魔女と使い魔の話
お読みになる前に
この物語はXページ【幻影大地~MirageEarth~】のネタバレを含みますが、本稿自体は短編小説として完結しています。
上記をご理解の上、ご自由にお読みください。
ある小国に属する小さな村があった。
緑豊かな森と草原に囲まれたその村には、ある伝承がある。
それは、南の砂漠から現れる不思議な魔術師の事だ。何年かに一度村に姿を現して、予言をして去っていく。魔術師は土色の薄汚れたローブを羽織る小男の姿で現れ、飛び出さんばかりに見開かれた瞳と、業火で焼かれたが如く醜い焼け爛れた顔で家々を廻る。
朝方に南の方から歩いて訪れると、村を徘徊しては先に起こる凶事を家人に触れ廻る。そして、夕刻が近づく頃に巻き上げる砂の風となって去っていくのだ。人々は、その魔術師を初めこそ気味悪がって追い払ったが、予言が的中すると皆が口を揃えてこう言った。
「あの魔術師は、この村を護る守り神だったのだ」と。
そんな村に生まれ育った少女が居た。幼き日に両親を亡くし、たった一人で古ぼけた藁葺きの家で暮らしている。内気で少し陰の落ちた瞳は大きく見開かれ、夜彼女と出会うものはまるでお化けでも見た様に叫ぶと家に逃げ帰った。しかし、容姿はともかく大人しく器量の良い娘だったため、村の大人達からは大層可愛がられていた。
「あぁ、ルチエナ。今日も森まで行って来たのかい?」
恰幅の良い女性が、森から帰った少女を呼び止める。少女、ルチエナは振り向くと恥ずかしそうに笑った。
「えぇ、今年は木の実も薬草も沢山取れます。後で御裾分けに伺いますね」
女性はハハハと笑うとルチエナにこう言った。
「あら、ありがたいね。そうだ、私の所は旦那が鹿をとって来るんだ。それをお返しに少しばかりあげようかね。アンタんとこも冬に備えなきゃならんだろう」
女性の言葉にルチエナは笑顔を向ける。目の上で切り揃えられた黒い前髪と、背中までストンと伸びた後ろ髪が彼女の動きに合わせて揺れた。
「・・・ありがとうございます」
ルチエナを見送った女性は、優しく微笑むと呟いた。
「本当に良い子だよ。なんで、あんな優しい子が未だに独り身なんだろうねぇ」
その日の夜、ルチエナの家の戸を叩く者があった。彼女は眠たい目を擦りながら、冷える外気に凍えぬよう薄汚れた上着を羽織る。そしてそっと戸を開けた。
「・・・あなたは?」
戸の先には土色のローブを着た小男が立っている。ルチエナは奇妙な来訪者に眉を顰めながら小さな声で用件を問う。
「ルチエナ。今すぐこの村から立ち去るといい」
その男はしゃがれた声でそう言った。ルチエナは意味が解らず、もう一度聞き返す。
「あの・・・ご用件を。夜ももう遅いので・・・村の者が起きてしまいます」
男はローブの下からルチエナを見上げた。ルチエナと代わらぬ背丈だが猫背であり、酷く不恰好な印象を受ける。
「ひっ・・・!」
彼女は思わず小さな悲鳴を上げた。ローブの下から覗いたのは、薄汚れた金色の髪と茶色く変色し皮膚の焼け爛れて溶けた顔、ぎょろりと見開かれた瞳。
「もうすぐ、この村に魔女狩りがやってくる。お前を殺しにやってくる。だから、逃げなくてはならない」
彼女は慌てて戸を閉めようとしたが、男があまりにも恐ろしくて扉まで手が伸ばせない。手を伸ばせばそのまま連れ去られてしまいそうで、ルチエナは後ずさった。
「村の者はアテにはならぬ、お前が助かりたければ、たった一人で森へ走る事だ」
男はそういうとルチエナから背を向けた。そして彼女が戸を閉めようと戸口にそっと近づいた時、吹いてきた一陣の風に砂となって消える。
(・・・! 今の人は、まさか)
彼女は夜の闇に舞い上がっていく砂を見上げて、男の正体を悟った。彼が村の年寄りや大人達が時々話している、砂の魔術師だろう。
その日眠ることが出来なかったルチエナは、いつもより遅い時間に森へと向かった。昼下がりの森は木漏れ日が差し込みとても美しい。しかし、いつもは穏やかになる気持ちもその日ばかりは優れない。彼女は木の実を少しだけ拾うと家路に着いた。
夕暮れに村に帰り着くと、なにやら騒がしい。一体何事だろう、ルチエナは足早に広場へと向かった。広場でざわめく村人達はルチエナの姿を認めると、一様に不安そうな表情を見せて彼女を取り囲む。
「おい、ルチエナ。これを見たか?」
村人の一人が一枚の張り紙を彼女に見せた。それは近くの街に良く張られている城からの御触れである。
彼女はそれを手にとって驚いた。そこには、何の根拠も無い言い掛りの様な文面と共に、魔女の二文字が記されている。
「俺は、何かの間違いだと思うんだ。なぁ、ルチエナ。そうだろう?」
ルチエナは昨晩の男の言葉を思い出して眩暈がした。ふら付く足をなんとか踏ん張って、周囲の大人たちを見渡す。お触れに自分の名前は乗っていないが、要約するとお触れにはこう書いてあった。
『近年の凶事は、近隣に住む恐ろしい魔女の仕業だという事が判明した。
これにより我が国は国と民の安全のため、魔女狩りを行う事とする。
魔女に心当たりのある者は、情報提供されたし。有力な情報には金貨・・・』
彼女は迷った。昨晩の話をするべきかどうか迷ってしまった。それを告げた所で、この貧しい村の人々は私を助けてくれるのだろうか。助けてくれたとして、国のする事に逆らうと大変な目に遭うのは明らかだった。彼女は曖昧な返事をすると、逃げる様にその場を去った。
(本当に、本当に魔女狩りが)
彼女は必死に家の中の物をひっくり返した。あの男の言葉がこんなにも早く現実になろうとは。彼女は手に持てるだけの衣類と食料を袋に詰める。
(私を殺しに?・・・どうして私が?)
