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俺様日記  作者: 清野詠一
24/39

始まりの唄



お昼休み……

俺は弁当を片手に、屋上に向かって階段を上がっていた。

今日は朝から、色んな事があった。

穂波はクマ三郎に変化したまま学校に到着し、『変な人出たーッ!?』と逃げ惑う一般生徒を校庭で追っ駆け回していたし、ラピスはどうやら本当にメイドロボらしいと言うことも、何となく理解出来た。

優ゃんは、松葉杖は使わなくなったものの、ち○ば…もとい、足を引きながら学校にやって来たので、俺はまたもや強制的にお家に送還させた。

そして姫乃ッチ……

俺の言い付け通り、力をこまめに発散させているので暴走は減ったが、

『でも、まだコントロールは出来ないんです』

と、いつもの如くベソを掻いていた。

『力が…自分の意思とは違うことをしちゃうんです。だから石を持ち上げようとしたら窓ガラスが割れたり……今度はそのガラスを修復しようとしたら、猫が……うぅぅ……私なんて、死んじゃえば良いんです』

相変わらず、彼女はネガティブだ。

しかし、猫がどうしたのだろうか?

怖くてちと聞けない。


「にしても、最近の俺様はとみにハードな毎日を送っていますねぇ」

独り苦笑を溢し、屋上へと出る扉を開けると、涼やかな春の風が頬を優しく撫でた。

う~む、偶にはお陽さんの下で、のんびりと飯を食おうと思ったけど…

昼時と言う事もあってか、屋上は程よく混雑していた。

皆が皆、和気藹々とお喋りに興じながら楽しげにランチを摂っている。

実にのどかで平和な光景だ。

これも俺様が日夜、裏面で学校の治安を守っているお陰であろう。


「さて、どうしよっかのぅ…」

キョロキョロと辺りを見渡し、腰が落ち付けそうな場所を探す。

すると、屋上の奥まった所、フェンス際に見知った顔を発見した。

我がクラスの委員長。関西弁を操りしクールな物腰が売りの美佳心チンだ。


昼になると姿が見えなくなると思ったら、こんな所で飯を食ってたのか。

他者と交わることを嫌う彼女らしい、と俺は思った。

ふむ、しかし独りで飯を食っていても、味気ないだろうに……

俺は意を決し、「ミカチン~♪」とスキップしながら彼女の元へ。


「ミカチンって言うなやっ!!」

美佳心チンは分厚い眼鏡の奥の瞳をギラリと光らせた。

相変わらずである。

「全く……なんや神代君?」


「いや別に。飯を一緒にと思ってな」

俺は手にしたランチボックスを掲げた。


「……嫌や」


「では、お邪魔しま~す」

俺は美佳心ちゃんの隣りへと腰を下ろした。


「相変わらず人の話を聞いて無いっやっちゃなぁ…」


「ハッハッハ。ま、そう言うな美佳心」


「呼び捨てにするなやッ!?」


「ンだよぅ、ミカチンって言うと怒るじゃないか。委員長は少し我侭だぞよ」


「あ、あんなぁ…」

美佳心チンは何か言い掛けて、大仰に溜息を吐いた。

「まぁ、エエわ。アホの神代クンになに言うたかて、無駄やし」


「うむ、何だか良く分からんが……今日から俺は、委員長のことは美佳心チンと呼ぶことにしよう。代りに俺の事は気さくにコーちゃんとでも呼んでくれぃ。もしくはハートのキング」


