第九話 救出奪還作戦 前編
カクヨムにも挙げています。
作成時には縦書で記述していたのですが、横書きへの変更に伴い、読みやすさを考慮して、かなり変則的な規則で改行しています。これは今後改める可能性があります。
意識が戻ると、再び以前運び込まれた病室にいた。大の診療所だ。その時と同じようにして、貴彦がベッドの脇にいる。ひょっとして、瑠奈とのあの逃亡劇は夢だったのだろうか。
貴彦が口を開く。
「修司、大丈夫か。」
「貴彦……。ここは?」
貴彦が、ナースコールを押す。通話先の人物に、私の覚醒を告げる。ここまで、前の時の流れと同じだ。
「修司、お前が入れ込んでいた八巻瑠奈はプロメテウスにとって余程重要な人物だったらしい。」
やはり夢ではなかったか。
瑠奈はどこに。
「俺は、お前に、八巻瑠奈と関わらないようにそれとなく忠告していたつもりだった。二人で逃亡したことも知っていた。」
「瑠奈はどこだ。貴彦。」
貴彦は私の問いに答えない。貴彦のペースで話が続く。
「確かにお前ら二人とも重要な役割をもつ人物だが、たかが男女二人消えたところで、実際に具体的な反社会行動を起こさない限り、プロメテウスは捨て置くだろうと、俺も予想していた。」
頭がずきずきと痛む。身体もよく動かない。貴彦は言葉を続ける。
「だが、彼女の任務は余程重要なものだったらしい。二人が逃亡してからすぐに、プロメテウスは特殊部隊の編制と二人の確保の提案をし、当局により決定された。その結果、お前ら二人を当局が捜索した。」
「瑠奈はどうなったんだ。」
「俺はお前ら二人をなんとか守ることができないかと機会をうかがっていた。確保された二人の護送中に様子は見れたよ。だが、この流れは止められなかった。八巻瑠奈は、研究所に連れ戻されていると思う。」
眼球にも痛みを感じ、手で片目を隠すようにして、押さえつける。瑠奈があれほど逃げ出したがっていたのに、周囲の都合により、またあの重責を背負わされているのか。
「貴彦、病人をあまり刺激するな。」
大がいつの間にか病室に入ってきている。大も事情を把握しているようだった。貴彦と二、三言葉を交わしたかと思うと、私に向き直って、頭を下げた。
「修司、本当にすまん。どうやら俺の自宅も車もプロメテウスが監視していたようだ。」
大は悪くない。自分の立場が悪くなるリスクを冒して私達に手助けしてくれていたのだ。感謝こそすれ、責める気持ちなど微塵もない。それよりも、今は瑠奈が気になる。瑠奈は捕まり元の役割に戻された。私はその逃亡を幇助していたのだ、私にも何らかの制裁が下ってもおかしくはないはずだ。
「貴彦、なんで俺だけ解放されたんだ?」
貴彦は苦い顔をする。言いにくいことのようだった。だが、何かを決心したような様子で、真剣な表情だった。
「俺も、この件は気にくわない。だから、八巻さんにお前には言うなと口止めをされているけど、その約束は守れない。俺がお前に伝えたいと思っている。」
貴彦は膝の上で拳をグッと握りしめていた。
「実は、八巻さんがお前を庇ったんだ。任務に素直に戻るから、修司は悪くないと。彼女がお前の弱みを握って、お前を脅して動かしていたと言っていた。」
その発言を聞いて、私は頭に血が上り、顔がかっと熱くなるのを感じる。
「瑠奈が俺の弱みを握っていた?そんなことあるはずがない。俺が自分で決めたことだ。」
貴彦は、優しい表情で私の言葉に頷きを添えた。
「ああ、俺もそんなことはすぐわかったよ。お前ら二人が、お互いで庇い合ったんだと。お前は八巻さんの気持ちを汲んで逃亡を助けた。八巻さんはお前が制裁を受けないように、嘘をついたこともさ。」
貴彦は優しい表情をしているが、目の奥には鋭いものが宿っているような気がした。
「しかし、プロメテウスはこの件が真実かどうかを気にかけていない。八巻瑠奈が本当に小笠原修司の弱みを握っているかどうかを、時間と人材を割いてまで、調査で明らかにすることよりも、八巻瑠奈の言い分通りにした方が効率的だと判断したようだ。そのまま受け入れるべきだと、すぐに当局に提案していた。」
AIはAIに過ぎない。物事を効率性のみで判断する。嘘や歪みを理解し、受け入れる程度には進化していても、社会を維持する為の役割に忠実だ。プロメテウスは自分の職務を全うし、冷徹に判断を下していく。私や瑠奈の逃亡は、社会において不利益な歪みだと認定されたのだ。社会の構成員としての人間は、全体の為の個としてしか認識されていないのだ。
