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俺様日記  作者: 清野詠一
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3月後期・花見編





★3月29日(火)



今日もバイト。

働ける時に働いておかないと、優雅で怠惰な学園生活を送る事が出来ないから、これは仕方のない事だ。


さて…

そんなこんなで、今日のバイトなんじゃが…

ただいま洸一クン、高い所におります。


今日のバイトはビルの窓掃除。

ゴンドラと言うか、ブランコの出来そこないのような板の上に座り、外からビルの窓をシコシコと磨くお仕事だ。

一応は命綱を付けているものの…もしも落ちたら、無傷と言うわけには行かない危険な仕事だ。

もちろんその代り、時給は非常に良い。

何より俺は、高い所が好きなのだ。

高みに上がって下々を見下ろしていると…何だか自分が『神』になったような気さえしてくる。

最高の気分だ。



「…少し寒いのが難点だがな」

俺はボヤキながら、洗剤の付いたゴム製のブラシでキュッキュッと小気味の良い音を立てて窓を磨いて行く。

「…しっかし、せっかくの休みだと言うのに、何を考えているんでしょうかねぇ…」


俺は窓の内側、カーテンの隙間から覗き見える光景に、思わず苦笑を零した。

俺が窓を磨いているビルには、大手予備校が入っていた。

中では春休みにも関わらず、たくさんの予備校生が狭い室内に篭り、シコシコとペンを走らせている。

一種異様な光景だ。


「やだやだ…貴重な青春の時を浪費してまで、一流大学とかに入りたいのかねぇ」

俺には全く理解出来ない。


まぁ、価値観は人それぞれだと思うが、人生の中で最も輝けるこの時期に、朝から晩まで休みの日すら潰してまで勉強しまくって入るだけの価値が、大學にあるとは到底思えない。

有限な人生…もう少し、自分に素直に生きても良いんでないかい?

ってゆーか…

もし仮にだ、ここで勉強しているヤツ等がこのまま夏も秋も冬も頑張って勉強を続け、いざ受験本番を向えると同時に、いきなり偉い学者先生とかが『実は地球は明日で滅びます。黙っていてゴメン』とか発表した日にゃあ……一体どーなるんだろう?

俺の人生ってなに?とか考えちゃうんじゃないか?


「……ま、そんな事はありえんがな」



バイトを無事に終え、夕飯を買って家に帰ると、電話がやかましく鳴り響いていた。

誰かと思い受話器を取ってみたら……ちょいと厨二入った片目隠しヘアーの智香だった。


「よぅ、どうした?何か急用か?」


『う、うん…まぁ…』

智香にしては珍しく歯切れが悪い。


「ンだよぅ…何か言い難い事か?」


『い、言い難いって言うか…その…』


「…?」


『コーイチ、明後日の花見なんだけどさぁ…私、行けなくなっちゃった』


「……はぁ?」

俺は思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。


行けなくなった?

遊びのイベント大好きな智香が……行けなくなった?