「……嫌や」


「ふふ、照れるなよ美佳心チン」


「ア、アホや……アンタ、ホンマもんのアホや」


「ふっ、褒め言葉と受け取っておこうッ!!」

俺は言いながら、弁当の包みを開ける。

今日のお弁当は、炙りチキンと豌豆の卵とじだ。

ズバリ、何処に出しても恥ずかしい、間違うこと無き夕飯の残り物だ。

「では、いただきまっすッ!!」

俺は箸を取り、弁当に食らい付いた。

その様子を呆れるように横目で見ていた委員長は、少しだけ意外そうな顔で、

「神代クンや。あんた確か、独り暮しやなかったか?」


「モグモグ……ん?もちろん、俺様は完全無欠の独り住まいだぞよ。ご町内でも、ザ・ストレンジャー洸一と呼ばれておるからのぅ」


「せやったら……そのお弁当、もしかして自分で作ったんか?」


「如何にもだ」


「はぁ~……意外やなぁ」

美佳心チンは感嘆の声を上げた。

「神代クンって大雑把に見えるけど、そないマメなとこがあるとは……人は見掛けによらんモンやなぁ」


「わははははは……どうだ美佳心?惚れ直したか?」


「……」


「…何故、顔が素になっている?」


「一度、神代クンの頭をかち割って中身を見てみたいわ。きっと皺が無くてツルツルしてんやろうなぁ…」


「酷ぇ言われ方だ」

俺は肩を竦めてみせた。

「ところで美佳心ちゃんよ…」


「ん?なんや?」

委員長は自販機で買ったであろうパック烏龍茶にストローを差しながら、俺を見やる。


「いや、前から聞いてみたかったんだけどさぁ……神戸にいる美佳心ちゃんの友達って、どんなヤツなんだ?……美人か?」

委員長・美佳心チンは、前に一度聞いたが、何でも神戸に親しい友人がいるそうで、そしてその友人と大學で再び邂逅する為に、日夜勉学に勤しんでいるのだ。

クールな態度とは裏腹に、実は友誼に厚い女の子なのだ。


「せやなぁ……美人……ではないな」

美佳心チンは何故か言葉を少し濁した。

「特徴的な顔やけど、見ようによっては可愛いかな」


「ほ、ほぅ……」

見ようによっては、って事は、普通に見ると、ちょいと個性的なマスクをしていると……

どんな女の子なんだろう?

珍獣マニアの俺様としては、凄く気になるぞ。


「でも神代クンや。もう一人は男やで」


「………は?もう一人?」

ん?どーゆーこと?


「いつも……3人一緒やったんや」

委員長は遠い目をしながら、ストローを咥え、お茶を一啜り。

「何処に行くにも3人でつるんでたんや。仲良しトリオやったんや」


男一人に女の子二人かのグループか…

「ふむ……つまり、俺と智香と穂波の関係、みたいなヤツ?」


「そら違う」

委員長は即座に否定した。

「うち等の関係は、あくまでも厚い友情で結ばれた対等な関係やったんや。神代クンや榊さん達のような、友情と愛情が織り交ざったドロドロした関係やあらへん」


「ふ~ん……って、ちょいと待てぃッ!?」

今、聞き捨てならんことを言われたぞよ。

「言っとくけどな委員長。俺と馬鹿とキ○ガイは、あくまでも友達だ。より正確に言えば、俺は保護観察員でアイツ等はその対象者。そこに恋愛感情など、入り込む余地なぞ無いわッ」


「そらアンタがそう思ってるだけや。いや、そう思い込もうとしてるんちゃうんか?」


「ンな事はないッ!!」

俺は断言しちゃうぞ。


「そんなこと言うたかて……神代クン、いつも榊さんを心配そうに見守ってるやんか…」


「心配そうに、じゃなくて心配なんだよッ」

心が特にね。

「アイツは放っておくと、うっかり人を殺めかねんからな。何かヤバイ事件を起こして、ワイドショーのリポーターにインタビューを受けるのは嫌なんだよ」


「……ホンマに神代クンは、朴念仁っちゅうかパープーっちゅうか……困った男やね」

美佳心チンはそう言って、クスクスと笑った。


「ったく、誤解も甚だしいぜ…」

俺は憮然としながら、残りの弁当を掻っ込んだのだったが…

ふと何気に視線を走らせると、俺と美佳心チンの座るベンチの対角線上にあるもう一つベンチに腰掛けている女の子と、目が合った。

……ツインテール標準装備の小山田だ。

何だか、物凄く剣呑な目つきで美佳心ちゃんを睨んでいるような気がするが…

また何か、仕出かそうと言うのだろうか?