頭が痛む、先日の拉致暴行を経て、私は今回の痛みに対して、トラウマに近い状態になっていた。目を瞑る、暴行の記憶が甦り、恐怖で汗が噴き出す。目を開けて自分の手のひらを見る。私が感じているような恐怖を、瑠奈は何度も耐えてきたのだろう。その恐怖に耐える為の器が、遂にはいっぱいになったに違いない。恐怖で逃げ出した瑠奈は助けを求め、私のシャツを握った。
……私はその手を握り返したのだ。
瑠奈が苦しみ、逃げ出したいと感じ、別の形の幸福を求めたのだ。プロメテウスがそれ認められないのならば、私自身が社会の歪みになって一矢報いてやろう。私はすぐに心が決まった。瑠奈が助けを求めていたのだ。深呼吸をして、気持ちと呼吸を整え落ち着ける。
「俺は瑠奈を助けたい。」
大も貴彦も軽く驚いていたが、私の反応を予想もしていたようだった。貴彦は呆れており、大はいつものごとく、ニヤっと笑って言う。
「そう言うと思っていた。お前はそういうやつだ。」
貴彦はため息をついていたが、次の瞬間には真剣な顔をして言葉を発していた。
「でもな、まだもうひとつこれは伝えておかなければならない。その……、八巻さんの表情な。お前を庇った時、その表情は逃亡者のものとは思えなかった。毅然とした態度で、もうすべてを受け入れているように見えたよ。だから、八巻さんの決意を尊重するか、お前がそれでも助けるか、それはお前の判断に任せる。」
俺が勝手に感じた印象だけどな、と付け加えた。
この話を聞いても、私の決意は変わらなかった。私が助けたいのだ。瑠奈と共にいたことで私は幸せだった。瑠奈が仮にその運命を受け入れていたとしても、瑠奈のあの時の微笑み、喜びは真実だったと思う。運命を諦めて受け入れるよりも、より良い幸福を求めて何が悪いのだ。そして何よりも、自分の心で感じていたことは、惚れた女を助けに行くのは当然だと感じていた。
私の表情を見ていて、貴彦がまたため息をつく。
「わかった。俺も手伝うよ。」
貴彦のその言葉を聞いて、大が呆れ顔で言う。
「でも、お前、軍人がそれをやったらプロメテウスの評価が下がるどころか、制裁を受けるんじゃないか。」
まあ、医者もだけどな、と付け加えていた。
「AIに嫌われて、生きにくくなるのと、友達を見捨てるのどっちがいいのかっつー話よ。」
今の貴彦は軍人ではない、カレッジ時代の友人で、お調子者の貴彦だった。
「まあ、貴彦じゃ、出世もそろそろ頭打ちだったからな。転職を考える時期なんだろ。」
大も冗談を言う。相変わらず口の悪い大だった。
「すまない、二人とも。」
「いいってことよ。」「ああ、気にするな。」
やはり、最良の友人達だった。
大は今の待合の人間をすべて診療したのち、、診療所の前に臨時休業の立て札を掲げた。その間に、貴彦が圭子にも連絡を取り、事情を話すと、圭子もすぐに私の考えに賛同してくれた。
「修司君がついにいい子を見つけたのに、すぐ離れ離れなんて信じられない。でも、囚われのお姫様を助ける騎士の物語も悪くないじゃない。」とのことだ。
大の診療所の一番大きな部屋で、4人で作戦会議を開く。問題をすぐに具体化し、解決策を手早く考える大が、まず話を切り出した。
「八巻さんを助けるといっても、具体的にはどうする?」
「瑠奈を拉致して、海外の州へと逃亡する。」
「修司君って、時々大胆だよね。」
圭子は私の考えに対して、腹を抱えて笑っていた。大は飲んでいたお茶を吹き出す。
「むちゃくちゃ言うなあ、修司。」
貴彦は口に手を当て、暫く考え込んでいたかと思うと、真面目な表情で言った。
「でも、その手が一番良いかもしれない。プロメテウスは、世界統和政府がその本体を管理している。
この日本州で動かしているものは、その分離体に過ぎない。分離体と本体の学習並列化は、それなりに手間のある事務的手続きを経て進められるはずだ。」
貴彦は自分の考えを確認するようにして、目を瞑りながら、握った左手の指を一本ずつ立ち上げていった。
「二人の逃亡の問題が他の州のプロメテウス分離体に反映されるのは一日か二日後になる。だから、逃げ出して数日は監視が甘いはずだ。日本州は土地が少なく人口も少ないから、どこにいってもプロメテウスの監視からは逃れにくいが、人口過密な場所ならなんとかなるかもしれない。」
