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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

沈黙の海島

作者: 杉野御天

なみだいくつ零れて

新月の夜 ひとつ海が生まれた

遠く紡いだ言葉

語りべたちの物語の中に


語り継ぐことや伝えてゆくこと

時代のうねりを渡って行く舟

風光る 今日の日の空を

受け継いでそれを

明日に手渡して



「うさぎ用の餌が売ってあるわ」

「お、買っていこうか」


ある風の強い日だった。


「ここの海は相変わらず凪いでるわね」


風の強さに反し、海は凪いでいた。


「ここは内海だからね」


そんな事を話しながら、私たちは定期船が着くのを待っていた。

うさぎがたくさんいるという島の噂を聞いて、一度来てみたかったのだ。


ふと、看板が目に止まった。「ペットのうさぎを捨てないでください」

と注意書きがしてあった。


「へぇーやっぱ野生のうさぎの生きてる環境では、ペットのうさぎは住めないんだね」


はじめは何とも思っていなかった。

ただ、うさぎがたくさんいる島だと思っていただけだった。


島に渡る前までは....


ボーッ!

音を立てて、定期船が着く。

外国人観光客もいるらしく、船員が「hurry!hurry!」と急かしていた。


私たちはどんな感じなんだろう、と胸を弾ませていた。


島に着くと、さすがうさぎ島と言われるだけあって、私たちの想像以上の数のうさぎ達が出迎えてくれた。


「わぁ、あっちこっちにいる!」


島に来る人たちはみんな餌をくれると分かっているのだろう。私たちが何もしなくてもうさぎの方から寄ってきた。

その姿がなんとも愛らしかった。


他の観光客も、わーとか可愛いいとか言って早速餌をやっている人がいた。


ふと、違和感を感じた。

この島、観光客以外に住人がいない?

周りを見渡すと、観光客と観光客用のバスが出ているだけで、島に住んでいる人はいないようだった。


観光客用のバスはもう出てしまっていたので、私たちは歩いて島を見渡す事にした。


島の入り口の賑わいとは打って変わって、島の内部は静かだった。

うさぎたちも、そこらへんにいるにはいるが、寄ってくるのは一部のうさぎだけで、ほとんどは私たちに見向きもせず、ひたすら穴を掘ったり、自分たちが掘った穴に入っていた。


