第十話 救出奪還作戦 後編
カクヨムにも挙げています。
作成時には縦書で記述していたのですが、横書きへの変更に伴い、読みやすさを考慮して、かなり変則的な規則で改行しています。これは今後改める可能性があります。
大の診療所に到着すると、既に友人達は集まっていた。私は教授や老紳士との協力についてを彼らにも話すべきか迷った。友人達は、自身の立場を危うくするようなこの計画に付き合ってくれているのだ。事の全貌を話すことが、彼らに対する礼儀であると思う。
だが、共感派の関与を彼らが知れば、彼らは決して諸手を挙げて賛同とはいかないだろう。もし、この計画が失敗し、友人達にも咎が及ぶようなことになれば、共感派との関係を疑われる。失敗時には、もちろん私がすべての責を負うことを覚悟していたが、ここで彼らに共感派のことを話すことで、追及が強くなることを恐れた。
「皆には詳細を話せないが、警備の人間への対応策も立った。勝手に決めてしまってすまない。」
結局、私は詳細を伏せることにした。
「……わかった。じゃあ、今晩に計画を実行する、ということでいいな。」
貴彦は私の言葉の裏を理解していたのかもしれない。大や圭子は、私に問い質そうとしていたが、それを貴彦が制した。……この友人達には本当に迷惑ばかりかけてきた。私はどうやっても彼らにその恩を返せそうにない。
「……まあ、仕方ないな。じゃあ、今からアップロードの準備をする。開始後、すぐに研究所に忍び込まないと、プロメテウスの復旧が間に合うおそれがある。警備の人間の対応策もすぐに動かせるものなのか?」
大の問いかけに対して、私は言葉を発さず頷きだけで返した。圭子はまだ何かもの言いたげだったが、大が手早く準備をする姿を見て、圭子も準備していたリストを取り出した。身寄りがなく、最近死亡した人物の詳細を大へと伝える。
大と圭子には診療所に残ってもらい、ヴォイド出現の攪乱情報のアップロードに取り掛かってもらう。貴彦には、私を研究所の近場まで輸送してもらい、瑠奈の救出後には素早い脱出と逃走の為に車をまわしてもらう役割をお願いした。
「この時間なら、研究所の職員も退勤者がちょうど多い。計画の開始には都合のいい時間だと思う。皆、本当に有難う。皆がいなければ、俺はどうすることもできなかったと思う。」
大は固定端末を操作し、顔を私に向けることなく言った。目線は端末内の文字を追っているようだった。
「礼を言うにはまだ早いぜ。八巻さんを無事救出できたら、もっと大きな声でたっぷり感謝を込めて言えよ!ついでに、そのうちでいいから、俺の好きな日本酒を奢ってもらうぜ。」
相変わらずモニターを眺めながらワハハと笑って言う。
「私は……、うーん、ブランドのバッグかな。」
大と圭子の様子を見ていて、先ほどから顔つきが強張っていた貴彦も表情筋を緩めた。軍人だからこそ、今後の展開に楽観的な予測を持てなかったのだろう。緊張感がずっと漂っていた。だが、残り二人の調子はカレッジ時代のそれであり、ついつい貴彦も気持ちがカレッジ時代に戻ったようだ。
「じゃあ、俺は八巻さんの友達を紹介してもらうからな!」
気づけば3人とも笑っていた。私は友人達をこのようなことに巻き込んだ罪悪感や申し訳なさで、心から笑うことはできなかったが、彼らが私に気を使わせないように配慮していることを理解でき、嬉しかった。
「じゃあ、皆あとは頼む。」
私はそう言い、貴彦にバンの運転を指示し、大と圭子には合図を待つように頼んだ。バンに貴彦と共に乗り込み、研究所の方面へと車を走らせる。否が応にでも緊張感が高まってしまう。貴彦に何か話す話題もなく、私はこれからの計画を頭の中で反芻していると、貴彦が口を開いた。
「……修司、共感派の協力を受けたか。」
貴彦はやはり共感派と私の繋がりに感づいていた。もともと共感派や教授に関する調査も済んでいたのかもしれない。私は皆に共感派の協力を隠したことに罪悪感を感じていたし、もう調べがついてあるだろうし、鋭い洞察力を持つ貴彦には隠し通せる気もしなかった。
