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俺様日記  作者: 清野詠一
15/39

レモンのような二人




分からない…

どうにも分からない事ばかりだ。


俺は角店で買った弁当片手に、境内へと続く裏山の古い石段をゆっくりと上っていた。

その隣りでは、戸籍上は一応のどかさんの妹である、まどかが、

「ったく、優も優よ。いくら人が集まらないからって、選りにも選ってこんなアンポンタンを勧誘するなんて……」

と、俺に聞こえる様にブツブツと文句を言っている。


ぬぅ…

「おい、まどか」


「なによ洸一」


「3つだけ、俺の質問に答えろ」


「……は?」


「先ず1つ目だが……どうして俺が、貴様に弁当を奢らなければならんのだ?」

まどかの手には、俺と同じビニール袋に入った角店の弁当がぶら下がっていた。


「仕方ないじゃない。だって今日、財布置いてきちゃったんだモン」


「……なるほど。では2つ目の質問だが……どうして俺の後を付いて来る?」


「はぁ?何で私がアンタの後を付いて行くのよ。私は優の練習を見て上げるって約束してるの。そーゆー洸一こそ、練習の邪魔にならない様に隅っこで蟻の観察でもしてなさい」


「…な、なるほど。では最後の質問だが……貴様、どうして俺を呼び捨てにする?」


「はぁ?それはアンタが私の事を呼び捨てにするからじゃない。洸一のクセに生意気よ」


「……質問に答えてくれてありがとう。お陰で、貴様のことが良っく分かったわいッ!!」


「な、なによぅ。何が分かったのよぅ」


「あん?お前の思考回路が専制君主型だと言う事がだッ!!」


なんちゅう女だ…

世界は自分を中心に回っていると考えているんじゃねぇーのか?

ったく……

世界の中心は俺様なのにのぅッ!!

・・・・

・・・・

でもまぁ、その辺の所は、少しのどかさんに似ているな。

あの人も、どこか我の強い所があるし…

しかしながらのどかさんの場合は、とことんマイペースと言った感じで、可愛いから許しちゃうが…

この女の場合は、未開の荒野を真っ直ぐに突き進んで自爆すると言う感じで、少し恐ろしいぞ。


「全く、優ちゃんももう少し人を見る目を養わないとなぁ。やれやれだぜぃ」


「そうね。それに関しては洸一の意見に賛成ね。優は世間知らずだし……クラブの事も、きっと藁にもすがる思いだったんでしょうねぇ。その縋った藁は半分腐ってたんだけど」


「……おいまどか。あまり俺様を馬鹿にすると……少しだけ痛い目を見るぞよ」


「はぁ?洸一、あんた私がTEPのチャンピンだと知ってて向かって来る気?ふ~ん、勇気はあるんだ。だったら私も全力で相手になるけど……良い?」


「………ちくしょぅぅぅぅぅぅぅ」


「ち、ちょっとぅ。なにいきなり涙目になってんのよ?頭大丈夫?」


「うぅぅ…」

く、悔ちいよぅ…

でも、死ぬのは嫌だよぅ…

どうすりゃ良いんだ、俺はよぅ…

「…ん?」


「…どうしたの洸一?急に顔が劇画調になったけど……100円でも落ちてた?」


「違うわッ!!どうして貴様は、一言余分っちゅうか……」


「うっさいわねぇ。余計な事はいいから、それよりもどうしたのよ?」


クッ、ウルトラむかついちゃう女だぜ…

「別に……ただ、何となくいつもと雰囲気が違うなぁ~っと思ってな」


「雰囲気?」


「いつもだったら、この辺から優ちゃんの練習の音が聞こえて来るんだけど……今日は聞こえないし、それに何やら殺気めいたものが…」


気のせいかな?

と思ったが、まどかは少しだけ感心したように

「へぇ~、洸一にしては、中々に鋭い感覚じゃない。もっとも、私は階段を上がる前から気付いていたんだけどね」


「ぬぅ…」


「この嫌な空気の感じ……間違いなく、上に真咲がいるわ」


「ま、真咲?真咲って……二荒真咲?」

無意識の内に膝が笑い出した。

どうしよう?凄く家に帰りたいぞ。


「そう、その真咲よ」


「そ、そんな事まで分かるのか?」

さすが、生意気でも一流の武芸者と言った所か…


「当たり前でしょ?だってさっき、真咲が階段上ってくのが見えたもん」


「……」


「それよりも洸一、アンタさぁ……真咲とは知り合いなの?」


「……一応、彼女だ」


「えッ!?そ、そうなんだ……」


「嘘だけどな」


「……」


「ゆ、指をボキボキ鳴らすのは止めて下ちゃい」

ひ~~ん、怖いよぅ…

「にしても、さっきも校門の所で言い掛けたけど、どうしてお前が二荒の事を知ってるんだ?知り合いなのか?」


「あれ?優から聞いてない?私も優も、真咲と同じ空手道場に通っていたんだけど…」


「……初耳だ」

そうか…

そうなのか…

なんか芋蔓式にどんどん広がって行くのぅ……暴力の環が。


「それよりも、洸一の方は本当はどうなのよ?真咲とは……友達なワケ?」


「いや、別に友達って言う程では……顔だけは知ってる間柄と言うか、2回ほど地獄を見せられた相手と言うか……」


「ふ~ん。でも真咲は、洸一の事はよく知ってるみたいだったけど…」


「…俺は有名人だからな。それに……なんだ、アイツの親友の吉沢ってヤツが、1年の時に俺と同じクラスだったから……その関係で知ってるんじゃないのか?」


「…それだけじゃないと思うんだけどなぁ」


「は?それ、どーゆー意味だ?」


「…自分で考えなさいよ」


考えろって言われても、何を考えるんだ?

「しかし、何で二荒がここにいるんだ?アイツは空手部なんじゃが…」

もしかして、新格闘技のTEPに目覚めたとか?


「まぁ、行ってみれば分かるんじゃない?」


「――えッ!?い、行くの?俺、このまま回れ右して帰ろうと思ったんだけど…」


「当たり前でしょ?洸一、なにビビってんのよ?」


「ビビってなんかないやいッ!!」

怖いだけだッ!!

本能が行くなと言ってるだけなのだッ!!

・・・

パンツの替えも持ってきてないしね。





朽ち果てた神社の境内に辿り着いた俺は、まどかと共に、何やら声のする方へ足音を忍ばせて近付いて行った。

ハッキリ言って、何やヤバイ予感がする。

額に嫌な汗まで浮んで来てしまったではないか。


「な、なんでしょうか?何か…怒鳴り声みたいなモノが聞こえてくるんですが…」

俺はゴクリと唾を飲み込み、まどかに尋ねる。


「まぁ、何とな~く、想像はつくんだけどねぇ」


「そ、そうなのか?」


「……あっ、ここなら良いわよ」

まどかは木陰にしゃがみ込みながら、俺を手招きする。

そして声を抑えながら、

「ほら、あそこにいるわよ」


「…ゲッ、本当だ…」

生い茂った木々の先には、いつもの黒いサンドバッグがぶら下がっており、その向うに対峙する二つの人影。

体操服でどこか俯き加減の優ちゃんに、我こそ永遠のチャンピオン、と言わんばかりに腰に手を当て仁王様のような顔をしている、凛々しい空手着姿がステキでおっかねぇ二荒嬢がそこにはいた。



『優貴……まだ分からないのか』

怒気を孕んだ二荒の声に、優ちゃんは恐る恐る顔を上げ、

『わ、私には……分かりませんッ。二荒先輩の言うことが、分かりませんッ』


うぅ~ん……何だかいきなり修羅場ですなッ!!

剣呑、剣呑っと……


「…ちょっと洸一」


「ん?なんだまどか?」


「アンタ……なにいきなりお弁当食べようとしてるのよぅ」


「あん?ンなモン……決ってるじゃねぇーか。イザと言う時の為だ」

あの二荒と優ちゃんの間に、何があったのかは現時点では不明だが…

展開状況によってはヤバイこと(具体的に言うと怪獣大決戦)になるかも知れないのだ。

その時の為に、飯を食って精を付けておかなくてはッ!!

