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7/12

第七話 不穏な動き

あらすじ変更しました。カクヨムにも挙げてしまいました!

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自分の持つファイル上では完結済みですが、最終校正等を考えて、大体3日に1話ずつ挙げていきます。

アップの目安は火曜、金曜、日曜を予定しています。全10話前後の予定です。


また、作成時には縦書で記述していたのですが、横書きへの変更に伴い、読みやすさを考慮して、かなり変則的な規則で改行しています。これは今後改める可能性があります。

 私が夢の中に在る時、ゴオンとまた大きな轟音が鳴り響いたように思う。私はその音を確かに聞いていたものの、覚醒に至らず、寝惚けた頭でその音を処理していた。


 ピピピとアラームが決まりきった毎日の仕事を果たす。目を覚ますと、再び、遠い場所から、ゴオンと大きな音が聞こえる。今の音は、夢ではなかった。突然に頭が覚醒し、すぐさまベッドから飛び起き、素早く簡単に身支度をする。そのさなか、様々な考えが頭を巡る。ついに、ヴォイドが地球に来たのだろうか、昨日の報道ではまだ木星での戦闘が中心だったと聞いていた。


「おはようございます、市民の皆さん。朝のニュースです。ヴォイド戦線は、太陽系内ラインでも劣勢を強いられており、木星系内まで後退、エウロパ付近での戦闘が継続しています。イザベラ提督によると、戦闘は苦しい状況にあるものの、戦況は五分五分であり、ここが忍耐の要であるとしています。」


 先ほどの轟音に関して、ニュースでの緊急速報はなかった。どういうことだろうか、自分では気づいていなかっただけで、これは日常に起きている音だったのか。いくら考えてもその答えは出ず、家の周囲を見渡しても、その解答を持っていそうな隣人は見当たらなかった。


 ひとり、配給職を食し、身なりを整え、大学へと向かう。公園に着き、いつもの待ち合わせ場所に行くと、そこに瑠奈の姿はなかった。今日は休憩時間を取れなかったのだろうか。木星にまでヴォイドが迫っているのだ、瑠奈も忙しさが増し、今後会えない日が続くかもしれない。私は、毎日の楽しみを奪われるのかと寂しい思いがよぎる。瑠奈は私のことをどう思っているのだろうか。いないのならば仕方ないと、配給の嗜好品チケットをポケットに仕舞い、アイスクリームを買うことなく、アイス屋の主人に挨拶だけして、公園を後にする。


 大学も、最近の戦況悪化を受けて、全体的に慌ただしい空気が漂っていた。重苦しく、いたるところで戦争論が活発に議論されている。学者や研究者も今や積極的に戦争に貢献しなければならなかった。教授や私は、戦争に直接役立つ研究に携わっておらず、あくまで異端なのだ。もちろん、我々の研究が役に立つかもしれないという期待があるからこそ、存続できているのだが。


 教授は今日もいないだろうか、あのメールの件を問い詰めて、答え合わせがしたい。ここしばらくは、あえて積極的に考えることはしなかったが、いつも頭の片隅にあの一件が引っかかっていた。やはり、共感派の教授はスパイなのだろうか。


 今日も悶々とした考えを持ちながらも、自分の研究を進める。カタカタとキーボードの打鍵音だけが部屋に響く。その音は機械的だが、もう200年と奏でられてきた音だ。古臭く、無機質ではあるが、現在では人の営みらしい音のようにも思える。その音にテンポを併せて、人間、ヴォイド、殲滅派、共感派などの単語が頭に浮かんできてしまう。

 長時間集中し、思考が散逸してきたようだ。ひと休憩入れようと、私は立ち上がりコーヒーを煎れた。こだわりの焙煎豆はやはり旨い、一息ついていたところ、研究室のドアが開いた。そこから登場した人物は、エミリー・C・ワトソン、教授だった。