「…なんや?どないしたんや、神代クン?」


「いや、別に……なんでも無ぇ」

ふむ…

小山田達には一つ、忠告をしておかないと…

美佳心ちゃんは、委員長の皮を被った特攻兵器だ、と言うことをな。

下手に彼女に手を出すと、火傷だけじゃ済まないぞよ。



あっと言う間に放課後…

今日も優ちゃんがあの調子なので、TEP同好会の練習は残念ながらお休みだ。

その代わり、まどかが俺にみっちりと稽古を付けてくれるのだが・・・

「何だか行きたくねぇーなぁ…」

塾とかをサボる餓鬼の気持が、少しだけ分かる。

「かと言って、バッくれると後でお仕置きだベェ~、だしなぁ…」

俺はやるせない溜息を吐きながら、重い足取りで階段を降りる。

すると背後から、

「はゃ、洸一しゃん」

と声を掛けられた。


「ん…?」

振り返ると、そこにはニコニコと……こちらの頬も緩んでしまうような笑みを溢しながら、ラピスが佇んでいた。

うぅ~む、よもやラピスが、今週のスーパードッキリビックリメカだったとは…

未だに信じられんわい。

ってゆーか、今も信じてないけどな。

「なんだ、掃除か?」

俺は彼女の手にしたモップに目をやり、尋ねた。


「ハイでしゅ♪」

ラピスは微笑んだ。

「廊下のお掃除なんでしゅ。お掃除は大好きなんでしゅ♪」


「……エ、エエ娘やなぁ」

俺は思わず彼女の頭に手をやり、優しく撫でる。

サラサラとした髪の感触が、実に心地よい。


「はぅ…」

ラピスは頬を染め、気持が良いのか、うっとりとした表情を浮かべていた。

やっぱ、どう見てもメイドロボとは思えんなぁ…

「しかし、この廊下を一人で掃除しているのか?」


「ハイでしゅ♪」


「ぬぅ…」

何時いつもは何気に歩いているだけの廊下だが……こうして見ると、それは限り無く長く、広かった。

こんな広いスペース、一人でやってちゃ何時まで経っても終らんだろうに……

「……ラピスよ。俺様が、掃除の極意と言うモノを教えてやる」


「あぅ?極意でしゅか?」


「そうだ。ま、極意と言うか究極奥義だ」

俺は大きく頷き、

「良いか、ラピス。モップをな、こうして抱かかえるように持ちながら困った顔で、『少しだけ手伝って下さいぃ』と、その辺を歩いている男に言うのだ。そうすりゃあ大概の男は手伝ってくれる。あと嘘泣きのスキルも追加発動させると効果は倍増だぞよ。ただ人によっては『手伝いなさい、そこの下郎』と高飛車に言った方が効果を発揮する場合もある」

ちなみにこれは全て、可愛い女の子限定の技だ。

ブッサイクな女子がこの技を使った日には、『テメェの顔を掃除しろ』と怒鳴られるのがオチだ。


「あ、あぅぅぅ……それはダメでしゅよ、洸一しゃん」


「――何故にッ!?」


「ひゃぅッ!?な、何故にと言われても……お掃除は、自分でするもんなんでしゅよ」


「ぬわぁんとッ!?」

し、知らんかった……

掃除如き、下々の者(穂波とか智香)の仕事だとばかり思っていたが…

「なるほど。ラピスは偉いな」


「ふひゃ?全然、褒められる事じゃないでしゅよぅ」


「うむぅ、ならば少々、俺様も本気と言うヤツを見せてやるかな。ラピスよ、モップはあるかね?」


「ハイでしゅ」

ラピスは手にしていたモップを俺に手渡した。


「……もう一本あるかね?」


「ハ、ハイでしゅ」

ラピスはパタパタと走り、廊下の片隅にあるロッカーからモップを取り出して戻って来た。

「洸一しゃん、これで良いでしゅか?」


「うむ…」

俺はもう片方の手にモップを持つと、

「シャッキーーーーン!!トマホーーーーーーーーク推参ッ!!」


「あひゃッ!?」


「ちなみにモップを4本持つとディフェンダーだ」


「あ、あぅぅ……洸一しゃんの言ってる意味が、良く分からないでしゅ」


「フッ、俺様も良く分からんッ!!」


「……はゃ?」


「さて、今から神代流、掃除の極意と言うヤツを教えてやる。何しろ俺はプロだからな」

俺は2本のモップを両脇に抱えるようにして固定すると、

「いいかラピス。こんな広い場所をチマチマと悠長に掃除していたのでは、何時まで経っても終らん。そこでだ、こうして2本のモップを持って床をウォリャーと駆け抜けば、一発で綺麗になる。あまつさえ体も鍛えられる。うむ、まさに一石二鳥なり。そして俺様天才なり」