その左手の指が全部開くと、貴彦は目を開け、再び握りこぶしを作り、頷いた。
「プロメテウスは優秀だが、その提案を実行する人間に問題があるからな。人口過密な場所は、行政府が上手く機能していないことが多い。俺が時々海外研修に行く場所も、そういうところが多い。そういうところだから、軍人も他州からの技術指南が必要になるのさ。」
大もこれを聞いてお茶で濡れた床を拭きながら、真剣な表情に戻る。
「なるほどな。今後の方向性はそれでいいとしても。八巻さんは軍の研究所にいるわけだから、それを救う手立ての方が困難だぞ。」
私は、大の発言を聞いて、以前貴彦から聞いたプロメテウスの隙の話を思い出していた。
「それなら、俺に考えがある。俺の研究を使う。」
『私の研究:ヴォイドの意思疎通手段について』
私は、実験室において、ヴォイドの培養体を取り扱っていた。ヴォイドの細胞分裂や電気信号を非常に高度なセンサーで監視していると、非常に複雑だが、一定のパターンを繰り返していることに気づいた。
この発見をもとに、私はヴォイドのクローン体を複数作成した。このヴォイド同士を一つの培養ケースに混在させ、再び監視しているとやはり一定のパターンを持つ、細胞分裂や電気信号を発していることが散見された。加えて、一個のヴォイドオリジナルから生み出されたクローンにもかかわらず、それぞれが異なるパターンを示した。これがヴォイドの交信手段ではないかと私は考えている。
この交信パターンを解析しようと、プロメテウスの分離体を用いて、解読を試みたが、その結果は期待したようなものではなく、有意なものではないと結論された。私はこの実験結果を諦めきれず、あらゆる手法で分析を試みたが、そのほぼすべてが徒労に終わった。
このケースに似た、科学史的事実を私は想起した。古代生物のアンモナイト種における日本原産のニッポニテスの巻貝構造についてだ。
アンモナイトは通常、現生するオウムガイと同様に、美しい幾何学的模様の巻貝を有する。それは、対数螺旋やベルヌーイ螺旋と呼ばれる構造で、数式的にはネイピア数を用いた非常にシンプルな式で表現できる。これは、自然界で多く散見される構造で、一種の黄金比を持つものだ。
だが、ニッポニテスはこの巻貝を持たず、アンモナイトの近縁種でありながら、非常に珍妙な形の巻貝化石が多く発見されたのだ。一時は、遺伝子異常や病気による変質を原因とする異常巻きとまで呼ばれた。その後、判明した事実として、ニッポニテスの巻貝も実は規則性があり合理性を持つものだったのだ。
私が現在発見したヴォイドの交信パターンも同様のケースであることを期待している。交信と証明できるだけでも、ヴォイドには個体差があり、統一的行動をとっているわけではないと判明する。つまり、目的地までの道のりは長いが、これがヴォイドに知性や理性のカケラの一端と言えると思う。もっとも、プロメテウスにも解析できないことであるから、非常に難解なチャレンジであることは覚悟している。
現在、関係あるだろうと思われることが、交信パターンに素数が複数回出てくること。この交信パターンを一定のルールに基づいて、点描すると一種模様のようなものができること。この2つのことがわかっている。プロメテウスはこれに意味はないと断じたが、あと一歩で私はここに意味を見出せるように感じている。
ベンゼン環を発見したアウグスト・ケクレや偉大な素数法則の予想を打ち立てたベルンハルト・リーマンもこのような感覚であったのだろうか。願わくば私も、夢の世界でこの問題の解を得られたらいいのだが。
「プロメテウスの隙を突く。研究でわかったことなんだけど、ヴォイドはヴォイド同士の交信をしているようなんだ。その信号パターンの解析が俺の研究の主たる目標だが、一度プロメテウスにこれの解析を依頼したことがある。結果は、有意なものではないと判断されたが、この時にプロメテウスがパターンを学習してるはずだ。この信号をどこかからネットに流せば、ヴォイドが現れたのかとプロメテウスが判断する。そうすれば、当局はプロメテウスの提案の処理に追われるはずだ。」
私の話を聞き、さきほどまで乗り気だった全員が押し黙る。ヴォイドの出現を利用するなど、この社会においては禁忌だ。ここにいる友人たちも大なり小なり、ヴォイドからの被害を受けている。
