表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
俺様日記  作者: 清野詠一
16/39

レモンのような二人 2



★4月17日(日)




目覚めは最悪だった。

全国的に安息日である筈の日曜の朝から、

『洸一ーーーーッ!!』

と、ご近所の迷惑も顧みない、まどかの怒声。

そしてそれに付随する、

『小僧ーーーーッ!!』

と、拡声器を通したかのような重低音。

こんな不愉快な目覚めは、穂波の馬鹿が事もあろうに俺の布団へ潜り込んで来た時以来だ。


ったく…

俺はモゾモゾと、ヌクヌクでブニャブニャとした世界で一番安心できる布団の中から這い出し、窓を開けて怒声を一発。

「じゃかましいーッ!!朝から血圧が上がるような声を出してんじゃねぇーーーッ!!」


「なによぅッ!!8時に迎えに行くって言ったでしょッ!!文句を言う前にさっさと降りて来るッ!!!」

トレーニングウェアに身を包んだまどかは、玄関先で仁王のような顔で俺を睨み上げていた。

その背後には、確かロッテンマイヤーと名乗る国籍不明なコードーネームを持つ純和風系マッチョジジィと、どうやってカーブを曲がる事が出来るのか全く考え付かない馬鹿長いリムジンが控えている。


「ったく……30秒ほど待ってろッ!!」

俺はそう言って、乱暴に窓を閉めた。

「何が8時だ……まだ7時53分じゃねぇーか」

テキトーに手早く着替え、トレーニングウェアの入ったバッグ片手に部屋を飛び出す俺。


一体、こんな朝早くから何をどうしようっちゅーのか……

俺はブツブツと零しながら玄関を開けると、

「――遅いわよッ!!!」

プリプリとまどかは怒っていた。


「遅くはねぇーだろッ!!早いだろッ!!顔も洗わずに出て来たんだぞッ!!」


「洸一のクセに生意気よッ!!」

まどかは鼻息も荒く、俺を睨み付けた。

「それよりも、朝の挨拶はどーしたのよッ!!これから1週間、私はアンタの師匠なんですからね。礼儀ぐらいは守りなさいッ!!」


ぐッ……ぐぎぎぎぎぎぎ……

「…お、おはようございます」


「そうよ、やれば出来るじゃない」

まどかはフフーンと鼻で笑いながら、俺の肩をペシペシと叩く。

も、物凄い屈辱だ…

カノッサの屈辱以上の屈辱だぜ……


「それよりも洸一。さっさと乗りなさいよ」

と、まどかはクイッと首を動かし、顎先で黒塗りのリムジンを指した。

実に傲岸不遜な態度だ。


「ンだよぅ。どこへ連れて行く気だよ…」


「私の家よ。そこでアンタを、徹底的に鍛えてあげるんだから。覚悟しなさい、洸一」


「ほぅ…のどか先輩の家か。ふむ、それは楽しみですなッ!!どんなお家かのぅ……やっぱ大きいのかにゃあ…」


「……私の家でもあるんだけど…」


「あん?それがどーした?」


「…アンタって、本当にムカツクわねぇ…」

まどかは何故か肩を怒らせながら、リムジンに乗り込んだ。


やれやれ…

コイツはカルシウムが欠乏してるんじゃねぇーのか?

俺は頭を掻きながら、彼女の後に続く。

途中、ロッテンマイヤーの爺ィが、

『小僧ッ!!本来なら貴様如き虫けらなぞ、高貴ある喜連川家の専用車両に乗ることなど言語道断ではあるが…』

とか何とかほざいていたが、ンなもんは余裕で無視なのである。



ゆったりと広い車内から、俺は後ろへ向かって流れてゆく景色を眺めていた。

当然の事ながら、生まれて初めて超高級車なるモノに乗ったが……なるほど、確かに凄い。

空間を捻じ曲げて作ったかのような広いスペースに、腰まで沈み込むようなフカフカのシート。

そして走っているのかどうかすら定かではない程の、無音的エンジンと無振動さ。

これに乗り馴れたら、もはや軽自動車的なモノには乗れないであろう。


うぅ~む、凄いですねぇ…

一体、この車は幾らするんでしょうねぇ…

そんな事を考えながら、俺は何気に対面に向かい合う様に座っている、まどかを見やる。

赤と青の派手なウェアに身を包んだ彼女は、腕を組みながら難しい顔をしていた。


な、なんか、物凄く不機嫌そうな顔してるにゃあ…

「…どうした、まどか?眉間に皺寄せて……なに怒ってるんだよ」


「…うっさいわねぇ」

まどかは唇を尖らせ、俺を睨み付けた。

どうやら彼女の御機嫌株は、ただいま底値を更新している模様だ。


「なんなんだよ…不機嫌な顔して目の前に座っていられると、こっちも気を使うんだよ」

何しろ命に関わるからな。

「ったく、どこか調子が悪いのか?腹が痛いとか頭が痛いとか……あ、もしかして今日は女の子の日だったとか……」

言った瞬間、まどかの靴先が俺の脛にズドンと音を立ててめり込んだ。

「―――ぬぉうッ!?」

弁慶なら即死ものの衝撃だ。

「ななな、なにしやがるッ!!ムチャクチャ痛ぇーじゃねぇーかコンニャロウッ!!」


「うっさい馬鹿ッ!!女の子に向かって何てこと聞くのよッ!!」


「ンな事で一々蹴りを入れるにゃッ!!ったく……場の雰囲気を和まそうとした、エレガントに洗練された洸一ギャグじゃねぇーか」


「どこがギャグなのよッ!!アンタの事だから、思い付いた事を単に口走っただけでしょッ!!違うッ!!」

正解です。

「クッ…全く、あー言えばこー言う女だぜ。それよりも……本当にどうしたんだ?マジで少しだけ顔色が悪いぞ?」

まさか本当に女の子の日なのか?

