INSIDE★2
★喜連川まどか&二荒真咲/4月02日(土)
別に何するわけでもなく、駅前の商店街を歩いていた。
買いたい物があるとか、欲しい物があるとか…
そう言うのではなく、本当の散歩。
敢えて言うならお店屋さんの冷やかしだ。
本当なら、今日は習い事…日舞のお稽古がある日だけど、そんなモノはサボった。
格闘のトレーニングを積んでいた方が遥かにマシだ。
こんなに陽気の良い日だから姉さんも一緒に…と誘ったけど、フルフルと静かに首を横に振った。
相変わらず、姉さんは生真面目と言うか…
でも、一人はちょっと退屈だなぁ…
春物の洋服が並ぶウィンドウを見つめながら、軽い溜息を一つ。
街は春休みと言う事もあってか、同世代の男女で賑わっていた。
カップルもいれば、友達同士もいる。
独りで歩いているのは私ぐらいなものだ。
誰か誘えば良かったかなぁ…
独りぼっちは別に苦にならないけど…正直、退屈だ。
特にこんな陽気の良い日は。
それに少し、うざったい。
先程から、何人の男に声を掛けられたか…
こーゆー時、気の合う男友達でもいれば、防壁となってくれるんだけど…
生憎と、一緒に遊べるような男友達は周りにはいなかった。
かと言って、ボーイフレンドがいない、と言うわけではない。
喜連川の娘と言うこともあってか、企業とか傘下の子会社とか…
そーゆー社会的繋がりのある知り合いは大勢いた。
だけど、本当の意味では彼らは友達ではない。
あくまでも、喜連川の娘、と言う公人としての付き合いだけだ。
喜連川まどかとして、個人的な男友達は……存在しない。
女子高に通っている事もあるけど、やはり一番の原因は、喜連川と言う金看板のせいだろう。
少し知り合っても、喜連川と言うだけで、男の子は腰が引けてしまうか、逆に打算的になるか…そのどちらかだ。
誰も本当の私を見てくれてない……そんな気がする。
「…それにロッテマイヤーとかが五月蝿そうだしね」
そう独りごち、苦笑を零す。
そう言えば、アイツはどーなんだろう?
ふと、この街で出会った男の顔が脳裏を横切る。
性格的にちょっとアレな感じの、同じ歳ぐらいの男の子…
私に向って突っ掛かって来るわいきなり下半身は曝け出すわ…
行動の予測が全く立たない未知な男。
アイツも、私が喜連川の娘だと知ったら、どーゆー態度に出るんだろうか?
他の男の様に卑屈になるのか…
それとも、妙に媚を売ってくるのか…
・・・・
なんか、どちらも違うような気がする。
何となくだけど、アイツは他の男は違うような気がする。
「…ま、普通より頭悪そうだし」
そんな事を呟きながら、一人クスクスと笑った。
どーしてアイツの事を考えているのか…
我ながら、理解に苦しむわ。
「…さて、公園にでも行ってみようかな」
何故か妙にサッパリと言うか…気分が落ち着いた私は、足取りも軽く商店街を抜けて公園へ向って歩き出すが、
「あ…」
バッタリと、知り合いと出くわしてしまった。
「真咲…」
★
今日はバイトも休みで、これといってする事の無い退屈な休日。
私は何するわけでもなく、商店街を歩いていた。
ヒマを潰すのなら、もっと華やかな所へ行けば良いと思うのだけど…
この商店街では、良く神代を見掛ける。
別に…アイツに会いたい、とか…そーゆーワケではない。
ただ…この前、偶然にバイト先で出会った時に…アイツは私に『ありがとうッ』と言った。
その意味が、全く分からないから…
それが少し、気になっているだけだ。
だいたい、唯は話し掛けろとか言うけど…
神代と何を話せば良いんだ?
北海道へ転校してしまった空手部の友人、吉沢唯は、事ある毎に私に電話を掛け、神代について色々と話してくれる。
そして決って、神代と話をしろとか…そーゆー話になる。
どうしてだろう…?