・・・

あと、場合によってはとばっちりで殴られたりして、奥歯とか砕けるとお弁当が食べられなくなるからね。



『優貴。何度も言うが、お前は空手部に入るべきだ』

『ふ、二荒先輩こそ……どうしてTEPの格闘技を認めてくれないんですかッ!!』



「…まどか。そこのお茶を取ってくれぃ」


「洸一って、小心なんだか神経が太いんだか……分からないよね」

どこか呆れた口調で言いながら、まどかは袋から取り出した烏龍茶のペットボトルを手渡してくれた。


「そうかぁ?ま、俺も色々と修羅場は経験してるし……や、それはどうでも良いとして、二荒と優ちゃんは、一体何を揉めてるんだ?」

俺は弁当をモシャモシャ食いながら、草むらの中から二人を見つめる。

幸いにして、殺気立ってると言う雰囲気ではなく、なんちゅうか……優ちゃんを若く経験の浅い猟犬に例えるとしたらだ、その経験の浅さからか、獲物に向かってキャンキャンと吼えて威嚇しているって感じだ。

ちなみに獲物はゴジラなんじゃが……


……何だか分からんけど、ともかく頑張れ優ちゃん。

俺は草葉の陰から応援するぜッ!!


「ん~~簡単に説明するとね、真咲は優を空手部に入れたいのよ。それに優が反撥している……と言った所かな?」

まどかは『フゥ~』と溜息を吐きながらそんな二人を見つめ、苦笑を零した。

「優も、あれで結構、かたくな所があるから…」


「ふ~ん…でもさ、クラブ活動は自由なんだから、何もあんな怖い顔して空手部に勧誘しなくてもエエんでない?」


「それだけ、優が可愛いのよ。真咲にしてみれば、優を鍛える事が楽しみだったて言うかさぁ…」


「ほぅ……」

ふむ、まどかは二荒の事を、何でも知ってるって感じですねぇ…

同じ道場に通っていた、ってさっき聞いたけど……付き合いは長いのかな?


「でもまぁ…正直な話、TEPのチャンピオンである私とすれば、ここは優を応援すべきなんだけど……真咲の言うことも、理解出来るのよねぇ」


「そうなのか?俺的には、本人のやりたい事をやるのが一番だと思うけど……」



『優貴……今のお前は、華やかな場で活躍しているまどかに憧れているだけだ。新興格闘技団体TEPの格闘技とやらも、その延長に過ぎないッ!!』


『そ、そんな事はありませんッ!!確かに、まどか先輩には憧れていますけど……でも私は、TEPの格闘技こそ、最強だと考えているんですッ!!』



「……どうですか、ファイティングまどかさん?」


「ん?まぁ、ここだけの話だけど……私は、優は真咲の下で修行した方が良いと思ってるわ。今の所はね」


「ありゃ?そうなん?」


「意外だった?そりゃあ、優がTEPに参戦したいって気持ちも分かるし、嬉しいけど……そうね、本当に強くなりたいのなら、あと3年間はみっちり空手を修めて、それから転向した方が良いわ」


「つまり……ゲームで例えると、弱いレベルで上位クラスに転職しても、結局は弱いまま……と言うことかにゃ?」


「洸一が何を言ってるのか全く分からないけど……私の意見は、あくまでの部外者の意見よ。参考にしないでね」


「なるほど…」


「ほら、そんな事より良いの?優がピンチじゃない…」

言ってまどかは、前を小さく指差した。



『優貴……私は別に、TEPに参加するなと言ってるわけではない。まどかを目指し、新しい格闘技を修めるのも別に構わん』


『だ、だったらなんで…』


『…お前とまどかでは、違いすぎる』


『……』


『言いたくはないが、アイツは天才だ。だから優貴、お前がまどか真似をしてすぐにTEPに参戦しても、決して強くはなれない。むしろ弱くなるだけだッ!!』


『そ、そんな事は……』



「ぬぅ…優ちゃん、大大ピ~ンチだぜぃ」


「ほら洸一。あんたも一応は同好会のメンバーなんでしょ?助けてあげなくっちゃ」

言いながらまどかは、グイグイッと俺の体を押して来た。


「たた助けろって言われても……俺、何をどうしたら……」


「知らないわよそんなこと。これはアンタの学校の問題でしょ?」


「お、お前……なんか顔が笑ってるんだけど…」

ひょっとしてこの状況を愉しんでる?


「…頑張れ洸一」

まどかはクスクスと悪魔の笑みを浮べながら、『エイッ♪』と可愛い声で突き飛ばし…

俺は弁当片手のまま、優チャンと二荒の前に転がりながら登場したのだった。





突如として草むらの中から転げ出した俺に、優チャンと二荒は目を丸くしていた。

沈黙…

空気が非常に重い。


ひ~~ん、生きた心地が超しないで御座るぅぅぅぅぅ…

「……話は聞かせてもらった」

俺はスッと立ち上がり、口元に手を当てながら低く渋い声で言った。


「せ、先輩…」

優ちゃんは瞳をウルウルとさせていた。

怪獣のような二荒に独り問い詰められ、よほど心細かったのだろう。

こんな俺でも現れてくれた事が、嬉しいに違いないのだ。


「神代……洸一」

二荒は瞳を、憎悪の炎でメラメラと焦がしていた。

優ちゃんを説得している最中に現れた俺が、心の底から憎いのだろう。

うむ、オシッコちびりそうなり。


「神代……貴様、こんな所で何をしているッ!!」


「……弁当を食べていた」

俺は手にした弁当容器を掲げ、

「角店の鶏タル弁当大盛りだ。ぼぼぼ、僕はこれが好きなんだな」


「……帰れ」


「…へ?」


「今は大事な話をしている所だ。部外者は立ち去れッ!!」


「――ハゥァッ!?」

ぬぅ、凄く帰りたいッ!!

がしかし……ここで逃げ出しちまったら、神代洸一と言う漢の沽券に関わるッ!!

……ような気がする。

「それは、出来ない」


「…なにぃ?」


「ででで出来ない事も無きにしも有らずと言うか…ぼ、僕は争いごとは好みじゃないけど、だけど逃げ出す事は男の矜持に掛けて出来ないわけで……って、さっきから何を言うてるのでしょうか?もとい、俺は二荒の話を聞く権利がある。だからここで弁当を食う。そしてお茶も飲む」


「……神代洸一。それはどう言う意味だ?返答次第では……殴るぞ」


「ゴ、ゴチャゴチャと五月蝿いんだよッ!!良いか、俺はこう見えても一応はTEP同好会のメンバーの一人だッ!!ってゆーか、唯一の部員だッ!!だから話を聞く権利はあるっつってんだよッ!!」

うひぃぃぃ…オラ、言っちまっただよぅぅぅ…

退路を自ら断っちまったよッ!!

おおぅ…これが背水の陣ってやつですかい?


「――な゛ッ!?そ、それは本当か、優貴?」


「はいッ!!神代先輩は、TEP同好会のメンバーなんですッ!!」


「……」


「そう言うワケだ、二荒。だから俺は、そこの草むらから話を聞いていたが……少し強引過ぎやしないか?」


「…なに?」


――クッ、怖いッ!!

むっちゃ怒ってる顔やん…

俺、殴られそうじゃんッ!!