・・・・・・

コイツにもあるのか?


「…寝不足なのよ」

まどかは不機嫌極まりない声でそう呟いた。


「ね、寝不足?」


「そーよ。…なに?何か文句でもあるの?」


「い、いや別に…」

ぬぅ、寝不足如きで俺に当られてもなぁ…

「なんだよ…夜遊びでもしてたのか?」


「違うわよ。ちょっと夢見が悪くてさ…夜中に何度も目が覚めたのよ」

まどかはそう言うと、小さな欠伸を零した。

「ったく、アンタみたいな馬鹿と出会うから、妙に怖い夢を見たりするのよ…」


「悪夢まで俺の所為なんですか?」


「そーよ」


断言されてしまった。

ギャフンである。

「あのなぁ……って、まぁ良いや。もはや怒るのも馬鹿らしいわい」


「なによぅ…」


「で、どんな悪夢を見たんだ?お前の事だから、本当に人をあやめてしまう夢でも見たのか?それは多分、正夢だと思うぞ」


「違うわよッ!!アンタ……私をどんな風に見てるのよッ!!」


「…それは言えん。言うと殴られそうだからなッ」


「こ、この馬鹿は…」


「ハッハッハ……ンで、どんな悪い夢なんだ?俺も一応はオカルト研究会の部員だし……悪夢関係は専門分野だぞ」

ま、嘘だけどね。


「べ、別に……それほど怖いってワケじゃないわよ」

まどかはフンッてな感じでソッポを向いた。

「ただちょっと…寝ていたらさ、布団の上で……暴れているのよ」


「は?なんだそりゃ?もう少し詳しく話せよ」


「だからぁ……夜中にさ、何かお腹の辺りに違和感を感じて……そっと目を開けたら布団の上で、何て言うのかなぁ……30センチくらいの日本人形がさ、クスクス笑いながら飛び跳ねていたのよ。私それでビックリして跳ね起きたんだけど、何も無くて…」


「………」

ヤツだ…

まさしくそれは、オカルト研究会の決戦兵器に間違い無い。


「でさ、そーゆーのが朝まで何度も続いて……何であんな嫌な夢を見たのかしら?」


「……それは夢ではないような気が……」


「へ?」


「いや、何でもない。なるほど…変な人形が出て来る夢にうなされていたと、そーゆーワケで御座るか。ふむ……ま、大丈夫でしょう」


「なんかヤケにアッサリね」


「心配無いって。お前は一応のどか先輩の妹だし……命までは取られねぇーよ。ただ、嫌がらせはすると思うけどな」


「???」



「でけぇ…」

最初の感想はそれだった。

そしてそれ以外、言葉が見つからない。

喜連川邸は、何もかも大きかった。

門なんて、京都や奈良の古刹チックなお寺の門ぐらいはある。

しかもまどかによると、何でも全部で26箇所、門があるらしい。

敷地はそれほど巨大なのだ。

まどかさんの秘法で時空間を切り裂いて作ったのか、とにかくここは本当に僕のジャパン?と言うぐらい、広大な敷地だった。

よく、大きさを表すのに東京ドーム何個分とか言うけど……もうそんなレベルじゃない。

100万人都市規模の大きさだ。

山あり谷あり川あり湖あり……遥か北の方には砂丘まで広がっている。

そしてそこかしらに点在する、巨大な洋館にお城みたいな和風建築物の数々。

さすが世界五大財閥に数えられる喜連川の本家だ。



「うぬぅ、無駄にデカイのぅ…」

俺は敷地内を走るリムジンの中、流れ行くサバンナのような景色を見ながら唸っていた。

「これだけ広いと、迷子になったら大変だろうに…」


「そうね」

と、まどか。

「実際、姉さんは迷子になった事もあるし……あの時は大変だったわよ。KDF一個師団が捜索に当ったし…」


「KDF?なんじゃそりゃ?」


「喜連川・ディフェンス・フォースの略よ。テロとかさ、そーゆーのから守る為に雇ってる私設の警備部隊よ。ほら、あそこに見えるでしょ」

まどかは窓の外を指差した。

そこには、迷彩服に身を包んだ厳つい男達が、訓練だろうか……重そうな荷物を背負ってランニングしている所だった。

しかも手には何やら黒光する銃器を抱えている。


「……警備部隊と言うよりは、私設軍隊に見えるんじゃがのぅ」


「そう?」


「だってよぅ……ほら、あそこに何か戦車みたいなものが並んでいるんじゃが……」


「あぁ、アレはKDFの専用車両の一つよ。名前は確か……メルカバMk3だったかな?」


「ふ、ふ~ん……だったらあの林の中に隠れる様に駐車してあるのは…」


「あれはM48チャパレルよ。確か他にも、MLRSとかM109って言うのもあるわ」


「……お前の家はアレか?独立戦争でも起こす気なのか?」



とある和風建築物の前にリムジンは停まり、俺とまどかは車外へ出た。

晴れ渡った蒼穹の空に、少し乾いた涼やかな風…

実に爽やかな陽気だ。


「こっちよ、洸一」

と、まどかの後を付いて行くと、そこには日本庭園の一角だった。

目に眩しい、緑為す芝生の絨毯。

この上でゴロリンと横になったら、さぞ気持ちが良い事だろう。


「さぁ洸一。いよいよ特訓の開始よ」

まどかは実に嬉しそうに、足を伸ばして軽く準備運動を始めた。


「それは良いけど……まどか。あそこに立っている白衣の人達は……誰?」


「いざと言う時の為のドクターと看護士よ」


「……ふ~ん」

いざって、どーゆー時だろう?

・・・・・

心臓が止まった時かな?