ルチエナは小さな身体で、袋を抱えあげる。もう一度、村人達に昨晩の出来事を話そうかと考えたが、やはりやめておく事にした。彼女はそれ以上何も考えずに、夜になるとこっそりと村を逃げ出した。ボロボロのサンダルを履いて夜の小道を走りぬける。
(ええと、何処に行けばいいの?)
村の明かりが小さくなった所で、ルチエナは立ち止まった。夜の闇は深く恐ろしい。一人ぼっちの少女を静かに重々しく包み込んだ。彼女は明かりを持ってこなかった事を後悔したが、今更取りには戻れない。暗闇の中を目を凝らして一歩一歩進んだ。
(・・・森? 森が見える)
やがて歩きつかれた彼女の目の前に鬱蒼とした森が見えた。そこで彼女は、男が森を目指すように言った事を思い出す。ルチエナはくじけそうな心と体に鞭を打って乾いた土を踏みしめる。荷物の重さと疲れでふらふらになりながら、森の入り口を目指した。
「良く来た、ルチエナ」
森の入り口に、昨晩出会ったばかりの男が待っていた。彼女が森に足を踏み入れたとき、叢から姿を現すとギザギザの鋭い歯を見せて笑う。
「・・・・」
ルチエナは疲労で何も答える気にもなれない。男は布を引き摺って彼女の目の前に立つと背を向けてから彼女のほうを見る。
「あと一息だ。付いて来い」
男の後を追おうとして、ルチエナは膝を着いた。もうこれ以上歩けない。荷物袋が湿った土の上に音を立てて転がる。彼女は大粒の汗を流して息を整えた。
「・・・重いか?」
まだ息を整えているルチエナを覗き込むようにして男は背を屈めた。そして傍らに転がった荷物袋に手を伸ばすと、それを片手で彼女の前に掲げる。彼女は何も答えずに男を見上げた。男は荷物を肩に背負って立ち上がると、彼女の呼吸が整うまで木に凭れて待っている。ルチエナは乱れた呼吸を正すと立ち上がった。
「・・・何故、私なんですか」
ルチエナは目の前の男に問う。男は凭れていた体を起こすと、再び背を向けて歩き出す。歩きながらルチエナの言葉に答えた。
「理由など無い。だから連中は理由を作りたいのさ」
(理由・・・?)
男の言葉にルチエナは怪訝な顔をする。男は歩き続けるので彼女はそれに遅れない様、闇の中に歩を進めた。
「例えば、街で謂れの無い争いが起こる。日照りが続き、昨年より作物の育ちが悪い」
男は一度も振り向かず足も止めず歩きながら語り続ける。
「それは誰のせいでもない。しかし、皆が頭を抱える深刻な問題だ」
やがて川の水の音が聞こえる所で男は足を止めると、ルチエナにその先を顎で示した。暗闇の中に綺麗なログハウスが立っている。
「だから、こんな酷い事が起こるのは、国を虐げる悪者が居るからだ。という事だろう?」
ルチエナが何も言えないで居ると、男は荷物を抱えたままログハウスの階段を登っていく。彼女はその後に黙って続いた。
「単純で馬鹿馬鹿しいお偉方の考えだが、その被害者がたまたまお前になった」
男は鍵を取り出して扉の鍵を外す。そして手にした鍵をルチエナの方に投げてよこした。彼女が取り落としてデッキに落ちた鍵を探していると、男は扉の上に提げられていた電球を回して明かりを灯してくれる。彼女が鍵を拾い上げたのを確認して、扉口から身を引くとルチエナに中に入るように促した。
「あの、ここは?」
小さくも綺麗なログハウスの内装に部屋の明かりをつけたルチエナは感嘆の声を上げる。そして後ろから入ってきた男を振り向いた。
「やれやれ、俗世の好むものというものはサッパリ解らない。まぁ、雨風を凌げる程度には作っておいた」
(いえ・・・十分すぎますけど)
ルチエナは近くにあったキッチンの戸棚を開けて、埃一つ無い家具の真新しい木の匂いを小さく吸い込んだ。爪先立ちしていた足を柔らかなマットの上に下ろすと、彼女は荷物袋を扉脇に置いた男をもう一度見た。男と目が合うと、彼は告げる。
「そうだ、ルチエナ。名前を少しだけ変えておくといい。術士にとって名前は大切だ。お前が目覚める前にそうするべきだ」
(術士?名前・・・目覚める?)
ルチエナは男の言葉を疑問に思い、問いかける。
「あの、それは一体どういう」
男はルチエナに背を向けると彼女を見た。そして土色のローブで口元を隠すように覆うと言葉を続ける。
「それが、お前が狙われる理由となる。だが、お前は生きなくてはならない。・・・ルチェーナ」
(ルチェーナ・・・それが、私の?)