「ああ、皆には黙っててすまないと思っている。でも、もしこの計画が失敗したときに、皆が当局から共感派との繋がりを疑われるのを避けたかったんだ。」
貴彦はハンドルを握り、運転に集中しながらも、目を細め、心は遠くを見ているような様子だった。
「……どちらにせよ、当局からしたら、共感派の影が見える限りは、執拗な追及は免れないさ。だから、あの二人は俺が守るよ。あの二人は普通の人間だ。どんなことがあっても、平和な暮らしをしていてほしいと思う。お前は中心人物だから仕方ないけど、事がバレた暁には。俺がすべて手配したことにするよ。」
その会話の内容の割に、貴彦は穏やかな口調と表情をしていた。
「貴彦……、立場を考えたら、それじゃお前ひとりが他の罪も背負って処罰されるんじゃないか。」
「俺は軍人なんだ。もともと危険と隣り合わせの職業さ。諜報部なんて本当はまっぴらと思ってたんだ。人間内での抗争に関わるよりも、戦友と共に前線にいたかった。でも、今は友人の為に命を張れるんだ。悪くないさ。」
横を振り向き、運転席の貴彦を見ると、彼は強い意志を宿した瞳をしていた。
……この瞳には見覚えがある。
初めて会った時の瑠奈、研究に誇りを持っていた教授、きっと私も自身の研究を完遂すると決意した時にこの目をしていたに違いない。人生に意味と目標を見出した時の人間の目だ。
カレッジを卒業した後、貴彦がどのような暮らしを送っていたのかはわからないが、おそらくそれは私の想像を絶するような環境だったに違いない。長きに渡る戦争の中心ともいえる職務についていたのだ。軍人としての長い年月の務めにおいて、その中で、何か彼なりの強い人生観を見出したものがあったのだろう。このような貴彦の決意を前にして、私に言えることはもう何もなかった。
貴彦は話終えると、車に装備された無線放送をオンにする。音楽やニュースなど、様々な情報が飛び交っていたが、私達はこれからの事に頭がいっぱいになっており、それを雑音としてしか処理していなかった。そうこうしていると、私や貴彦の心中とはお構いなしに車は進み、研究所の近くへと到着していた。
「修司、後はお前次第だ。プロメテウスを騙し、警備の人間を引き付けることができれば、あとは特別なことなしに入れるよ。」
「貴彦……、有難う。」
「八巻さん……、助けられるといいな。」
私と親友は、今生の別れの心持で離別を告げる。お互いにもはや交わす言葉はなく、あとはそれぞれ自分の責務を果たすだけであった。私は例の老紳士と打ち合わせをしていた通りに、指定先に通話をワンコールだけ呼びかける。了解の合図として、すぐに2コールだけ着信が戻ってきた。大にも同様の手段で連絡をする。
暫くすると、研究所内や周囲から喧しい警報が聞こえてきた。ウーウーと人間の不快感を逆撫でするような音だ。続いて、所内放送らしきものも聞こえてくる。
「非常事態宣言発令、これは演習ではない。繰り返す、非常事態宣言発令、これは演習ではない。ヴォイドが地球近辺に出現した模様。第一、第二区分の職員は緊急退避、第三区分の職員は複素次元戦闘機の整備点検をせよ。また、特殊区分の職員はすぐさま非常時区画において待機、指示を待て。一般市民は、各自指定避難所へと退避。繰り返す……。」
どうやら大が上手くヴォイドの出現をプロメテウスに誤認識させたようだ。賽は投げられたのだ。市内ではなく、地球近辺と判断されたのは、こちらにとっては都合が良い。大や圭子への追及の手は厳しくなくなるだろう。瑠奈は機密度の高い職員であると言っていた、この特殊区分の職員に該当するのだろうか。とりあえず、所内に入り、所内見取り図でも入手できるといいのだが。
そう悩んでいると、研究所のゲートが電気制御で開いていく、旧時代の戦争であれば物理的な防御も大きく意味があったのだが、ヴォイドに対してこのような隔壁など大きな意味をなさない。職員をスムーズに移動させることの方が大きな意味があった。普段から、避難訓練や教育等で、統制された行動で職員達が避難していく。私はその合間を縫って逆走し、所内へと入っていった。ルビコンの川を渡ったのだ。