「あともう一つ、ボクちゃん腹が減って力が出ないんだけど…」

何しろ、起きてから何も食べてないぞ。


「はぁ?特訓の前に何か食べる気?リバースしたら地獄の痛みよ」


「……なるほど」

つまり、吐くまで殴られるのね僕チン。


「さて洸一。今日からアンタを、優の練習相手が務まるぐらい鍛え上げるんだけど……時間が無いから、ちょっと厳しく行くわよ」

まどかは腰に手を当て、鼻息も荒くそう言った。


「お、お手柔らかに頼むぜ」


「先ずはステップ1。TEPの格闘技について簡単に説明するわ」


「うむ」


「知っての通り、TEPの主催する格闘技は、総合格闘技……即ち、打ち技に蹴り技、そして投げ技に関節技……本当に何でもあるわ。もちろん、武器を使ったり急所を攻撃したりするのは禁止だけどね」


「う、うむ」


「ではステップ2。…実戦よ」


「―――ブッ!?」

尿が少し零れた。

「お、おいおいおい……いきなりバトルですか?ステップ2って言うより、次の選択肢までスキップって感じがするんじゃが…」


「仕方ないじゃない。時間が無いんだし…短期間でレベルアップするには、実戦あるのみよ」


「た、確かにそうだが。しかしよぅ…」


「大丈夫だって。私からは攻撃しないから」


「……へ?」


「最初は、アンタに攻撃のリズムとコンビネーションを教える為に、私は防御だけに専念するわ。洸一は好きな様に攻撃して良いから……私に少しでもダメージを与えたら、次のステップへ進むわ」


「……良いのか?俺様のステッキーパンチは岩をも砕くと評判なんじゃが……」


「大丈夫よ、絶対に当らないから」

まどかは自信満々に答えた。


ぬぅ…

そこまで言われると、なんとしてでもも当てたくなってしまう。

何より、昨日から俺はこの女に散々馬鹿呼ばわりされてきて……怒りゲージは既に満タンなのだ。

開始早々、奥義だって繰り出せちゃうのだ。

ふっ、俺様を怒らせるとどうなるか……少しは痛い目を見せてやろうかのぅ…



まどかの特訓は始まった。

先ずは効率の良い攻撃の仕方をマスターする為、俺は防御に専念する彼女を攻めるワケなんじゃが…


あ、当らねぇ…

俺のステキ且つ無敵なパンチ、そして優雅で紳士のようなキックは、まどかに掠りもしなかった。

それどころか、攻撃を繰出す度に、

「ほら、全然コンビネーションがなってないわよ」

―パチン

「ダメダメ、パンチの引き際に間合いに入られるわよ」

―パチン

「遅いッ。相手の動きに合わせるんじゃなくて、動きを予測しなさい」

―パチンパチン

と、軽くではあるが、注意されながらビンタを受ける始末。

男としての尊厳はズタボロだ。

悔しいったらありゃしない。キーーーーーーーッ!!


「ハァハァ……く、くそぅ。何で当らねぇーんだよぅ…ハァハァ…」

早くも俺のスタミナは尽き掛けていた。

腕も足も、鉛の様に重い。


「ふふ、どうしたの洸一?もう疲れた?」

まどかはポニテに結った髪を左右に揺らしながら、余裕の笑みを零す。

「まぁ、空振りの攻撃は体力を余計に消費するんだけど……少し情け無いわねぇ。少しは走り込んで鍛えた方が良いわよ」


「ハァハァ…ち、ちくしょう」

何故だ…?

まどかが強いのは分かってるけど、掠りもしないなんて…

ご町内でムテキング洸一と呼ばれたこの俺様の喧嘩殺法が、こんな小娘に弄ばれているとは…


「はい、少し休憩ね」

まどかは俺のパンチを、まるで蝿でも追い払うかのように、手の平でパチンと叩いて弾いた


「ハァハァ……くそぅ」


「洸一。アンタさぁ……やる気あんの?」

汗一つ掻いていない野蛮人は、衛星軌道の高見から見下ろす様に、肩で息をしている俺に向かって冷やかに言い放った。


「ハァハァ…ど、どーゆー意味だよ」


「アンタの攻撃は、鈍るのよ」


「に、鈍る?」


「そーよ。攻撃が当るかな……と言う瞬間に、僅かだけど速度が落ちるわ。もしかしてフェミニストでも気取ってるの?」


「ぬ、ぬぅ……そんな馬鹿な」

俺は思いっきりコイツを殴ってやろうと思ってたんじゃが…


「…ハァ~、どうやら無意識みたいね。ったく、馬鹿のクセに肝心な所で躊躇するなんて…」

まどかは額に指を当て、ワザとらしく頭を振る。

「それと、攻撃が単調過ぎるわ。もう少しコンビネーションを学びなさいよ」


「うぬぅ…」


「あと、目を使い過ぎよ。視線で次の攻撃ポイントが簡単に予測出来ちゃうわ」


「う、うぬぅぅ…」

なんか、全然ダメって言われてる気がする。

しかし、今まで無敗の俺様が全く相手にならないなんて…

これが喧嘩屋と格闘家の違いなのか?


「それにしても、どうしたもんかなぁ…」

まどかは少しだけ眉間に皺を寄せて、深刻そうな顔を俺に向けた。


「な、何がだよ…」


「アンタの攻撃よ。当てても良いって言ってるのに……そーゆー似合わない優しさは、致命的欠陥よ」


「お、俺は本気だったんだが…」


「だから、その無意識さが余計に致命的なのよ。ったく、どうしたらこの馬鹿にやる気を出させるかが問題なんだけど…」


「…ぬぅ」

う~む、俺的には、全く躊躇なんてした憶えは無いんじゃが…

・・・・

やっぱ心の何処かで、コイツも一応は女だ、と思ってブレーキが掛かったのかな?