「あややや……でもでも、それだとあまり綺麗にならないでしゅ。しょれに廊下は、まだ人が一杯いるでしゅ。走るのは危険でしゅ」


「……構わん」


「ふへ?構わんって……」


「………ウォリャーーーーーーッ!!」

俺はオロオロするラピスを尻目に、いきなり走り出した。

「退け退けーーーーーーいッ!!洸一様のお通りじゃいッ!!」

俺は有象無象の、背景CGに溶け込んだかのような名も無き生徒達をモップで弾き飛ばしながら廊下を駆け抜け、突き当りで180度回転。

そして再び『ウォリャーッ!!』と雄叫びを上げながら、ラピスの元へと舞い戻って来た。

この間、僅か18秒……

世界新である。

「うむ、ミッションコンプリート。掃除は終ったぞよ、ラピス」


「あ、あやややややや……彼方此方で人が倒れているんでしゅ。おっかねぇでしゅぅ」


「気にすんなッ」

俺は豪快に笑いながらモップをラピスに返すと、チャリーンと響く金属音。

「む…」

――ちゃりらりら~ん♪洸一は500円玉をゲットした――

「おおぅっ!?」

どうやら、廊下に落ちてたヤツがモップに引っ掛かっていたようだ。

うぅ~む……これは善行を積んでいる俺様に対し、神からの粋なプレゼントと言う所か……


「あぅぅ、お金でしゅ。洸一しゃん、職員室へ届けないと……」


「……ラピス。これは落し物ではなく、神様からの贈り物だ」


「ふ、ふぇ?」


「よって、これは俺様の物であり…」

俺はラピスの手を掴むと、その手の平の上に500円玉を置いた。

「そしてこれは、俺様からラピスへのお駄賃だ」


「ふ、ふぇぇぇ??」

ラピスは手の上の500円と俺を、交互に見比べていた。

「で、でもでも…」


「良いから、黙って取って置け。……ま、500円じゃ買える物なんて、髙が知れているけどな。わははは……」


「あややや…良く分からないでしゅけど、ラピス、これを家宝にするでしゅ」

ラピスはキュッと、500円を握り締めて微笑んだ。

「えへへ~……初めて貰った、お小遣いでしゅ♪」


「こ、小遣いって……ただの駄賃なんだが…」

しかも拾った金だ。


「でも、これはラピス初めて貰った物でしゅ。一生の宝物にするでしゅよ」


ラ、ラピス……

「って言うか、使えよ」


「はゃ?」


「な、何だか分からんが、そんなに宝物が欲しかったら、今度俺が何かプレゼントしてやるからさ」

俺はそう言って、ラピスの頭をパムパムと撫で付ける。


「ひゃぅぅ」

ラピスはうっとりと気持良さそうに、目を細めていたのだった。



「ヤベェ・・」

俺は土手へ向かって、小走りに駆けていた。

ラピスのお団子ヘアーの間に手を置き、クリンクリンと撫で回していたらちょいとばかり遅くなってしまった。

なんちゅうか、子猫を撫でている感触と言うか……少々病み付きになりそうだ。

しかし、メイドロボかぁ……

ラピスがもしも一般発売されたら、俺はマジで買ってしまうかもしれん。

どうしよう?

今から少し、貯金をしておくべきだろうか?

そんな事を考えながらいつもの公園を駆け抜け、街道沿いに走って行く。

そして橋を渡り、小道を降りて河川敷へ。

まどかはいつもの如く、土手に腰掛け流れる河を見つめていた。


「おぉ~い、まどかぁ~~…」

手を振り、駆け寄る俺。


まどかはゆっくりと立ち上がると、スカートの端をパンパンと叩き、

「遅いわよッ!!この馬鹿ッ!!!」

開口一番、吼えた。

今日も彼女は、荒ぶっております。


「悪ぃ悪ぃ。掃除当番だったんだよぅ」


「ウソおっしゃいッ!!」


いきなりバレてた。

「お、おいおいおい。証拠も無く失礼な事を言うにゃ」


「フンッ、ここ数日アンタを見ていて気付いたんだけど……洸一はウソを吐くと、右斜め下を見るのよ」


「な、何を馬鹿な事を……」

って見てるし俺ッ!?


「ったく、洸一には格闘技以外にも、礼儀とか常識も教えてあげないとねぇ」

まどかは指をバキバキと鳴らした。


「ち、ちょっと野暮用があったんだよぅ…」

俺はそそくさとTEP用のグローブを装着し、軽く屈伸運動を始める。

「で、まどか。今日はどうするんだ?」


「いつもの通りよ」

まどかもグローブを装着し、パンッと拳と拳を叩き合わせた。

「私が仕掛けるから、アンタは避ける事に専念しなさい」


「へっ、避けてばかりもいられまいて。何しろ、のどか先輩とのデートが掛っておるからのぅ。今日こそは一発でも当ててやるぜよッ!!」


「寝言は寝て言いなさい、洸一」

まどかは不敵な笑みを溢しながら、構えを取った。

相変わらず、それだけでヒシヒシと威圧感が伝わってくる。


チッ、化け物め……

俺も同じようにファイティングポーズを取る。

と同時に、まるでそれに合わせて来たかのように、まどかは瞬時に間合いを詰めて来た。

――うわっ!?汚ぇーーーッ!!