吉沢が神代の事を好きだったのは知っているが…
どうして私に、そーゆー事を言ってくるのか…
「やっぱり、良く分からんな」
恋とか愛とか……そーゆー話は、苦手だ。
そもそも私は、あまり男子と喋った事は無い。
……声も掛けられた憶えもないが。
「…空手をやってるから恐がられるのか…」
そんな事を呟きながら歩いていると、不意に目の前から『…あ』と、誰かの驚く声。
…ん?
顔を上げると、そこにはまどかが立っていた。
まどか…
喜連川まどか…
かつて同じ道場で研鑽を積んだ、私のライバルにして友人…
そして今では少し敵対関係。
彼女は空手を捨て、私は頑なにその道を歩んでいる。
「…真咲」
まどかは細い眉を軽く上げ、驚いた顔で、
「うっわー、凄い奇遇じゃない♪」
「……そうだな」
私は軽く頷いた。
まどかは、TEP…何の略かは忘れたが、その新興格闘技の高校生チャンピオンだ。
だからと言って、同じ格闘技を習う私としては、何ら臆する事は無い。
だけど……同世代の女としては、少しだけ気後れしてしまう。
まどかは、私から見ても美人だった。
長い髪に目鼻立ちの通ったスッキリとした顔立ち…
プロポーションも良い。
さすが喜連川グループのご令嬢だ。
私のような庶民とは、体の作りが違う…
そう考えると、同姓として…無意識の内にプレッシャーを感じてしまう。
具現化したコンプレックスを突き付けられたような気がして、どこか軽い嫉妬すら浮んでしまうのだ。
「で、真咲。アンタ何してるの?」
まどかは気さくに話し掛けてきた。
「別に……ただ散歩しているだけだ」
私の言葉はどこか素っ気無い。
自分でももう少し愛想良くすれば良いと分かっているのだが…
これが慣れた口調だから、今更改めようとは思わない。
「ふ~ん、真咲も散歩なんだ……で、一人なの?」
「そうだ。…悪いか?」
「……相変わらずアンタは無愛想ねぇ」
まどかは呆れた様に言う。
「真咲。前に言ったけど、アンタは結構美人なんだから……もう少し言葉遣いとか仕草を女らしくすれば……」
「……男に媚を売るつもりは無い」
私はピシャリとまどかの言葉を遮った。
その事は、唯にも散々言われたけど…
女らしくって、どーゆー風にすれば良いのか…正直、分からない。
「フン、今の私は空手家として自己を鍛えている最中だ。貴様の様にチャラついているヒマは無い」
「あら?酷い言い方。別に私だって、遊んでいるワケじゃないのよ?これでも、アンタ以上に鍛錬を積んでいるつもりなんだけど……」
「ほぅ……」
「何なら……少し試してみる?」
まどかの目が細まる。
丁度良い…
優貴の事もあるし、少し本当の空手と言うヤツを教えてやるのも一興か…
私は口元を軽く歪ませた。
「フッ、TEPとか言うエセ格闘技にうつつをヌカしている貴様に…」
と、不意に私の言葉はそこで途切れた。
視線の先、まどかの向う側……商店街を歩いているのは、紛れも無く、神代洸一。
心臓の鼓動が、少しだけ速くなった。
★
まさか偶然にも、真咲と出会っちゃうなんて…
正直、戸惑ってしまった。
可愛がっている後輩、葉室優貴の事で、今は少しだけギクシャクしているから、会いたくないと言う気持ちと…
小学校からの友人と遊びたいと言う気持ちと…
TEPの凄さと可能性を分かって欲しいと願う気持ちと…
様々な気持ちが入り交じって、どうしたら良いのか…今はまだ少し分からない。
でも…とにかく、ここで会ったのも何かの縁だし…
「で、真咲。アンタ、何してるの?」
私は出来るだけ気さくに声を掛けた。
だけど真咲は、相変わらずと言うか……ぶっきらぼうに、
「別に。ただ散歩しているだけだ」
「ふ~ん…真咲も散歩なんだ。で、一人なの?」
「そうだ。…悪いか?」
真咲は片眉を僅かに上げ、どこか気のない返事。
私は静かに溜息を吐いた。
「…相変わらずアンタは無愛想ねぇ」
全く、真咲は学校でも、こんな感じなのかしら?