何よりも、内乱罪で私が大きく罪と罰を受けることは明らかだった。協力を誓った友人たちではあるが、この方法は危険度が大きすぎて、容易に賛同できるものではなかった。
その沈黙の中、大が口を開く。
「わかった。なら、こうしよう。現代の医療カルテはすべてネットに挙げて、プロメテウスの検閲を受けるんだ。だから俺が患者の診察で得たカルテに、その信号を載せて、たまたまヴォイドに侵食を受けたかもしれない患者を診察をしたということにしよう。そうすれば、もし拘束されたとしても、俺は職務を果たしただけにしか見えないはずだ。」
圭子がその提案に疑問を挟む。
「でも、侵食を受けた患者そのものがいないと大君の責任になるんじゃない?もし、診察後にそのまま帰したと判断されたら、大君が責任を問われるよ。」
大はその疑問を予想していたようで、わかっていると頷きながら説明した。
「それには既に死んだ人を使わせてもらおう。圭子の病院に最近死んだ人で、身寄りのいない人はいないか。そっちの病院に掛かる前に、こっちの診療所に訪れていることにして、カルテを偽造する。アップロードを忘れていたということにすれば、通らなくはないだろう。もちろん偽造は犯罪だが、死んで焼却した人間のカルテなんぞばれっこない。」
圭子は、疑問を挟んだものの、大が解答を用意していることを予想していたようだった。大とは阿吽の呼吸で、圭子はすぐに答える。
「うーん、亡くなった方には悪いけど、タイミングが良いというか悪いというか、私がお世話をしていた患者さんで昨夜亡くなった方がいるね。今の世で社会復帰更生科に係るような方って、かわいそうなことにご家族からも見捨てられてることが多くて、身寄りの情報がない方が多いの。その人もそうだった。」
これで確かに大の計画に必要な要素は揃った。だが、私にはまだひとつ懸念があった。貴彦も同様の考えを持っていたのか、貴彦は私達の話を今まで黙って聞いていたが、ここで口を挟んだ。
「いや、それだけじゃあだめだ。仮にそれでプロメテウスがヴォイドに対するヒステリーを起こしたとしても、八巻さんの拘束されている研究所は常駐の人間の警備も多くいるはずだ。」
貴彦の発言を聞いて、全員が黙ってしまった。私たちはそれぞれの立場を利用した行為ができるだけで、その力には限界がある。実行力に乏しかった。そこから、1時間程様々なアイディアが出るものの、結論から言えばどれも実用に耐えうるものではなかった。
そんな中、私の個人デバイスがけたたましい音を立て、着信を知らせる。腕に投影されたディスプレイが光を眩く照らしていた。通信先は教授だった。
「すまない、ちょっと通話してくる。少し休憩しててくれ。」
私はそう言って席を立ち、皆で会議していた部屋を後にする。廊下に出ると、薄暗く、シンとしており、少し物寂しさが漂っている。
教授がこのタイミングでどのような話をするつもりだろうか、先日の様子からすると私同様に教授も当局から目を付けられている可能性は高い。例えば、今のうちに口裏を合わせておこうという算段だろうか。
「修司か。私だ。」
「教授、いったいどうしたのですか。」
教授の声のトーンはいつもと変わらないようで、長年の付き合いのある私だからわかる程度に緊張感が強かった。
「八巻瑠奈のことで少し話がしたい。今から出てこれるか?」
私の鼓動がドキンと胸打つのを感じた。なぜ教授がその名前を知っているのか。共感派であると明かした教授から、私は彼女のことをよく信頼しているものの、ここでその名前が出たことにいささか不安を感じた。だが、今は友人たちとの会議でも手詰まりの状態だ。教授が何か瑠奈のことで掴んでいる情報があるのならば、確認の必要があるだろう。通信では話すことができない内容だろうか。例の環状公園を会う場所として指定された。
「……はい、大丈夫です。10分後ですね。わかりました。」
随分と急だが、この会話が仮にプロメテウスに監視されているとするならば、この突発さが当局の対応を一手遅らせる為の方策なのだろう。よほど早い対応をされない限り、二人して同時に拘束というのは難しいと思われる。
