にも巻き込まれた。
随分と濃い日々を送ってきたのだが、太郎はまだこの世界にやってきて一ヶ月も経っていない。
だからこそ、異世界らしいのんびりとした平和的な日々を送りたいと思うのは、極自然なことである。
「まあ、タローさんがそこまで言うのであれば……」
アマラは、結局了承してくれた。しかし、太郎はとある気がかりなことを思い出し顔を顰めた。
「でも、その旅行代理店でぼったくられたら嫌だな……。そうだ、ステフィーを先に派遣して、社員を混乱させた状態で契約を結ぼう! 混乱してて嘘がつけないはずだ」
太郎は不気味な笑みを浮かべながら目を輝かせる。
そして、理由はどうあれステフィーも好意的だった。
「ふむ? 我に宣教して来いと? いいだろう。店だけでなくこの国もろとも我が教えの信徒と化そうではないか」
高らかに宣言するステフィーをよそに、太郎たちは「ガンバッテー」などと小声をかけてその旅行代理店へと向かった。
◇
「ウェミダー!」
太郎は、豪華客船の甲板から、穏やかな海を眺めていた。
「はしゃぎすぎですよ、タローさん」
「まさか、船長が、あのウィズイン・ウィスタリアじゃないなんて。ぼったくりの心配とは無縁の旅行になりそうで感極まってしまっただけだよ」
ウィズイン・ウィスタリアじゃないとわかって以降、太郎の心ははしゃぎっぱなしなのだ。
「たしかにそれは感極まってしまうのは仕方ないですね。かくいう私も、こんなに大きな船に乗るのは初めてなんですよ。これもステフィーさんが始業時間から終業時間まで延々と神託を述べてくれたおかげですね。おかげで、豪華客船のツアー3人分が、ワンコインで買えるなんて」
ワンコインなので、懐も全く痛くない。
この世界に来てから、一番嬉しいとすら太郎は思えた。
しかも、この豪華客船には客を楽しませるために、豪華なプールやカジノなどもあり、飲食店の利用料金も全てコミコミ。お金を一切気にせずに食事ができるのだ。
「よし、今日は気分がいいからカジノでも行くか」
「絶対にやめてくださいね?」
アマラが何か言っているのが聞こえたが、聞こえなかったものだと自己暗示をすると甲板から中に入り巨大なカジノエリアへと赴く。
ラグーヌーほど広くはないが、豪華客船ということだけあってラグーヌーに匹敵するほどの豪華絢爛さがあった。
「おお……これは」
太郎がカジノの豪華さに感嘆していると、カジノのスタッフが近づいてくる。
「タロー様ですね? 今、時間が大丈夫なのでしたらブラックジャックでもいかがで?」
にこやかに近づいてくるカジノのスタッフ。こんなに懇切丁寧な接客など、日本で暮らしていた時に何回も経験していたはずなのだが、いかんせん異世界での接客がひどすぎて思わず感動してしまう。
「わかりました! やります!」
太郎は意気揚々と挙手をすると、スタッフに紳士服店に案内される。そして、小一時間ほど経った後、太郎はブラックジャックのテーブルに就いた。
「紳士服の料金については、下船時に精算いたしますので」
紳士服の料金は、陸上と比べても遥かに高額になっていたが、ブラックジャックで勝ち続ければ良いだけの話である。何も問題はなかった。
太郎は、何の躊躇もなく50000ネスをベットする。
「ノーモアベット!」
そして、二枚のカードが配られようとした瞬間、異変は行った。
テーブルの上に賭けられた50000ネスが傾き始めたのだ。
「ん? って、ええぇ?」
ただ、テーブルが傾いただけではない。船全体が傾き始めたのだ。
さすがのこれには、太郎も違和感を覚える。すると、ハウリングが太郎たちに聞こえてくる。
「乗客の皆様にお知らせいたします。本船は、現在沈みかけております。以上」
唐突な船内アナウンスから聞こえてきたのは、淡々とした事実だった。
事実、他の乗客も慌てふためいている様子である。しかし、別の部屋を覗こうにも、船の傾きがほぼ水平に達しているためどうしようもない。
このままでは、確実に沈む。
そう考えた太郎は、とあることを思いついた。
グランドブレイクを使い、床に足を引っ掛けられそうな穴を空け、それを伝って甲板に脱出するのだ。
すぐさま太郎は冷静になりグランドブレイクを器用に操作して大きな穴が空かないように開けると、静かに登り詰める。
そして、なんとかカジノのある部屋から出ることが出来た。
「よし、このまま行けばなんとか行けそうだ。ウィズイン・ウィスタリアって、なんだかんだマシだったんだな……」
余裕ができたため、そんなことを考えながら改めて甲板への脱出を再開するが、聞き覚えのある声が聞こえてきた。
「ふむ? そこにいるのは、もしや……」
その声を聞いた瞬間、太郎は全てを理解した。
「その声と口調、もしかして……」
こんな危機的状況下において、その口調を維持できる人物など、ステフィー以外太郎は知らない。
「人違いです!」
こんな状況下でスタフィーに捕まりたくないと思い、そのことだけを考えて早速ステフィーのいる方向とは真逆へと向かう。
「我が向かう道と逆を進むとは、茨の道になるぞ」
こんな時でも意味不明なことをいうステフィーを、太郎は心の中で完全ブロックするも、すぐにステフィーの言っていた意味が理解できた。
そう、太郎は”そのことだけを考えて早速ステフィーのいる方向とは真逆へ”向かったのだ。
それはつまり、真逆の方向を一切確認せずに行ったということだ。
「ああっ!?」
なぜかは分からないが、不自然に濡れていた床。おそらく、誰かが飲み物でもこぼしたのだろう。
太郎は、その床で勢い余って滑ってしまいそのまま体勢を崩す。そして不幸にも、今度は船が別方向に傾き始めて太郎はその傾きに弄ばされるように揺られてしまう。
「このままじゃ……」
水の音が聞こえる。
すでに、この船内に大量の水が入ってきているのだ。もう時間的猶予はない。
「落ち着け……」
太郎はどうにかして落ち着きながらもゆっくりと上へ脱出しようと試みる。しかし、水の侵入が目前だというのに、太郎は心の中では落ち着いていられなかった。
「グランドブレイック……あ」
太郎がグランドブレイクを発動した瞬間、力加減を間違えてしまったのだ。
その瞬間、豪華客船は崩壊した。
大量の残骸が太郎の元へと降り注ぎ、運悪くも太郎はその残骸で頭部を強打。
太郎は、意識を失った状態で、海に放り出されたのだった。
現実世界で、本エピソードを想起させるようなことが起こっていますが、本エピソードの構成は去年の時点で完成していたということを信じられないかもしれませんが、ここに記させて頂きます。