だとしたら、せっかく共学校に通っているのに…勿体無い。
「真咲。前に言ったけど、アンタは結構美人なんだから…もう少し言葉遣いとか仕草とかを女らしくすれば…」
「…男に媚を売るつもりは無い」
真咲は私の言葉を遮り、ジロリと睨み付けた。
「フン、今の私は空手家として自己を鍛えている最中だ。貴様の様にチャラついているヒマは無い」
さすがに、ちょっとだけカチンと来た。
確かに、私と真咲では、格闘技に関して根本的に考え方が違う。
真咲にとっての空手は…道のようなものだけど、私にしてみれば、空手は道具の一つだ。
どちらの考えが正しいなんて事は、分からない。
だけど私は、真咲には分かって欲しいのだ。
彼女は…本当に強い。
私はTEPのチャンピオンだけど…
もしも真咲がTEPに参戦したら、間違いなく彼女がチャンピオンだろう。
なのにどうして、空手だけに固執するのか…
・・・・
少しだけ、視野を広げてあげようかしら…?
「あら?酷い言い方…別に私だって、遊んでいるワケじゃないのよ?これでも、アンタ以上に鍛錬を積んでいるつもりなんだけど…」
私はワザと、挑発する様に言った。
「ほぅ…」
真咲の薄い唇が僅かに歪む。
「何なら、少し試してみる?」
更に兆発の言葉。
日本に帰国してから…真咲とは二度戦った。
最初は道場で、私が勝った。
だけどそれは、あくまでも空手の試合形式でだった。
TEPのルールで挑む私に対し、真咲は最後まで競技空手のスタイルに拘り、彼女は負けた。
そして次に…野試合を挑み、私は負けた。
何でもありの、まさに喧嘩のような試合で……負けた。
あれこそ、真咲の真の強さだと思った。
高校の競技空手では計り知ることの出来ない、真咲の格闘センスに、正直驚いた。
彼女こそ、TEPに参戦するべきだと、その時思ったのだ。
だけど、あれから散々鍛えたんだから…
今日こそ、真咲にTEPの可能性を教えてあげる事が出来るかも…
私は目を細め、真咲を睨み付ける。
が、しかし…
「フッ、TEPとか言うエセ格闘技にうつつをヌカしている貴様に…」
と、真咲の言葉は不意にそこで途切れた。
どこか驚いた様に少しだけ大きく目を見開き、目の前の私を素通りして何かを見つめている。
な、なに?
と、彼女の視線に釣られるように、私は振り向いた。
「…あ」
ほんの一瞬だが、呼吸が止まった。
視線の先には、商店街を歩いているあの男の姿があった。
呑気そうな顔でブラブラ歩いているあの男…
名前も知らない、不思議な馬鹿。
猫を助けたり、ロッテマイヤーに追われていた私を助けてくれたりしてくれた男…
ま、また会えるなんて…
短期間に、どうして広いこの街で何度も出会えるのか……よく考えたら不思議だ。
「ま、真咲…」
「…」
あれ?
真咲は複雑そうな顔で私を睨んでいた。
え?なんで?
「え、え~と……し、知り合いなの?」
何故か私の声は震えた。
「ま、まぁな」
真咲は少しだけ動揺した顔で小さく頷いた。
「クラスは違うが……同級生だ」
私と同じ歳かぁ…
「ふ~ん、そうなんだぁ。で、名前は何て言うの?」
「え?名前は、じ…」
「じ?」
「……何でそんな事を聞く?」
真咲の目が更に細まる。
しかも不思議な事に、殺気まで体から溢れ出していたのだった。
★
じ、神代…
って、何で私は動揺してるんだッ!?
ま、全く…唯が変な事ばかり言うから…い、意識しちゃうじゃないか…
私は軽く頭を振った。
だけど……やっぱり出会えた。
確証はなかったけど……今日は出会えるじゃないかなぁ……と思っていたら、本当に出会えた。
不思議な縁だ…
それは認めざるを得ない。
がしかし…
目の前のまどかが邪魔だった。
まどかさえいなければ、少しは話とかすることが出来たのに…
私は少しだけ不機嫌な表情で彼女を睨み付ける。
まどかがが悪いわけじゃないけど…でも…
彼女は戸惑った顔をしていた。
「え、え~と……し、知り合いなの?」
「ま、まぁな」
お、落ち付け真咲…
別に私は、神代の事は何とも思ってない筈だッ!!