「教授……!」


「修司、話がある。」


 そう教授は険しい顔で言い、室内に入ってから、再び研究室のドアを開け、顔だけ出して外部の様子を伺った。その後、中に戻り、研究室の鍵を閉め、腕を組んで立ったまま、私に向き直る。そして、腕を組んだまま手のひらをこちらに向けて、私に椅子に座るように促す。


「教授、いったいどういうことなんですか。」


「あのメッセージを見たよな。」


 教授はやはり知っていたのだ。あのメッセージを私が見て、その後教授がパソコンの電源を落としていた。


「あのメッセージをわざと君に見せた。君の想像通り、私は共感派だ。過激派ではないがな。」


 私は、教授のその言葉を予想はしていたものの、本人から直接にはっきりと言われると、やはり強いショックを受けてしまう。このような身近な関係に、共感派がいたことで、共感派がそれだけ根強く社会に存在することを実感した。


「自分の研究を進めるたびにな、ヴォイドの事がわかるたびにな、ヴォイドの行動はただ自然な生物的な反応だという考えが強まる。そんなときだ、共感派に接触された。そこでより深く知った。私が知らないような事実を、軍の研究所から持ち出したものもあった。すると、どうしても共感派の主張に、私の考えが一致してしまう。」


 そう話した教授は、深い悲しみの瞳をしていたように思う。一体どのような事実に触れたのか興味が湧くが、それを尋ねられる雰囲気ではなかった。それよりも、今は教授と共感派の関係を知る必要があった。


「わざと見せたということはどういうことなんですか?教授は、僕があのメールを見て、当局に通報しないと思ったのですか。過激派でなくとも、軍の機密を知っているのであれば、懲罰は免れない。」


 教授は一度瞼を閉じ、暫くした後に目を開いた。先ほどまでの、悲しい目、険しい表情から一転して、私を心配するような、それでいて悲しむような複雑な表情を見せる。


「私は君に、君自身の意志で選んでほしかったんだ。私は確かに共感派だが、他人にもそれを求めようとは思わない。君の研究は、共感派が欲するものであることは確かだが、君自身の思想と研究が必ずしも一致するとは思わない。もし、君が共感派の主張に賛同して参加するのであれば、それでいいが、望まないなら参加することはない。」


 教授はつかつかと自分のデスクへと向かい、椅子を引き腰掛けた。デスクの縁の部分に肘をつき、両手を組み合わせる。


「そう考え、私は君に考える時間を与えられるよう、しばらく姿を消していたんだ。君は私のことをそれなりに気に入っていただろう?それに、確証のないいい加減なことをおいそれと他人に話す人間でもない。だから、私を通報するようなことはしないと思ったのさ。」


 教授は私を試そうとしていたのだろうか。いやしかし、私は共感派に参加する気など微塵もない。母を殺されたのだ。ヴォイドがなぜ人を殺すのか、という点について強く興味を持つ私だが、母を殺されて、憎しみをもっていないはずがない。

 もし、肉親や大切な人を殺されて、憎しみを持たない人間がいるとしたら、それは人間ではない。無感情で、自我もなく、本能に従うだけの、獣にも劣る虫か、いや、むしろヴォイドのような存在だ。 そのような境遇にある人間を引き込もうなど、教授も随分と楽観的なものの見方だ。そんな私の考えを見透かしたのだろうか、教授は自分の考えを補足するようにして言葉を続けた。


「もっとも、私は君が共感派に入るなどあまり考えていなかった。ただ……、自分で自分の立場を選んでほしかったんだ。本当の研究者というやつは、自分の論理がすべてだろう?論理の伴わない説得をしたところで、考えが容易に変わるものじゃない。」


 そう、確かに、私にとって、自分の論理や考えが、行動原理のすべてなのだ。自分の研究が、今の世の一般の人間から見て到底受け入れられるものではないことはよく理解している。研究者にとって理屈こそが行動原理であり、それを変えさせようと思ったのならば、同じように論理での反論によるものしかない。物事の理屈が正しいかどうか、それに従うしか道がない生き物なのだ。そして、それは私自身の思想にも適用されるのだ。