俺、英国紳士(自称)だしなぁ…


「………そうだ洸一。一つ、賭けをしない?」

まどかはどこか悪戯ッ気な瞳でそう言った。


「か、賭け?」


「そーよ。馬鹿なアンタの事だから、何か御褒美があれば俄然やる気が出るってモンでしょ?」


「な、なんか……物凄く馬鹿にされている気がするんじゃが…」


「されてるんじゃなくて、しているのよ」

まどかはシレッと言った。


「く……」

どうして俺は、こんなムカツク女にまで攻撃を躊躇したのだろう……


「そうねぇ……うん、だったら洸一、こーゆーのはどう?アンタが私に一回でも攻撃を当てる事が出来たら、私は何でも一つ、言う事を聞いてあげるわ」


言う事を、聞いてあげる?

しかも何でもだと?

「――な、なにぃぃぃッ!?それは本当か?」


「当てる事が出来たらね」


「うぅ~む、中々に魅力的な条件ですなッ!!」

まどかの掌の上で踊るのは悔しいが、なんか俄然やる気が出て来てしまったぞ。


「でしょ?もちろん、変なお願いダメよ。エッチな事とか要求したら、即座にその場で殺すわ」


「し、しねぇーよッ!?」


「どーだか…」


「くっ…」

しかし、一つだけマジでお願いが叶うのか…

まどかは世界有数の財閥のお嬢様……つまり、超がいっぱい付く程のお金持ち。

物質的な望みなら、殆ど何でも叶えてくれるだろう。

うぅ~む……ボクちゃん、最新ゲーム機とか欲しいにゃあ…

って、何か安っぽい願いだな。

ここはアレだ、どうせ願うのなら、何かこう……滅多な事では叶わない、夢のあるお願いが良いのぅ……例えば穂波の病気を治してくれとかね。

ふむ、しかしどうするかねぇ…

・・・・・

・・・・・

・・・・・(高速演算中)

・・・・・

・・・・・

チーンッ!!

そうだッ!!

のどかさんと二人でお出かけ、つまりデートを願うと言うのはどうだろうか?

趣味はともかくとして、生粋のお嬢様であるのどかさんとデートなんて……

この先、願ってもそうそう叶えられる可能性は限り無く低い筈だ。

あのポヤーンとした魔女様が、俺とお手手を繋いで、

『洸一さんと一緒で楽しいです』

とか何とか、少し照れた感じで言っちゃうかもしれないのだ。

うひぃーーーーーーーーーーッ!!こりゃ堪らんッ!!

お嬢様と夢のようなデート……これぞ男の本懐ッ!!


「よっっっっしゃッ!!」


「うわッ!?どうしたのよ洸一……いきなり大声出して…」


「まどかッ!!俺の願いは一つ……ズバリ、デートを要求するぞッ!!」


「…は?」

まどかの目が点になった。



まどかは瞳をパチクリとさせていた。

何となく、そんな仕草が可愛い。


「デ、デート?」


「おうよッ!!お嬢様とデートなんて、俺様の人生で……いや、大多数の庶民として滅多にあるかないかのチャンスだからな。お前を倒し、その御褒美に俺はデートを願っちゃうぞッ!!」


「デ、デートか…」

まどかは困惑した表情を浮かべていた。

その頬は何故かほんのりと赤く染まっている。

そして何故か、ポニテが激しく揺れている。


「なんだよぅ、何でも良いって言ったじゃんかッ。それとも……やはり庶民な俺では大それた願いなのか?」


「そ、そーじゃないわよっ」

まどかは激しく頭を振った。

「ただ、いきなり面と向かって言われたから……はは、なんだ。洸一は最初からそのつもりだったんだ」


「……はい?」


「あははは……初めて会った時から変に突っ掛かって来ると思ってたけど……そっか……洸一って、思ったより子供っぽい所があるって言うか…」


何を言うてるんだ、コイツは?

「え~と……まどかさん?」


「まぁ、アンタは少し変なヤツでムカつく事もあるけど……話をしてても面白い……うん、デートぐらいなら良いわよ」


「ほ、本当か?」


「う、うん」

まどかはコクンと頷いた。


「ぃよっしゃーーーッッ!!!」

と、俺は拳を突き上げ、大きくガッツポーズを決める。

のどかさんとデート……

美人御嬢様と夢のひととき……

そして、あわよくば……

我が生涯に一片の悔い無しッ!!

……なーんて感じだぞよ。


「そ、そんなに喜ばれると……恥ずかしいじゃない。全く馬鹿なんだから…」


「な、なんだよ?何で貴様が恥ずかしがるんだよ…」


「何でって、やっぱりデートに誘われるぐらいだから……その……何て言うか…」


「ん?んん?何をワケの分からん事を………そんな事より、まどか」


「な、なに?」


「のどか先輩って、どー言った場所が好きなのかな?かな?遊園地と言うのはどうじゃろう?それとも、もっとアダルツな場所がエエかにゃ?」


「………へ?姉さん?」


「そうだ。やはり初デートじゃからのぅ……出来れば先輩の好みそうな場所を教えてくれれば幸いなんじゃが……おっと、古本屋巡りとか廃墟巡りと言うのは却下だぞ」

もちろん、四国八十八箇所巡りと言うのも却下だ。

それはデートではなく、ただのお遍路だ。


「………」


「…どうしたまどか?顔がハニワみたいになってるぞよ?」

おかしなヤツじゃのぅ…


「……洸一。一つ聞くけど……デートの相手って、私だよね?」


「……はぁぁぁぁ?」

俺は思いっきり呆れた表情を、まどかに向けた。

「何で俺が貴様とデートをせにゃならんのだ?折角、何でも願いを叶えてくれると言うのに、世界が平和でありますように、とか願っちゃうのと同じぐらい、狂ったお願いだろうが…」


「…」


「全く、お前とデートするぐらいなら、俺は泥田坊かぬらりひょん(妖怪)とでもデートするわい。グワッハッハッハ…」


「…」


「さぁ、まどか。特訓を始めようぜ。俺は何の躊躇い無く貴様に攻撃を入れ、見事のどか先輩とのデートの権利をゲットしてやるぜよッ」


「……分かったわ」

まどかは何故か無表情で構えを取った。

「その代わり、チンケな攻撃にはカウンターを入れるからそのつもりで」


「お、おうッ。……てゆーか、何かえらく醒めた声だけど…どうした?」

それに何やら殺気めいたものが溢れているんじゃが…

き、気のせいかな?