まるで鎌鼬かまいたちのようにビュッと風を切り、側頭部目掛けて飛んで来るまどかのハイキック。

俺は咄嗟に左腕を持ち上げそれをガードするが、今度は空いたボディを狙って、貫くような彼女のショートパンチ。


――チッ…

慌てて防御しようとするが間に合わない。

ガードの隙間を縫って飛んで来るまどか拳が数発、ボディに突き刺さった。

「げ、げふぅ…」

肋骨が軋む。

このままではジリ貧だ。

俺は横っ飛びに飛んで間合いを取ろうとするが、読まれていた。

飛ぶと同時にまどかの中段蹴りが、カウンターで横腹を抉る。

「ぐぇぇぇ…」

開始から僅か数十秒……洸一チン、早くも1回目のダウンで御座いました。



「あ……あぅぅぅ……」

体中の骨や筋肉が、キシキシと軋んだ音を立てて痛む。


「本当に洸一は、弱っちぃわねぇ」

大の字になっている俺を見下ろしながら、まどかは鼻を鳴らした。


「……ごもっともだ」

もはや屈辱とかそーゆーものは、あまり感じない。

練習開始から僅か1時間余りで20回…いや30回だったか、それだけダウンすれば笑うしかないだろう。

しかもまどかは、全然本気ではないのにだ。


「どう洸一?まだやれる?」


「……当たり前だ」

俺は上半身を起こし、軽く息を吐いた。

「まだまだ、体力には余裕があるぜ」


「……根性だけはあるわね」

まどかは苦笑を溢し、手を差し伸べてきた。

華奢で女の子らしい、ほっそりとした腕だ。

なのにどうして、岩石をも砕くパワーが生まれるのだろうか……摩訶不思議なり。


「フンッ、根性もあると言え」

俺はその手を掴み、立ち上がる。

そして軽く首を回し、

「よし、まどか。もういっちょ勝負だ」


「はいはい…」

まどかは気の無い返事をしながら、構えを取った。


フッ、愚かな……

俺も同じように構えを取る。

何の為に30回近くも無様にダウンしたと思ってる…

まどかが本気でないように、俺も全然、本気を出していないのだ。

全ては彼奴を油断させる為の伏線…

さすがのまどかとて、いきなりMAXパワーになった俺様の速度に戸惑う筈だ。


「さ、洸一。行くわよ」


「……おう」

クックック、完全に油断してやがる。


「それじゃあ……と」

まどかはゆっくりと間合いに踏み込んできた。

それと同時にパワーを全て解放し、当社比5割り増しに速度がUPした俺も突っ込む。

もらったーーーーッ!!


「ち、ちょっと洸一、待っ…」

まどかの顔色が変った。


――勝てるッ!!

兄さん、勝てるよ僕ッ!!

「うぉりゃーーーーッ!!」


「ま…待ってって言ってるでしょッ!!」

まどかは俺の拳を軽く片手で払い除けると、いきなりグワシッとアイアンクローを極めて来た。


「―うきゃッ!?」

メシメシと、こめかみ辺りが嫌な音を立てている。


「ったく、アンタの手の内ぐらい、最初から読めてるわよ」

俺を解放しながら溜息を吐くまどか。


「あぅぅぅ、痛いよぅ痛いよぅ。頭のサイズが少しだけ変った気がするよぅ」


「うっさいわねぇ…」

言いながらまどかは、どこか遠くを見つめていた。


「うぅぅ……ど、どうした?」

俺は彼女の視線を追うように、振り返る。

と、土手の上に、見知らぬ男が立っていた。


「……やれやれ」

まどかは面倒臭そうな吐息を漏らし、ボリボリと頭の後ろを掻いた。


「……誰だ?」

と俺が尋ねると、まどかはフッと不敵な笑みを漏らした。


ふむ……

遠目からではく分からないが…

茶髪で顎鬚を生やした、如何にも『引ったくりとかしてますです』的風貌のチンピラだ。

「ンだよぅ、もしかして彼氏か?」

と俺が尋ねると、まどかは鋭い眼差しで、

「そんなワケないでしょッ!!」


「ご、ごもっとも」

確かに、天下の喜連川の御令嬢であり、限り無く美人のカテゴリーに分類されるまどかには、不釣合いも甚だしい。

「で、誰なんだ?あの如何にもDQNのテンプレみたいな馬鹿は?」


「さぁ?」

まどかは軽く肩を竦めた。


「さぁ…って」


「ふふ、実は今日ね、学校が終ってここに来るまでの途中で、あそこに立ってる男に声を掛けられたのよ。で、あんまりしつこいから、叩きのめしちゃったってワケなのよ♪」

まどかはテヘヘヘェ~と笑顔でのたまわった。

悪びれた様子が微塵も感じられない、満面の笑みだ。

何て恐ろしい…


「そ、そっか…」

うむぅ、あの男も可哀相に…

まどかはパッと見、スンゲェ美人だからナンパしたくなるのは分かるけど…

中身は悪魔将軍だからなぁ。

「……って、おいまどか。なんか……こっちへやって来るぞ?」

その馬鹿面をした男は、土手を下りてこちらへ向かってヨタヨタと歩いてくる。

更にその後にもう二人、チンピラ風味満載の男も付き従っていた。


ふむ…

どちらも見掛けない顔だな。

どうやら地元の馬鹿ではないらしい。

まぁ、この辺りの人間なら、あまり俺には近付いて来ねぇーしなぁ…

「どうする、まどか?如何にも報復しに来ましたって感じだけど…」


「へ?どうするも何も……頑張ってね、洸一♪」


「何を言うてるんだ、お前は?」


「何って、決ってるじゃないのぅ」

まどかはプゥ~と頬を膨らませた。

「普通さ、こう言った場合……男の子が身を挺して女の子を守るモンなんじゃない?」


「貴様の何処が普通なんだ?」

何しろ、数少ない完全戦闘タイプの地球人のクセに……

「だいたいだなぁ、これは貴様の巻いた種だろーが。この神代洸一、降り掛かる火の粉は払うが、自ら火中に飛び込む愚かな真似はしない主義なのだよ。俺様を巻き込むなっちゅーねん」