「クラスは違うが、同級生だ」
「ふ~ん、そうなんだぁ…」
まどかはウンウンと小さく頷き、
「で、名前は何て言うの?」
「え?名前は、じ…」
と言い掛けて、私の唇は固く閉じた。
どうしてまどかは、アイツの名前なんかを聞きたがるのだろう?
いつものまどかなら
『なに?知り合いなの?ふ~ん…』
だけで終るほど、サッパリした性格の筈なのに…
それに、良くは分からないけど、神代を見た時のまどかの顔…驚いていた。
神代は別に驚くような良い男でも醜悪な男でもないのに…
・・・・
もしかして……知り合いなのか?
「…何でそんな事を聞く?」
私の口から出た声は、自分が思っていたよりも更に低かった。
「な、何でって…気になるじゃない」
気になる?
神代のことが……気になる??
「ほぅ…喜連川の御令嬢ともあろうまどか御嬢様が、一庶民の男を気に掛けるとは…」
「……そう言う言い方、マジでムカツクんだけど…」
まどかの体が僅かに斜めに動いた。
正中線を隠す、打撃系格技ならではの体の動きだ。
ここでやろうって言うのか?
「私は……あの男の名前を聞いただけでしょ?知ってるんなら、早く教えなさいよ」
「…何故、知りたい?」
私は拳を固めた。
「何故って…ちょっとした知り合いだからよ」
――知り合いッ!?
心臓がキュッと絞め付けられる感じがした。
「……知り合いならば、普通は名前を知ってると思うが…」
「だからぁ。何て言うのかさぁ……出会って話をしただけと言うか…殴って飛んでちゃった相手と言うか……」
「――ッ!!!」
私は無意識の内に上段蹴りを繰出していた。
が、さすがはまどかだ…
不意打ちにも関わらず、軽く一歩飛退いてそれを躱す。
「な、何のよ真咲ッ!?」
「默れまどか…」
私は構えを取った。
街行く人は何事かと、好奇心旺盛な顔で群がってくるが……そんなモノは関係ないッ!!
私の心は、怒りで満ち溢れていた。
まどかはさっき……神代を殴ったと言った。
……絶対に……許さない…
どんな理由があるにせよ、凶器のような自分の拳を神代に向けるとは……
・・・・・・・・
私も神代を殴った事があるけど、それはそれだっ!!
「……分かったわよぅ」
まどかは不機嫌そうな溜息を吐いた。
「なに怒ってるのか知らないけど、やるんなら、あそこの公園でしましょ」
「…上等だ」
★
結局、勝負は……つかなかった。
厳しい練習に耐えたお陰もあるけど…
真咲は怒り心頭で、いつもの力を出せなかったようだ。
で、夕方…
お互いに気力と体力を使い果たし、芝生の上でグッタリしている時に、どうして怒ってるのか尋ねてみた。
真咲は言う…
アイツに拳を向けたからだと。
………なんだかなぁ……と言う感じだ。
私は仕方なく、それに至る経緯を説明したら、真咲は
「そ、そうだったのか。スマン…」
と素直に頭を下げた。
真咲のこーゆー所が、私は好きだ。
それはそうと…
どうして真咲は、あんなに怒ったんだろう?
もしかしてもしかすると……もしかしちゃうのかも知れない。
……なんか…複雑な気持ちだ。
普通だったら、友達としては応援してあげるべきなんだけど…
全然、そんな気になれない。
……何でかなぁ?
あ、結局、名前を聞きそびれちゃった…
★二荒真咲/4月05日(火)
「……2年C組か」
掲示板を眺め、私は呟いた。
そして知り合いがいるかどうかをチェック。
空手部の同期も何人かいるし、それに1年の時のクラスメイトも数人いた。
「……さて、行くか」
そう独りごちりながらも、私はまだ掲示板を見つめている。
男子の名簿を……上から順に追っている。
「…いないか」
知らず知らずの内に、溜息が漏れた。
「少しだけ、残念だ」
★葉室優貴/4月05日(火)
今日は始業式。
今日から新学期…
そして今日から、高校生としてのスタート。
「が、頑張ろう…」
そう呟き、力強く拳を握る。
本当は、梅女へ通いたかった。
尊敬しているまどかさんの元で、頑張りたかったけど…
梅女へ通うには、少し勉強をサボり過ぎた。
だけどこの学校にも、二荒先輩がいるし…
……ちょっと気が重いなぁ……
二荒先輩の事も尊敬しているけど…
だけど本当の所は、良く分からない。
強さが、理解出来ない。
私は帰国したまどかさんに、どうしてTEPを?と尋ねた事があった。
するとまどかさんは、優しく私の頭を撫でながら、
『うぅ~ん、理由は色々あるけど……ま、一つ挙げるとしたら、真咲に勝ちたかったから…かな』
と笑いながら言った。
二荒先輩は、それほど強いのだろうか?