「お、おいおいおい…いきなりだなぁ。何かあったのか?親戚が死んだとか…そーゆーの?」


『え?う、うん…まぁ…その…ちょっと急用が…』


「そっか…ま、用事があるんならしゃーねぇーか。……と言う事は、今年は俺と豪太郎と穂波の3人か…」


『…コーイチ。そ、それがね、豪太郎クンも行けなくなったって…』


「ぬはッ!?豪太郎もかよ…」

うぅ~む…

「って、ちょいと待ていッ!?だったら……なんだ?もしかして俺、穂波と二人っきりか?」


『う、うん…』


「うそーーーーーーんッ!?じょ、冗談じゃねぇーぞ。楽しみだった花見が、いきなり命懸けじゃねぇーか…サバイバルじゃんかよ」


『が、頑張ってね、コーイチ…』


「頑張ってね、と言われてもなぁ。智香、どーしても参加出来ないのか?」


『う、うん……命に関わるから…』


「…??それって…親戚の人がホンマにヤバイとか……そーゆーこと?」


『う、うぅん。その……自分の命』


「………は?」


『あ、あはははは……な、何でもない。とにかく、残念だけどこの智香ちゃんと豪太郎クンは参加出来ないの。コーイチ…頑張ってね』


「だ、だから……頑張るって何を?」


『な、何かあったら、すぐに駆け付けるからね』

そう意味深な言葉を残し、智香は電話を切った。


………サッパリ分からん。

俺の知らない所で、一体何があったのか…謎だらけだ。


しかし智香と豪太郎が二人揃って欠席とは…

………

ってゆーか、もしかしてもしかすると…

あいつ等、二人っきりでどこかへ遊びに行くとか?

実は俺の知らないところで、二人は既にそーゆー関係だったとか?

………

って、そんなワケはねぇーか。

智香はともかく、豪太郎の好みのタイプは………おチ○チンが付いてる人間だからね。





★3月30日(水)



今日も今日とて、バイトの日々。

本日のバイトは、またもや遊園地。

そう、あの二荒真咲嬢に問答無用でボコられた、忌まわしき遊園地でのバイトだ。


もちろん、今回はヒーローショーの戦闘員ではない。

ンなモン、100万積まれても断わる。


今日のバイトは、遊園地のイメージキャラクターの一つ、『ナップ君』と呼ばれる、ぶっちゃけアカン子が天啓を受けて描き下ろしたかのような未知の怪生物の着ぐるみを装着し、悪い子いねぇが…と言わんばかりに園内を動き回る良く分からないバイトだ。


ま、要は餓鬼共と一緒に写真を取ったり、迷子の餓鬼を見つけてはサービスステーションまで送り届けたりと言った、お客様へのサービス&サポートと言った雑務だ。

まさに、慈愛の精神に満ちた俺様にピッタリの仕事だと言えよう。



「あ~~…疲れたにゃあ」

更衣室で着替えを済ませた俺は、椅子に腰掛けグッタリとしていた。


予想より、遥かにきっつい仕事だった。

先ず第1に、想像してた以上に着ぐるみが重い。

装着してから僅か数分で、膝なんかガクガクだ。

それに中が物凄く暑いのにも参った。

いやもぅ、暑いし重いし……着ているだけで、どんどんと体力が削られて行く感じだった。


ま、それだけなら『これも修行だ』と言う事で耐えられたのだが(何の修行かは謎)…

問題は、そんな状況下にあって俺を苛立たせる小煩い餓鬼共の存在だった。


春休みの所為か、園内はまさに餓鬼共の狂宴。

しかも最近の餓鬼は、親の躾がなっちょらんのか、ともかく傍若無人だった。

迷子になって絶望のあまり泣き叫ぶのはまだ良い。

トイレが我慢できなくて、糞尿垂れ流しちゃうのもまだ可愛い。

が、しかし……

このナップ君である俺様に対しての暴行の数々…断じて許すまじッ!!