「それでは失礼する。くれぐれも森から出ないよう、お願いしておこう」
「あ、あの。その・・・魔術師様・・・?」
ルチエナは戸口から出て行こうとする男を呼び止めた。男はルチエナを見る。
「あの、まだ良く解りませんが・・・これで、良かったのでしょうか?」
男は鋭いギザギザの歯を見せてフフフと笑うと、さぁなと答えた後驚く少女にこう続ける。
「後にソフィアという男が現れ、お前の罪を全て背負ってくれるだろう。お前が生きれば、現状はいずれ変わる」
後は何も答えないと言う様に男は戸口から外に出ると、昨晩と同じ様に砂となり、風に乗って夜の闇の中へ消えていった。ルチエナは、温かくも冷たい森の中で一人暮らす事を余儀なくされた。
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その国が魔女狩りをはじめて半年ほどたった頃、一人の旅人が西の方角からやってきた。旅人はボロボロの外套と靴で舗装されていない草と石だらけの足場の悪い小道を歩いてその村を訪れる。
「やぁ、お兄さん。この近辺は今、魔女が潜んでいて危ないよ。早々に立ち去ったほうが良い」
その旅人は金色の髪に茶色の大きな瞳を揺らすと、声を掛けてきた兵士を見上げた。しかし兵士は旅人の奇妙な姿にぎょっとする。旅人は右目に大きな片眼鏡を付けている。アクセサリだろうか、モノクルには丸く綺麗な水晶玉が付いており、日の光に反射した。
「へぇ、魔女ねぇ。そりゃあ、困った話だ」
旅人は外套を少し弄ると、かけていた井戸の縁から腰を上げて兵士に向き直った。兵士は相手が思った以上に柔らかく返してきたのでホッとする。そして、随分古いお触れの紙を旅人に誇らしげに掲げるとこう言った。
「そうだろう?実はこの近辺に潜んでいる事までは解ったんだが、巧妙に姿を隠していてね」
旅人はお触れを受け取ってまじまじと眺めていたが、やがて兵士の様子を伺うように言葉を切り出した。
「ほお~、こんなに報酬が出るのかい?丁度お金に困っていた所なんだ」
兵士は旅人が乗り気なのに気が付いて、気を良くして更に続ける。旅人は照り付ける日差しの下で俯いて額を拭うと、兵士の話を聞く。
「だったら、お前も探してみるといい。有益な情報でもくれれば、この通りの額が貰えるぞ」
兵士と共に旅人はハハハと笑い、旅人はそれは良いね、やってみようと言って古びた民家が立ち並ぶ道へ足を伸ばして去って行った。
(なにが、やってみよう。だ?俺たちが血眼になって探しても、まだ見付けていないのに)
旅人を見送った兵士は、面白く無さそうな顔をすると再び村の監視を続けるべく重い鎧の音を響かせてその場所を去った。
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旅人は一つの民家を訪れると、戸を叩いた。中から慌しい音が聞こえて、再び静かになる。家の中に誰かが居るのは間違いなかった。
「あの~、旅の者です。怪しいものじゃありません。少しこの村で休ませて頂きたいのです」
しばらくして、ガタガタと音を立てて戸が少しだけ開いた。
「く・・・国の者じゃないだろうな?」
戸の隙間から、脂汗を垂らした中年の男の顔が覗く。旅人は不思議そうな顔をしたが、すぐに笑顔になるとはいと答えた。ゆっくりと戸が開けられ、男は旅人を中に急いで招き入れると、直ぐに戸をぴしゃりとしめて鍵をかける。奥には奥さんらしき女性と小さな子供がいた。
「あぁ、大丈夫そうだ。兵士じゃあなかったよ」
男の言葉に、家族はホッとした様子で旅人を迎え入れた。旅人は会釈をすると靴を脱いで薄汚れた板の間へ上がる。
「一体、この村は如何したんです?兵士といえば先程会いましたが」
旅人は何かに怯えるような村人達の態度を不思議に思ってそう聞いた。村人は初め口を結んで黙っていたが、やがて女性の方が痺れを切らした様に話し出す。
「旅人さん、この村に魔女なんかいやしませんよ。あの兵士達は」
「おい、お前!・・・すみませんねぇ、旅人さん。こいつぁちょっと」
制止する旦那を押しのけるようにして女性は身を乗り出した。薄暗い家の中でも、彼女の表情が切羽詰ってるのが解る。旅人はそんな女性の様子を見ながら、差し出された冷たいお茶を喉に流し込む。
「あの子はねぇ、優しい子なんですよ。本当に、魔女なんて何かの間違いなんですよ」
「こら、他の者に知れたらどうなるんだ!あぁ、旅人さん。この事はどうか誰にも言わないでくだせぇ」
旅人は少し考える素振りを見せるとにっこりと笑った。首を傾けると、それと一緒にモノクルに付いている宝石が揺れる。
「解りました。此処での話は聞かなかった事にします。それで、その子は何処にいるか解りますか?」
その言葉に女性はしまったと言う顔をして表情を強張らせた。旅人は体を動かして少し体勢を変えると、腕を床につけて体を斜めにする。重苦しい空気の中で、女性はいいえと答える。旅人はその様子を眺めていたが、ゆっくりと腰を上げた。
「そうですか、それじゃあ少し近辺を探してみます。奥さん、安心してください」
旅人の言葉に女性は立ち上がった若者の姿を眺める。窓の隙間から差し込む光がその姿をやけに美しく見せた。
「もし、会えたら・・・貴女が心配していましたよ、と伝えますね」
旅人はそういうと、丁寧にお辞儀をして兵士に見付からぬよう辺りを十分見渡してから、その家を立ち去った。
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日が完全に暮れた頃、その旅人は森の中を歩いていた。彼は食事も休憩もとらず、足場の悪い森の中を彷徨っている。
(やれやれ、参ったな)
やはり当ても無く魔女を探すのは無理があったかと、旅人は森の奥を見据える。すると、ほんの僅かだが暗闇の中に明かりが揺れているのが視界に映った。彼は森の中に浮かぶ人魂のような明かりにそっと近づき、やがて、その明かりが小さな炎だと視認出来る。それと同時に旅人は声を上げた。
「あっ」
炎は少女の掌の上で揺らめいている。長い黒髪の少女で丁度旅人から見て横を向いていたが、彼の声が声を上げると、少女は明かりと共に忽然と夜の闇に溶けてしまった。旅人は目をパチパチと動かして、モノクルの付いてない方の目を擦ってみたが、深い闇の中でその姿をもう一度見つけることは出来なかった。
(・・・いまのが、魔女?)