「共感派の指導層は、君を無理にでも引き込みたかったみたいだがな、君の性格や信条、心情を考えるだに、私には無理だと思ったよ。そして、何よりも、かわいくて、優秀な教え子だ。しっかりと考えさせ、自分で出した結論を見守るのも師匠の務めだろう?」


 教授は私の行動や考えをよく理解していた。そのうえで見守っていたという。彼女は共感派として自分自身を据えた立場であっても、生粋の活動家というわけではなさそうだ。指導層からの指令と、師という立場、これらの板挟みにあっても、出した結論が師としての立場を優先した行動だったのだ。

 つまり、私は、やはりこの教授に弟子としてよく愛されていた。教授は、自分自身を学会の爪弾きものと言っていた。弟子をあまり取る主義でもなかったそうだ。それにも関わらず、私の考えに理解を示し、弟子としてくれた。なのに、私は教授を疑い、私の考えの賛同者を通報するかどうかに悩んでいた。私は愚かで、この師の懐の深さを理解していなかった。このことをようやく悟れた。


「事情は呑み込めました。ですが、その話を僕にしたのはまずいのではありませんか。僕が、共感派に入らないということで、共感派からの冷遇を受けるのでは。もしくは、僕が当局へ話さないとも限りません。それにあのメッセージやこの会話、プロメテウスの監視があるのでは。」


「その心配はないよ。プロメテウスが本気になったら、共感派はすぐに捕らえられてるさ。プロメテウスも連中の存在や主張を一部認めてるんだよ。私ごときの話はさしたる問題にもならないだろう。また、君は通報しないし、私はもともと共感派の恩恵やらを受けていないからね。単に思想的な一致をみて、向こうが私の立場や研究を利用しただけだ。今後、世間様の間で大仰なことはできないが、ここで細々と生きていくのも悪くない。君の研究成果の後見も残ってるしな。」


 強気で、器が大きく、男気のある教授らしい。周りの風評や居心地の悪さなどはあまり気にならないらしい。


「わかりました。お願いします。この件は、教授と私の秘密ということで片付けましょう。」


「うむ、それで頼む。師弟の間柄にそういう秘密の一つぐらいあってもいいな、今までなかったのが不思議なくらいだ。」


 今一度、師弟の結束の強さ、秘密を共有する仲として、一層の深い意味を持った笑みを確認しあう。お互い笑い合って、この日の大きな山を越えたように思った。


『私の研究:ヴォイドの知性の有無について、知能と知性の違い』


 知能と知性の違いは何か。

 現在でも共通語として活用されている英語では、ともにintelligenceとされ、区別をしない。これは、哲学思想における、ギリシャ語からラテン語へ、英語へと翻訳・変遷を経るにつれて、誤訳が起こったとも言われる。その点を、特に古代ローマの思想家のキケロやドイツ観念論者のイマヌエル・カントが指摘している。


 私の生活する旧文化圏で使われていた言語、日本語では、知性と知能を区別していた。様々な解釈が古来よりなされてきたと思うが、私は、知性とは知能と理性を併せた概念だと解釈している。


 知能とは何か。知能を定義することは現在でも難しい。ヒトの知能を超えるとされるAIを作り出した現在でも、だ。

 一般的には、「ある問題に対して、論理的に解決策を導き出す能力」とされる。「知能」という言葉は人間に対するものと、動物に対するものを区別して用いられている。古来でも様々な定義や計測方法が考案されてきた。


 人間に対しては、古くは、IQテストと呼ばれる、レーヴン漸進的マトリクスという被験者の文化的背景や教育年数に依拠しない図形類推テストが考案され、それがもてはやされた時代もある。


 また、動物行動学においては、学習の面に着目した尺度もある。単純な生物においては、走性や反射などの本能行動しか見られないが、これは学習とはあまり呼ばれない。少し高度な動物になると、条件反射やオペラント条件付け学習などの学習行動を示す。より高度な動物、とりわけ哺乳類や霊長目などにおいては、洞察学習、未経験の問題に対して過去の経験から解決策を予測する、または他者の経験から解決策を探り当てる学習知能を示すものが発見された。このような学習ができるものを高度な知能を持つとされる。