こちとら客商売でしかもバイトだから、大人しく写真を撮ってやったりはしていたが…

中にはいきなり強引に抱き付いて来たり、はたまた中身を詮索しようとしたり…

あろう事か、何故か敵意剥き出しでマジ蹴りを喰らわして来る餓鬼もいた。

ただでさえ俺は着ぐるみの中で、暑さと重さで悶絶してる時にこの仕打ち…まさに地獄だ。

………

ま、そーゆー傍若無人な餓鬼には、躾と言うか教育と言うか…そーゆー意味合いも兼ねて、親の目の届かない所で腹に数発喰らわしてやったがね。


ともかく、予想以上に厳しいバイトであった。

これならまだ、戦闘員の方が楽だったのかもしれない。



「…ハァァァ~。今日は寄り道せずに、早く帰ろう。……明日は花見だしな」

俺は溜息混じりにそう独りごち、更衣室から出る。

が、どうもここ最近…俺は女運が最悪なのか、はたまたそっち方面の神様のご機嫌を損ねたのか……バッタリと、あの二荒真咲に出くわしてしまった。

彼女は相変わらず腕力に物を言わせたヒーローのバイトをしているのだろうか…大きな鞄を下げていた。


「じ、神代…」


「よ、よぅ…」

ぎこちなく挨拶する、二荒と俺。

辺り一面に緊張が走る。


それもその筈、ここはつい先日、ライオンの前に飛び出たガゼルの如く俺が二荒に一撃で粉砕された場所だ。

あの時の惨劇は、網膜から脳味噌はおろか深層意識にまでインプットされている。

もしも俺が犬畜生ならば、すぐさま尻尾を丸めつつ腹を出して寝そべり、絶対服従のポーズを取っている事だろう。


うぬぅ…ど、どうしよう?

『じゃ、お疲れ…』

とか言って別れた方が吉か?

いやいや…

何かそんなにあからさまに避けると……物凄い因縁を付けられちゃいそうだし……

それに吉沢も、二荒にちゃんと謝れ、とか言っていたし…

でも、謝れと言われてもなぁ…

俺、悪い事はしてないし、そーゆーのって却って彼女に失礼じゃないかい?


ならば…どうする?

どうするよ俺?

……

そうだ、あの時の事を思い出せ。

あの時……俺は二荒のブラジャー等々を目撃した。

その時、どう思った?

綺麗だ…

と、俺は思った筈だ。

シンプルで飾り気の無いスポーツブラだったけど、何故か妙に印象に残っている。

それに、サイズ的にも中々に良い仕事をしていた。

そう、あの時の情景…

俺も健康な男子高校生であり、出すものは出しちゃう、出さなければならない年頃だ(何を出すのかは秘密)。

だから俺が家に帰って独りで青春の作業をしている時、彼女の素晴らしき姿を思い浮かべたのは、ある意味必然だったのだ。


うむぅ…

そうだよ…そんな俺が二荒に言える言葉は一つじゃないか…


俺はどこか視線をさ迷わせている二荒の顔を見つめた。

「あ、あのさ、二荒…」


「な、なんだ神代?」


「ありがとうッ!!そして御馳走様でしたッ!!」


「………は?」


「俺も……そして俺の分身も、お前に感謝の気持ちで一杯だ。…もう一度言う。ありがとぅッ!!」


「え?え?」


「じゃ、そーゆーワケで……お疲れさんでしたッ!!」

俺はサッと片手を上げて、どこかポカーンとしている二荒の横を通り過ぎたのだった…





★3月31日(木)



…危うく、大切なモノを失うところだった…



今日はお花見。

薄桃色の桜の花を愛でながら、しみじみしつつドンチャン騒ぎをすると言う、風流且つ矛盾した日。

そんなワケで俺は夕刻、穂波と二人っきりで、とある桜の名所に来ていた。


「智香と豪太郎クンは、外せない用事があるからお休みなんだよぅ」

と、おそらく俺様の大好物が詰まったであろう大きな包みを下げた穂波は、ニコニコ笑顔でそう言うが…どうにも怪しい。

情報操作の疑いがある。

穂波の事だ…

何やら裏から手を回して、智香達を参加出来ないように仕向けたに違いない。

うむ、常に注意を怠らないようにしなければ…


さて、自宅から自転車で30分ぐらいの距離にあるこの桜の名所は、既に大きな賑わいを見せていた。

数軒の屋台が立ち並び、八分咲きと言った桜の木の根元では、サラリーマンから学生、そしてどこぞの敬老会と言った面々等が寄り集まって、呑めや唄えの馬鹿騒ぎを繰り広げている。

冷静に考えれば、一種異様な光景だ。

外国人が見たら『ニホンジン、クルッテマース』とか『マイガッ!?』とか言っちゃうだろう。

俺もそう思う。

どうも桜の木と言うものには、大和の民を狂わす得体の知れない成分とかが含まれているのではないだろうか?