旅人はその場所を中心に周囲をくまなく探したが、誰かが居たという痕跡を暗闇の中で見つけることは困難だった。彼は今更になってランタンの燃料を使い切ってしまった事を後悔する。彼にとって明かりはあまり必要が無いものだが、こうして細かい作業をする時にはやはり明かりというものは大切だとしみじみ思う。仕方無く捜索を断念すると、旅人は森の獣を避ける為に高い木によじ登る。太い木の枝に落ちないように気をつけて体を伸ばすと、一晩をそこで明かした。
次の日、旅人は木の上から飛び降りる。改めて日の光の下で周囲を見渡したが、昨日不用意に歩き回ったせいで土の上には自分の足跡しか残っていなかった。がっくりと肩を落としてその場所を抜けると、朝露の残る叢を掻き分けて奥へと進む。やがて水の流れる音が聞こえてきて、急に旅人の目の前の視界が開けた。
(うわぁ、綺麗な所だな)
旅人はその木漏れ日が差し込む美しい風景に足を止めた。そして小川の近くに座り込むと、冷たい水に両手を浸す。そして、その場所に仰向けに倒れると柔らかな日差しの下で瞳を閉じた。
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ルチェーナは、いつもの様に木の実と野草を籠一杯に抱えて家路を急いでいた。昨日は少し遠くまで歩いたせいで人に姿を見られてしまい、心に不安が渦巻いている。相手の顔を確認する余裕も無く反射的に逃げ出してしまったので、あれは誰だったのだろう、大丈夫なのだろうかと考えて一睡も出来なかった。眠気で頭がクラクラする。
眠気と戦いながら、ルチェーナは家の近くの小川を通りかかった。
(誰か居る・・・)
彼女はそこで、金髪の青年と出会う。青年は地面に倒れこんで瞳を閉じている。初めは寝ているのかと思ったが、よくよく様子を見ると意識を失っているようだった。
(えっ!ど、どうしよう!行き倒れちゃったのかな?)
ルチェーナは昨日の事もあり、如何しようか迷ったが家が近いこともあり結局その行き倒れをベッドまで運ぶ事にした。
(お・・・重いぃ・・・)
ルチェーナは元々力が無い上、寝不足だ。その上自分より大きい青年を運ぶのはとても苦労する。なにより、青年はその細い見掛けに反してとても重かった。フラフラしながら階段の前まで引き摺るように連れて来ると、柔らかな草の上に膝を突いて座り込む。そのとき、自分に覆い被さる青年の体がぴくりと動いた。
(え・・・あっ!)
背中に掛かっていた重圧が軽くなり、ルチェ-ナは反射的に振り向いて悲鳴を上げる。
「きゃあっ!」
彼女は慌てて青年から離れると、家の中へ駆け込んだ。急に支えを失ったせいで、青年は階段の縁に激しく頭をぶつけてしまう。彼女は閉めかけた戸からそれを見てしまい、思わず目を瞑った。しかし、相手は何事も無かった様に顔を上げ、ルチェーナを見上げると柔らかく笑う。
「やぁ、ごめんごめん。俺はソフィアって言うんだ」
青年は自分の名を名乗ると立ち上がって、様子を伺うようにルチェーナを階段の下から見上げると言葉を続けた。
「あ~、そうだ。君、この辺に住んでるんだよね。ちょっと聞きたいんだけど、この辺で魔女・・・なんて見たことない?」
(ああ、しまった!この人は私を捜しに来たんだ!)
ルチェーナは真っ青になって扉を激しく閉めると鍵をかけた。旅人、ソフィアはその様子に驚いて階段を駆け上がるとデッキに上り、扉を叩く。
「あぁ、違うんだよ!あのさ、別に魔女を捕まえに来たんじゃなくて、話があるんだ!本当だよっ!?」
扉は開かない。ソフィアは扉を叩くのをやめて俯くと右手を扉に置く。そして静かに言葉を続けた。
「えっと、君がもし魔女を・・・あぁ、いや。彼女を知っているなら、心配してる人が居るって伝えて欲しいんだ」
ソフィアは金色の頭を掻いて、ごめんと呟くとその場を去ろうとした。そんな彼の後ろで鍵の開く音が聞こえる。
「・・・どうぞ」
声に振り向いて、ソフィアは息を呑む。パッと見たら少女の顔は陰鬱でとても不気味に見えたのだ。見開かれたきょろりとした目で此方を見上げている。しばらく硬直していると黒髪の陰鬱な少女はこう言った。
「ソフィア・・・と言いましたよね?私、ルチェーナって言います。あの、私も貴方にお話があります」
「え・・・?あぁ、そうなの?」
引き攣った笑みを浮かべてソフィアは言われるがまま、ルチェーナの誘う家の中へ足を踏み入れた。
ソフィアを近くのテーブルに座らせると、ルチェーナは冷たいお茶を差し出した。ソフィアはそれに口をつけながら彼女の言葉を待つ。彼女はキッチンで何かを煮込んでいたらしく、小さな鍋の火を止めると上の戸棚から木の器を取り出した。そして作業を続けながら語りだす。
「あの、ソフィアさんはシャハラ・ツグナという術士をご存知ですか?」
聞いた事の無い言葉にソフィアは首をかしげていいやと答えた。ルチェーナはその砂の魔術師の事を簡単に説明すると、鍋の中のスープを器によそう。
「その人が私を此処に逃がしてくれたのです。なので、私は村に戻る事は出来ません」
ソフィアは差し出されたスープに、うまそうと感嘆の声を上げる。スプーンを片手に熱々の肉と野菜を口の中へ放り込んだ。しばらく口をもぐもぐ動かしていたが、喉を鳴らすと脇に立って此方の様子を伺うルチェーナを見上げる。
「え?君が噂の魔女なの?」
(こ、この人・・・変!?)