去年、まどかさんと二荒先輩が道場で戦ったけど……まどかさんが勝ったのに……
それでもまどかさんは、
『まだまだ、真咲には勝てないわ』
と言っていた。
私も道場に通っていた頃は、何度も二荒先輩と手合わせしたけど…
絶対に勝てない、とまでは思わなかった。
あれはもしかして、手加減をされていたのか…
「…?」
その時、突然として前方が騒がしくなった。
何事かと思って私は首を伸ばす。
すると、先輩だろうか……男子生徒が一人、
『お、俺にマイクを渡せーーーーーーッ!!』
とか叫びながら壇上に上がり、先生達に押さえ付けられていた。
「な、なんだろう…?」
「…ダメ」
「…え?」
斜め前に居る同級生……別クラスだから名前は知らないけど……が、肩を振るわせて蹲った。
その瞬間、凄い音と共に体育館中のガラスが割れて……その後の事は憶えていない。
気が動転していて…
気が付いたら、教室に戻っていた。
一体、何があったんだろう…?
クラスメイトの話に耳を傾けると、
『アレが噂の……神代先輩よ』
『学園で一番アレな問題児…』
等と話し合っている。
どうも、あの壇上に上がった男の人の事を言ってるみたいだけど…
そんな悪い人が、この学校にいたのか…
ちょっぴり、不安だ。
★伏原美佳心/4月08日(金)
…寝ている…
隣りの席の男…
学園一の馬鹿と称される神代洸一…
朝からずーっと、寝ている。
他人の事には興味無いし、面倒なことはゴメンやけど…
それでも、気になる。
ってゆーか、寝息が気になって勉強に集中出来へん。
一応は、委員長やし…
そう自分に言い聞かせ、叩き起こそうとしたけど…
「…伏原。そっとしておいてやれ…」
担任の谷岡先生が、私を押し止めた。
「神代が起きてると、授業が遅れる。……分かるな?」
「は、はぁ…」
曖昧な返事をしながら、私はもう一度、眠っている神代洸一を見つめた。
呑気な寝顔…
何の不安も悩みも無い、幸せそうな寝顔…
神代洸一…
あんた、この学校に何しに来てるねん?
★喜連川のどか/4月10日(日)
日曜日の昼下がり、私はアンティークな調度品に囲まれた居間の長椅子に腰掛け、物憂げな時を過ごしていました。
目の前には、昔から愛用しているタロットカード。
「……何度やっても、同じ……」
呟き、カードを集めてシャッフル。
昨日…
私は勇気を出して、あの男の人の教室へ行ってみました。
神代洸一…
一つ年下の男の子。
・・・・・
良く考えたら、あの学校に入って、初めて自分から他人に声を掛けました。
「……ちょっと不思議」
神代さんには、何も抵抗を感じませんでした。
人と話すのは苦手なのに……スラスラと話す事が出来ました。
本当に、不思議。
「……運命」
そう呟くと同時に、大きな柱時計が『ボォーン』と重苦しく時を告げ、次いで部屋の扉が開くと、
「あれ?姉さん……ここにいたの?」
顔を覗かせたのは、妹のまどかちゃんでした。
どこか悪戯ッ気な感じの瞳をクリクリとさせ、部屋の中へ入って来ます。
「何してるの?…占い?」
「…です」
私はゆっくりと頷きます。
そして山となったカードから1枚捲り
「まどかちゃんを示すカードは……これ」
正位置に現れた戦車のカード。
前進、そして勝利を示す。
実にまどかちゃんらしい…
「ふ~ん、良く分からないや」