 現在では、ヒトに対しては、IQテストの発展型ともいえるウェクスラー式のテスト、言語性IQと動作性IQにおける知能検査をより発展させたもの。それに加えて、ガードナーの定義する多重知能、つまり、言語、論理数学、空間、音楽、運動、社会性、実存的知能の考え方を複合化したものを、知能の尺度として利用されることが多い。


 ヒト以外の動物や生物に対して、対象が知能を持つかどうか、これは問題を与え、それを解決できるかどうかの動物実験により、一応確認ができる。

ヴォイドは、地球に生息する粘菌や社会性を持つ蟻などと同程度の問題解決能力を持つ。これを知能とするか否かは、知能の定義によるが、これを私の研究ではひとまず取り扱っていない。



 理性とは何か。これもまた人類にとって厄介な問題だった。これも多くの議論を経ても、定義が定まっていない。定義の範囲に、性格や気質を含むという説もあれば、認知能力を問うものもある。理性に認知という概念を含むとすると、この言葉を考えるにあたって、いくつか助けになる言葉が古来より存在する。

 代表的なものがパスカルの言葉、「人間は考える葦である」だろう。または、デカルトのいう「コギト・エル・ゴスム、我思う故に我あり。」というやつだ。


 この二者に共通するものは、自己認識だと私は考える。自己と他者の区別を行い、自分の考えを持つもの。それを理性としてここで扱う。メタ認知と言い換えてもいいかもしれない。いわば、自我の有無だ。


 人間にも自我があるのか、この疑問は有史以来人類が悠久の時を経て思考を繰り返してきた問題だろう。「私たちは何者であるか、そしてどこへ行くのか。」、この問題は、現代では一応解決している。虚次元の発見により、魂の存在を一応確認できたからだ。では、ヴォイドに自我は存在するのだろうか。


 これらの考えは、専門畑ではない私の解釈によるものであり、専門家からすれば、甚だ誤りに富んだものであり、正確性を欠く、穴だらけの論理だろう。餅は餅屋だ。しかしながら、これらは私が今回の研究の着想を得た始点であり、また終着点とするところでもある。


 私の専門は分子生物学である。その側面から、知能や知性といったものをどう定義するか。非常に難解なアプローチだが、私は今回の研究がその一助となるようなものだと思う。自我を持ち、自己と他者を区別することが、理性の第一歩であるとするならば、ヴォイド同士の意思疎通や交信といったものを見出すことで、ヴォイドに知性があるや否やといった私の着想は僅かだが前進すると考えている。



 教授はまた人に会う約束があると言って、今日はもう大学に戻らないという。教授との長い会話を終え、私は論文をすぐに進める気にならず、何か一息つけないかと考えたところ、瑠奈と食べたアイスが無性に食べたくなった。そうして、ひょっとしたらという気持ちで、公園に向かう。大学からはほんの10分足らずの場所だ。


 アイス屋は子供に囲まれていたが、その子供の中に瑠奈の姿はなく、いつものベンチにも座ってはいなかった。私は、アイス屋にチョコミント味を注文する。市民に配られた配給チケットはまだ十分にある。瑠奈との会合はまだ継続できるし、いざとなれば平時の貨幣を用いた割高なヤミという手もある。


 以前、辛口評価を付けたチョコミント味だったが、なぜか無性に食べたくなった。この気温の暑さと、気持ちの熱さをミントの爽快感で吹き飛ばしたいと思ったのかもしれない。


……クセになるとは、このことかと考える。


「うーん、やっぱり歯磨き剤だな……。でも、まあ少し慣れると旨さもわかる……か?」


 そう独り言ち、ベンチに座り、頭を働かさず無心でアイスクリームを舐める。

 アイスクリームを食べ終わる頃には、子供が周囲にいなくなっていた。ふいに周囲の極端な静けさを感じた。それほど長い時間が経過していたのだろうか、教授との会話でだいぶ気を張っていたらしい。よく見ると、アイス屋の主人も姿を消している。