ルチェーナは涙が出てきた。こんな人っているのだろうか、人が悩み続けている事を何事も無い様にケロリとして対応する。彼女の体が小刻みに震えてるのを見てソフィアは慌てふためいた。
「あぁ~、だからさ!俺はそんな君に危害を与える気は最初から無いし、用が済んだら帰るつもりだったんだ」
その時だ。扉を激しく叩く音が聞こえた。それと共に激しい怒鳴り声が外から響いてくる。
「おい、此処を開けろ!我々は国の兵士だ!速やかに従わぬ場合は」
兵士の声にルチェーナは震え上がり後ずさり、ソフィアは席を立つと顔を歪ませて扉を見据えた。
「はぁ~、五月蝿いなぁ。ちょっと待ってて」
ソフィアはルチェーナにだけ聞こえるように小さな声でそういうと、奥の部屋へ隠れるように促した。それから木で出来た扉をゆっくりと開ける。扉の前には数人の兵士がいて一様に険しい顔をしていた。ソフィアが頭を掻いて何か用ですかと尋ねると、先頭にいた兵士がガシャンと鎧の音を立てて胸を張る。
それから、例のお触れを突きつけると、中に入れるよう威圧的な口調でソフィアに迫った。
「あぁ~、魔女ねェ。まぁどうぞ、好きに中を調べてくださいよ」
ソフィアはニヤリと笑った。モノクルの奥の瞳が怪しく光り、揺れた水晶のアクセサリーが不気味な光を帯びている。兵士がすんなり通したソフィアを睨み付けながら家の中に土足で入り込む。最後の兵士が中に入ったとき、周囲の空気がぐにゃりと歪んだ。ソフィアは後ろ手で扉を閉めて退路を防ぐとニヤけた顔のまま驚いて騒ぎ出す兵士にこう告げる。
「魔女なんか居ねぇよ、何考えてるんだ。バァカ、頭冷やせ」
次の瞬間、兵士達は悲鳴と共に歪む空気の中に溶け込んで姿を消した。しんとなった部屋の中で、ソフィアは奥に居る少女に向かって声を掛ける。
「お~い、もう良いよ。あいつら、帰ってもらったから」
おどおどと扉の向こうから姿を現したルチェーナは、周囲を見渡して不安そうにソフィアに問う。
「あ、こ、殺しちゃったの・・・?」
ソフィアは、ルチェーナが自分の行動を見ていた事を理解して大きな声で笑うといいやと答えた。
「記憶を吹っ飛ばして遠くに送ってやったのさ。まぁ、ここには誰にも来なかったって事だよ」
「あ・・・貴方もま・・・魔法使いなの?」
ルチェーナの言葉にソフィアは少しだけ苦笑すると、まぁそんな所かなと告げる。そして、自分の手を掲げて見せた。
じりじりと電子音が響くと、彼の肉体は様々な色を持つ光に分解してその中身を露にした。そこには肉も骨も無く、ただ幾重にも巻きついた大小様々な木の蔓が人の手の様に形を成している。その蔓は一度バラリと形を崩して、また元に戻ると光をその周囲に纏わせた。それが人の肌になり、その上に衣類の袖が構築される。ソフィアはそうして元通りになった手をルチェーナの目の前で振って見せると笑った。
「便利だぜ?食事も睡眠もいらないし、疲れない。怪我も病気も心配なしさ」
(人間じゃ・・・ない?人の体・・・じゃ、ない!?)
ルチェーナはその異様な光景に震え上がったが、それで先程の奇妙な行動がようやく納得できた。
彼はいわゆる御伽噺でよく聞くゴーレムの様な存在なのだ。だから見かけ以上に質量があり重たく、階段に頭をぶつけても苦しむ事無く立ち上がるし、血を一滴も流さない。しかし、それでは何故お茶を飲み、食事を口にしたのか。それに小川の前では結局倒れていたわけだし、全くの無敵と言うわけでは無さそうだ。そして何より、彼には心があり言葉を喋るのだ。ルチェーナはその僅かでも人に近い部分を見つけて、自分自身を安心させる。
(ああ、それでもこの人は悪い人じゃないみたい)
彼女が少し笑ったのを見て、ソフィアは不思議そうな顔をする。そして、怖がらないんだねと笑うと少し冷めてしまったスープを眺めた。
「もし、君さえ良ければ、しばらく此処に居たいんだ。まぁ、なんていうかエネルギーを補充しなきゃいけないんでね」
(ああ、やっぱり。お腹が空いて動けなくなるのと変わらないのね)
「あ、勿論。これからも君の事はちゃんと護るし、仕事だって手伝うよ。兎だって、魚だって取ってきてやるからさ」
ソフィアはクスクス笑うルチェーナの様子に戸惑いながら、言葉を続ける。そして申し訳無さそうに黙り込んだ。
「ええ、構わないわ。宜しくね、ソフィアさん」
ルチェーナの言葉にソフィアはパァと表情を明るくさせるとガッツポーズをして喜んだ。それから急いでテーブルに座ると残りのスープを平らげる。
「あぁ、そうそう。ルチェーナ、俺の事はソフィアで構わないよ」
彼はそう言って笑うとかちゃんと音を立てて皿の上にスプーンを投げた。
「俺は此処に来る前は奴隷兵士だったんだ、仲間は皆ソフィアって呼んでたしさ。ま、だからお堅い兵士は嫌いなんだ」
「そう・・・なの?じゃあ、ソフィア。私の名前はルチエナと言います。此方が本当の名前ですので、宜しくお願いします」
彼女の言葉にソフィアはキョトンとすると、あぁ、そうなの?なんで?と聞いてきたので、ルチェーナは昔魔術師に言われた事を簡単に説明した。ソフィアは首を傾げていたが、まぁなんとなく名前を変える必要があったんだと納得すると笑顔を見せて解ったよと頷く。
それからソフィアという旅人は、ルチェーナと共に森の中の生活を始めた。
彼はとてもよく働いて、朝早く木を切りに行くと薪を作り、昼には兎や野鳥を捕まえてくる。それだけでルチェーナの暮らしは随分楽になった。彼の話は飛躍しているがとても面白く、ある時は街娘、またある時は貴族だったと自分の過去をまるで絵本の物語の様に大仰に語る。
「だから、この体を維持するのには他の生き物の体を使う事が手っ取り早いんだ」