「す、凄い人だね、洸一っちゃん」


「……まぁな」

あまりの熱狂ぶりに目を丸くしている穂波の問い掛けに、俺は溜息混じりに頷いた。

「ったく…静かに桜を愛でる気持ちは無いのかねぇ。こーゆー乱痴気騒ぎを目の当りにしていると、チェーンソー持ってグレートハンティングしたくなっちゃうぜ…」


「っもう洸一っちゃんったら……馬鹿な事は言わないの」


…確かに、俺は馬鹿な事を言っている。

だが、言ってるだけだ。

穂波は、時々本当にやろうとするじゃねぇーか…


そんな事を思いながら、俺は酒宴で盛り上がる人々の間を抜け、穂波と共に園内の奥へ奥へと入って行った。

この先には、俺達しか知らない秘密の場所があるのだ。


「この辺まで来ると……あまり人がいないね」

と、穂波。


「…まぁな。屋台もねぇーし、桜の木も少ないし…」


「……洸一っちゃん。人気ひとけの無い所へ私を誘ってく…」


「誤解を招くようなことを言うにゃッ!?」


「で、でも……私も一応は、女の子なんだよ?」

穂波はそんな事をしおらしく、どこか怯えたような表情と仕草で言うが……足はスキップしてやがるぞ、おい。

「ねぇ洸一っちゃん。この辺りで良いんじゃない?」


「んぁ?そうだなぁ……静かだし、桜の木もあるし…エエんでないかい?」

周りを見渡すと、殆ど……と言うか全く人の気配はしなかった。

ちょいと不安である。


「さて、準備をしちゃうよぅ♪」

穂波は鼻歌混じりに、持ってきた大きな包みを広げ始めた。

桜の木の根元に、大きなクマ公のイラストが描かれたビニールシートを敷き、その上にクマ公の描かれた大きな弁当箱やクマ公の描かれた取り皿などを手際良く並べて行く。

なんか…凄く嫌だ。

色々と狂ってる。


「えへへへ~…洸一っちゃん、なに飲む?ビール?お酒?それとも私の…」


わ、私の…なに?何なの??

「お…お茶で良い」

俺は靴を脱ぎ、穂波からちょいと離れたシートの片隅に腰掛けた。


「え?お茶?」


「如何にも。そもそも俺達はまだ高校生だ。酒などを嗜むには早過ぎる」


「洸一っちゃんが言っても、説得力ないよぅ…」


「……俺もそう思う。がしかし、今日はお茶で良い」

当たり前である。

この『穂波と二人っきり。しかも人気の無い場所で』と言う状況は、はっきり言ってヤバイ。

限り無くデンジャラスだ。

いつ何時、アルコールで脳の箍が外れてワンダーになった穂波に襲われるかもしれん。

その時になって、慌てず冷静且つ迅速に反撃する為には……酒類は厳禁なのだ。


「……洸一っちゃん……もしかして、怖がってる?」


「…へ?」


「酔った勢いで私に変な事をしちゃうかもしれない自分を……怖がってる?」


――ギャフン。

「……その言葉、そっくりリボンを付けて貴様に返してやろう。とにかく、今日はお茶で良い。俺は無性に茶が飲みたいッ!!さっさと寄越せぃ」


「…無いよ」

穂波はズイッとワンカップの酒を差し出してきた。

「お茶なんて飲まないと思って…持ってきて無いモン。お酒しかないモン」


「な、何て計画的な…」


「酷いよぅ。洸一っちゃんの為に用意しただけだよぅ」

穂波は頬を膨らませながら、いそいそと弁当箱の蓋を開けて行く。


中身は……実に美味そうだが、なんちゅうか……辛口系の料理が山盛りになっていた。

まっこと、酒が進みそうな料理である。

これが計画的でなく、なんだと言うのだろうか?