所内に入ると、思ったよりも混乱の様子はなく、多くの職員は素早く避難を完了していたようだ。見取り図を入手するまでもなく、至る所にある情報パネルに移動先が表示されていた。緊急時ほど、電子ガイドによって、パッと見ですぐ現在地と目標先を理解できるように工夫がされているようだった。私は特殊区分職員の待機するという非常時区画に当たりをつけて、情報パネルに従って移動する。通常警備に属する人間なども、退避なのか、共感派の協力によるものなのか、特に見当たらなかった。広大な土地に建設された所内は広く、非常時区画まではまだしばらく時間がかかる様子だった。私は走りながら、緊急放送に耳を傾ける。
「非常事態宣言発令、これは演習ではない。繰り返す、非常事態宣言発令、これは演習ではない。ヴォイドの地球への侵攻多数。当研究所に所属する試作機のパイロットも所内ハンガーで出撃準備、指示があるまで待機せよ。」
私の研究によるヴォイド交信をプロメテウスにアップロードとしたとはいえ、プロメテウスも相当にヴォイドへのヒステリーがあるようだ。大が相当上手くやったのかもしれない。
そして、これ幸いなことに、これで瑠奈の居場所を掴むことができた。私は立ち止まり、情報パネルを確認する。この研究所にあるハンガーは非常時区画を抜けた先のすぐ近くだった。私は一度息を整え、再び走り出す。友人達や教授の協力を得て、研究所に忍び込むことに成功し、瑠奈の所在地も掴むことができた。あとは彼女を助け出すだけだ。
ハンガーへ向かう途中、非常時区画の一部にガラス張りの部屋がいくつか確認できた。中にはカウンターテーブルとスツール、ソファ、自販機や水飲み場などがあった。外部のニュースを閲覧できる端末から映像が流されており、どうやら職員の休憩場所や待機所のようだった。
私はそこに人影を見つける。いつもの、よく見知ったシルエットだった。あの雰囲気、小さな背丈、それを見かけただけで私は喜びのあまり少し涙が出そうになる。たった、一日足らずの別れが、死別のような感覚を生んでいた。もう会えないと思っていた人に会えた。
瑠奈は今の状況や警報に焦ることなく、待機場所のソファにパックの飲み物を手に持ち座っていた。私がドタドタと駆け寄ると、瑠奈はゆっくりとこちらを振り向いた。私は、瑠奈を助けに来たと息も絶え絶えに伝える。
当然、私がここまで危険を冒して来るとは夢にも思っていなかったのだろう。瑠奈は口と目を大きく開け、非常に驚いた様子を見せていた。そして、その後、すぐに目線を、私から外し床に落とした。
「……ありがとう。」
この言葉に加え、嬉しいと言ったものの、その表情はまるで逆であり、悲しみの表情そのものだった。
「でも、……ごめんなさい。私一緒に行けません。」
私は瑠奈に会うことさえできれば、無事この悲劇を終わらせ、共に新たな運命を切り開けると思っていた。しかし、現実はその期待とは異なるものだった。「なぜ」この言葉が無数に私の頭の中に駆け巡る。ニュースを流す端末からの音が、二人の沈黙の間を通り過ぎていく。
「こんばんは、市民の皆さん。夜のニュースです。ヴォイド戦線は、予測不能の事態に陥りました。イザベラ提督率いる統和軍主力艦隊との通信が途絶えている状況です。HQは、これは太陽黒点の活発な活動による太陽風の影響だと説明しています。主力艦隊は全滅、ヴォイドが地球上空に到達しているなど、各地で様々な噂やデマが飛んでいますが、こうした反社会的活動に惑わされないように市民の皆さんは理性ある行動を心掛けてください。……もう、いやだ……、私だって逃げたい……!!」
何か、ニュースのキャスターがどたばたと騒がしくしているが、私は瑠奈から目を離すことができない。瑠奈も悲しみの表情を伴って、私を真剣な瞳で見つめ返してくる。
「……私、まだ隠していたこと、話していないことがあります。」
そんなことは私にとって問題ではなかった。しかし、瑠奈の目は真剣であり、私が何か口を挟める余地を残すものではなかった。
「私の任務の事。ここは、本当に最重要機密の場所だから、こんな時でも職員や他の人は来ないと思う。私のこと、修司君にはちゃんと話すね。聞いてほしいの。」