彼は自分の能力を十分熟知していて、対処法も心得ていた。血の通わない体でありながら、その姿は人間そのもの。ルチェーナすら、その事を忘れて寒い日はコートを出したり、マフラーを編んだりした。彼はそれでも彼女の行為を拒む事無く受け入れると渡されたものを着込んで仕事へ向かう。何時だったか聞いた時には、人間の振りをしてないと何かと困るだろうからと笑顔で答えた。
「それで、君の魔女としての力は目覚めたのかい?」
時折ルチェーナは砂の魔術師の話をする。ソフィアが気になって問うと、彼女は両手を合わせて小さな灯火をその手に出して見せた。ソフィアが少しワクワクしながら様子を見守っていると、ほんの僅かな時間でその灯火は煙になって消え去ってしまう。沈黙の後、ソフィアは呆れた声を上げた。
「え!?それだけ?」
「・・・はい」
ルチェーナが小さく頷くと、ソフィアはう~んと腕組みをして何かを考え込んだ。そして、身を乗り出すと彼女にこう告げる。
「その、砂の魔術師って奴に会ってみたいんだけど」
ソフィアの言葉にルチェーナは少し驚いた表情を見せる。もごもごと何かを言いよどんでいる様だったが、やがて部屋の奥から古ぼけた地図を持ってきた。
「シャハラ様は何年かに一度しかこの近辺を訪れません。しかし彼が去るときには必ず、この南の砂漠へと向かうのです」
ルチェーナは地図に被さった自分の長い髪を耳の後ろへ掻き上げると言葉を続ける。
「この間来られたばかりですから、あと二、三年は姿を見せないと思います。会いに行くのなら砂漠に向かわねばなりません」
ソフィアはふぅんと地図を覗き込んで方角を確認していたが、ルチェーナの向ける悲しそうな視線に気付いて顔を上げた。
「なに?」
ソフィアが不思議そうな顔で問うと、彼女は慌てて表情を繕って見せる。そしてキッチンへと走って行き、いそいそと夕食の準備を始めた。
(なんだ、今の顔・・・? 俺、何か変な事言ったかな)
ルチェーナは作業を続けながら、ぽつりぽつりと呟くようにソフィアに語りかける。
「向かうのなら、明日の朝にでも出られると良いでしょう。ここから砂漠まで、結構な距離がありますから」
彼女の後姿を眺めながらソフィアはその言葉を黙って聞き、頃合いを見計らって口を開いた。
「そう?じゃあ、明日にでも向かう事にするよ、色々ありがとう」
ソフィアの言葉にルチェーナの手がぴたりと止まった。ソフィアはその様子が気になって彼女に声を掛ける。
「一体どうしたのさ、様子が変だよ?」
ルチェーナは体を小さく震わせていたが、やがてそれをなんとか抑えるとソフィアの方を少しだけ見て笑った。
「いえ、寂しくなるなと思って・・・」
ソフィアはその言葉に拍子抜けした様な顔になると、ふっと息を噴出した。そしていつもの様ににこやかに笑って乗り出した体を元に戻す。
「なぁんだ、そんな事か。解った、なるだけ早く帰る様にするよ」
ルチェーナはその言葉に寂しそうに笑うだけで何も言わない。黙って出来た料理をテーブルに運ぶとソフィアの向かい側に座った。
「あぁ、俺がそのまま居なくなっちゃうと思ったんだ?急ぐ旅じゃないし、もう少し此処に居るつもりだから」
ソフィアは本心を悟られないようにそうルチェーナに告げた。彼としてはそのまま次の街へ向かうつもりだったが、彼女の悲しそうな顔にそれを躊躇ってしまう。たった数ヶ月だが、ルチェーナは見ず知らずの自分に本当に良くしてくれた。それを考えるともう少し此処に残って恩返しがしたい気持ちも確かにある。
(もし、砂の魔術師とやらが見付からなければ、また戻ってくればいい)
ソフィアはどちらにしろ、一度は彼女の下に帰って別れを告げなければと思い直すと夕食を口にする。そっと彼女の様子を伺うと、ルチェーナは静かにお茶を飲んでいる所だった。先程のような陰りももう見られない。少しは安心したのかなとソフィアもホッとする。いつもより静かで長い夕食が済むと、彼等は早めに眠りに付いた。
翌日、大きな荷物袋を抱えてソフィアはルチェーナを振り返った。
「じゃあ、行ってくるよ」
彼女はいつもと変わらぬ様子で彼を外のデッキまで見送ってくれる。彼は軽く手を振って別れを告げると、あとは真っ直ぐに南の砂漠を目指して歩いていった。
黙々と歩き続けて太陽と月が二度ほど入れ替わった頃、ソフィアはその砂漠の真ん中を歩いていた。真上から照り付ける太陽のせいで砂も焼けるように熱かったが、それより着込んだ外套もボロボロの靴も砂に埋もれ、とても歩きづらい事がソフィアの頭を悩ませる。
(はぁ・・・遠いな)
揺らぐ熱気に目を凝らして前を見つめる。本当にこんな所に砂の魔術師という者が存在するのだろうか。存在さえ怪しく思えて、ソフィアは頭を振った。それでも一歩一歩歩く。重い靴を砂の中から抜き、前に進む。砂に埋もれた外套を叩いて軽くするともう一歩進む。ゆっくり確実に前に向かって進んでいった。
(・・・ああ、塔が見える)
太陽と月がもう二度程入れ替わったとき、砂漠の一角に古ぼけた塔が姿を見せた。ソフィアはそれが幻ではない事が解ると、急いで塔へと向かう。塔は砂と同じ色で造られ、壁が所々朽ち果てている。彼は一度外からその高さを見上げたあと、ひとつ深呼吸をして熱を持つ扉に触れた。
扉の軋む音を聞きながらソフィアは中を覗き込んだ。明かりも何も無い、ただ土で固められた壁と石段の空間がそこにある。外気を遮断した塔の中は少しひんやりしているが、彼はそれを気にも留めず壁に連なる螺旋状の石段を上へ上へと登っていった。それをしばらく繰り返すと最上階は広い廊下に繋がっており、奥には大きな両開きの扉が一つだけある。ソフィアは扉をゆっくりと押し開けると奥へと進む。