まどかちゃんは興味なさそうな顔で、私の目の前に腰掛けました。
そして脇に置いてあるポットから紅茶を注ぎながら、
「姉さん。外は良い天気なんだからさぁ……偶にはどこか、パァーッと遊びに行こうよぅ」
「遊びに…」
「そうだよ。あまり暗い部屋に閉じ篭ってばかりいると、病気になっちゃうよ?」
「……大丈夫」
私がそう言うと、綾香ちゃんは大きな溜息を吐いてしまいました。
「全く姉さんは…」
そしてやれやれと言った表情で、紅茶を啜ります。
最近の綾まどかちゃんは……少し変わりました。
前よりちょっと、女の子らしくなったような気がします。
「…不思議です」
「へ?何が?」
「…秘密です」
私はクスクスと笑いながら机の上にカードを並べ、一枚ずつゆっくりと引いて行きます。
一枚目…正位置の隠者。
私を示すカード…
探求、内省……そして孤独。
二枚目のカードは神代さん。
正位置の愚者。
自由と冒険を暗示するカード。
三枚目は……私達の出会い。
逆位置に示された、死神。
意味は新しいスタート……
そして最後のカード。
これからの私を暗示するカードは…
正位置の恋人。
楽しい恋愛……
「…姉さん、どうしたの?顔……赤いよ?」
まどかちゃんが心配そうな顔で、私を見つめていました。
「……何度やっても、同じなんです」
「……へ?」
「…お友達」
「と、友達?姉さん……友達が出来たの?」
「…からスタート」
「…はぁ?」
★喜連川まどか/4月11日(月)
「ふぅ~…」
スマホの通信を切りながら、私は軽く溜息を吐いた。
相手は可愛がっている後輩の、優貴からだった。
TEPの同好会を立ち上げたけど、誰も入ってくれないと言う泣き言だ。
「まぁ、仕方ないと言えばそれまでだけど…」
そう独りごち、食堂の扉を開けるや、私は目を見張った。
「う、うわぁ…」
今日の夕飯は、飛びっきり豪勢だった。
テーブルに所狭しと並ぶ、山海の珍味の数々。
誰かお客さんでも来るのかな?
「まどかちゃん。遅いです…」
既に席に着いていた姉さんは、珍しくドレスに身を包んでいた。
「姉さん。今日は何か……パーティーでもあるの?」
私は席に着きながら尋ねると、姉さんはフルフルと首を横に振りながら、
「今日は……お友達記念日」
「…は?」
相変わらず、姉さんの言っていることは意味不明だ。
「今日は…とっても良い事があったのです。だからそのお祝い」
「へぇ~……何があったの?」
「……お友達が出来ました」
「へ?と、友達?」
姉さんに……友達?
「へ、へぇ~。珍し…じゃなくて、凄いじゃない姉さん。ところで……友達って……人間だよね?」
前みたいに、団子虫に名前を付けたりしてないよね?
「当たり前です」
「あははは……うん、そうだよねぇ」
姉さんに友達…しかも人間…まさに奇跡だわ。
社交界以外、普通の高校で、姉さんと友達になろうと思う人がいるなんて……想像も出来なかった。
姉さんは、色んな意味で特殊だから…
「で、姉さん。友達って…どーゆー人?やっぱりオカルト関係なの?」
「…です」
姉さんはコクコクと頷いた。
「オカルト研究会に入ってくれた……初めての人間」
「そ、そうなんだぁ…」
姉さんの口から『人間』と言う単語が飛び出すと……何故か少し恐い。
「ちょっと変わってる人です」
「…」
姉さんに変わってるって言われるなんて……どんな人なんだろう?