 気づいた時には、ベンチの周囲を黒い背広を着た複数の男に囲まれていた。何かまずいと思った頃には、背後から幅広の布を顔全体に巻かれ、四肢を拘束されていた。その後、すぐに車両らしきものへと乗せられていた。私が声にならない声で唸っていると、私の座席の左右に座る男たちに、腹部を殴られ、黙るよう指示される。強い痛みが走るものの、思考を止めずに事態の把握に努めようとする。


 私が一体何に巻き込まれたのか。こいつらの所属は何なのか。もしかして、教授との秘密がもう漏れたのか、とはいえ私が不当な拘束を受ける理由がない。加えて、教授の見積もりが正しい限り、このような行動をプロメテウスが見逃すとは思えない。


 車両が徐行しているのを感じる。音の広がりからして、周囲が壁に囲まれている様子だ、建物の中に入ったらしい。車両の振動が止まった、そうすると周囲の男が私を両脇から抱え、歩くように指示をする。

 どこかの部屋の扉が開く音がして、私は木製のギシギシと音がする安い作り、古い作りの椅子に座らされる。そこで、私の顔を包んでいた布が剝ぎ取られた。


「ここはどこだ、お前たちは何なんだ。私が何かしたのか。」


 眩しい、強烈な光のスポットライトが私に直接当てられ、目を見開くことができない。薄目で周囲の状況を確認すると、コンクリート打ちっ放しの部屋で、私の周囲に男が4人ほどたっていた。その男たちは、顔にピエロやゴリラの仮面をかぶっており、表情等が読み取れない。

 何とも映画やドラマさながらの拘束部屋か。安っぽい演出だが、私の心は落ち着くはずもない、強い恐怖を感じる。光刺激が強いと、人間は冷静な思考力を失いやすいとも聞く。

 この強行は何が理由であろうか。私の研究、教授との会話、軍属の父、・・・もしかして軍属らしき八巻瑠奈の関与か。いや、どれも確度が足らず、結論は出ない。


 私の問いかけに対して、男たちは何も喋らない。そのうち一人が近づき、私の頬、胸部、腹部を勢いをつけて殴り始めた。

 私も有事訓練は受けているものの、本格的な暴力を受けた経験がなく、あまりの痛みや衝撃に嗚咽を漏らし、床に吐瀉物をぶちまける。

 暫く、暴行を続けたかと思うと、殴っていた男とは別の男が私に話しかける。


「時々、突然気分が悪くなったりめまいがしたことはないか?お前の名前はオガスか?ソコロフは元気か?昼食を食べたのを忘れたことはあるか?お前の名前はオガスか?スカヤハ市に行ったことはあるか?山下笹部、アネモネ、天体気球、どれだ?アヌンナキ、シポムニギ、その次は?アッテンボローの中心を見たことがあるか?お前の名前はオガスか?統合フラクタル多面体構造群という言葉を知っているか?」


 理解のできない言葉を男は延々と続ける。この言葉の間にも、殴る蹴るは続いていた。私の首には、布が巻かれ、その布に鉄の棒を挟み込み、鉄の棒を一回転させるたびに首が絞めるような仕組みの拷問方法が採られていた。私がうめき声や弁明を述べようとすると、呼吸ができるギリギリのところから一回転首を絞めつけられ、相手が話すときには緩められる。こうしたことを小一時間も続けただろうか。私の思考が朦朧としてきた。そして最後に、また別の男がいう。


「研究を辞めろ。」


 そうか、これは一種の洗脳行動だ。理解ができない単語の羅列により、人は脳に大きなストレスを受ける。そこに暴力と解放行動を与え判断能力を著しく低下させるという典型的な手法だ。


 私は、意識が朦朧とし、この激しい苦痛から逃れたいが為に、頷こうとするが、身体が動かなかった。そして、口からは、なぜか望んでいることと別の言葉が発せられた。


「嫌だ。あれは私の全てだ。」


 まさか自分がこれほどまでに、あの研究に力を注いでいたとは、自分自身でも驚きを隠せない。この言葉に激昂したのか、不審な男たちは、さらに暴行を続けようと腕を振り上げ近づいてくる。そのとき、扉に一番近い位置にいた男が他の男たちを止めた。