「・・・!」
扉を開けた直ぐ先は広々とした円形のホールになっており、床には一面巨大な魔法陣が刻まれている。魔法陣の周囲には蝋燭が立ち並び、ガラスのない窓から吹き込む砂の混じった風に小さな炎を揺らしていた。そして、その中央にはソフィアに背を向ける形で小柄な男が立っていた。男は振り向かず、訪れた旅人に真実を告げるべく最初の言葉を吐き出す。
「ソフィア、来たのか」
ソフィアは相手が自分の名を知っている事に少し驚いたが、表情を崩さないよう努めて冷静に言葉を返した。
「アンタが砂の魔術師って言われるシャハラ・ツグナかい?俺はアンタを知らない。何故俺のことを知っている?」
そこで目の前の男はソフィアの方に振り返ると、醜い顔と鋭い歯を見せて笑ってみせる。
「あぁ、お前とは長い付き合いだ。どの世界、どの時代に行っても、私とお前は同次元に存在する」
男の少し小難しい言い方にソフィアは首を傾けて質問を続ける。
「良く解らないな、俺はこのモノクルとは常に一緒だがアンタは見たことが無い」
「あぁ、私も初めは気が付かなかったさ。だが、ある時気が付いた」
男、シャハラ・ツグナと呼ばれていた彼は、ソフィアのモノクルを指差してクククと笑う。その指は肉付きが悪く、骨と皮だけで尖った爪が印象的だ。
「そのモノクルとソフィアという名の者は、ある時は男、または女として私が生きる時間に生きている」
例え、生涯出会わなかったとしてもだ、と最後に付け加えるとぎょろりと見開いた目でソフィアの様子を伺うように見上げる。ソフィアは不気味な魔術師を相手に苦笑すると、頭を掻きながら言葉を返した。
「あぁ、解ったよ。百歩譲ってアンタが、前世で縁があるというソウルメイト的な存在だとしよう。だが、このモノクルは道具だぜ?魂も何も無いのにどうして俺に付きまとう?」
「さぁな。そればかりは私にも解らない」
シャハラはクククと笑って首を振ると、それはお前の宿命だろうなとだけ答える。そして、彼の吐き出す次の言葉は衝撃的なものだった。
「しかし、お前が此処に来るとは意外だった。ルチェーナは自らの死を選んだのか」
「・・・? 何だって?」
ソフィアはシャハラの言った事を聞き間違いかと思ってもう一度聞き返した。彼はクククと笑うと言葉を続ける。
「私が彼女に告げた。『後にソフィアという男が現れ、お前の罪を全て背負ってくれる』と」
「なっ・・・!?」
驚くソフィアを見てシャハラはもう一度笑う。そして彼の横を歩いて扉の側に立つと、首だけで振り向いた。
「お前が此処に来た以上、彼女は助からん」
「一体どういうことだ!?」
ソフィアはシャハラの背中掴みかからんばかりの形相と動きで距離を詰める。
「それが今日・・・お前があの場所に居れば、身代わりになるはずだった」
ソフィアは最後まで聞かず、シャハラを押しのけると走り抜けていった。扉の前で彼の体はいくつもの細い蔦になり、瞬く間に空中で離散すると空気中に吸い込まれる様に消えていく。シャハラはそんな人でないものを、変わらぬ不気味な笑みで見送った。
ソフィアは、ルチェーナのログハウスまでやってきた。空気中から突如出現した無数の蔓が集合し、人の形をとる。それからジリジリと電子的な映像が周囲に集結すると、それはあっという間にソフィアの姿を草の上に作り上げた。
「ルチェーナ!!」
家の戸は壊され、中は滅茶苦茶だった。何度か殴られたのだろうか、床に血のあとが残っている。彼は顔を顰めると外に飛び出して空を見た。村の方から黒い煙が立ち上っている。ソフィアはなりふり構わず先刻同様、体を構築していた物を分解するとその場所へ向かった。
村の中は真っ赤に染まり、黒い煙が広場の中央から立ち上っている。彼は広場に姿を現すと、そこで最悪の光景を見た。高く積まれた薪と藁の中央には柱が一本立っている。それは轟々と炎に包まれており、括り付けられた少女を真っ黒に染めていた。その周囲には幾人かの兵士が歓声を上げている。半年かけて追ってきた魔女がようやく退治されたのだと、彼等は実に誇らしげで楽しそうに笑っていた。
(ルチェーナ・・・)
ソフィアはその燃え上がる炎に一歩一歩ゆっくりと近づいた。兵士の一人がそんな彼に気が付くと、声を掛けてくる。
「おお、英雄のソフィア殿じゃないか。なんでも、君が魔女の居場所を突き止めてくれたんだってな」
村の噂というものは恐ろしい。彼がこの村を訪れて、魔女が見つかった事からソフィアは魔女と戦った英雄扱いになっていた。村の年寄りや子供達がソフィアに口々に感謝の言葉を述べるが、彼には届いていなかった。彼の目はただ一点を見つめている。
(ルチェーナ・・・ごめん)
俺は二度も助けられた。彼女は泣いたのではないだろうか?泣いて訴えたのではないだろうか、私は魔女ではないと。隅のほうでガタガタと肩を寄せ合って震える夫婦の姿が見えた。ソフィアが休ませて貰ったあの家の家人だ。女性は兵士に殴られたのか、顔が腫上がっている。
(おじさん、おばさん・・・彼女を護れなかった)
炎に、いや魔女に近づくソフィアの行動に気が付いた兵士が彼の肩を掴んだ。次の瞬間、兵士の腕は弾け飛んで広場の石畳の上に落ちる。ソフィアの腕が鋭い刃物に化していた。肘から先が密集した蔓に戻り、指先まで出刃包丁の様な巨大な一枚刃に変わっている。周囲にいた人々はその異様な光景に驚き、震え上がった。兵士だけが、その不気味なよそ者に槍や剣を構えて雄叫びと共に立ち向かってくる。