「ゆ、優ちゃんは……空手ではなく、TEPの格闘技をやりたいと言っているのだ。確かに、二荒の言うことも分かるが……本人がやりたくないと言ってるモノを強引に勧めても、それは逆効果になるだけじゃないのか?」


「貴様に何が分かるッ!!私は優貴の為を思って…」


「……第三者の立場から見ているからこそ、分かることもある。ここ数日、俺は練習に参加してみたが……優ちゃんのTEPに掛ける情熱は本物だ。それを分かって欲しい」


「黙れ神代ッ!!」


うん、僕は黙るよ。

「……」


「優貴には……空手部に入る義務がある」

二荒は怒気を抑えるように、淡々とした口調で言った。

「私は……TEPとやらが嫌いなワケではない。別に好きでもないが……様々な格闘技に興味を覚えるのは良い事だと思う。だけど今の優貴は、TEPの上辺の華やかさに惑わされているだけだ。そんな事では決して強くはなれない。だから今は空手部に入り…」


「そ、それは……やってみなくちゃ分からんだろ?」


「…」


「二荒は、この裏山での優ちゃんの練習を見た事があるか?ハッキリ言って、凄いと思うぜ。あの練習を見ている限り、俺は優ちゃんが単に興味本位で格闘技をやっているとは思えない。だいたい、空手部に入る義務ってなんだ?クラブ活動は自由の筈だが……少し無茶過ぎやしないか?ん?」


「優貴は……空手のスポーツ推薦でウチの学校に入ったんだ」


「―――ブッ!?」

お、おいおいおいおい……初耳でスよ?


「なのにいきなり、入学したその日に空手部に退部届を出して……」


「あ~~……優ちゃん、それ本当?」


「は、はい。私……あまり勉強とか得意じゃなくて……それで推薦で…」

優ちゃんは頬を赤らめ、俯いてしまった。


うぅ~む…

なんちゅうか、ねぇ?

全ての大前提が崩された、と言う感じでゲス。

「そ、そっか。ふむ……なるほど」


ぬぅ、どうしよう?

完璧に二荒の方が筋が通っているし、心の大陪審も満場一致で優ちゃんの敗訴と確定しちゃったが…

かと言って、今更空手部に戻れとも言えないワケで…

ぐぬぅぅぅ…

僕チン、どうすりゃ良いんだよぅ…

俺は非常に困った視線を、チラリと背後の草むらに向けた。


「……何をしている?神代洸一」

二荒が目を細める。

「そこに……まだ誰かいるのか?」


「――えッ!?いや、その…」

と俺が戸惑っていると、

「……仕方ないわねぇ」

ハァ~嫌だ嫌だ、とでも言いたげな非常に面倒臭そうな声を上げ、まどかがこれまた本当に面倒臭い顔をして、ガサゴソと草むらから這出て来たのだった。





「ま、まどか…」

「まどかさんッ!?」

二荒と優チャンは、驚きで目を丸くしていた。

もちろん俺は、安堵の溜息を吐く。


や、やっとこの地獄から解放された…

さて、後は若いモンに任せて、僕チンは退散しようかのぅ…

等と考えていたのだが、それは非常に甘かった。


「まどか……貴様、ここで何をしている…」

二荒の超低気圧な声。

俺が来た時とは比べ物にならない程、この場の重力値が物凄い数値を叩き出している。

今にもブラックホールが誕生しそうだ。


な、なんだ?この背中に圧し掛かるような重い空気は?

まどかと二荒は知り合いだって聞いたけど…

もしかして、仲の悪さは源氏と平家以上とか?


「あら真咲、そんなに怖い顔しないでよぅ」

まどかは、のほほ~んとした口調で言った。

「今日は偶々、優の様子でも見ようかなぁ~って思っただけよ。ほら、ちゃんとお弁当も買ってきたしね」

金を出したのは俺様だがな。

「でもさぁ、さっきから話を聞いていたけど、優はどうしてもTEPに参加したいって言ってるじゃないの。自由な格闘技をやりたいって言ってるのよ、真咲……さっきこの馬鹿も言ってたけど、空手をやりたくないのに、それを無理やりやらせても、逆効果じゃないの?」


「……確かに、な」


「だったらアンタもさぁ、空手部に入れ入れと言うだけじゃなくて……優にさ、空手の凄さを納得させる方が得策だと思うんだけど…」


「……なるほど。つまりまどか……貴様は、今この場で私に叩きのめして欲しいんだな?」

二荒は、見る者全てを凍て付かせるような恐ろしい笑みを浮べた。

僕なんかもう、それだけでおパンツ方面がメルトダウン、チャイナシンドローム発生と言う非常事態だ。


「TEPのチャンピオンである貴様を粉砕すれば、優貴も空手こそが最強と再認識するだろう。ふ、ふふふ……」


「ち、ちょっとぅ…私は部外者よ?これはあんたの学校の空手部と優の同好会の問題でしょ?私を巻き込まないでよぅ」

まどかはシレッと言いながら軽く手を振るが…

その額には、微かに汗が浮んでいた。


ぬぅ…

チャンピオンであるまどかでさえも、殺気だった二荒を前にすると緊張するのか…


「…ふっ、そうだな」

二荒は軽く鼻で笑うと、優チャンに向き直り、

「優貴。お前がどれだけ努力して来たか、確かめてやろう」


「え?え?」


「……1週間待つ。来週の土曜日…私と試合え。優貴が勝てば、お前の努力は認めよう。が、負けた時は……今一度、空手の修行の為直しだ」

二荒はフフーンと、まるでもう勝負合ったと言わんばかりの笑みを浮べた。

それに対して優葵チャンはと言うと…

「そ、そんな…」

顔面蒼白だ。


うぬぅ、圧倒的に不利な勝負だと思うんじゃが……

取り敢えず、二荒の勝ちに1万円だな。

と、俺はTEP同好会であるにも関わらず、優チャンの勝ちは無かろうと判断してしまったワケなんだが……

「良し、やっちゃおう♪」

何故かまどかは、実にまぁ……ボーナスで大型電化製品でも買う主婦の如く、楽しげにGOサインを出した。


お、おいおいおい…良いのか?

このままだと、確実に優チャンは負けちゃって、二荒と共に空手部で修行なんだぜ?

そうすると、どうなる?

……TEP同好会は俺独り?

もう、優チャンのブルマ姿も見られないワケ?

さ、寂しいなぁ、それ……


「ま、まどかさん。で、でも私……」


「大丈夫よ、優」

言ってまどかは二荒に視線を向けると、

「その代わり真咲。この勝負はあくまでも、貴方の空手部と優の同好会の試合よね?だったら当然、貴方は高校空手で闘う義務があると思うんだけど……どう?」


……はて?それは一体どーゆー意味だ?


「……そうだな。そのぐらいのハンデはやろう」

二荒はゆっくりと頷いた。

「だが、貴様が直接、優貴を鍛える事は禁止だぞ。これは私と優貴の問題であり、貴様は部外者なのだからな」


「………そうね。うん、良いわよ」


「えッ!?でも……それだと私、自分でどうしたら良いか…」

優チャンは天上界で勝手に進められて行く話に、かなり戸惑い気味だった。


分かる……分かるぞ優チャン!!

でもまぁ、可哀相だけど、武神の方々には絶対に逆らえないし……

そして俺様ちゃんにはどうする事も出来ないし…


「心配いらないわよ優。アンタには、ちゃんとしたコーチがいるじゃない」


「…へ?」


コーチ?

そ、そんなのどこにいるんだ??

と、俺は優ちゃんと同じように首を捻って考えていると、

「…なに呆けた顔してるのよ洸一。アンタが優を鍛えるんでしょ?」


「――俺ですかッ!?」


「そーよ。ってゆーか、アンタしか部員がいないんだし……しょうがないじゃない」


「お、おいおい……いくら何でも無茶だぜ。そりゃ確かに俺は、ミヤギ流空手をマスターしたダニエル洸一と呼ばれる程のベストキッド野郎だが……優ちゃんを鍛えるなんて事は…」


「大丈夫よ、アンタは私が鍛えてあげるから」


「………は?」





まどかの言葉に、俺は何度も瞬きを繰り返しながら、

「え、え~と……それは一体、どーゆー意味でせうか?」


「だからぁ、今のままのアンタじゃ、優のコーチなんて殆ど務まらないでしょ?弱いんだから。かと言って、私が直接優を指導するわけにはいかないし……だから代りに、アンタを鍛えてあげるのよ。どう、分かった洸一?分かったんなら、感謝しなさい」