「おい、こいつを離せと上からのお達しだ。」


「っち、こんなやつ殺しちまえばいいんだ。」


 私は少しほっとした。暴行を受けている間は、気を失いたくとも、すぐ水をかけられ覚醒させられた。今はもう、このままゆっくり気を失わせてくれと願いながら、たちまち意識が遠のいた。



―――――――――――――――――――


合理性を最上とするこの管理社会であっても、人の野蛮性は変わらない。

性善説も性悪説もない。どのような社会であっても、人間の本質は変わらない。

人間に必要なのは学ぶことではなく、進化なのかもしれない。


―――――――――――――――――――



 夢を見ていた。私が幼き頃の母の夢だった。母との思い出がある。


 母は現代においては、変わった人だったと思う。

 美人であったと思うし、あの偏屈の父と付き合っていたぐらいだ、教養にも長けていたと思う。古臭い慣習をよく好んでいたし、礼儀作法というものにもよく拘っていた。折々の晴れの舞台には着物を着用し、茶道なども嗜んでいた。旧時代の言葉を借りるとすると、良く言えば大和撫子、悪く言えば時代遅れの堅物だろう。


 母自身が、料理を得意とし、また趣味としていたこともあって、食卓には毎度何品もの皿が出されていた。今では、簡易食がメインとなっており、食事作法も何もなく、ただ食べるだけである。それに比べ、私は母の指導の下に、旧来の食事作法には精通したと思う。食事とは、同じ釜の飯を食う仲間の証であり、相手を敬う為に、礼儀を身に着ける必要があるという。いかにも、旧時代の考え方だ。


 また、人付き合いなどに関してもよく躾けられた。その教えの中で最も強く覚えていることが、他者を尊重し、先入観を持って判断するなということだった。人ひとりの経験で、持ちうる物差しなど、他者を測るに値するものではなく、十分に相手を尊重して見極めなさいということだった。これは友人付き合いに大いに役にたった。例えば、大などは非常に口が悪く、当初は嫌なやつかと思っていたものだが、その先入観を捨て、付き合いを重ねていくうちに、非常に友達思いな人間だと知ることができた。貴彦もそうだ。ただの軽い男ではなかった。実際には慎重で思慮深い友人だ。


 私もカレッジや大学で勉強を重ねていくうえで、この考えを大いに実感することもあった。新しい物事に出会うたびに、私の思考を超えた考えに出会い、その経験が、私に自分の物差しで物事を測る際に、慎重さを与えたのだ。


 思えば、こうした変わり者の母の教えがあったからこそ、私は母の死に際しても、世間一般のヴォイドへの見方を素直に受け入れず、なぜという疑問から入ったのかもしれない。母からすれば、自分の死に対しても、その教えを守った息子を喜ばしく思うかどうか怪しいものだが。


 しかし、なぜ私は今これほどまでに、自分の研究に執着しているのだろうか。たとえ、母がそのような教えを説いていたとしても、母を殺されてまでこの考えを維持し、殲滅派や共感派の渦中にありながらも、まだこの研究を持続しようと思うのだろうか。


 結局、私は、母が殺されたことには理由があると信じたいのだ。


 自分が幼かったからということもあるだろうが、当時の私にとって母が世界の全てであった。素晴らしい世界だと思っていた。そのように、良い母がなぜ死ななければならなかったのか。母の教えのように、フラットな視点で母の死を考えると、良き人が死するには何か理由がなくてはならない。物事には原因があり、結果がある。良き人の死には、死ななければならなかった理由があるはずなのだ。運命や偶然などあってはいけないのだ。