「どうもしないわ」

まどかは鷹揚の無い声でそう答えた。

「ただ……ほんのちょっとね、本当に少しだけ……アンタを殺したいと思ったの」


――ブッ!?

「お、おいおいおい、冗談は止めろよぅ」


「……洸一。生命保険には入ってるよね?」


「…冗談じゃないみたいだね」

俺はゴクリと唾を飲み込んだ。

どうやら俺は、虎の尾を踏んだと言うのか…

知らない間に彼女の機嫌を損ねてしまったようだ。

う~む、全く思い当る節が無いんじゃが…


「さぁ……来なさい、洸一」


「お、おうよッ!!何だか良く分からんが……行くぜッ!!」

俺は地を蹴り、瞬く間に間合いを詰めて右拳を一閃。

一切の躊躇いを捨て、無の境地でまどかの頬を打ち抜こうとするが…


「……遅い」

まどかの手は軽やかに俺の拳を打ち叩き、更には空いたボディ目掛けて突き上げるような左フックが炸裂。


「――ガフッ!?」

背中に突き抜ける衝撃。

胃液が僅かに逆流する。

「ま、まだまだぁぁぁッ!!」


「……ダメ過ぎ」

まどかはヘッと鼻で笑いながら、俺の本気攻撃を軽やかなステップで躱し、

「防御が疎かよ」

俺の頬にバチンバチンとダブルでビンタをプレゼントしてくれた。


「く、くそぅぅぅ……今からが本気じゃいッ!!」


「……優の足元にも及ばないわ」

まどかは軽く俺の攻撃を叩き落とす。

しかも良く見れば、彼女の片手はずっとポケットの中だ。


「ち、ちくしょぅぅぅ……俺を舐めるなよッ!!」


「…あっそ。でもこれでお終い」


「――な゛ッ!?」

気が付いた時には、何がどうして、どうなったのか……

まどかの小さな拳が、深々と俺の腹に突き刺さっていた。


「…はい、少し休憩ね。洸一は気絶してなさい」


「……OK」

俺の意識はそこでプッツリと途絶えた。



「………ん……んん…ん?」

ゆっくりと瞼を開けると、すぐそこに、空を遮る様に逆さ向きのまどかの顔があった。

彼女のポニテの先端が、頬に当って少しくすぐったい。


「……俺、今度は何分……気絶してた?」


「…3分ね」

まどかは覗き込んでいた顔を上げる。


眩しい…

中天に差し掛かりつつある陽の光に、思わず目を細める。

いやはや、我ながらコテンパンにやられたもんじゃわい、と感心すらする。

殴られて気絶し、蹴られて気絶し、関節を極められて気絶し、今度は投げられて気絶した。

タフネスが自慢の俺様とて、さすがに体はボロボロのボロだ。


「………まだ、覚悟が足りねぇか」

俺はゆっくりと起き上がる。

「もう少し、自分を追い込まないと…」


「はぁ?それ、どーゆー意味よぅ?」

最初から全力だった俺とは違い、まどかはようやくにエンジンが掛かり出したのか……フンフンッと鼻息も荒くシャドーを繰り返している。

洗練されたしなやかな動きだ。


「……御褒美だけじゃ足りねぇって事さ」

俺は芝生の上で胡座を掻きながら、痛む手足を擦った。

「俺様のやる気を引き出すには、飴だけじゃダメだ。何かこう鞭……キッツイ罰ゲームを設けなければ……」


「……」


「……そうだ、まどか。罰ゲームとして、お前とデートするって言うのは…」


「…」


「冗談でス」

まどかの目が本気の色に変わったので、俺は即座に頭を下げた。

「と、ともかくだ。俺がお前に攻撃を当てられない時は……何か罰を考えておいてくれ」


「それは別に構わないけど…」


「良し。そうと決れば……まどか、もういっちょ勝負だ」

俺はゆっくりと立ち上がった。


「……アンタ、根性だけはあるわねぇ」

腰に手を当て、まどかは少しだけ感心した風に言った。

「だけど、今日の鍛錬はこれまでよ」


「ありゃ?そうなのか?」


「そーよ。これ以上やったら洸一……アンタ、本当に死んじゃうわよ」

言ってまどかは、ツンッと俺のおでこを突っ突く。


「――むっ…」

たったそれだけで、俺は腰から落ちた。

膝が狂牛病の牛のようにガクガクとしている。

予想以上に、ダメージが蓄積していた様だ。


「ほら見なさい。今の内に少しでも休んでおかないと、午後から優の練習に付き合うんでしょ?」


「……」

忘れてた。

そーいや俺、午後から優ちゃんのコーチとして、彼女の練習に付き合うんだった。

・・・・・・・

ヤバイ、マジで死ぬかもしれん。


「少し早いけど、お昼にしましょう。洸一。初日から飛ばし過ぎると後がもたないわよ」

まどかはそう言って、何やら手を振ると、いそいそと数人のメイドさん達が駆け寄ってきて、昼食だろうか、芝生の上にビニールシートを敷いたりバスケットから何やら取り出して並べたりと、準備をし始めた。