地面にはうさぎが掘ったであろう穴がいくつもあり、時々その穴から顔を見せるうさぎもいた。

特に穴が多いエリアは、穴に人間が誤って引っかからないように柵がしてあった。

島から見る海は来る時とは違って透明で、砂浜がありちょっとしたリゾートになりそうな場所があった。

でも何故かそこは立ち入り禁止になっており、砂浜に降りる事は出来なかった。


「こんなに綺麗なのになんでだろうね?」

「きっとうさぎが溺れるからだよ」


私たちはそんなことを言いながら海を眺めていた。

旦那の言うことを聞いて、私もそうに違いないと思っていたのだ。


しばらくすると、防空壕跡と書かれた看板が目に入った。


「これこれ、こういうのが見たかったんだよね」


旦那の話によると、昔この島は大日本帝国時代に毒ガスを製造していたらしく、「地図から消された島」だったらしいのだ。


私はにわかにゾッとした。

うさぎがたくさんいるだけと思っていた島に、そんな歴史があったなんて。


旦那は嬉々として防空壕の写真を撮っていた。


この時から私は嫌な予感がしていた。

そんな歴史があった場所を、興味本位の感覚で来てはいけなかったのではないかと。


こういう時の私の予感は必ず的中する。嫌な予感。

普段から何も考えずに過ごしている旦那と違って私は感情の起伏が激しく、感受性が強かったので、こういう時の直感や霊感は大体当たるのだ。


ふと旦那を見ると、相変わらず嬉々として写真を撮っていた。その旦那の神経がわからなかった。

旦那は割り切っているのだ。

これは「過去のもの」だと。

だから自分たちには関係のないものだと。でも私にはそうはいかなかった。


この時から私の島に対するイメージはガラリと変わり、「うさぎがたくさんいる島」から「地図から消された毒ガス島」になってしまった。


「毒ガス島」というだけあって、島には要塞のような建物や、毒ガスを製造していたと思われる機材がそこかしこに点在していた。


急に無口になった私に旦那が声をかけて来た。


「いや〜、もっと刺激が欲しかったけど、特に何もなかったね」


なんと言う無神経な言い草だろう。旦那はあの要塞のような建物や、毒ガスの製造に使われていた機材を見て何とも思わなかったのだろうか?


「あんたは鈍いね、あれだけ見たら充分怖いよ!」


と言い放ち、私は気分を落ち着かせようと、そこらへんにいるうさぎに餌をやった。


「ここ、入ろうよ!これが目的で来たんだから」


入ろうよ、と旦那が言うその建物を見て私は首を横に振った。その建物の看板には「歴史資料館」と書かれていた。


「嫌だ!私は嫌!入らない!」

「何でだよ、怖くないから、ただの歴史資料館だよ?」

「あなたが一人で入ればいいでしょ!」

「一人だとここに来た意味ないじゃん、記念だと思って入ろうよ」


旦那はいつもこうだ。

一人じゃ何も出来ず、何処にも行けず、興味があるのにいざとなったら尻込みする。

私と一緒に行くことで、わずかにある恐怖を和らげたいのだ。


「行くけど、何があっても知らないよ」


私は渋々といった感じでその建物に入った。

やはり、私の予感は的中した。


「こんな所に来るんじゃなかった」と。


入ってすぐに目を引いたのは、防護服だった。毒ガスを製造していたので当然だろうが、現在の防護服とは全く違い、ただの布に申し訳程度のメガネとガスマスクがついているだけだった。

そのガスマスクも非常にチープで、頑丈とは程遠いものだった。


(こんなもので、毒ガスが防げるのか?)


と思いながら見ていると、は?と目を疑う光景が広がった。


マスク。

ただのマスクだ。

しかも布製のもの。


(え?こんなもので、こんなマスクをつけて働いていたの?これじゃ毒ガスを防ぐどころか、吸いまくりじゃない)


資料はどんどん過酷なものとなり、貧乏な少年兵が洞窟に何かを運んでいる絵が置いてあった。少年兵はマスクも防護服も着用しておらず、大半が被毒した、と書かれてあった。


(そりゃそうでしょ....何やってんの)


歴史資料に話しかけても、答えが返って来るはずもなく、やがて写真が出て来た。

糜爛剤という、毒ガス島で最も製造された毒の被毒者の写真だった。


「うっ」


被毒した人間の肌は赤黒く、糜爛剤というだけあって

爛れていた。こんな、こんなものを使うなんて、人間じゃない、人間じゃない!


私は一刻も早く外に出たかったので、別室で被毒者の写真を見ていた旦那を呼びに行った。

その途中に廊下があったのだが、廊下にも写真があって、

「毒ガスの非人道性」

と書かれたその文字の下に、割と最近撮られたと思われる海外の写真が目に止まった。


「キャアアアアアア!!」


私はあまりの衝撃に悲鳴を発してしまった。

こういう資料館では静かにしなければならないのに、それさえ忘れてしまうほどの衝撃だった。


私の叫びに気付いた旦那が、慌てた様子で私の元へ駆け寄って来た。


「どうしたの!?」

「そこ、その写真、子どもの」


さすがの旦那も気付いたようだ。息を飲む音が聞こえた。


「何だよ...これ....」


そこには毒ガスで死亡したと思われる外国の少年の無残な死体の写真があった。

唇は半開きで、一瞬にして毒に脳を焼かれたであろう、皮膚は青黒く変色し、とてもまともには見ていられない写真だった。


「こ、これが人間のやることなの?同じ人間の、することなの!どうしてこんなことができるの!?」


私は大声でそう叫んだ。

写真のとなりに飾ってある千羽鶴でさえも皮肉に見えて、何もかもが信じられなかった。


「とにかく出よう、ここには来ない方が良かった」


何を今更!