「かんぱーーーーい♪」

穂波は嬉しそうに、ビールの缶を掲げた。


「か、乾杯」

俺もワンカップを、恐る恐る掲げる。

と、ともかく…さっさと飯を食って切り上げよう。


「えへへへ~♪今日は朝から張り切って作ったんだよぅ♪たくさん食べてね♪」


「お、おう」

俺は穂波が小皿に取り分けてくれた料理を口に運んだ。

「ふむ……ふむふむ。さすがだな、と言っておこうか」


確かに、穂波の料理は絶品だった。

その辺のレストランや定食屋で食す飯より、遥かに高レベルに達している、奇跡のような料理だった。


うむぅ…

料理は玄人はだしだし…

掃除に洗濯も、ほぼ完璧。

それに気も回るし、素直だし明るいし…

何より、その辺の女共よりも遥かに可愛い。

まさに、理想の彼女…いやさ理想の嫁さん。

パーフェクトジオングよりパーフェクトな女の子だ。

……

脳に致命的なバグさえ無ければな。


「洸一っちゃん。桜…綺麗だねぇ」

ほんのりと頬をアルコールで染めた穂波が、夕闇の中に聳え立っている大きな桜の木を見上げながら呟いた。

緩やかな風が、彼女の柔らかそうな髪を揺らしている。


あ、可愛いじゃねぇーか………って、騙されるな俺ッ!!!

これは彼奴の擬態だぞよッ!!


「そ、そうだな。やはり日本人は桜だな。……何でかは知らんが」


「ねぇ、洸一っちゃん」

甘い声を出しながら、穂波がにじり寄って来た。

「私と洸一っちゃんって……付き合い、長いよねぇ。不思議な縁だよね」


「…まぁな」

俺はジリジリと近付いて来る穂波に、少しだけ腰が引けながら頷いた。


確かに、穂波との縁は不思議と長い。

生まれた時から否応無く、ずーーっと一緒だ。

もしも運命を司る神がいるとしたならば、今すぐその顔面を切り刻んでやりたい気分である。


「……洸一っちゃん。私のいない世界って……想像出来る?」

穂波は唐突に、そんな事を尋ねてきた。


「穂波のいない世界?」

是非、行ってみたい。

ただで機械の体をくれる星よりも、行ってみたい。

がしかし……そんなユートピアが、本当に存在するのか?