ソフィアはその場で立ち向かってきた兵士を容赦なく切り刻んだ。そして元の腕に戻すと、炎の中に腕を突っ込み焼け焦げた彼女の死体を解放する。それを抱きかかえると、彼は村人達から奇異な物をみる視線を浴びながら怒りを押し殺した表情で静かに歩く。人々が見守る中、広場の入り口付近に来たソフィアの体は幾重もの蔓と化し、魔女の死体と共に何処かへ消え去った。
「おお、なんということ。ソフィア殿はすでに魔女に囚われておったのじゃ」
誰ともなしにそう言い合うと、村人達は災厄から逃れる様に家の中へひとり、またひとりと逃げ帰っていった。
ソフィアが次に現れた場所は砂漠の塔だった。彼は黒々とした塊を両手に抱えながら階段を上ると、突き当りの扉を開ける。
「何故此処にきた?」
砂の魔術師は、先程会ったときと同じ場所に同じ様に立っていた。振り向きもせずに、魔法陣に砂を撒いている。ソフィアは、周囲の様子が先程と少し違う事を不思議に思った。先程のような元気はすっかりなくなってしまったが彼は質問する。
「何をしているんだ?」
周囲には蝋燭が幾つも立てられ、赤々と燃えている。ソフィアはその炎を顔を顰めて眺めていたが、やがてシャハラは首だけをこちらに向けた。
「あと数日もすれば黒煙と共に疫病がこの国に蔓延し、この国は滅ぶ。だから、お前も早々に此処を立ち去るといい」
ソフィアは何も言わず険しい表情でずっと何かを考えているようだった。シャハラはそんな彼の様子を知りながら、表情を変えず続ける。
「ルチェーナ、お前が生きていれば救えた命だった」
シャハラは物言わぬ少女に語りかけた。ソフィアは俯いてその死体を強く抱きしめる。そして、前を向いた。
「彼女を・・・助けたい!助ける方法はないのか!?シャハラ・・・!」
シャハラは今まで笑っていた顔を無表情にするとしばしの間をおいてこう告げる。
「その『力』を使えば、出来なくも無いだろうがお前も危険に晒される」
「・・・?」
「今まで私が見てきた限り、そのモノクルのエネルギーは生き物の生命力だ。それをルチェーナに流せば不可能ではない」
ソフィアはその意味を直ぐに理解した。自分が自分としての体を構築しているエネルギーを、彼女に分け与えるのだ。そうなると、当然自分自身に廻すエネルギーは減っていき、場合によっては自分は消滅してしまうかも知れない。
(だから、なんだ!ルチエナ、君は俺を生かしてくれた。今度は俺が君を生かす番だ!)
「やるなら急いだほうが良い。疫病が蔓延してしまうと、折角生きても台無しだからな。・・・ところでソフィア」
その場を去ろうとしたソフィアに対し、シャハラは後ろから声を掛ける。
「何故、その女なんだ?今までだって恋人や家族は居ただろうに」
ソフィアは頭を軽く振って解らないと答えると、いつもの様に蔓と化してルチェーナと共に姿を消した。
それからソフィアは彼女の家の一室に篭ると、腕を蔓の様に分解してルチェーナの死体に点滴の管でも差込むように無数に突き刺し、自分の力を彼女に送り続けた。一日目は何も変化が無い。二日目は煤色がとれ、柔らかな肌色が戻ってきた。三日目は頬に赤みが差し、すーすーと呼吸を始める。
「まだ居たのか。もう疫病は蔓延してるぞ」
シャハラが戸口から声を掛けてくる。そしてほとんど人の形をしていないモノクルだけの存在となったソフィアを見つけた。
「自分の体の構築もロクに出来てないじゃないか」
その言葉に、ソフィアはしゅるしゅるとルチェーナの中から蔓を外すと人の姿となった。しかし、顔半分は蔓が密集したままで肌が無い。寝息を立てている少女を見てホッと息を吐き出す。無言でシャハラの横を通り過ぎて、外からログハウスに両手を翳す。途端に周囲の空間が歪んで、建物を忽然と消し去った。
「驚きだ、そんな事まで出来るのか」
シャハラはソフィアの後ろからパチパチと拍手を送る。ソフィアの両腕はすでに人の手ではなく、無数の蔓が触手の様に蠢いていた。もう殆ど体が構築できてない状態で、ソフィアはまだ険しい目をしていた。
(これで、ルチェーナが目覚めるまで疫病に侵されることも、誰かに見つかる事も無い)
ソフィアは肩まで掛かる長い金髪を掻き上げると、村と反対側の方向を睨み付けた。彼女を魔女に仕立て上げ、殺した者達が許せない。魔女関連の書物が残っていれば、きっとまた奴等は同じ事をするだろう。またルチエナに危害が及ぶ可能性だってある。
(魔女狩りなんて、二度とさせない)
彼は街の中へ入り込むと、実に速やかに関係者だけを探し出して殺害した。そして近辺にある魔女関連の書物は全て焼き払ってしまう。
シャハラの下へ戻ってきたソフィアはボロボロの姿で、とても満足そうに笑って見せた。
そして、ログハウスがあった場所を見つめる。
(ルチエナ、俺は必ず此処に戻ってくる。生身の体を手に入れて戻ってくるから、それまで待っててくれ)
その思考と笑みを最後に、ソフィアの姿はジジジジ…と奇妙な音と共に空気中に分解され消える。様子を見届けた砂の魔術師はクククと笑うと、彼もまた砂と化す。そして風と共に空高く巻き上がって消えてしまった。
小国を襲った疫病は、近隣の村を滅ぼして国を壊滅状態まで追い込み、生き延びた人々は「魔女の呪い」だと長らく語り継いだ。また、魔女狩りを推進していた重役達が次々と謎の変死を遂げた事に関しては「片眼鏡をつけた化け物」の仕業だと人々は囁きあう。
やがて、その事は伝承となるも、実質的な魔女狩りの記録も消滅していた事から「魔女」の存在と恐怖は人々の記憶から薄れていってしまった。
木漏れ日の差す森の中で、一人の少女が川の水を桶に汲んでいる。長い黒髪の少女は桶を抱え上げると遠くの空を見上げた。しばらく眺めていたが、両手に抱えた桶を取り落としそうになると我に返る。
そして、少し奥にあるログハウスに向かって歩き出した。