私は教授との通話を切り、友人達に少し出かけることを伝える。私の通話中にも、彼らは特に良いアイディアが浮かばず、ひとまず解散にし、夜に再び集まることが決まったという。その旨の了承と謝意を友人達に伝え、私は教授の待つ環状公園へと足早に向かった。
公園に向かうと、教授ともう一人、男が隣に立っていた。拉致暴行の事件の経験から、私は遠巻きに二人を眺め、二人に悟られる前に周囲を警戒する。素人の判断ではあるが、周囲に人影はなく、これが罠という様子でもなかった。
教授に近づくと、隣の男は初老を迎えたといった頃合いだろうか、髭は白いものが混じっており、丸つばの帽子を被り、ブラウンのスーツを小洒落に着こなしていた。その容姿は昔ながらのイギリスの老紳士を想起させる出で立ちだった。教授は私が来たことに気づくと、その老紳士に軽く何かを伝え、そのあとに私に声をかけた。
「修司、急ぎの用ですまない。用件を単刀直入に話す。」
教授は普段から簡潔、機敏に、手早く話すことを好む人だったが、今日は一層その傾向が強かった。
「私は君と八巻瑠奈のことをよく知っている。八巻瑠奈は共感派の人間も極秘に注視していた人物だ。なに、注視というのは悪い意味でのことじゃない。彼女の立場の問題だ。今、当局に拘束されていることも知っている。」
私の困惑を予想するように、教授は先回りして私の疑問に答えていく。
「この老人は穏健的共感派の指導者層の一人だ。人道主義を謳い、ヒトとヴォイド共に共生を望む共感派としては、新型戦闘機のコアの部分に関わる八巻瑠奈を、このまま当局に預けることはマイナスと判断したそうだ。」
老紳士は何も喋らず、私と教授の様子をよく観察していた。色眼鏡を掛けずにこの人物を見れば、そこらにいる人の良さそうな品の良い老人にしか見えない。それが共感派の指導者のひとりなのか。話を聞いた今、彼の目に鋭いものが宿っているようにも見える。
「修司、君が八巻瑠奈と共に逃亡を企て、失敗したことも知っている。もし、君が彼女を再び救出したいと思うのなら、君が望むなら、共感派も手を貸すと申し出ている。」
そういうことか……。現社会体制に反対している連中だ。瑠奈が殲滅派にとって重要な兵器の一部だから、それを妨害することは彼らにとっても得ということだろう。
この社会に暮らす一般的な人々同様、私も共感派に対してあまり良い感情は持っていないが、今は確かに瑠奈の救出に対して手詰まりだ。共感派の勢力を考えるに、私たちにとってネックとなっていた警備に対して、有効な手段があるかもしれない。だが、それでも気にかかることがあった。
「共感派は私に協力することで、何か見返りを求めないのですか。」
そこで初めて老紳士が口を開いた。彼の口調、声のトーン、その声質は、さすが指導者層の人間と思わせるものだった。聞くものを安心させるような、落ち着いていて、信頼感のあるものに聞こえる。
「私どもとしては、八巻氏が当局の手にないだけで十分だと考えております。また、あなたの研究は大変価値のあるものだ。あなた方が現行社会の手の届く範囲から離れ、今の幸せな暮らしを続けて頂くだけで、私たちにとって意味のあることなのです。」
要するに、新型戦闘機の開発の妨害ができることと私の研究が完成すればそれだけで彼らに追い風となる、ということか。何よりも、私達二人が逃げ出せば、瑠奈と私は潜在的な反社会勢力になるようなものだ。
正直、ひとの弱みに付け込む、狙ったようなこのタイミングの登場には腹が立つが、確かに瑠奈を助ける手立てがない今、彼らの申し出を受けざるを得ない。
「わかりました。では、よろしくお願いします。私はプロメテウスの監視の目を誤魔化す手段があるので、あなた方には普通の人間の警備をどうにかしてもらいたい。」
老紳士は、穏やかな顔つきで頷いた。私の答えを予想していたようだ。それを癪に感じた私は、彼が求めてきた握手を躱し、教授に聞きたいことがあると目で訴えかけた。教授はそれを察し、眉を顰め、私に申し訳ないという顔を見せた。そして、教授は老紳士に席を外すように伝え、私と教授が二人で話せるような環境を作った。離れた場所にいる老紳士を横目で見ると、彼はどこかに連絡を取っているようだった。
「すまない、修司。君が共感派を毛嫌いしていることは、この前の会話でわかっていた。だが、君の今の状況を考えるに、これしか私にできることはなかったんだ。」
