プロローグ 突然の死
そこは真っ暗闇だった。
その中には夥しい数の星々が輝いている。まるで、宇宙空間を彷徨っているかのようだった。
しかし、その真っ暗闇がガラス越しだと気がつくと少年は勢いよく体を起き上がせた。
「ここは……?」
当たりを見渡すと、まるでアメリカの高級住宅街に佇んでいそうな家の部屋のようだった。モダンな装いなのだが、円卓には湯呑が置いてある。完全に洋風というわけではないようだ。
起き上がった少年は、ここがどこなのかを探索しようと部屋の奥に進む。そして、一人の初老の男性を発見した。
初老の男性は優雅にも湯呑に入れられた茶をゆっくりと飲んでおり、飲み終わり湯呑を円卓に置くと少年と目が合った。
少年がなんと話しかけようかと考えていると、初老の男性はフローリングに額をくっつけるほどの土下座をしてみせた。
「すまない。本当になんと贖罪すれば良いものか……」
初老の男性は少年に向かって謝罪の言葉を述べ続ける。
少年は謝られる記憶がないため、人違いかと思った。しかし、少年は人の名前と顔をよく忘れる。自分は初対面のつもりでも、実はすでに何度も会っているということが幾度もあった。だからこそ、初老の男性が人違いではないという可能性も排除しきれない。
おまけに少年は違和感を覚えた。何か大事なことを忘れている気がすると。
「あの……」
少年はこの状況を打開するため、とりあえず眼の前の初老の男性に話しかけることにする。しかし、初老の男性は一切反応を見せずフローリングに額をこすりつけている。
少年は初老の男性の顔を覗き込むことにした。ずっとフローリングに額をこすりつけているため顔がよく見えないからだ。もし見ることができれば、誰か思い出すかもしれない。そのため、少年は頑張って顔を横から見た。
「……ああ」
少年は理解した。
誰かわからないと。
初老の男性の顔を覗き見て、少年が最初に思ったことだった。だからこの状況を打開しようと取り敢えず初老の男性に話しかけてみるも、帰ってきたのは関係のない言葉だった。
「緑茶でも飲むか?」
初老の男性が円卓の上に手のひらをかざす。すると、薬缶が現れた。
その薬缶を手に取ると、すでに中には緑茶が入っていたのか湯呑へ注ぐ。実際に中には濃い緑色の緑茶が入っており、表面張力が発生するほどまで緑茶を入れると少年へと渡した。
少年は緑茶を零さないように一気飲みする。
「あああ~~。やっぱり体に染みますね」
熱々の濃いお茶はやはり日本人の心と言っても過言ではあるまい。少年はそう思いため息をつく。
「そ、そうか……」
初老の男性は冷や汗をかきながら机の脇においてある緑茶の茶葉缶を回転させ、青年から商品名が見えないようにした。因みに商品名は『■国産煎茶』である。■の部分は黒塗りされており、一見見ただけではわからないようなものだった。
「ま、まあ。あれだ。すまなかったな。P○BGやっててな。調子が良くてドン勝ばっかだったからちょっと興奮しちゃって、国道走ってるトラックのハンドルぶっ壊しちゃったんじゃ。おかげで歩道に乗り込んで君ははねられて死んでしまった」
目の前にいる初老の男性は何を言っているのだろうか。少年はそう思った。
取り敢えず、異世界作品でよく見る転生を司る神的な存在だろうか。確か下校中、商店街のゲームショップに向かっていた時に、十トントラックが突っ込んできたようなことを思い出した。
「本当に悪かったと思っている。商店街に突っ込んで君以外にも、トラックのドライバー、そして、商店街を歩いていた人たち合わせて十二名を殺してしまった。すまんすまん。さっき土下座もしたしワシの罪はもう償えたな」
無差別殺人を笑いながら茶化すなど、相当肝が据わっている。恐らく上級国民か何かなのだろうと、少年は思った。案の定後ろの棚にはどこかの勲章らしき物が飾ってある。年齢はわからないが、何十年も生きていると何事にも動じないなのだと感心した。