「うん、ありがとう。――って、何で俺が感謝をッ!?」


「なによぅ」


「なによう、じゃねぇーよッ!!お前が俺を鍛えるって……それはなんだ?悪気は無い様を装った新手のイヂメか?」


「優の為でしょ?それとも…なに?洸一は、優は空手部に入れば良いと思ってるの?」


う゛っ……

「そ、そんな事は……断じてないッ。俺は優ちゃんの頑張りを知っている。俺で出来る事なら、何でも協力してやる」


「でしょ?その為に、わざわざチャンピオンである私が、洸一みたいなアンポンタンをマン・ツー・マンで指導してあげるって言ってるのよ。うぅ~ん、なんて私って博愛精神に満ち溢れてるのかしらねぇ」


「そうだな。でも何故か素直に喜べないのは、どうしてかな?…かな?」


「大丈夫よ洸一。死んだと判断したら止めてあげるから」


「そ、そっか……なら安心だ。――って何が安心だよッ!?遅ェーよッ!!殺す気かよッ!!」

ま、全く…いつの間にかこの暴力女のペースだぜ…

・・・・・・

しかし、まぁ…確かに、今の俺では優ちゃんの役には立たねぇ。

単なるギャラリーの一人でしかねぇ。

まさに『THE役立たず』だ。

まどかの指導を受けつつ、優ちゃんを鍛える…

かなりハードと言うかマジで死にそうな気がするが…

それでも、相手はあの泣く子も恐怖で笑顔になる二荒だ。

これしか、方法がねぇーか…


「…ったく、分かったぜまどか。俺を……鍛えてくれ。優ちゃんの練習相手がそれとなく務まるぐらい、ビシバシと鍛えてくれぃ」


「元よりそのつもりよ」

まどかはそう言うと、優チャンの肩に手を置きながら、

「良かったわね優。洸一も一肌脱いでくれるって」


「は、はいッ!!神代先輩……ありがとう御座いますッ!!わ、私…頑張りますッ!!」


「お、おうッ!!頑張れよ優ちゃん。俺も出来るだけサポートするぜッ!!」


「……と、言うわけよ真咲」

ニヤリと笑みを零す、まどか。

「文句は無いわよね?」


「……あぁ、それでも良い。神代洸一も、一応は優貴の同好会の仲間だしな。ただし、優貴が負けた時は……神代も空手部だ」


――マイガッ!?

「お、おいおいおい……二荒さん?それ、マジですか?」


「当たり前だろ?それが勝負と言うものだ」


「た、確かに……って、俺はダメだよ。だって俺、そもそもがオカルト研究会の部員だし…」


「……ふ、掛け持ちは特別に許可してやる」


「いや、だから……事はそう簡単に運ばないと言うか、血の契約があると言うか粛清対象になると言うか……」


「何を言ってるんだ神代洸一?」

二荒の少し吊り目がちな目が細まる。

「ここまで来て、傍観者気取りか?なるほど……優貴のことなど、所詮は他人事と言う事なんだな?」


「ち、違わいッ!!」


「だったら一蓮托生だ」


「くっ……わ、分かったよ。優ちゃんが負けたら、そん時は俺も空手部に入ってやろうじゃねぇーか」

と、俺は決意も新たにそう答えるがその時、二荒の向こう側……死角になってる草葉の陰から俺を見つめる視線が一つ。

「ギャワーーーーーーーーーーッ!!?」

そこには酒井さんが恨めしそうな顔をして佇んでいた。


「ど、どうしたのよ洸一?」

とまどか。

二荒も優ちゃんも、驚いた顔で俺を見つめている。


「さ、酒井さんが……い、生き人形が……あの連邦の白い悪魔が裏切り者を粛正しに来たーーーーッ!!」


「はぁ?酒井…さん?って誰もいないけど……」


「ハァハァ……ゆ、優ちゃんッ!!」


「な、なんですか先輩?」


「絶対、勝ってくれッ!!俺も頑張るから、優ちゃんも頑張ってくれッ!!命に代えても勝ってくれッ!!俺も既に懸けちゃってるからねッ!!」


「じ、神代先輩……急にどうしたんですか?」


「…ねぇ真咲。洸一って、いつもこんな感じなの?」


「……ずっと故障中なんだ」





二荒真咲嬢とのガチンコバトル…

負ければTEP同好会は1ヶ月にも満たないその歴史に幕を下ろし、俺は優ちゃんと共に空手部に移籍。

それは即ち、俺に対するオカルト研究会の血の粛正を意味していた。


ヤバイ…

非っっ常に、ヤバイッ!!

まかり間違って空手部に入った日には……俺は現世とおさらばだ。

どうする…

どうするよ俺?

って、こうなったからには、心を鬼にして優ちゃんを鍛えないと…

その為には、鬼のようなまどかの練習に耐えないと…

そうしないと、鬼のような二荒に勝てないぞよッ!!

・・・・・

もう、鬼だらけで何がなんだ…



「……ところで神代洸一」

青春の血と汗と涙と言う僕には標準装備されてない物が染み付いているであろう空手着に身を包んだ二荒は、にっちもさっちもどうにもブルドッグ状態で困惑している俺を睨み付けると、

「一つ、尋ねたい事がある」


「た、尋ねたい事ですか?何でしょうか…?」


「お前、あの女を呼び捨てにして親しそうだが……知り合いなのか?」

と、まどかに視線を向ける二荒。


き、気のせいかにゃ?

何だか殺気がジワリと滲み出ているような…

ちなみに俺は、尿系の物がジョロリと滲み出そうだった。

「あ、あの女って……まどかの事か?いや、実はよぅ……その……ついさっき告られちまってよぅ、ハッハッハ。ほら、俺ってモテモテじゃん?」

と、俺は少しでも二荒嬢の発する瘴気を和らげるために、その場限りの冗談なんかを言っちゃたりするがその瞬間、スッと伸びてきたまどかの指が俺の喉首を掴むや、胡桃を潰すかのようにキュッと喉仏を握り挟んだ。

「ケーーーーーーーーーーーッ!?」

河童のような鳴声を発する俺。

「じょ、冗談です冗談ですぅ……」


「なんで私がアンタみたいな馬鹿たれに告らなきゃならないのよぅ」


「うぅぅ……やんちゃで無鉄砲な男が好みだと思って…」


「洸一の場合、無鉄砲と言うより単なる無謀な馬鹿でしょッ。全く…」


酷い言われ方だ…

「うぅぅ……実は二荒、コイツはよぅ……前に二三回会った事があるだけの女で……それが今日、学園の裏の指導者であるのどか先輩の妹だと分かって……何だかとてつもない詐欺に遭った気分と言うか…」

――キュッ!!

「クケーーーーーーーーッ!?冗談です冗談ですぅ……」


「ふ~ん……なるほど、な」

二荒は腕を組み、何故か軽い笑みを浮べた。

「と言うことは……実質的には、今日が初対面と言うワケか」


「う、うん。まぁ…そうなるかのぅ」


「ふ~ん、そうか…」


「なに真咲?その安心したような顔は?」

と、まどか。


「ば、馬鹿を言うなッ!?なな、なんで私が安心を……何を言いたいのか分からんぞッ!!」


「そうだぞまどか。俺なんかお前と出会って安心どころか個人的に警備会社と契約したい気分なんだぞ」

―キュッ!!

「ムキョーーーーーーーッ!?冗談です冗談ですぅ……君と出会えて僕はサイコーな気分ですぅ」


「ったく、この馬鹿は…」

まどかははやれやれと溜息を吐きながら、やっとその万力のような凶器の指を俺の首元から離した。

そして目を細め、

「姉さんも優も、このアホのどこが気に入ったんだか……私には全っ然、理解出来ないわ」


「うぅぅぅ…俺の溢れる魅力は、純情無垢な女の子限定だから……」


「あら?じゃあなんで私は理解出来ないのかしら?不思議だわねぇ」


「うぅぅぅぅ…不思議なのは貴様の頭ン中だ。寝言は寝て言いやがれ…」


「…洸一。アンタ俯いて何ブツブツ言ってンのよぅ。しかも半泣きで…気持ち悪い男ね」


「うぅぅぅぅ、怖いよ怖いよぅ…」





二荒『では来週を楽しみにしているぞ優貴。それと神代。空手着を買っておけよ』と言う自信に満ち溢れた言葉を残し、裏山の神社を後にした。

俺の場合、空手着より遺書を用意しておいた方が良いかも知れんが…

ともかく、残された時間は僅かだ。

1週間で優ちゃんが二荒に勝てるかどうか……

可能性は俺が穂波と付き合うかの如く限りなく無に近いが…それでもやる事だけはやらなくてはッ!!