私は旦那をぶん殴ってやりたかったが、そんな体力も気力も残っていなかった。


資料館からの帰り道、抜け殻のようになった私を元気づけるために、旦那が自販機で飲み物を買って来た。


「そこに座ってゆっくり飲もう」


旦那が公園に設置されているベンチへ私を誘導した。

ベンチに座ると、うさぎがものすごい跳躍力で机に登ってきた。


「わっ、こんなところまで乗るの?!」


私は慌てて座っていた椅子を降りた。


「待って待って、今あげるから」


群がるうさぎの大半は、持っている餌袋が目当てだった。


私はうさぎを見て思った。


(このうさぎたちも、毒の犠牲になっていたのかもしれない)

と。


資料館では、うさぎを毒の実験に使ったという記録はあったが、その時のうさぎと今島にいるうさぎは全く別物らしい。


諸説あるが、戦後の1971年に地元の小学校で飼われていた8羽のうさぎが放たれて、今日に至ったと言われている。

大日本帝国時代に実験用に使われていたうさぎは、全羽殺処分されていた。


戦後、この島で作られていた毒も、みんな海に捨て廃棄されたということだ。

ただし、この近辺の海水と土壌は未だに汚れており、島の水は全て船で運ばれているそうだ。


私は行きしなにした、旦那との会話を思い出していた。


「こんなに綺麗なのになんでだろうね?」

「きっとうさぎが溺れるからだよ」


うさぎが溺れるからという、夢みたいなおとぎ話でも何でもなかった。

現実は、未だにこの近辺の海水が汚染されていて、毒が浄化できていないから、海水浴などができないように立ち入り禁止になっていただけなのだ。


「何が、うさぎが溺れないように、だ」


私は呆れながらも少し笑った。このうさぎは外来種で、日本の侵略的外来種ワースト100に指定されている。


何という皮肉だろう。

かつて動物で実験をしていた人間が、その動物に侵略されようとしている。


「戦争は、まだ続いているんだ....このうさぎは何も知らないけど、私たちは知ってしまった。ここにいるうさぎに関わらず、実験に使われていたかわいそうな動物たちを見るたび戦争の恐ろしさを思い出すのだから」


旦那は何も言わなかった。

この島に来るまでは旦那も、そんなに恐ろしいことが行われていたとは考えていなかったのだろう。


帰りの船で、島に別れを告げる時には、来る時の浮かれ気分はもう無くなっていた。


「ちょっと風を浴びてくる」


私は船の外に出て、だんだん小さくなっていく島に想いを馳せた。

行きと帰り道ではまた違う風景がそこにはあった。


この海も、空も、大地も、惨い歴史を粛々と受け入れ、何も語らない。

悲しい悲しい歴史を飲み込んだ海は何も言わず、ただその波音だけが、私たちに問いかける


この地球上の生物で、最も愚かなのは人間じゃないか?と....


私はなぜか元ちとせさんの「語り継ぐこと」を思い出していた。


なみだいくつ零れて

新月の夜 ひとつ海が生まれた

遠く紡いだ言葉

語りべたちの物語の中に


語り継ぐことや伝えてゆくこと

時代のうねりを渡って行く舟

風光る 今日の日の空を

受け継いでそれを

明日に手渡して


小さくなっていく島も、あのうさぎたちも、何も語りはしない。


人間だけが、戦争を起こす


そしてその過ちを、人間だけが語り継ぐことができる....





*この作品はノンフィクションに近いフィクションです。一部変えてあります。海水浴場は本当はあります。

この島は今も憩いの場として実在しています。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 戦争は、まだ続いているんだ… 人間だけが、戦争を起こす そしてその過ちを、人間だけが語り継ぐことができる.... 現実的、前向きな文章なので とても素敵です。 読んでみると、凄くピッ…
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