仮にあったとしても、それはきっと、ガンダーラより遥か遠い国に違いないぞ。


「私はねぇ……洸一っちゃんの居ない世界なんて、全然、想像出来ないの」

穂波は更ににじり寄って来た。

目がマジだ。


基本的にコイツは、大人しい方だ。

クラスでも目立たないと言うか、ちょいと内気な方だ。

がしかし、俺に対しては違う。

かなり積極的と言うか、攻撃的だ。

いわゆる、内弁慶と言うヤツだろうか。

いやいや、俺限定だから…俺弁慶と言った方が良いだろう。


「物心ついた時から傍に洸一っちゃんがいて…幼稚園の時も小学校の時も、中学の時も高校も……そしてこれからも…」


「こ、これからって言われてもなぁ。先の事なんて分からねぇーし…」


「そうなの。だから私……決心したの」

穂波の瞳が鈍く光った……ような気がした。


「け、決心?」


「うん。私ねぇ……今日は覚悟を極めてきたんだよ」


「か、覚悟ッ!?って、何それ?」


「うふふふ♪それはねぇ……洸一っちゃんの一番になる為の覚悟だよぅ」


「…へ?俺の…一番?」

何を言うてるのか全く分からない。

がしかし、凄く嫌な予感がしますぞ。


「私ね、不安なの」


「俺もだ。俺もお前の頭ン中に物凄い不安を覚えるんじゃが…」


「今までずーっと一緒だった洸一っちゃんが、私の前からいなくなっちゃう日が来るのかと思うと……とっても不安なの」


「……」

俺はその日をずっと夢見てるんじゃが…


「だからその不安を消す為にはね、修羅にもなるのよ」


「な、なるなよそんなモンに…」

と、俺が言うと同時に、手にしていたワンカップの酒が、音を立ててシートの上に落ちた。

「あ、あれ?手が…滑った?」


「うふふふ…」


「え?ち、力が……あれ?腰が…足が……あ、あれれれ??」

視界が揺れ、俺はその場に仰向けに倒れた。

四肢に力が全く入らない。

その代わりに、何故か下腹部が物凄く火照っている。

ど、どーゆー事だ?


「うふふふ。ごめんね、洸一っちゃん」


「ほ、穂波さん?」


「…筋肉弛緩剤と興奮剤の併用だよぅ」


「―――な゛ッ!?」


「二つのお薬の調整に苦労したけど……上手く行ったみたい♪」


「は、謀ったのか穂波ッ!?き、貴様……一服盛りやがったのかッ!!」


「うふ♪うふふ♪うふふふふふふふふふ…」


「あ、ダメだこりゃ……聞いてねぇーし」





四肢に殆ど力が入らない状態で、俺は肘だけを支えに何とか体を起し、穂波を見つめていた。


「洸一っちゃん……」

桜の木を背景に、穂波が佇んでいる。

その瞳は、爛々と輝いていた。

良く言えば決意を秘めた瞳。

悪く言えばキ○ガイの目だ。


「ほ、穂波……貴様、何を企んでやがるッ!!」


「…決ってるよぅ」

穂波はクスクスと笑った。

「私の初めてを……洸一っちゃんに捧げるのよ」


「私の初めて?俺に捧げる?頼むから日本語で話してくれッ!!僕にはサッパリだッ!!」


「うふふ♪洸一っちゃん…いよいよ、結ばれる時が来たね♪これから先、3月31日は絶対に忘れられない日だよぅ」


「あぁ、俺も忘れられないさッ!!色んな意味でなッ!!」

ち、ちくしょぅぅぅぅ…

う、動けッ!!動け俺の体よッ!!

根性を今こそ出せッ!!


「うふふふ、動けないよぅ」

穂波は俺の心を見透かしているのか、不敵な笑みを溢した。

「この日の為に、心を鬼にして動物実験を繰り返したんだモン♪絶対に、逃げられないよぅ♪」


「え、笑顔でサラッと恐ろしい事を言うにゃッ!!道理で最近、近所から野良猫が消えたと思った……」


「うふふふ、全ては洸一っちゃんの為。これは大いなる宇宙の意志なんだよっ!!」


「な、なに言ってんのか分からねぇーよッ!?さっぱりだよッ!!ちくしょぅぅぅ…こんなチェリーブロッサムの下でチェリーボーイの俺がエッチしちゃうなんて……今日から俺は、チェリーズファッカーさッ!!あぁ……もう、自分がなに言ってんのかも分かんねぇーッ!!」


「洸一っちゃん…」

穂波はゆっくりと薄手のジャンパーを脱ぎ、シャツのボタンに指を掛けた。


「ま、待て穂波ッ!?汝、早まるなかれッ!!」


「え?なに洸一っちゃん?もしかして……自分で脱がすのが趣味?」


「うん、まぁ…って、そうじゃねぇーッ!!」

俺は大きく深呼吸をし、気持ちを落ち付かせる。

「あ、あのなぁ穂波。こーゆー事って……間違ってるって思わないか?」


「……洸一っちゃん……私の事、嫌い?」


「…いや、別に嫌いじゃないんだけど…」


「だったらノープロブレムだよぅ♪」


「問題だらけだろーがッ!?」


「うふふふ……洸一っちゃん、私の体……褒めてくれるかなぁ?綺麗だと言ってくれるかなぁ?」


「って、既に聞いてねぇーし……」

く、くそぅ…

よもやこんな攻撃的スキンシップを求めてくるとは……少々、迂闊だったぜぃ。

しかし、ホンマにどうする?