そんなワケで、早速俺は優ちゃんを鍛える事にした。

もちろん、今の俺は殆ど素人なので、優ちゃんを鍛えると言うか、単なるサンドバッグ代りなんじゃが…

果してこの調子で、本当にあの鬼のような強さの…と言うか鬼そのものの二荒に勝てるのかどうか…

まどかは、なんだか自信有り気にGOサインを出したが、そのまどかはと言うと、呑気に俺が買ってやった弁当を食っていやがった。

・・・・

万が一負けた時は、二荒に頼んでコイツをしばき倒してもらおう。

俺は心にそう誓ったのだった。




「――ハッ!!エイッ!!」

優ちゃんの裂帛の気合いが、社の裏手の静かな森に木霊する。

ズバンッ!!と凶悪な破壊音が鳴る度、俺の持つキックミットに突き抜けるような衝撃が走る。

いつもだったら、優ちゃんのブルマの食込みとか縁の方からはみ出している下着チックな物にドキドキしちゃって、『あぁ…俺、同好会入って本当にエガったにゃあ』等と思ったりなんかしちゃうのだが……今日の所はそんな余裕は全く無い。

気を緩めた瞬間、死にそうだ。

なんちゅうか…

いつもの優ちゃんのパワーが偏差値50ぐらいなら、今日の偏差値は75…

東大撲殺部合格率97%の凄い数値を弾き出している。


うぅ~む、優ちゃんの、何としても勝ちたい、と言う気持ちは痛いほど分かる。

実際に痛いし…

しかしなぁ…

なんちゅうか…

練習相手が俺だってこと、忘れてないかい?

何だか段々と、速度とパワーが増しているんですけど…

・・・・・・

・・・・

・・

神社の境内が茜色に染まる頃、ようやくと言うか、やっとと言うか……まどかの、

「今日の練習はそれまでねぇ~」

と言う呑気な声が鳴り響いた。


「ハァハァ……ま、まだやれますッ!!全然、OKですッ!!」

と、肩で息をしながら優ちゃんは言う。


「ダメよ優…」


「な、何でですかッ!?残された時間は少ないし…今は出来るだけ練習しておかないと…」


「大丈夫よ優。まだ1週間もあるんだから…」


「い、1週間しかないんですッ!!」


「…あのねぇ」

まどかはヤレヤレと溜息を吐いた。

「優は相変わらず頑張り屋さんなんだけど……何て言うか、洸一の方が…」


「――えッ!?」

優ちゃんは慌てて俺の方を振り返った。

「せ、先輩?」


「………僕はもう、ダメです」

俺は半分……もとい、9割方グロッキーだった。

撲殺寸前、既に尻の穴から魂が半分ほど抜け出ている。

これ以上練習に付き合ったら、二荒との勝負を待たずに俺は昇天してしまうだろう。


「だだだ、大丈夫ですか先輩ッ!?」


「……辛うじて」

俺は疲れた笑みで、その場に腰を下ろした。

体中の筋肉が、悲鳴を上げている。


「ち、血がこんなにたくさん……」

優ちゃんは震えながら、タオルで顔を拭ってくれた。

「す、すみません先輩。私、自分の事ばかりで…」


「……心配無用だぜ、優ちゃん。俺の新陳代謝能力はプラナリアばりだからな。多少の傷は明日には塞がる」

とは言ったものの……正直、今日の練習はきつかった。

優ちゃんの攻撃を受ける度、見たことも無い程の美人が、お花畑で俺を手招きしている幻覚を見るのだ。

「にしても……おいまどかッ!!お前もずっと漫画の本を読んでケタケタ笑ってないで、少しは練習に付き合えよッ!!」

ちなみに漫画の本は、俺の鞄に入っていた奴を勝手に漁って読んでいたのだ。

とんでもない御嬢様である。


「はぁ?ダメよ……だって私は葵の練習を見ちゃいけないってのが真咲との約束だもん」

クッ、二荒は見ていないのに、変な所で律儀な奴だぜ…

「それよりも優。それだけ練習したら、お腹も減ったでしょ?帰りに何か食べてく?」


「い、いえッ」

優ちゃんはブンブンと頭を振った。

「私は走って帰ります。それに……今日はこれから、道場の方にも顔を出そうと思って…」


――ンゲッ!?

優ちゃん、まだこれから練習するのかよ…

マジか?

尋常じゃねぇーよ……

・・・・・・

ってゆーか、体を壊さないか少し心配じゃのぅ…


「あららら、相変わらず優張り切り過ぎるって言うか……あんまり根を詰めちゃダメよ?」

まどかも些か驚いたような声でそう言った。

「ン~……だったら洸一で良いか。アンタ、ちょっとだけ付き合いなさいよ」


「……僕チャン、お家帰って休みたいんですけど…」


「そうねぇ…あ、駅前のバーガー屋でも行こうか?今なら季節限定シェイクもあるし……良し、そうしましょう♪」


…聞いてねぇーよ、コイツ…

「あのなぁ……って、まぁ良いか。俺も少しお前に聞きたい事があるからな」


「聞きたいこと……ってなに?もしかして付き合ってる男がいるのとか……そーゆーこと?」


「……優ちゃん、コイツ叩きのめして良いか?」


「先輩の方が返り討ちに遭いますよ?」


俺もそう思う。

「しゃーねぇーなぁ…だったら暗くならない内に行くか。…おいまどか、手を貸せよ」


「はいはい…」

と、俺は差し出したまどかの手を握り、立ち上がった。


――ツッ…

腰から足首に掛けて、少しだけ鈍痛が走る。

打ち身に打撲か……

あ~…こりゃ明日はもっと痛みが増すかも…


「先輩…大丈夫ですか?」

と優ちゃん。


「あぁ、大丈夫だ。何も心配はいらん。それよりも明日の練習だが…」

と俺が言い掛けると、それを遮るように、

「優……悪いけど、明日の日曜はお昼から練習ね。朝の内はこの馬鹿を鍛えるから」


「は、はいッ!!分かりました、まどかさんっ!!」


「僕はよく分からないんですが、まどかさん」

俺、マジで近い内に死ぬかもしれんなぁ…





駅前の繁華街にポツポツとネオンが灯る頃、俺は痛む体を擦りながら、まどかと共に世界的チェーンである有名バーガーショップに、練習後のおやつを食べに来ていた。

店内は程よく混雑していた。

部活帰りだろうか、ウチの学校の生徒や梅女の生徒達もチラホラと見掛ける。

俺はシェイクとバーガー、それにポテトが載ったトレイを受け取り、2階席へ。

そして店内を軽く見渡し、窓際の席に退屈そうに腰掛けているまどかを発見した。


「……はいよ、お待たせ」

トレイを置きながら、目の前に腰掛ける俺。


「遅いわよ、洸一」


「…それは俺が悪いのか?」

ってゆーか、『ありがとう』はどうした『ありがとう』は?

「だいたい、何で俺が金を出すんだよ。普通はお嬢様のお前が出すもんだろうに……貧乏人からタカるのがそんなに嬉しいのか?富める者が施すのは世界的な常識だぞ」


「しょーがないじゃない。お財布忘れたって言ってるでしょ?…アンタ馬鹿?」

言ってまどかは、ポテトを2・3本摘んで口の中へ放り込んだ。


なんちゅうか…

とてもお嬢様には見えない。

本当にこ奴は、あののどかさんの妹なんだろうか?