「そうですか……。なるほど。するとここは? あまりいいことなんてしてないですから地獄ですか?」
「確かに、君の行いでは阿鼻地獄行きじゃ。でも、今回のはワシが悪いからの、基本的に人は入れないが特別に呼んだのじゃ。過去に何回か人を送っとる。作家やら技術者だったりしたの。君の名前は……確か……」
どうやら異世界に送られるということは珍しいことでもないらしい。
初老の男性は必死で名前を思い出そうとしているが、年齢のせいか名前が思い出せない様子だ。
「山田太郎です」
「太郎君か。異世界に送る名前って太郎やら次郎やらが多いな。名前が呪われとるんか? あと、憤りとか無いわけ? 前に呼んだ作家と技術者と自衛官はワシに剣幕で殴りかかってきたわい」
「そりゃ、びっくりしましたよ。でも、起こってしまったことをどうこう言っても仕方ないですよ」
太郎は顔色一つ変えず、緑茶を啜る。あなたを殺しました。そう言われたなら元の世界に戻せというのはごく普通の反応だろうと思っているからだ。
「そういう人もいるのか。で、君の今後なんだが生き返らせることができる。ただし、異世界だけなんじゃ」
太郎も、異世界と言えばライトノベルの類に頻繁に登場するあの世界であることを知っている。いとも簡単にハーレムを作ることが出来る世界に、太郎は若干興奮していた。
「最近、現実世界に戻して大変な事例になったことがあっての。禁止になったんじゃ」
「その事例というのは?」
「一度死んだ人が蘇ったとき、既に死亡届が出ているから無戸籍になってホームレスにになってしまったんじゃ。その点異世界はそういう概念がないからまだましじゃの」
人を蘇らすほどの技術を持ってるなら、戸籍付与なんて余裕ではないのかと思えた。しかし、初老の男性がこう悩んでいる所を見ると何らかの事情がありできないことは明白だ。
「そうだ、能力値アップなんてどうじゃ。そして、全ての魔法を簡単に使えるぞ。あと、異世界の言葉を理解できるようにもしておこう。後は……スマホじゃな!」
「スマホ?」
スマホなんて異世界で何の役にも立ちはしない。バッテリーにも限りはあるし、電波は届かない。電話相手もいない。なぜそこまで男性がスマホを薦めるのか太郎にはわからなかった。
「何を言っとるのじゃ。異世界にスマホはマストアイテムなのだろ? そういうラノベを何冊も読んだからの」
「へ、へー……」
高齢者はラノベなんて読む以前に、目が衰えて活字を読むことすら怪しい人が多い。高齢にも関わらずP○BGといいなんとも若者文化によく触れている老人なのだろう、と太郎は感嘆する。
だが、太郎には少し不安があった。全て魔法が使え能力アップというのだから、異世界での不安は毛頭ない。太郎の不安とは、スマホの使い道だ。
「そうそう、スマホじゃが見たり読んだりするだけなら問題ない。後、ワシに電話も出来る。異世界に転移する人はいつもこの設定じゃぞ」
「そうなんですね……」
この世界の常識など太郎は知ったことではない。だが、元いた世界の情報が引き出せれば、それはかなりの武器になる。何をするにしても役立つには違いない。悪い奴らを倒し、そっちの世界に技術革新を齎せば未来永劫讃えられるに違いない。そう太郎は考えてしまった。
「バッテリーは君の魔力で充電できるの。ついでにスマホを壊れないようにしておこう」
「いろいろお世話になりました」
「では、またな」
神様が微笑んだ次の瞬間、太郎の意識は眠るように途絶えた。
2022/05/7 再改訂
2022/05/18 三訂
この小説はフィクションです。実在の人物や団体などとは関係ありません。仮に、作品に登場する人物と団体が、実在した場合それは偶然の一致であり、実在した人物・団体とは一切関係ありません。