―――――――――――――――――――


世の中に理不尽があったとしても、それには理由があり、人類の英知により、少しずつでも改善してきていると思っていた。世界はより良い方向に進んでいると思っていた。

そして、私も未来をより良いものへと変化させられる人間だと思っていた。


―――――――――――――――――――


 私が目を覚ますと、白を基調とした清潔感のある部屋のベッドに寝ていた。病院だろう。個室なのか、比較的静かな環境だったが、ベッドの脇には貴彦がいた。


「修司、目を覚ましたか。」


「貴彦?いったい何が。」


 貴彦は私の疑問には答えず、私の様子をじっと観察したかと思うと、壁に備えつけられたナースコールのボタンを押す。そして、私が目を覚ましたことを通信先に伝えた。


「修司、お前はプロメテウスによって反体制派の潜在因子として認定されていた。その行動や思想を厳しく監視される対象だったんだが、どうもヴォイド殲滅派の過激分子がプロメテウスの隙をついて、先走った実力行使に出たらしい。」


 反体制派……?共感派ではなく、社会システムに対する敵性集団としてみなされた?

 いやそもそも、プロメテウスには隙があるのか。


「何がその認定の理由かは俺の権限ではわからない。もちろん、お前が反体制派であるはずがないから、俺がちゃんと取り消し申請をして、その証拠集めも十分に行ったから、今は問題ない。」


 頭が重い、痛みのせいだけではなかった。教授との話のすぐ直後だ、あの会話が関係していたのだろうか。教授は問題ないといっていたが、その予測はやはり甘い見通しだったのだろうか。様々な疑問が頭に浮かぶ。


「なぜ、そんなことが。俺は反社会活動など何もしていないはずだ。」


 貴彦は、私の言葉に頷きを添えて、言葉を続ける。


「プロメテウスは未来予測もその計算範囲に含んでいるから、おそらくお前の研究や行動を危険視したんだろう。俺も、お前の研究内容は知っている。だが、あくまで研究に過ぎないし、共感派を擁護するような内容であっても、あれは人類に対して有用なものだと思う。」


 貴彦の調査が私の研究内容にまで及んでいたことは、私の身辺を調べたと伝えられた時に、十分に予想していた。


「だから、俺は小笠原修司の反体制の認定に再審議を申し立てた。プロメテウスの計算結果はあくまで計算に過ぎないし、ただの予測認定だからな。上層部も俺の証拠で十分に納得し、提案の実行をすぐ取り下げたよ。たぶん、お前の親父さんの尽力もあったように感じた。」


 私の肩を軽く叩きながら、もう大丈夫だと言葉を加える。


「なんというか……、災難だったな。でも、お前が無事でよかった。」


 こういう展開を予測していたのか、貴彦は私の無実の証明の為に、どうもここ最近立ち回っていたらしかった。自分の研究や行動が周囲に巻き起こす騒動がこれほどのものだったのは予想していなかった。触れてはいけないものに触れていたことと、友人に迷惑をかけていたこと、これらの事実を知って愕然とする。だが、私はもう一つ疑問に思い、聞きたいことがあった。


「プロメテウスの隙というのは一体何なんだ?」


「プロメテウスが実行力を持たないことはお前も知ってるだろう。今回の場合、お前に危険因子の認定を下し、どのような対処が最善か計算をして、複数の提案を用意していた。基本的には、その計算は瞬時に完了し、決定権を持つ政府がそれを素早く実行するかどうかの判断をするんだ。」


貴彦は、持っていたコップの水を一口飲んで、続けた。


「だが、実行犯はこの仕組みを知ってる連中だ。結局人間の情報処理には限界があるということさ。プロメテウスの提案は、その内容によって振り分けられ、該当する部署へと下される。ならば、その部署がパンクするように、同種の問題を多数起こせばいい。すると、修司を確保して、自白や行動を強要することが適切かどうかの提案、そしてその後に情報が更新されても、人間の決定が遅いんだ。それをやめるべきかという提案が出てから実行されるまでにも時間がかかるのさ。」


 プロメテウスがいかに素早い提案を行うといっても、それを決断するのは人間だ。人間の情報処理の遅さは、社会において、慎重性を持たせるという意味で良い反応を示すこともあるが、多くの場合は単に人間の能力不足であることが多い。人間の統一性の欠如、行動、判断の遅さはAIを活用していても、いまだ欠点として残っていた。