「ったく、貸しだからな、貸しッ。弁当代とバーガ代……利子付けて返せよな」


「小さい事に拘る男ねぇ。そんなんだと、女の子に嫌われるわよ」


「心配無用だ。お前に嫌われた所で、どーって事はねぇ」

俺はシェイクを一啜りし、バーガーに被り付いた。

「んで、まどかよ……何で俺を誘ったんだ?オヤツをタカるのが目的じゃなくて、何か話しがあったんだろうに…」


「ありゃ?変な所で鋭いわねぇ、洸一は」


「うるせーよ。それより早く話せよ。俺もちょいと聞きたい事があるし…」


「別に……大した事じゃないわよ」

まどかはポテトをムシャムシャ食いながら言った。

ちなみにそのポテト、俺様の分なんだけど…

「ただ洸一がさ、どー言った経緯で姉さんや優のクラブに入ったのか……少し気になってね」


「あん?」


「ねぇ、どうして姉さんのクラブへ入ったの?私も知ってるけど……姉さんのクラブって、かなりアレじゃない。普通の人は絶対に寄り付かないと思うんだけど…」


酷い言われ方だ……合ってるけど。

「どうしてクラブへ入ったの、って言われてもなぁ……それは俺が聞きたいぞ」


「は?」


「気が付いたら、入ってたんだよ。ひょんな事でのどか先輩と知り合って……それで半ば脅迫みたいな感じでクラブの見学へ誘われて……部室に足を踏み入れた瞬間、運命は決していたんだよ」

まるで女郎蜘蛛か何かの巣に引っ掛かった心境だ。


「ふ~ん、あの奥手な姉さんがねぇ…」


「どこが奥手なのか理解できませんな」


「じゃあ、優の方は?あの子……誰も入ってくれないって、ずーっと悩んでいたのに…」


「優チャンか。なんちゅうか……良く分からん」


「は?」


「こっちも、気が付いたら入ってたんだよ。ってゆーか……半ば強制連行だったんだよ」


「そ、そうなんだ…」


「あぁ、何だか知らん内にな、入ってくれないとぶん殴りますって言う状況に置かれててな。それで仕方なく…」


「ふ~ん、じゃあどっちも自分の意思じゃないんだ」

まどかは少しだけ腑に落ちないと言う顔で俺を見つめた。

「だったら何ですぐに退部しないのよ?興味が無いのにやっていたって、面白く無いでしょ?」


「あん?まぁ……色々とあるんだよ」


「色々ってなによぅ?」


「まぁ…俺自身、オカルトとか格闘技に全く興味が無いと言うわけじゃないし……それにヒマだし、体力も有り余っているからな。何よりさ、オカルト研究会もTEP同好会も、どっちも独りぼっちのクラブだ。俺なんかでも、居た方が喜ぶのなら……無理してでも居てやるさ」


「ふ~ん…」


「それにだ、今更辞めるなんて……言えねぇーよ。言ったら最後、さよなら現世、こんにちわ天国だ」


「姉さんはそんな事をしないわよぅ」


「のどか先輩はしなくても、酒井さん辺りが俺の喉首を掻っ切るんだよ。……多分な」


「その酒井さんって誰なのよ?」


「のどか先輩に聞けよ。嬉々として紹介してくれるぞ」

そして夜、眠れなくなるが良い。


「う~ん……何だか分かったようで分からない話ねぇ。…ま、良いわ。それより洸一、アンタの方の話って何なのよ?」


「うん?あぁ……俺の話か。実は少し気になっていたんじゃが…」


「……あっ、ちょっと待って洸一」

まどかは慌てたように手を振って俺の話を遮った。

そして真剣な顔で、

「大変よ……ポテトが無いわ」


「――あっ!?俺の分まで食っちまいやがって…」

なんちゅう女だ…

しかも何も大変じゃねぇーし…


「……洸一、買って来て。Lサイズね」


「…おい」


「だってぇ、お腹減ったモン」


「凄い女だな貴様。本当に色々と。ってゆーか……そんなに食ったら、夕飯が食えなくなるぞ?」


「大丈夫よ、育ち盛りだもん。それに私は夜もトレーニングしているしね。カロリー消費もバッチリよ」


「ったく、分かったよ。…絶対に金返せよな」


「あ、それとついでにコーヒーもね」


「クッ、これだからお嬢様は……」


「なによぅ?」


「……なんでもねぇーよ」

俺はガックリな溜息を吐きながら、席を立った。





何故か一口も食べる前に無くなってしまったポテトと、喉が乾いたのでコーヒーを二つ買い直し、俺は再び2階席へ上がると、

「…んにゃ?」

俺様の席の所に、見知らぬ男が数人集たかっていた。

良く見ると、俺様の学園の生徒らしいが……まどかの知り合いだろうか?


……の割にはまどかの奴、不機嫌な顔をしていますねぇ…

仏頂面で、まるで校門で退屈そうに先輩を待っていた時の顔だ。

と言うことは…まどかのクセに、ナンパでもされているのかにゃ?

俺はウヒウヒと笑いながら席へと戻った。

「よぅ、お待たせ」


「遅いわよっ、洸一」

不機嫌な声。

まどかの周りに居た男子生徒どもは、俺の姿を確認するやギョッとした表情となった。


「…しょーがねぇーだろ。混んでたんだから…」

俺は苦笑を零しながら席に着き、まどかにコーヒーを手渡しながら、

「おい……どこへ行く?」

逃げ出そうとした男どもに声を掛けた。


「え?いや…別に…」

と、男の一人はしどろもどろに答えた。

どうやら俺と同じ2年生みたいだが…生憎と見覚えは無い。

そもそも、俺は男の顔を憶えるのは苦手なのだ。


「……で?お前らは何をしてたんだ?コイツは俺の連れだが…何か用なのか?」


「い、いえ…その…用は無いと言うか…」


「用も無いのに声を掛けたのか?…あぁん?」


「…」


「…侘びとして、ビッグなバーガを3つほど買って来い。ピクルス増量でな。…万が一逃げ出したら、修学旅行は2泊3日で病院と言う事になるからな」

俺はそう脅し付けながらコーヒーを一啜り…

慌てて買いに走った馬鹿どもの背中を見つめ、ようやくに一息吐いた。

「ったく、ナンパされてたのかよ?」


「そーよ」

まどかは溜息を吐きながら、早速にポテトを頬張り出した。

「いきなり声掛けてくるんだモン。鬱陶しいったらありゃしないわよ」


「……ドライなこと言うな。女冥利に尽きるじゃねぇーか。蓼食う虫も好き好きと言うしな」


「…洸一、意味分かって言ってんの?」

まどかの目が細まる。


やれやれ…

どうしてこんな凶悪な女に男が群がるのか、実に謎である。

何か得体の知れないフェロモンでも放出しているのか?


「それにしても、アンタってやっぱ有名人なのね」


「あん?」


「だってさ、あの男の子達……洸一の顔見た途端、蒼ざめてたよ?」


「…暗殺拳洸一、と巷では評判だからな。取り敢えずウチの学校で、俺様に逆らえる奴はいないぞよ」


「姉さんはどーなのよ?」


「…あの人は特別なんだよ」


「真咲は?」


「アレも特別なんだよッ」

怖いんだよ、ちくしょぅぅぅぅぅ…


「ふ~ん…あ、ところでさ、なんでさっきバーガーなんて買いに行かせたのよ?まだ食べる気なの?」


「俺のポテトまで貪り食うお前にそんな事を言われるのは、少しどうかと思うがと……アレは俺の夕飯にするんだよ」

これで一食分浮いたのだ。

「そんな事よりまどか、話の続きだが…」


「なに?あ、やっぱり私の男関係が気になるとか……そーゆーこと?」


「…」


「ちょっとぅ、何で頭を押さえて泣きそうな顔してんのよぅ。失礼しちゃうわねッ」


「お前なぁ……本っっ当に、のどか先輩の妹か?血が繋がってるのか?嘘だろ?な?そうなんだろ?」


「……」


「な、なんだよ……急に真面目な顔しやがって」


「……あのね洸一。私……本当は貰われっ子なんだ」

まどかは呟くように言った。


「――え?」

お、おいおい…


「……養女なの」


「え?え?……マジか?」


「…」

コクンと、力無く頷くまどか。

その顔は、本当に哀しそうだ。


「わ…悪い。いや、冗談で言ったんだが……本当に悪いッ」

クッ、紳士である俺様とした事が……

触れてはいけない心の傷に触れてしまうとは……何たる未熟ッ!!