「な、なによぅ。私だって、一応は女の子なのに…」


「残念ながら俺は、リンゴを握り潰せるヤツを女として認めておらんのだ」


「……ったく、姉さんも真咲も、こんな馬鹿の何処が良いのかしら…」

まどかは何やらブツブツと溢しながら、ドスドスと地面を踏み鳴らして、その男達に近付いて行った。


「ふむ、俺の見るところ……長くても3分ぐらいで片が付くと思うが……さて、何してよっかなぁ」

取り敢えず俺は、ゴロリとその場に横になった。

「あ~~、体中が痛ぇよぅ……」

呟きながら、遠ざかって行くまどかの後ろ姿に目をやる。

さて、先ずはどう出ますかねぇ…

と、まどかは物も言わず、いきなり男達に襲い掛った。

何か言い掛けてくる野郎に対し、問答無用のハイキック。

更にはもう一人の男へ蹴りからパンチの嵐。

「……どっちが悪か分からねぇ」

そして残った一人が、まどかに対して蹴りを放った時だった。

「――おろ?」

僅かに、まどかの反応が遅れた。

男の蹴りを避けるでもなく、両腕を畳んでのガード。

それと同時に最初にやられた男が復活し、結構サマになっている中段蹴りを放つ。

「おっ…」

まどかの体が横に吹っ飛び、河川敷を転がる。

ガードしているものの、衝撃ではなくて体重差で吹っ飛ばされたって感じだ。


…ったく、男を舐めてるから足元を掬われるんだよ…

俺はゆっくりと起き上がった。

「やれやれ、よもや俺様の出番が来るとは…」

にしても…

なんか…

ちょっとだけ良い気持だ。

いつも俺様を虚仮にした報いを受けていると言う感じで、ズバリ、ざまぁみろ、と言ってやりたい。

「ふっ……」

俺は口を開け、大声で笑ってやろうと思った。

だがしかし、不思議な事に、笑えようにも笑えない。

それどころか、段々と緩やかに……意識に白い靄のような物が掛ってくる。

チリーーン……と、どこから金属擦り合せた様な音が聞こえた。

不思議な気分だ……

まるで全身の血潮が凍てつき、自己が心から乖離して行くような錯覚に囚われる。

何だろう……この感じは?

心臓の鼓動は早くなるのに…

心は逆に、物凄く落ち着いて…



チッ、マズったわ…

私は川原を受け身の体勢で転がりながら、その反動で軽やかに立ち上がる。

ズキンッと、左の足首に突き刺さるような痛みを感じた。

全く、私とした事が…

足首を痛めたのは殆ど偶然だった。

蹴りを放とうと踏み込んだ瞬間、転がっていた石に足を捕られたのだ。

これだから学校指定の革靴って嫌なのよ。滑りやすいし…

とは言え、足元に注意を払わなかったのは完璧に自分のミスだ。

相手を舐め過ぎた結果と言えるだろう。

こんなヤツ等に本気を出すつもりは無かったけど…

私は、怒りの形相でゆっくりと向かって来る3人の男達に対し、構えを取る。

軸足を痛めたので蹴り技は使えないけど、それでも余裕だ。


さぁ、掛って来なさい…

間合いに入ったら、逆技で骨の一本も折ってあげるんだから…

私はキュッと拳を固める。

とその時、男達の中の一人が、何やら険しい顔付きで横を向いた。

他の男達もそれに習い、私もチラリと視線を走らす。

「あっ…」

思わず声が漏れた。

馬鹿洸一が、こちらへ向かって歩いてくる。

どこか無表情だ。

何よぅ、一体、何しに来るのよぅ…

さすがにちょっとだけ、ムッとした。

誰も助けてなんて言ってないし……何より、今頃助けに来るのなら、最初から洸一が行けば良いのに……


視線を戻すと、男達の注意は向かって来る洸一に注がれていた。

チャンスだ。

今なら一瞬で、アイツ等全員を叩きのめす事が出来る。

でもまぁ、止めとくか。

私は唇を歪め、微苦笑を溢した。

折角に馬鹿がやる気を出してるんだから、少しは花を持たさないと…

と、その洸一は足を止め、男達を見つめた。

何故だか虚ろな目をしている。


「――ンだぁテメェッ!!」

男の一人が吼えた。

知性の欠片も無い声だ。

だが洸一は動じる事無く、酷く鷹揚のない声で、

「……ユイリィと……いやプルーデンスと……守る……そうグライアイと……約束した…だ……」

意味不明な言葉を紡ぎ出す。


「あ…あん?」


「…お前等……まどかを…傷付け…うと……許さんぞ」

刹那、それまで無表情だった洸一の顔に、酷薄な笑みが広がった。

「……死ネ、人間ドモ……」

呟くや、洸一は驚くべき素早さで男達との間合いを詰めた。


―――は、速いッ!?