瑠奈はそう言うと、待機所の中にあるパネルを操作しドアを開ける。そのまま私の手を引き、先ほど私が乗ってきたエレベーターまで歩き、脇のコンソールを操作した。
「通常では、ほとんどの職員が入室許可されていないフロアに行きます。」
エレベーターは静かだが、重苦しい音を立てて起動する。エレベーターに乗っても、私は瑠奈に何かを聞ける雰囲気ではなかった。瑠奈は私の手を右手で強く握ったまま背を向けており、その表情を見ることができない。斜め後ろからかすかに見えたのは、瑠奈が下唇を噛んでいることだけだった。見間違いだったかもしれないが、頬には一筋の涙が見えたような気もした。瑠奈が、とても強く手を握っていた。
ポーンと音を立て、エレベーターが停止し、その自動ドアが開く。ドアの向こうには一直線の通路が見えており、最奥端まで100mはあるだろうか。通路の右側には、ガラスで隔てられた部屋があり、通路に等間隔でいくつか扉が見える。扉の先は、研究室のような工場のような場所であり、中央に戦闘機らしきものが鎮座されていた。そうか、ここは新型戦闘機の開発場だ。
私は誘導されたこの場所に圧倒されるが、瑠奈は普段からここで任務をこなしているのだろう。瑠奈は振り返らず、私の手を握ったまま歩き始める。エレベーターに一番近い部屋のコンソールを操作し、瑠奈は私に入室するように促した。そこで、瑠奈は手前にあった椅子に座り、私にも座るように促す。
瑠奈は私に向き直り言う、無表情にして無感情だった。だが、下唇が少し赤みを帯びて血が滲んでいた。
「本当にごめんなさい。やっぱり任務を放棄することはできませんでした。修司君にあんなに頼って、助けてもらったのに。」
瑠奈は淡々とこのセリフを言う。私は、瑠奈が結局逃げ出すことを望んでいなかったのかと困惑していた。私の困惑ぶりを察し、瑠奈は言葉を付け加える。
「私は複素次元戦闘機のパイロットとして、その任務を果たさなければならないと思ったの。修司君と逃げるのが嫌になったわけじゃないの。先ほど交戦通信が入りました、今まさに地球外気圏上で統和軍がヴォイドと戦っています。」
交戦通信……。ヴォイドの出現はこのタイミングで実際に起こっていたのか……。私たちの計画通りに都合よく進んでいたわけではなかったのか……。
だが、そうだとしても瑠奈をここから連れ出したいことには変わりない。仮に、人類の裏切りものと謗られようと、既に悲運の人生を背負わされた瑠奈だ。もう十分に人類に貢献したんだ。あとの人生、少しは幸せな平穏な人生を送ってもいいじゃないかと私は思う。
「そんな……。瑠奈が辛い状況なのは、この研究所の様子を見れば僕でも想像がつく。実際には、瑠奈は生まれた時から選択の自由がなくて、ここで任務を強制されていたわけだろう?なら、放棄しても誰にも非難する権利はないよ。」
瑠奈は目線を伏せ、悲しみと哀れみに満ちた表情で語った。
「それでも、私は良い方なの。遺伝子的に、姉にあたる旧型機の搭乗者達に比べて、ね。」
瑠奈はゆっくりと立ち上がり、薄暗い部屋の奥の方に向かった。中央の戦闘機の裏に台座があり、そこから電力か何かを供給するようなケーブルが無数に壁や制御端末へと繋がっていた。そこの空気とでもいうのだろうか、淀んでいるようでもあり、清浄で神秘的な空気のようでもあり、科学の粋による機器を集めた中であっても、独特の雰囲気を形成し、形容しがたい様子を醸し出していた。
「これが、最初期のパイロット。」
小さな立方体の金属の箱を指して言う。これがパイロット、とは最新型のコンピュータを指していっているのだろうか。人間の頭部より少し大きい程度の筒は、鈍い光を放ち、「01:GodBless」とラベルが貼られていた。
いや……、AIやコンピュータではヴォイドに立ち向かうことができないと瑠奈は以前言っていた……。
「まさか……。」
瑠奈は私の恐ろしい推測を察し、頷く。
「そう、ここにはヒトの脳が入っている、もちろん生きているわ。この脳から電気信号を抽出して生体コンピュータとして利用されている。」