俺は俺を罰したいッ!!


「……なんて冗談に決ってるじゃない」


「………は?」


「なにマジな顔してんのよ?アンタ馬鹿?」

まどかは笑いを噛み殺しながら、美味そうにコーヒーを啜っていた。


「…」


「なによその顔?さっさと話しをしなさいよ。全然進まないじゃないのよぅ」


「クッ……き、き、貴様と言う奴は…」


「なによぅ。文句があるなら、私より強くなってから言いなさい」


うわーーーーーん…

取り敢えず、今すぐにでもぶん殴ってやりたい女だよぅぅぅ…

でもでも、100%返り討ちに遭うから出来ないよぅぅぅぅ…

「ち、ちくしょぅ」


「はいはい、悔しいのは分かったから……ほれ、何か話しがあるんでしょ?」

まどかはうりうりと、俺のおでこを指で突っ突いてきた。


も、弄ばれている…

この無敵に足が生えてると言われた俺様が、こんな女に弄ばれている…

くそぅ……いつか必ず強くなって、ギャフン(死語)と言わせてやるからなッ!!


「ったく、何でお前みたいな女と関わっちまったのか…」

俺はやるせない溜息を吐き、コーヒーをグイッと飲み干した。

「話に戻るが……実は二荒の事だ」


「なに?もしかして洸一……真咲に気があるの?」


「無ぇーよッ!?」


「何もそんな力いっぱい否定しなくても……真咲も一応は女の子なんだから、聞いたら悲しむわよ」


「あのなぁ、今はそーゆー恋だの何だのって話しをしてるんじゃねぇーんだよ」

やれやれ、これだから女は嫌になっまうぜ…

・・・・・・・

って、のどかさんや優ちゃんも、コイツの前だとそーゆー話をするのかな?

どうにも想像出来んが…

ちょっとは気になるのぅ。





「で、真咲の話ってなによぅ?」

まどかは退屈なのか、トレイの上に置いてある紙ナプキンを弄くりながら尋ねてきた。


「いや、なに……お前さ、昼に優ちゃんにさ、二荒との決戦にGOサインを出した時…なんか条件を出したじゃねぇーか。高校空手で戦えとか何とか……アレってどーゆー意味なのかなぁ…と思ってな」


「そんなの、簡単な事じゃない。少しでも優が勝てる可能性を上げただけよ」


「そうなのか?」


「……やれやれ。洸一クンには、少し説明が必要でちゅねぇ」

クッ、またもや馬鹿にされてる…

「いい洸一。真咲の本質はねぇ……武道としての空手なのよ」

まどかはニヤリと笑みを零し、少しだけ身を乗り出してきた。

そして黒々とした双眸で俺を見つめ、

「高校空手……スポーツとしての競技空手は、実は苦手なのよ。本来の力の20%も出せるかどうかってぐらいにね」


「その競技空手と武道としての空手って……何なんだ?何が違うんだ?」


「全部よ」


「全部?」


「そ、全部」

まどかは小さく頷き、冷めたコーヒーに軽く口を付けた。

「競技空手って言うのは、文字通り競技、スポーツなのよ。女子の場合は軽量グローブを付けてね、寸止め方式で戦うの。もちろん、顔面攻撃は禁止。それで型の決り具合とか……そーゆーのでポイントを競うのよ。ま、アマチュアボクシングに少し似ているかな」


「ふむ…」


「それに対して武道の空手……真咲の得意とする空手は何でもありなのよ。フルコンタクトだしね。元々、真咲はそーゆー実践空手の出だから、どうも競技空手は肌が合わないと言うか……試合でも、いつも反則負けとかしているわ」


「ほぅ……で、具体的にはどこがどう違うんだ?」


「そうねぇ……一番の違いは、拳の使い方かな?」

言ってまどかは、俺の目の前に拳を突出してきた。

凶悪な割には、意外に小さくて可愛い手だ。

「競技空手はグローブを付けるから、どうしても正拳のみになっちゃうのよ。だけど武道空手は、正拳に平手、一本拳に抜き手……色々とあるわ」


「ふむ…」


「真咲の得意なのは抜き手と平手ね。特にあの子の手刀は凄いわよぅ……大きな墓石だって真っ二つにするんだから。もちろん、競技空手では使えないわ。そんな事したら、相手を殺しちゃうもんね。まさに公開殺人よ」


「……」


「ま、真咲は元より野生と言うか無意識の内に体が反応しちゃうタイプなんだけど……ルールに縛られた空手だと、動く前に一瞬、考えちゃうのよねぇ。その辺が弱点かな」


「う~む、なるほど。ところで、つかぬ事を聞くが……二荒が自分本来のスタイルで戦った場合、優ちゃんの勝てる可能性はどのぐらいなんだ?」


「そうねぇ…0.000000001%ぐらいかな?」


「――マイクロ単位ですかッ!?」


「うん、今の優じゃ確実に無理ってこと。だけどスポーツ空手なら……そうねぇ、少なくとも現時点で7:3ぐらいだと私は考えているわ」


「もちろん、7が二荒だよな?」


「当然」


「うむぅ…」

そのスポーツ空手とやらでも、優ちゃんが不利な状況なのか…


「だからこの1週間で、せめて6:4ぐらいにはもって行かないとねぇ……正直、勝負にならないわ」


「つまり、とことん鍛えるしかないって事か」

やれやれ、こりゃ俺も、死に物狂いになるしかないって感じゃのぅ…

「ところで、まどか。ぶっちゃけた話、お前はどうなんだ?二荒と戦ったら……勝てるのか?」


「嫌な事を聞くわねぇ」

まどかは綺麗な眉を顰めた。

「まぁ、今の私の実力なら……そうね、本気で闘り合ったとしても、僅かに負けるかな」


「……そうなんですか」

ぬぅ、TEPチャンピオンであるまどかよりも強いのか、二荒は……

・・・・

これからは、学校でも目を合わさないようにしなければなッ。





バーガー屋を出ると、既に外は夜の帳が降りていた。

けばけばしいネオンの下を行き交うサラリーマンや学生で、駅前は溢れている。


「さて、今日は夕飯もゲット出来たし……帰るかな」


「そうね。何だか疲れちゃったし…」


「…お前は何もしてなかっただろーが」

疲れたのは俺様の方だ。

しかも少しだけ死に掛けたしな。

「ところでまどか。明日はどうすりゃ良いんだ?お前が稽古を付けてくれるんだろ?」


「そうねぇ…取り敢えず、洸一の住所と携帯の番号を教えてよ」

まどかはポケットから、自分のスマホを取り出してそう言った。

何だか小洒落たケースに入った、KDD(喜連川電信電話)の最新型のスマホだ。


「住所か。え~と住所は……」


「……」


「…あれ?」


「ちょっとう……アンタそこまで馬鹿なの?」

まどかの顔が本当の呆れ顔になった。


「し、失礼な。普段から郵便でもタクシーでも、『神代様の家』と言うだけで何故か着いちゃうから……少しド忘れしただけだ。え~と……あ、思い出したぞよ。確か……こうだったなかな?」

俺は俺様ハウスの場所を教える。


「本当に合ってるの?」


「…多分な」

自信は限り無く無い。


「ふ~ん……ま、良いけど……それで携帯の番号は?」


「無い」


「は?」


「携帯もスマホも……そのような軟弱な代物、持ってはおらぬ。固定電話で充分じゃッ!!」


「今時、携帯も持ってないなんて……もしかして洸一って、本当に極貧なの?」


「ほ、本気で失礼な奴だな……お前は。我が家の名誉の為に答えるが、ウチは平均的中流家庭だ。…おそらくはな」


「だったら何で……あ、もしかして、携帯を使い過ぎると電磁波の影響で脳腫瘍が出来る可能性があるって言う説を信じているとか……」


「ち、違うわッ!!」

そんな説があったのかよ…

「あのなぁ……俺は諸般の事情により、今は一人暮しを余儀なくされているんだよ。だからウチは普通でも、俺は貧乏なワケ。毎月カツカツの生活費で遣り繰りしてるんだよ。だから携帯の通信代も、全て食費に転化されてるの。分かったか?」


「へぇ……独り暮ししてるんだ。凄いじゃない」


「別に凄くはねぇーよ…」

俺は軽く肩を竦めてみせる。

「で、明日はどうするんだ?」


「そうねぇ…迎えを寄越すわ。朝の8時ごろで良い?」


「…早ぇなぁ。折角の日曜なのに…」


「しょうがないじゃない。真咲との一戦まで時間が無いんだし……本当なら、今から徹夜で鍛えて上げたいんだけど……」


「朝の8時で充分さッ!!」





帰宅後、馬鹿学生より徴発したバーガーを食い終わった後、風呂に入りながら念入りにマッサージ。

手足の筋が強張っている。

筋肉もカチコチだ。


うぅ~む、今日の優ちゃんは、正直かなり凄かったけど……

それでも、まだまだ全ッ然、二荒には及ばないと、まどかは言った。

……一体、どのぐらいの強さなのだろうか?