まるでピクニックのようだ。


う~む…

しかし…なんだな、生まれて初めて、本物のメイドさんを見たわい。

さすがに、なんちゅうか……こう……気品が違う。

怪しげな喫茶店にいるメイドさんとは、全ッ然に違う。

さすが本物……

後でサインでも貰おう。


「ところで洸一。どこか脳味噌以外で痛い所とか無い?頭がクラクラするとか吐き気がするとか…」


「心配無用だ」

俺は苦笑を零した。

「普段使ってない筋肉を使って筋が痛む以外は、まるで平気だ」


「あら?意外に頑丈なんだ…」

まどかはコロコロと可笑しそうに笑った。


「頑丈……ねぇ」

そりゃそうだろ……

まどかは言わないけど…コイツの攻撃は、ハッキリ言って手抜きだった。

全然本気ではない……

俺でもそのぐらいは分かる。

そんな温い攻撃で、何度も気絶しちゃうとは…

化け物みたいな強さの女だ。

少しだけ、男としての自信を無くしかねないぞ。


「……なぁまどか」


「ん?なに?」


「……取り敢えず、ちょっと座ってくれ」


「なによぅ」

まどかは俺の前にチョコンと座った。


「…まどかよ。正直、何で俺の攻撃が当らないんだ?ズバリ、聞かせてくれぃ」


「洸一が弱いから」


「ズバリ過ぎだ馬鹿者ッ!!」


「何なのよぅ…」


「あのなぁ……自慢じゃないが、俺は今まで喧嘩には負けたことがねぇ。それなりに腕には自信があったんだ。ご町内でも巨神兵洸一とか言われるぐらいに、最終兵器な俺様だったんだ。なにのその俺がよぅ……」


「……」


「もちろん、TEPのチャンピオンであるお前に勝てるとは、最初から考えてねぇ。そこまで俺は自信過剰じゃないし、自惚れてもいない。だけどな、パンチの一つが掠りもしないって言うのは、さすがになぁ……ぶっちゃけ、どうしてなんだ?どうして俺の攻撃を、そこまで見切れるんだ?」


「……簡単よ」

と、まどかが言うや、ビュッと風を切り裂く音と共に、彼女の拳が眼前に突き付けられた。

凄いスピードだ…

不意を突かれたとは言え、全く見えなかった。

こんなパンチを食らったら、さぞ気持ちが良いことだろう。


「な、なんだよいきなり…」


「……洸一。今の私の不意打ち……避けることが出来る?」

まどかは拳を引きながら、どこか試すような瞳で俺を見つめる。


ぬぅ…

「……無理だな。特殊能力で時でも止めない限り、避けれねぇーよ」


「そうね。誰だって無理ね。もちろん私もね」


「……どーゆー意味だ?」


「つまり……人間の反射神経じゃ、パンチを視認してから躱すって言うのは、殆ど無理って事なのよ」


「…そうなのか?でもお前は、俺のパンチを何度も軽々と躱してたじゃん?」


「それはねぇ……経験よ」


「経験?」


「そ。洞察力って言うのかなぁ?洸一の攻撃は、来る前に読めちゃうのよね」


「そ、そうなのか?それは……俺様の攻撃時のスタイルに何か特徴があるとか?はたまたお前がニュータイプとか……」


「そんな事は無いわよ。洸一はさすがに場馴れしているせいか…動きもしなやかで、素人にしては洗練されてるわ。だけどね、それでもやっぱり分かるのよ。僅かな目の動きとか筋肉の動きでね」


「むぅ…なるほど。って、だったら…なんだ?俺はどうやってもお前に攻撃を当てる事はが出来ないって言う事か?」


「さっきも言ったでしょ?人間の反射神経には限界があるって」


「……ぬぅ」


「どうしたら私に攻撃を当てる事が出来るか……それは自分で考えなさい。アンタは優のコーチでもあるんだからね」

まどかはそう言うと、ゆっくりと立ち上がった。

「さ、洸一。そろそろお昼にしましょう」


「う、うむ」

優ちゃんのコーチか…

そうだよなぁ、俺、優ちゃんにアドバイスをする立場なんだけど……

何をどうすりゃ良いんだ?

あ~~、色々と難しいですねぇ……格闘技とやらは。



喜連川邸で昼食をご馳走になった俺は、取り敢えず……なんちゅうか非常に屈辱的ではあるが、まどかに礼を述べた後、綺麗なメイドさんの運転する高級車に乗って屋敷を後にした。