淡々と語る瑠奈のその発言の内容に、私はまるで頭を何かで殴られたかのような衝撃を受ける。「生体コンピュータ」、瑠奈が以前言っていたものだ。AIではヴォイドの侵食に一時も抗えない。それがまさか、培養液に浸した脳のみででも運用されているとは……。しかも、これに父が関与していることが私に例えようのない嫌悪と恐怖を呼ぶ。
瑠奈は私に考える暇を与えてくれることなく、落ち着いて次の部屋へと向かった。次の部屋も先ほどの部屋とほとんど同様の構造をしている。瑠奈は中央に座す複素次元戦闘機を右手で触りながら、私に身体を向けて話を続けた。
「これが前回の作戦で使用された機体、そして、これがそのパイロット。」
瑠奈の左手が差す方向に、先ほどよりも少し大きな、円筒型の金属のケースが見える。先ほどと異なり、表面はガラスケースで中身が覗けるようになっている。そこにラベルが貼ってあり、「02:AngelPack」とあった。
四肢がなく、頭部や脊椎、四肢だった部分に無数の管が接続されている人間らしき物体があった。その物体は培養液に浸されており、目にあたる部分は眼帯のような拘束帯で覆われている。口らしきものを僅かに開き、そこから小さく気泡が出ている。「これ」は生きているのだろうか。そもそも、これは人間なのだろうか……。
ひどい冗談、ひどい皮肉だ。これが人間のやることなのだろうか。
「これも同じように、生体コンピュータ。ヒトの機能は脳だけではなく、各神経節にも分散して利用できるものがあるとわかったために、不要な四肢を切断された人間がパイロットとして利用された。」
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ここまで、人間は非道なことができるのだ。
ヒトとヴォイド、どれほどの違いがあったのか。
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瑠奈から聞かされたこれらの真実を知り、私は愕然とする。いつから地球の平和はこのような犠牲のもとに成り立っていたのか。
歴史を学べば学ぶほど、人類史が血塗られた歴史ということを頭で理解できていたが、このような人体実験まがいのことが現代でも行われていたのか。いや、科学を自在に扱えるようになった現在だから、か。
「現在の試作機は、あなたのお父さんが多くの時間を研究に費やし、従来のパイロットよりも、より効率的な運用を可能にした結果。それが私。生体コンピュータとしての機能と、人間の判断力を搭載した最新鋭の複素次元戦闘機のパイロット。」
瑠奈は、少し悲しげな表情で、声のトーンを変えずに淡々と話し続ける。
「私は遺伝子工学により生み出された、この機体に搭乗するのに適性を持つ人間。運動能力、動体視力、耐G能力、ケガの治りも常人よりも遥かに早いわ。そして生まれたすぐから、この戦闘機に乗るための訓練を施された。」
以前に、瑠奈の包帯姿を見たことがあったが、あの治癒の早さはそういうことだったのか・・・。
「実は、父も母もどのような人か知らないの。私は、戦闘機に乗るのに適した遺伝子を持つ人の精子と卵子をもとに、人工授精と遺伝子工学による調整を受けて生まれたから。妹というのも、私とほぼ同じ遺伝子を持つ後継のパイロットのこと。生まれた順番が、私が先だったっていうだけ。」
ああ、私は今まで瑠奈の何を知っていたのだろうか。
彼女は、これほどの境遇を抱えながら、運命を受け入れ、あのように前を向いて生きていたのだ。私が彼女の立場にあったとして、この重荷に耐えられただろうか。
「この戦闘機に乗るには通常の女性の成熟体では小さすぎるのね。それに、脳の活動が最も活発な思春期程度の頃かつ女性の脳が生体コンピュータとしての適性が高かった。だから、私は14歳から成長固定処理を受け、24歳になった今でもこの見た目なの。」
瑠奈は自身の身体を両手で抱えるようにしながら話した。
「まっとうなヒトとしての生を受けておらず、その人生も人類の為に利用されていることに、私自身哀れな境遇だと思う。あなたの父のおかげで、過去の搭乗者よりもまだマシな人生よ。それでも、責任者であるあなたのお父さんを恨まずにはいられなかった。修司君に近づいたのも偶然ではないの。私は大切な人生を奪われた。なら、あなたのお父さんの大切な人、息子の命を奪ってやろうと思った。」