全く想像がつかない。


「うむぅ…これは少しマズッたかな?」

俺は浴槽の中に身を沈めながら、独りごちた。


1週間ではなく、せめて1ヶ月にしとくべきだった…

そうすれば勝てる可能性もグッと高くなるかも知れないし…


「……最悪の場合は、非合法な手(具体的に言うとオカルト)に縋るしかないか。ま、優ちゃんには言えねぇーが…」

それにしても、本当に今日は疲れた。

特にあのパンツ女が、のどかさんの妹だったとは……少し人間不信に陥りそうだ。

一体、あ奴は今までどのような教育を受けてきたのだろう…

教師はゴリラかオラウータンの類いだったのではなかろうか?


「…ったく、俺様をあれだけ愚弄したヤツも珍しいぞ」

そんな事をブツブツと溢しながら、風呂から出て冷蔵庫に冷しておいたウーロン茶を取り出していると、『リーン』と鳴り響く前時代的な電話の音。


「なんじゃい、こんな夜更けに……ってまだゴールデンタイムだけどな」

俺は受話器を取り、

「はい、もしもし…神代の洸一様だ。名を名乗れぃ」


『…相変わらず、アンタの脳味噌は蛆が沸いているみたいね』


「お、その声は吉沢か。なんか随分と久し振りだな。んで、どうした?」


『どーしたじゃないわよ』

吉沢の声は上ずっていた。

『神代、アンタ・空手部に入るんだって?』


「――ブッ!?」

飲み掛けていたウーロン茶が、鼻から迸った。

「ゲホッゲホッ!!だ、誰がそんなトンチキな事を…」


『はぁ?真咲からそう聞いたんだけど…』


「ふ、二荒か…」

そりゃそうだろうなぁ、二荒しかいねぇーわなぁ…

「あのなぁ…それはまだ、確定したワケじゃないんだぞ」


『そうなの?真咲は、5月から神代は空手部だ、とか何とか嬉しそうに言ってたけど…」


「……その可能性は高いけど、絶対に不可能だな」


『え?それって……どーゆー意味?』


「……空手部に入ると決った瞬間、俺は消されるんだよ」

異形の者達の手によってな。


『はぁ?アンタさっきから何言ってるのよ。相変わらず馬鹿なんだから…』


「ば、馬鹿馬鹿言うにゃッ!!今日一日で、俺は何度馬鹿呼ばわりされた事か……うぅぅぅ、ちくしょーッ!!」


『――ど、どうしたのよいきなり?』


「うぅぅ、聞いてくれ吉沢ッ!!実はよぅぅ、まどかと言う名の野蛮人が突如現れてよぅぅぅ」

俺は思いっきり、愚痴を零し始めたのだった。





「…お帰りなさいませ、まどかお嬢様」

広大な敷地内に点在する邸宅の内、今月使用している『和3号館・桜桃楼』に帰宅すると、専属のメイドの一人が恭しく頭を下げてきた。

「お食事の御用意が整っておりますが……如何しましょうか?」


「う~ん、そうねぇ……食事の前に軽くトレーニングするわ。その後でお風呂に入って…」


「畏まりました。ならば少々、軽目のお夕飯と言う事で…宜しいですか?」


「うぅ~ん……そうね。それで良いわ。ありがとう…」

私はそう言ってメイドに鞄を手渡し、特別に設えた室内練習場へ向かって無駄に長い板張りの廊下をブラブラと歩いていると、

「……まどかちゃん」


「あ、姉さん…」

中庭に面した廊下の縁側、整えられた日本庭園を眺めるようにして座っているのどか姉さんが、そこには居た。

お風呂上りだろうか、薄いブラウスのような寝間着を着て、相変わらずポヤーンとした表情で涼んでいる。

その膝の上には、昨日拾ってきた小汚い黒猫が丸くなっていた。


「まどかちゃん。今日は少し遅かったです」


「え?あぁ……ついさっきまで、あの馬鹿と色々と話し込んでて…」


「……馬鹿?」


「洸一のことよ」


「…洸一さん♪」

姉さんは瞳をキラキラと輝かせた。

何て言うのか……何処となく、恋する乙女の瞳に似ている。

まさか姉さん、本気じゃないわよね?


「まどかちゃん。すっかり洸一さんとお友達です」


「そ、そんなんじゃないわよッ!?何であの馬鹿と私が…」


「???」


「あのねぇ……って、まぁ良いわ」

私は溜息を吐き、力無く肩を落とした。

「それよりも姉さん、少し聞きたいんだけど…」


「なんでしょうか?」


「あのさ……何で洸一をクラブへ誘ったの?聞いた話しだと、姉さんの方から熱心に勧誘したって……」


「…運命ですから」


あ、相変わらずワケが分からないわ…

「そ、そう。運命……ねぇ」


「です。洸一さんは、オカルト研究会に入る為だけに生まれてきたのです」


「そ、そうなんだ…」

ちょっぴり…可哀相ね。

洸一が聞いたら、どう思うかしら?

「ふ~ん、つまり姉さんは、あくまでも運命だから洸一を誘ったのね?そうなのね?」


「……はい」


「そう……なら良いわ」

私は少しだけ安堵の息を吐いた。

「いや、姉さんがもしもさぁ……その……洸一を異性として意識してクラブへ誘ったとかだったら、どうしようかと思っていたけど……そんな理由だったら安心だわ。確かにアイツは、見た目も別に悪くないけど、さすがにあそこまで馬鹿だとねぇ……」


「…異性?」


「そーよ。姉さんが例えば、有り得ない話だけどさ、あの馬鹿に一目惚れしたとかさ……そーゆー異性としてアイツを意識しているんなら、私としてもちょっと考えなくちゃいけないけど……ま、具体的に言うと、あの馬鹿を粉微塵にするとか……」


「……洸一さんは、洸一さんです」


「…は?」


「…秘密です」

姉さんはそう言うと、またポヤーンとしたいつもの表情に戻り、膝の上の猫を優しく撫でた。


どういう意味なのか、全く理解出来ない。

だけど、あの馬鹿の事を気に入ってるのは確かだ。

姉さんも、真咲も優も……洸一の一体どこが良いんだろう?

そりゃあ、確かに面白い奴だけど…

頭は悪そうだし根性も無さそうだし、そのクセ、変に我侭だし…

男としての魅力は皆無なのに、実に不思議だわ。

男慣れしてないから、あんなバッタ物でも良く見えるのかしら?


「……まどかちゃん。どうしたの?色々と考え込んでます…」


「――えッ!?いや、別に……何でも無いわ。それよりも姉さん。酒井さんって誰?知り合い?」


「……先輩です」


「あ、そうなんだ。いや、洸一がね、酒井さんの事は姉さんに聞けとか言うし……なんかアイツ、変に怯えてたから…」


「……まどかちゃんにもご挨拶したいそうです。後で部屋に行くそうです」


「へ?後で部屋に来るって……どーゆー意味?」


「……お楽しみ」


「???」













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