「いえいいんです、教授。この前の話、教授が僕のことをよく考えていてくださることは理解しています。よもや教授が本当に共感派に完全に染まってしまったのかと危惧して、感情のやり場に困っただけなんです。」
「そうか……、私は自分では共感派と一線を画しているつもりだったが、こういう流れで徐々に組織に組み込まれていくのかもしれないな。修司も、この一件を最後に、彼らとは袂を分かった方がいい。殲滅派か共感派か……、そんなものくだらないな。ヴォイドは統一した行動をとっているというのに、人間はいまだ内部抗争が終わらないなんてな。」
そういった教授の目は、本当に悲しみに満ちており、遠くを見ている目だった。私には知るすべもないが、ひょっとすると教授の過去の経験から来る悲しみなのだろうか。
しかし、今の私に、そのことを教授とゆっくり共有する時間はなかった。ここ環状公園に立ち合いの場所を指定されたのも、プロメテウスの監視から逃れる為だった。あれから、30分近い、もう人間の監視者が来ていてもおかしくはない。教授が老紳士を呼ぶと、後に準備が出来次第、実行の合図をするように告げられる。
私は二人に別れを告げ、帰路に着く。これで準備は整った、実行を急がねば、プロメテウスに対応策を提案、実行されてしまうため、今日の夜にでも瑠奈の救出作戦を決行する必要がある。
私は自宅でシャワーを浴びながら、これからの手順をもう一度確認する。大丈夫だ、これならうまくいく。瑠奈もまたまっとうな生活に戻れるはずだ。もう彼女に涙を流させたくはなかった。
浴室から出て、今も昂る感情を抑えるようにして、落ち着いて着替えを行う。身の回りのものを片付ける。瑠奈を連れ出せることができれば、このまま私はここに帰らないだろう。父にも捜査の手が及ぶかもしれないが、私が書置きを残すことで、これが私の単独行ということを示す。父には今まで育ててもらった感謝と、これからの親不孝な私のことを謝る文言を残した。まだ心残りはあるが、これが今の私に出来る限りのことだ。
そうして今までの自分の周囲の整理をし、今からの救出作戦の準備をしていると、友人たちと約束していた時間はすぐに来てしまう。自室の電気を消し、自宅をしっかりと施錠する。計画の事を思うと、やはり、少し気が逸ってしまうが、これも致し方ないだろう。そうして大の診療所へと向かった。
ここまで読んでくださって、有難うございます。
コメントをいただけると喜びます。
次回もお楽しみいただけたらと思います。
残すところ、2話+エピローグとなりました。
これらに関しては流れ的に一挙に投稿がいいのかなと考えています。今週中に必ずアップします。
遅くとも日曜日には!
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知っている人が読めばわかるのですが、
この話はあるゲーム作品のオマージュ要素を多く取り込んでいます。
私はそのゲームの設定に大きく感銘を受けました。
そのゲームが素晴らしいことは言うまでもないのですが、
著者の能力不足により原作設定の全てをそのまま使ったうえで、
説得力を保持させることが難しく、多くの改変がなされています。
もちろん、私自身が考え出したオリジナル要素を中心としているつもりですが、
この話の内容について読者の皆様は様々な印象を受けることだと思います。
著者の意図としては、私が影響を受けたゲームの盗作をするつもりでも、
貶す意図もありません。敬意を持って、自分なりの話を作ったつもりです。
自己判断では、この話を二次創作というほどには近しいものではないと思っております。
ただ、その元ネタとなったゲームには多大な尊敬の念を持っています。
こうした経緯を知っていただいたうえで、このお話の印象を判断して頂ければと思います。
「いやパクリだこれ」「盗作だ」とか、著作権の侵害に該当するようであれば、
この小説を取り下げるつもりです。
もし、この拙著に対して、オリジナリティを感じて頂き、
少しでも楽しんでいただけるようであれば、著者としては幸いに思います。
また、この話の中に登場する科学的な考証らしきものに関しては、
大半がそれらしく見せかけただけのものにすぎません。
何らかの文献に基づき、正確性を持ったものではないこともここで述べさせていただきます。