瑠奈は、今までにないほど、一層表情を曇らせる。この話をすることの辛さ苦しさが滲み出ていた。瑠奈は、「自分が復讐の為に私に近づいた」この真実を告げることで、私との関係が崩れることを恐れていた。私はあの晩の瑠奈を思い出す。
……真実を聞かされた今でも、この人に対する愛おしさに変わりはない。
……あの時、あの晩、二人で共有した感情は確かなものだったと思う。
……私は瑠奈の気持ちを疑わない。
「でも、だめだった。修司君が紳士的で、いい人だった。修司君、得体の知れない私みたいな人の話をあんなにも真面目に聞いて、一緒に悩んでくれるんだもの。私、すっかりと修司君のその魅力に憑りつかれちゃった。こんなにも心地よい時間があるんだと初めて知った。大人になって常識は知っていても、人生経験が浅いのね。訓練の日々で、あまり他者とかかわっていなかったから。惚れっぽいのよきっと。」
私の決意は変わらない。
「瑠奈……。みんなが手引きしてくれている。一緒に逃げよう。父もよく話したら協力してくれるかもしれない。プロメテウスさえ、うまく騙せればなんとなある。僕も君が好きだ。一緒に来てほしい。」
私は出来うる限りの自分の思いを告げた、何とか瑠奈を説得し、ここから逃げ出せるように。私は、瑠奈の表情を見て、彼女の強い意志を理解し、これからの結末を薄々予感していたのだと思う。私に真実のすべてを告げた瑠奈は、私の願いを聞きながらも、先ほどまでの悲しげな表情から、何かを決意したような表情に変わっていた。
「……ありがとう。無味乾燥な人生だと思っていたけど、こんな幸福な人生になるなんて。」
その表情は本当に幸福を体験したのだという、穏やかな顔つきでもあった。
「でも、ごめんなさい。あなたと一緒に行けない。私は皆の為にも戦わないといけない、妹もいるしね。そして自分の為にも。修司君のおかげで人生の幸福は得られたわ。これからは自分の生まれた意味を果たしに行くの。」
「そんな……、君が行かなくたって、統和軍はまだ負けていない。新たな作戦を用意しているはずだ。」
「私が生まれた意味は人類を守るため。誰かの都合で、自分が生み出されたのは確か。でも、修司君が愛してくれたおかげで、私は人生に幸福を見出せた。そして人生の目的が、生まれた意味と一致した。修司君や多くの人が生きる地球を守るために、私がいる。これって素敵なことじゃない?これを捨てたら私が私じゃなくなるわ。」
こう言う瑠奈は、初めて会った時のような強い意志を宿した瞳に戻っていた。
胸が張り裂けそうなほど辛い。
だが、私は、瑠奈を止める言葉や方法を思いつくことができなかった。彼女は自分の人生に幸福を見つけ、また自分の人生の目的や意義も見出したのだ。自分が殉ずるものに掛ける覚悟、私自身にも、これに覚えがあった。これは私にとっての研究と同じものなのだ。それが理由で命を失おうと、命に値する人生の目的なのだ。
ここで力づくにでも彼女を制止していたらよかったのだろうか、いや止めようがなかった。むしろ、このような状況に陥った人類、その世界が彼女を動かしていた。
「ごめんなさい、もう行かないと、手遅れになってしまう前に。」
そう、最後の別れを瑠奈は告げた。そして、瑠奈は、あの、向日葵のような笑顔を私に向ける。
今まで見た中でも、とびっきりの、美しく眩しい笑顔だった。
「修司君。本当に有難う。あなたに会えてよかった。」
僕もだよ。
そう言葉は出なかった。思っていても、彼女を見送るには、苦しさと辛さ、悲しさと怒り、愛情と愛おしさが言葉を出させてくれなかったから。
瑠奈は私の方に振り返ることはなく、次の部屋へと向かい、自分の練習機だったのだろう。試作機のタラップを登り、搭乗する。狭いコクピットは小柄な彼女を包み込むようにして、彼女を連れ去ろうとしていた。キャノピーの風防越しに私の方へひと目向けて、彼女は手を振った。
「複素次元戦闘機コード:ファイφ、出撃します。」