やっぱり、姉さんのクラブに入るぐらいだから、少し…心方面が病んでたリするのかなぁ…
「今度…機会がありましたら、まどかちゃんにも紹介します」
「―えッ!?い、いやぁ~……私はちょっと…」
「……まどかちゃんとも、仲良くなれます」
「そ、そう?」
う゛~…オカルト系は苦手なんだけど…
「…運命に、そう描かれているのです」
「…は?運命?」
また言い出したよ、姉さんは…
「はい。不思議な事に……まどかちゃんと、大変仲良くなれると……」
「ふ、ふ~ん…」
「…マブダチ」
「…は?」
「…マブダチ」
姉さんはクスクスと、無表情に笑った。
今日の姉さんは…
何時にも増して、テンションが高いと言うか……心の調子がおかしくなってる。
でも、それも少し分かるような気がする。
ずっと独りぼっちだった姉さんに、初めて出来た友達…
どんな人か分からないけど、願わくば……ずっと友達でいてくれますように……
★喜連川まどか/4月14日(木)
自宅でのトレーニングを終え、シャワーを浴びた後、自室で髪を梳かしていると、スマホから軽快な着信メロディが鳴り響いた。
着信番号を見ると、葉室優貴…優と呼んで可愛がっている後輩からだ。
こんな時間に、また泣き言かしら?
そんな事を思いながら、可愛い後輩からの電話に出る。
「もしもし、どうしたの優?」
『あ、まどかさんッ』
彼女の声は弾んでいた。
『ききき聞いて下さい、まどかさんッ』
「き、聞いてるわよ。少し落ち付きなさいって」
こんなにテンションが高い優貴は、珍しい。
何があったのだろう?
『じ、実はですねぇ……ついに、ついにTEP同好会に新しい人が入ったんです♪』
「へ、へぇ~…」
なるほど、優貴がいつにも増して元気なワケだ。
あれほど、『誰も入ってくれないんです、どうしてでしょうか…』と悩んでいたんだから、そりゃ嬉しいわねぇ…
「良かったじゃない、優」
『は、はいッ!!凄く良かったです』
「…で、どんな女なの?新しい部員って……」
『変な人ですッ♪』
お、おいおい…
「へ、変な女?」
『はい♪学園で……知らない人はいない程の有名人で……私も最初は、怖い人だと思っていましたけど……でも、とても良い人なんですッ。時々、変な事を言い出して困ってしまいますが……でも、本当に良い人なんです』
「そ、そうなんだ…」
ぜ、全然分からないや…どんな娘なんだろう?
『神代先輩は、格闘技の経験は無いって言ってましたけど、素質は充分ですッ。近い将来、戦力になると思うんです』
「…神代……先輩?」
『あ、まだ言ってなかったですね。え~と…新しく入ってくれた人は、一つ上の先輩なんです。二年生です』
「あ、そうなんだ。その娘、私と同じ歳なんだ…」
『そうです♪』
「ふ~ん…」
なるほど…
優貴の言う通り、良い人なのかもねぇ…
だって入学したばかりの優貴が創ったクラブに、わざわざ入ってくれる年上なんて、滅多にいないモンねぇ…
『で、その神代先輩のことなんですけど……まどかさんから、お姉さんの喜連川先輩に、ありがとう御座いましたって、伝えてくれますか?』
「へ?姉さんに?」
『はい。実は神代先輩……喜連川先輩のオカルト研究会に入っているんです。それであの……私が無理を言って、掛け持ちにしてもらったんです』
「あ、なるほど…」
そうなんだ…
そう言えば姉さんも、初めて友達が出来て、しかもクラブへ入ってくれたって喜んでいたけど…
その神代って言う娘の事だったのか…
……道理で優貴が「変な人」って言う筈だわ。
何せ姉さんのクラブにも入っているんだからねぇ…
「…分かったわ優。姉さんには伝えておくわ」
『はい♪ありがとう御座います』
「でも、その神代って言う娘、ちょっと興味があるわねぇ…」
『興味……ですか?』
「だって、姉さんのあのクラブに入って、優貴のクラブにも入ってくれたんでしょ?やっぱり、どんな女なのか、気になるじゃない」
『良い人です。頼もしいです』
「うん、それは分かったから……そうだ、今度ヒマを見つけて、練習を覗きに行くわ」
『ほ、本当ですかッ?う、嬉しいですッ』
「あははは……大袈裟だなぁ、優は」
それから少し、優貴とエクストリームの話をして、電話を切った。
それにしても、神代先輩ねぇ…
一体、どんな女の子なんだろう?
姉さんに聞けば手っ取り早いんだけど、それだと楽しみがなくなっちゃうし…
・・・
そうだ、今度の土曜日にでも……こっそり、姉さんの学校へ行ってみようかな。