私の目も、一瞬姿を見失うほどの踏み込みだ。


「あ、あん…?」

驚く男の喉首に、洸一の拳が突き刺さる。

男は言葉に表現出来ないようなくぐもった声を上げながら、宙を舞った。


う、うわぁ……あれ、間違いなく喉潰れちゃったよ……

更に洸一は、唖然とするもう一人の男の金的を、力任せに蹴り上げた。

そして崩れ落ちるタイミングに合わせて、カウンターの膝蹴りが顎先に決まる。

さすがの私でも、ここまで容赦の無い攻撃は出来ない。


「ここここの野郎ッ!!」

残った一人が吼え、背中を向けている洸一に襲い掛る。

がしかし、洸一は一切の無駄を省いたかのような華麗な回し蹴りを放ち、向かって来る男の脇腹に踵を叩き込んだ。

メキメキッと、私の元まで肋の折れる音が響いてきた。


す…凄い……

思わず私は、唾を飲み込んだ。

速さに力に……そして一片の情けすら排除したかのような、人を殺める為だけの攻撃……

今までの洸一とは、全く違う。


一体、何が洸一に……

「――って!?」

洸一の攻撃は、まだ終らなかった。

既に3人とも、完全に戦意は喪失しているのだが、彼は最初に私に蹴りを放った男……倒れて悶絶しているその男の顔面に向かって、本気の下段突き。

グワシャッ!!と嫌な音を立て、男の顔面が潰された。

鮮血が飛び散る。

さすがにちょっと……いや、かなりやり過ぎだ。

だがそれでも、洸一は全く攻撃の手を緩めなかった。

更にもう一度、顔面への本気の下段突き。

男の頭蓋が川原に減り込み、手足がビクビクと痙攣を繰り返す。


「ち、ちょっと洸一ッ!?それ以上やったら死んじゃうわよッ!!」

私は慌てて駆け寄るがその刹那、ビュッと言う風切り音と共に、洸一の血に塗れた拳が、私の頬を掠めて飛んで行った。

「――くっ…」

バックステップで間合いを開く。

コンマ何秒、反応が遅れたら……完璧にもらっていたわ。

背中に冷たい物が走る。

拳の掠めた頬が、微かにチクチクと痛んだ。

「ちょっと洸一ッ!!アンタ一体、何を考えて…」

と、私の言葉はそこで途切れた。

こちらを振り向き、私を睨み付ける洸一の瞳は、見た事のない色を宿していた。

いつもの茶目っ気な瞳ではない。

まるで血に餓えた獣の目だ。

「ア、アンタ……まさか完全に意識が吹っ飛んじゃってるとか…」


「……」

洸一は私の問いに答えず、再び意識を失っている男に対し、攻撃を再開した。


「――ダダ、ダメだって洸一ッ!!」

ヤバイわ、早く止めないと…

私は辺りを見渡し、手頃な大きさの石を拾った。

足首を痛めた今の私では、さすがに精神の箍が外れた洸一を止める事が出来ない。

「ご、ごめんね洸一…」

そっと呟き、力任せに手にした石をブン投げる。

それはブゥンと唸りを上げ、メシャッ!!と音を立てて洸一の後頭部に減り込んだのだった。



暗闇の底に沈んでいた意識が、ゆっくりと浮かび上がる。

鼻腔を擽る、どこか甘いような女の子の匂い…

それに頭部を支える柔らかい感触…

おでこに掛っている前髪が、優しく指で梳かれて行く。

何だか、とても良い気持だ…

遥か遠い昔……誰かにこうしてされていたような……


「あ……うぅ……うむぅ…?」

不意に意識が覚醒した。

瞼を開け、焦点の定まらない瞳に、何やらボォーッと映るのは……まどか?

「……あ、あれ?」

2・3度瞬きを繰り返し、視界を回復させると同時に意識もハッキリとさせる。

すぐ目の前に、まどかの顔があった。

その後に、茜色に染まった黄昏時の空が広がっている。

「…あぅぅ……な、何だか頭が痛ぇ…」

後頭部が、ズキズキと痛む。


「もう少し寝てなさいよぅ」

起き上がろうとした俺の頭を、まどかは押さえ付けた。

どうやら俺は、彼女に膝枕をされているらしい。

・・・・・・・

え?何でだ??