 それに比べ、ヴォイドは、個体による個性の違いといったものが現在では確認されてはおらず、全ての存在が統一的な行動をとる。戦争においては人間がより不利になる要素だった。


「最も、こうして問題が顕在化したんだ。潜在的な問題よりも、顕在した問題は優先度が高い。プロメテウスがすぐに、人事異動や部署の効率化、システムの変更を提案するだろう。」


 貴彦が分析していると、個室のドアが開いた。白衣を着た大が、電子カルテらしきものを持ち、ベッドの脇まで来る。ここは大の診療所だった。


「幸いにして、脳に異常はなさそうだな。」


 私は先ほどから疑問を投げかけるばかりだったが、今初めて自分の置かれている状況を理解できた。この友人達に深く感謝しなければならなかった。


「大、貴彦、助けてくれてありがとう。」


 大は、私の様子を観察し、簡単な検診をした、私の興奮が落ち着いたとみると、電子カルテに目を落としながら、少し眉をひそめて、私に告げた。


「どうも相手はお前をコントロールするためなのか、障害が残らないように、傷も割とすぐに癒える程度に加減して殴っていたように見える。」


 あれは、私の研究を妨害するための計画であったということか。


「ここでできる治療はすべて施した。薬剤も投与したから、この診療所でできることはもうない。落ち着けるなら一度自分の家に帰るのもいいかもしれない。痛みは続くだろうが、ケガ自体は明日ぐらいにはもう治癒するだろう。」


「有難う、大。」


「治療費はツケで払ってもらうぞ。」


 私の様子から、もう大丈夫だと思ったのか、大は今の状況ですら冗談に変えてしまう。現在は医療費はすべて無料だ。社会に貢献する市民は、その社会に所属する恩恵として、適切な医療を無制限に教授することができた。貴彦はそんなやり取りを見て、ほっとした表情をしていた。


「じゃあ、俺が車で送るよ。その状態じゃ、歩くのきついだろ。」


 そう貴彦が気を使ってくれたので、私は有難くその提案に乗り、診療所を後にした。自宅に到着し、

貴彦に礼を述べて、自宅に入る。私は、疲れ、痛み、傷による発熱が相まって、意識を維持する限界を迎えてきた。そのまま、ベッドに倒れこむようにして寝てしまった。




ここまで読んでくださって、有難うございます。

辛口レビューや評価が頂きたい……!


次回もお楽しみいただけたらと思います。

次回は8月15日の火曜日を予定しています。



-----------------------------

知っている人が読めばわかるのですが、

この話はあるゲーム作品のオマージュ要素を多く取り込んでいます。

私はそのゲームの設定に大きく感銘を受けました。


そのゲームが素晴らしいことは言うまでもないのですが、

著者の能力不足により原作設定の全てをそのまま使ったうえで、

説得力を保持させることが難しく、多くの改変がなされています。


もちろん、私自身が考え出したオリジナル要素を中心としているつもりですが、

この話の内容について読者の皆様は様々な印象を受けることだと思います。


著者の意図としては、私が影響を受けたゲームの盗作をするつもりでも、

貶す意図もありません。敬意を持って、自分なりの話を作ったつもりです。

自己判断では、この話を二次創作というほどには近しいものではないと思っております。

ただ、その元ネタとなったゲームには多大な尊敬の念を持っています。


こうした経緯を知っていただいたうえで、このお話の印象を判断して頂ければと思います。

「いやパクリだこれ」「盗作だ」とか、著作権の侵害に該当するようであれば、

この小説を取り下げるつもりです。


もし、この拙著に対して、オリジナリティを感じて頂き、

少しでも楽しんでいただけるようであれば、著者としては幸いに思います。



また、この話の中に登場する科学的な考証らしきものに関しては、

大半がそれらしく見せかけただけのものにすぎません。

何らかの文献に基づき、正確性を持ったものではないこともここで述べさせていただきます。

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