向かう先は裏山の神社。

これから優ちゃんのトレーニングに付き合うのだ。

我ながら売れっ子芸能人ばりの、かなりハードなスケジュールであるのだ。


「にしても、まどかのヤツ……どーしてあんなに強いんだろう」

俺はそう独りごちるが、それを質問と捉えたのか、運転しているメイドさんA(推定25~28歳)は静かな声で、

「まどかお嬢様は天才ですから…」


「天才……ねぇ」

非常にムカつく言葉だ。


「はい。まどかお嬢様はほんの少しの努力で、人の何倍もの成果を上げる事の出来る天才でいらっしゃいます」


「……ふ~ん、なるほどねぇ」

俺は気の無い相槌を打った。

やだやだ、そーゆーヤツって、苦手だよなぁ…

やっぱ何事も、努力して打ち勝つッ!!て言うのが良いよなぁ…

・・・・・

努力って言葉も嫌いなんだがな。


「あのぅ……ところで一つ、お伺いしても宜しいですか?」

メイドさんは運転しながら、チラリとバックミラーで後部座席の俺を見やる。


「はい、何ですか?チ○コは取り敢えず右に曲がってますが…」


「は、はい??」


「…洸一ギャグです」

ってゆーかただのセクハラだ。

「ま、それはさて置き……何でしょうか?」


「は、はい。あの……大変失礼ですが、まどかお嬢様とは一体どのような関係で…」


「愛人1号です」

即答である。

「ちなみに本命はのどか先輩です」

全部嘘である。


「そ、そうなんですか。それは大変失礼しました」


「ハッハッハ…」


「あ、あの……冗談ですよね?」


「もちろんッ!!」

これも洸一ギャグなのだ。


「……」


「まぁ、何て言うのか……実の所、まどかと知り合ったのは昨日が初めてみたいなモンなんですよ」


「えッ!?そ、そうなのですか?」

綺麗なメイドさんは今度こそ本当に驚いたのか、どこか声を上ずらせながら、

「き、昨日……なんですか?仲がよろしいので、てっきり私は小学生の時の御学友かと…」


「……仲、良いように見えましたか?」

僕チャン、散々馬鹿にされた挙句、血反吐吐くまでどつかれてたんだけど…


「ええ、名前も呼び捨てにし合ってますし……それに、まどかお嬢様が自ら異性のお友達をお屋敷にご招待したのは、実は今日が初めてでして…」


「うぇッ!?それマジっすか?」

ふ~ん……

アイツ結構気安いヤツだから、男関係も派手だと思ったんじゃがのぅ。


「まどかお嬢様はああ見えても、実は奥ゆかしく、慎み深い女性なんです」


「…」

誰のこと?


「ですから、社交界での必要最低限のお付き合い以外は、異性の方との噂等を聞いた事が無くて…」


「……それって本当っスか?だってアイツ、俺と初めて出会った時……いきなりパンツを見せてきたんですよ?」

言うや『キキーッ』と大きなブレーキ音を立て、車が横にぶれた。


「パ、パンツ!?…ですか?」


「そうですよぅ。しかもその後で見物料を要求しやがったんですよ。ま、その代わりに、俺様も偉大なモノを見せてやりましたがね。しかもタダで」

そして殴られたのだ。

いやはや…

今にして思えば、何だか凄く嫌な出会い方だったなぁ…

・・・・

もしもあーゆー出会いじゃなければ、俺とまどかはどーなっていたのだろう?

今よりはもう少し、仲良く出来たかな?

それとも……完全に無視されているって言う可能性も……あるかもな。



裏山の麓まで送ってもらった俺は、メイドさんに礼を述べ、ゆっくりと石段を上って行く。

太腿から足首に掛けて、少しだけ鈍痛が走る。


う~む、あれしきの特訓で音を上げるとは……俺様の筋肉しては、根性が足りませんなッ!!

「これからは毎朝、走り込みでもしてみますかねぇ…」

そんな出来もしない事を呟いていると、頭上からズドンッ!!と相変わらずな音が響いてきた。


優ちゃん、もう練習を始めているのかよ…

駆け足で石段を上り、社の裏手に回る。

ズドンッ!!と言う重い破壊音と共に、木の枝に吊るされたサンドバッグがギシギシと鈍い音を立てて揺れていた。


「……よぅ、優ちゃん」


「ハァハァ……あ、先輩ッ」

優ちゃんは陽光に汗を煌かせながら、いつもの元気一杯な笑顔を向けるが……

心なしか、少しやつれてないかい?


「なんだよぅ、もう練習を始めてたのか?」


「い、いえ。その……ついさっき来たばかりで…」


「……ふ~ん」

嘘だな、と言うのはすぐに分かった。

滴り落ちる汗の量が、それを如実に物語っている。

うむぅ、どうしたもんかのぅ…

「……優ちゃん」


「は、はい?」


「…あのさ、時間が無くて焦る気持は分かるけど……少し気負い過ぎじゃないか?あまり入れ込み過ぎると、本番で力を出せないぞ?」


「し、心配いりませんッ」

彼女はキッパリと言い切った。

「私だって、ちゃんと考えてます。休める時には休んでいますッ」


そう言われると、もう何も言えない。

優ちゃんは素直そうな感じがするが……二荒との会話で分かったが、実は結構、頑固ちゃんなのだ。

「そ、そっか。なら良いんじゃが…」


「は、はいッ。それよりも先輩、その…稽古を…」


「お、おう。…そうだな」

俺はポリポリと頭を掻き、傍に置いてあったキックミットを腕に装着する。

稽古と言っても、俺はサンドバッグになるだけなのだ。

彼女に何か教える何て事は、まだまだ……遠い先の話だ。


くそぅ、少しだけ、そんな自分が情け無いぜ。

焦ってる優ちゃんを諭す事も出来ず…

彼女に何かアドバイスを送る事も出来ず…

一体、俺は何の為にここに来てるんだか…


「……先輩?どうかしましたか?」


「んぁ?…いや、何でもない。それよりも始めようか?」


「はいッ!!」



ズバンッ!!と迫力のある音を立て、腕に装着したキックミットに衝撃が伝わる。

く、ぬぅ…

まどかに散々甚振られた所為か、足腰の筋肉がガクガクと痙攣を起こし始めていた。

だが、それにも関わらず……こうして倒れる事もなく、優ちゃんの蹴りやパンチを受け止める事が出来るのは……やはり、彼女自身の攻撃にキレが無いからに他ならない。


やっぱ、かなり疲れが溜まってるみたいだな…

俺の腕に伝わる衝撃に、いつものサンドバッグをふっ飛ばすような超人的なパワーは感じられない。

それにスピードも、いつもの30%OFFと言った所で、何とかこの俺の目でも追えるぐらいだ。


ふむ…

まどかのヤツは、俺様の攻撃を完璧に見切っていたけど…

俺はミットで優ちゃんの攻撃を受けながら、冷静に彼女を観察してみる。

右中段…右中段…右上段…体勢を整えてからジャブジャブ、そしてストレート……

なるほど、実に良いコンビネーションだ。

特に上段蹴りの時なんか、青春のシンボルである赤いブルマがクワッとした感じに開いたりして…うむ、目の保養なり。

・・・・

ま、そんなアホな事はどーでも良いが…

左中段、そして右回し蹴り……更に右中段、右中段と来てから右上段……お次はジャブを二つにストレート……

なるほど、良く分かった。

まどかの言っていた、動きの予測、と言うのが、何となく理解出来た。

疲れているのか、優ちゃんの攻撃は単調だ。

パターンが決っていると言っても良いだろう。

これは実にノーグッドな傾向である。

単調な攻撃の繰り返しは、知らず知らずの内に体に染み付いてクセになってしまう場合があると、まどかも言っていた。

こんな体に負担ばかり掛ける練習を続けていては、逆に弱くなる一方だ。


う~む…

右中段…右中段、そして右上段蹴り……

なるほど、なるほど…

いつもは恐ろしくて、全身全霊+守護霊様の力まで借りてガードに専念していたから気付かなかったけど……

こうしてジッと冷静に観察していると、彼女の細かい動きまで良く分かる。

目の動き、そして蹴る時の軸足の動き方で、来る前に攻撃が予測出来ちゃうぞよ。

これが見切りと言うヤツか……

・・・・

まどかも、俺の攻撃はこんな風に見えていたのだろうか?