「あ、あれ?俺……一体、何故にどうして、このような……」


「……憶えてないの?」

俺の髪を優しく撫でていたまどかは、ググィッと顔を近づけ、瞳を覗き込んで来る。

間近に迫る彼女の顔に、俺の心臓はドキドキと早鐘を打った。

恐らくこれは、恐怖心からであろう。


「お、憶えてないのって……何をだ?ってゆーか、あの馬鹿どもはどうしたッ!?」

再び起き上がろうとした俺を、まどかは強引に押し戻した。


「……あいつ等は病院よ」


「びょ、病院ッ!?」


「そ。KISSを呼んで運ばせたわ。多分、もう二度と……この街では見掛けないでしょうねぇ」

言いながらまどかは、どこか微笑みながら、指先で俺の前髪を弄んでいた。


「病院…」

もう一度、その単語を反芻する俺。

一体、何が起こったんだ?

病院って事は……ズバリ、病院送りにしたって事だろ?

・・・・・・・・

お、おっかねぇ…

なんて女だよ。

復讐しに来たあの馬鹿どもだって、元を質せばただ単にナンパしただけじゃねぇーか…

なのに結果的に病院送りにされるとは…

さすがの俺様も、同情を禁じえないぞ。

「……あれ?だけど俺、なにしてんだ?」


「ん?どうしたの洸一?」


「いや、どうしたのじゃなくて……何で俺、お前に膝枕されてるんだ?ついさっきまで、あの馬鹿と闘うお前を見てた筈なのに…」

時間もかなり経っているみたいだし、全く以ってチンプンカンプンだ。


「本当に……憶えてないの?」


「だから、何をだ?」


「答えて、洸一」

まどかはキュッと、軽く俺の頬を抓んだ。

「どこまで憶えているの?」


「な、何の事だがサッパリだが……取り敢えず、お前があの馬鹿どもに問答無用で攻撃を仕掛けた事は憶えているぞ。さすがの俺様も、酷過ぎると思ったわい」


「……それから?」


「それからって……あ、そうだ。確かお前が、何でか知らんけどいきなり野郎の蹴りを食らって……」


「……」


「そうそう、それで俺は、仕方無しに助けてやろうと思って………って、あれ?そこから先が思い出せんぞ?」

もしかして僕、この若さで認知症?


「……そう」

まどかは何故か、優しく微笑み掛けた。

そして俺の頬を撫でる様に手の平を滑らせながら、

「取り敢えずは、私を助けようと思ってくれたんだ」


本当は指差して笑ってやろうと思ったんじゃが…

「ま…まぁな。お前は……その、なんだ。滅茶苦茶に強いけど、それでもやっぱ女の子だし……俺様の知り合いだからな。そもそも見捨てたりしたら、のどか先輩にキッツイ呪いを掛けられるわい」


「……洸一って、馬鹿だけど……ちょっとだけ良いヤツね」

まどかはクスリと笑った。


「ちょっとじゃねぇ…俺はかなり良いヤツだぞ。何しろナイスガイがセカンドネームだからな」


「……そうね。最初に出会った時も、私を助けてくれたし……」


「最初?最初の出会いは、貴様の土台にされたような気がするが……」


「昔の話よ…」


「???」

そんな遠い目をして言われても、全く分からんのじゃが…


「……洸一」


「あん?」


「取り敢えず……姉さんに、デートしたいって事だけは伝えておくわ」


「―――なにぃっ!?」

俺はまどかの腿たんから跳ね起きた。

「デ、デートって……のどか先輩とデート出来るのかっ!?」


「……話を通しておくだけよ。交渉は自分でしなさい」


「そ、そっか……って、何でいきなり?俺、お前との賭けに…」


「洸一の勝ちで良いわ」

まどかは『ふぅ~』と軽く溜息を吐き、

「不意打ち気味だったけど、取り敢えずは掠ったし……」


「へ?」


「でも、姉さんとデートって……何処へ行くのよぅ?」


「い、いや、そんなこと急に言われても……まだ決めてないけど…」

ワケが分からず、俺はポリポリと頭を掻くが、

「――ぬぉうっ!?い、痛ぇぇ…」


「ど、どうしたの洸一?」


「いや、なんだか知らねぇーけど……頭の後ろに、でっけぇ瘤が出来てる」

触ると滅茶苦茶に痛い。

一体、いつの間に出来たんだろう?


「あ、あははは……ちょっと力が入り過ぎちゃったかな」


「は?」


「な、何でもない。気にしないで」

まどかはエヘヘヘと笑った。


うぅ~む…

全く以って、良く分からん。

謎が多過ぎる。

がしかし……のどかさんとデートする権利を得たのだから、この場は良しとするか。











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