この状況下を脱出できる最適な解は何だ?

……

あれ?答えが無いぞ?

もしかして、詰んでる?


「うふふふふ♪こここここ洸一っちゅわぁぁぁぁぁぁん♪」

穂波は舌をベロンベロンと出しながら、おもむろに飛び掛って来た。


「――ひぃぃぃッ!?出たな妖怪ッ!!」

アカン…もうアカン。

俺の人生、終了のお知らせだッ!!


―――と、その時だった。


いきなりヒュンッ!!とした風切り音と、続いてカッコーーーン…と言う小気味の良い音が響いたかと思うと、

「きゃふん…」

穂波が可愛い悲鳴を上げ、いきなり白目剥いて俺の上に倒れこんで来た。


「な…なんだぁ?」

見るとクマ公シートの上に、陶器で出来た分厚い湯呑みがコロコロと転がっていた。

「ん?んん?…コイツが…穂波の頭に当たった?」


「んぃぃぃぃ~っと♪」


「へ?」

フラフラと千鳥足で此方へ向かって来るオッサンが一人。

一升瓶を手にしたオッサンが、どこか陽気な鼻歌を口ずさみながら歩いて来る。

花見の席には場違いな薄汚れた白衣を纏い、肩には貧相な顔をした黒猫がぶら下がっていた。


「ごめんよぅぅぅぅ…お兄ちゃん。手が滑って湯呑みが飛んでちったぁ♪」

少々呂律の回らない声でオッサンは言いながら、転がってる湯呑みを拾い上げる。

そして気絶している穂波と、動けない俺を、どこか遠い昔を懐かしんでいるような…そんな不思議な顔で見つめながら、

「…悪気が無いってのが、一番性質たちが悪いんだよねぇ…」


「え?え?」


「うぃぃぃ~っと♪んじゃ、兄ちゃん……風邪、引くなよぅ」

謎のオッサンはそう言い残し、フラフラと覚束無い足取りで去って行く。


「……」

え?もしかして俺…助けられた?

ってか…誰?

何処かで見たような気がするけど…


「ま、良っか。ともかく有難う、謎のおっちゃん」

俺は感謝の言葉を述べ、そして四肢に力が入らないので、体を押し付けるようにして気絶して凭れ掛ってる穂波を強引に転がした。

そして芋虫の如く這いずり、彼女の鞄からスマホを取り出す。


「と、取り敢えず…救援をば…」

口でスマホを掴んで転がし、そして顎と舌先で操作。

「電話帳電話帳……え~と、風早風早…」

アプリが作動し、電波を発信。

軽い電子音が鳴り響き、

『あ、どうしたの穂波?』

すぐに電話は繋がった。


「お、俺だ智香ッ!!」


『コーイチッ!?』


「た、助けてくれぃぃぃぃぃぃッ!!」

心からの叫びだ。

人生でこれほど、人に助けを求めたのは初めてだ。


『えッ!?う、うん分かった。…で、何処に居るの?』


「い、いつもの花見をする公園だよぅぅぅ。奥の方だよぅぅぅ」


『わ、分かった。すぐに行くから…』


「お、恩にきるぜ、智香」



いやはや…

今回ばかりは、さすがの俺もヤバかった。

何より、穂波の仕込んだ毒の影響か……下半身だけは妙にやる気マンマンで、あともう少し…もう少しだけ穂波が服を脱いじゃえば、間違い無く理性は崩壊していただろう。


うぬぅ…

恐るべし、穂波の罠。

そして執念ッ!!

しかも更に恐ろしいのは…

明日になればこの事を綺麗サッパリ忘れている彼女の頭の中だ。












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