……ふむ、お次はもう一度、右中段と言った所か…

俺は何気なく、優ちゃんの攻撃が来る前にキックミットをずらしてみるが、

――ズドンッ!!

その瞬間、ミットの下を摺り抜けた彼女の右足が俺の横腹にめり込んだ。


「――ぬぉうッ!?」


「せ、先輩ッ!??」

慌てて駆け寄る優ちゃん。

「だだ、大丈夫ですか?」


「し、心配いらねぇ」

ア、アホか俺は……

避けるなら、体ごと避けないでどーするんだ…


「す、すみません先輩」


「いや、なに……今のは俺が悪い」

にしても、ムチャクチャ痛いが……ダメージはあまり無ぇーなぁ。

これがいつもの優ちゃんだったら、肋骨はへし折れ、臓器の一つや二つは破裂して最悪の場合、僕チン天国への階段を登っているところだったと思うが…

「す、すまねぇーが優ちゃん。暫らくサンドバックで練習しててくれ」

俺は脇腹を押さえ、よろめきながら木陰に腰を下ろした。

さてさて、どーしたモンかのぅ…

このままでは、確実に優ちゃんは負けてしまうだろう。

そして僕チンも自動的に空手部に移籍し、次の日には粛正されている筈だ。


うぅ~む……

この何処に出しても恥ずかしい素人な俺でも見切れるんだから、まどかより強い二荒なんか、目を瞑っていても攻撃を躱す事が出来るんじゃねぇーか?

かと言って、何かアドバイスを送ろうにもなぁ…

優ちゃんは、あの二荒に歯向かうぐらい頑固な所があるし…

入部して僅か数日しか経っていない俺があれこれ口出した所で、余計に意固地になってしまうかもしれない。

これは実に難しき問題だ。

うぅ~む……



陽が辺りを茜色に染まらせつつ西の空に沈む頃、俺は商店街に来ていた。

夕飯の買出しの為だ。

今日は何を作ろうか?

俺的には、特売である鶏チャンの唐揚げと、これまた特売のシーチキンのサラダなんて事を考えているのだ……ま、それは全然関係ないから少し脇に置いて、今は優ちゃんの事だ。

結局今日は、疲れ切っている優ちゃんのデク人形になっているだけで、練習は終ってしまった。

言いたい事は山程あったのだが、多分、彼女は聞いてくれないだろう。


「…どうすりゃ良いんでしょうかねぇ」

手早く買い物を済ませた俺は、商店街をブラブラと歩きながら、そう独りごちた。

もしも俺が、優ちゃんより何倍も強く、学年ではなく格闘家としての先輩であったのならば、『こうするべきだよチミィ』等と色々アドバイスを送ることが出来るんじゃが……

今の俺にはとても無理な話しだ。


とにかく、今の俺に必要なのは実力だ…

優ちゃんを教え諭す事が出来るほどの実力が無ければ、何も出来ねぇ…

そして何も言えねぇ…

だけど、そんな事は恐らく無理だろう。

何しろ優ちゃんは、小学校の時から道場へ通ったりしている格闘少女なのだ。

対して俺は……小学校の頃、カエルの尻に爆竹突っ込んで遊んでいただけの単なる下町の馬鹿な子供に過ぎなかった。

そんな俺がだ、僅か1週間で優ちゃんを超えるなんて……

精神と時の部屋にでも入らない限り、無理な話しなのだ。


……かと言って、ここで諦めちまったら意味がねぇーか……

俺は踵を返した。

向かう先は、いつもの本屋だ。

ともかく、この俺も少しは本気で学ばねば…



帰宅後、俺は簡単に済ませた夕餉の後、風呂に入って一日の汗と疲れを取り、そしてソファーの上にゴロリと寝転がりながら本屋で買ってきた『カニクイザルでも分かる格闘技・初心者編/全国のもやっし子諸君、君も今日から猛者の仲間入りだ/(喜連川出版)』と言う非常に購買層が限定されているアウトサイダーな本を読んでいた。


ふむ、なるほど…

なんちゅうか、実に分かり易く書いてある。

基本的な体捌きから攻撃、防御、そして投げ技等々……

素人の俺でも、何だか読んだだけで強くなったような錯覚すら覚える。

うむ、大した教本だ。

巻末に、『特別監修・喜連川まどか』と書いてあるのが微妙に嫌な感じがするが……


「……ふぅぁぁぁあああ~」

大きな欠伸が零れる。

今日はホンマに疲れた。

朝からずーっと動き回っていた所為か、体中がギシギシと軋むようだ。


「……まだ21時か」

寝るにはかなり早いが、偶に良いだろう。

何より、猛練習をした後は良く食って良く眠るのが、強くなる為の近道だ。……と、この本にも書いてあるしな。

・・・・・・・・・

・・・・・・

・・・

と、普通だったら今日はこれでお休み、また明日……と言う事になるのだが…

実はこれからが、本当の意味での本番だったりするのだ。

そう、それは、一本の電話から始まった。








評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