親子【上】
「……お母さん、泣いてるの?」
「ううん……昨日、よく寝れなかったから。さぁ、お父さんが【お仕事】に出かけるわ。「お見送り」してきなさい……相馬」
幼かった頃の日課、それは朝早く仕事に出かける父親を、母親と一緒に玄関まで見送る事だった。
……だが、その日はいつもと違っていた。
母親は「見送り」をせず、台所の奥で赤ん坊だった正平を両手で抱きかかえながら、今にも泣きそうな顔をしていた。
「相馬……元気でな。母さんと弟を頼んだぞ」
それが父親の最後の言葉……
その後、親父は2度と戻らなかった。
「相馬……お前と話すのは何年ぶりだろうか? 長い間、家族としての責務を放棄してしまった事を本当に申し訳ないと思っている」
カウンター席に座りつつ謝罪の言葉を口にした親父は、愛用の帽子をゆっくりと脱ぎ、静かに机の上に置いた。
親父の容姿をあらためて見ると、とても50代とは思えないほどに若々しい顔をしている。
手入れが行き届いた口髭を蓄え、少量の白髪が混じった艶のある長い黒髪を、綺麗に後ろで束ねた髪型をしていた。
「おっと……こりゃいかん! これでは親子水入らずの会話に邪魔になる。部外者は早々に退散するとしよう」
並々と酒が入っていたグラスを一気に飲みほし、足早に席を立とうとした笹本さんを親父は呼び止めた。
「待って下さい……これまで息子達が「人の道」を踏み外さなかったのは、貴方が師として「道義」を教えてくださったおかげだ。恩人を部外者など思うはずがない。どうか、このまま同席してはもらえませんか……?」
「人生の師」と称された笹本さんは、いかにも照れくさそうな仕草をして「じゃあ、もう少しだけ居させてもらうかね」と言い、再び席に座った。
その会話を聞いて、俺は皮肉めいた言葉を親父にぶつける。
「……たしかに。俺や正平にとっては、不在の父親よりも笹本さんの方が肉親と思える。なにせ本当の父親からは人生を教えてもらった事がないからな」
「……辛辣な言葉だ。とはいえ不肖な父親としては、その言葉は真摯に受け止めなければならないな。だが、私とて1日たりとも家族を忘れた事などない……千月から【私が去った理由】は聞いたとは思うが……」
征龍会の発足前に単独で活動していた話か……?
当時の親父の立場からすれば「やむを得ない」決断だったかもしれないが、残された家族としては……
親父は千月から丁寧に差し出された酒を一口だけ嗜み、上着の内ポケットから見た事がない銘柄の煙草を取り出して、静かに火を灯した。
「……少し、昔話をさせてくれ。この話は妻である小夜子、そして征龍会でも千月を含んだ少数しか知らない事だ」
親父は自分の生い立ちを語り始めた。
世は好景気に入る前の高度経済成長期。
親父の両親は日本人で、ごく普通の家庭に生まれたと言う。
普遍的な生活を送るはずの人生の歯車が狂ったのは、両親が赤ん坊だった親父を連れ、新婚旅行として海外に行った時だった。
今はどうか分からないが、当時は東洋人、特に日本人は海外の犯罪組織には「金を持っている手頃なカモ」として見られていた。
親父の両親は中東で活動していた犯罪組織のメンバーに金銭目的で殺害された。
だが、日本政府は【国際的な配慮】を理由に、邦人殺害事件の情報を隠蔽し……闇に葬ったそうだ。
「……後で知った事だが、日本政府と関係がある国が、私の両親を殺害した組織を利用して秘密裏に国家転覆を狙っていたのだ」
マスコミによって殺害事件の事が世間に広まれば、その国は組織を利用しづらくなる。時の政治判断から、この件は無かった事にされ……その時から親父は身元不明者、つまりは【幽霊】となった。
だが、この事件を闇に葬った関係者達にも予期しない出来事が起きる。
赤子だった親父は生き残り、両親の仇である犯罪組織の手によって育てられる事となった。
「……私が育った場所は、熾烈な内戦が続いてる国だった。民は貧しい生活を強いられ、なにより治安が酷かった。当時は「それ」が当たり前だと思っていたが」
物心ついた時に手に取ったのは、絵本や人形などの遊具ではなく、敵を殺すための銃。
学ぶのは教養の学問ではなく戦術や殺人術……親父は幼い事から【殺しの英才教育】を受けて育った。
「幸い……と言っていいものかどうか分からないが、私には【才】があった。組織にとって優秀な兵に成長した私は重宝され、若くして部隊長を任される事となる。だが、年齢を重ね成長する度に1つの疑問を抱くようになった」
それは自分の「容姿」だ。
どうみても周りの人間と違う骨格、顔つきなどの風貌……拾われた経緯を知らない組織の人間からも「お前は東洋人だ」と言われるようになった。
「私は古株だった組織の人間を問いつめた。私の出生の事を……その男は組織のリーダーの弟だ。男は俯きながら私に拳銃を渡して事の真相を語った。お前の両親を殺したのは、自分と兄である「カイゼル・ハウザー」だと」
……? 何処かで聞いた事がある名前だ。
「カ……カイゼル・ハウザー!? あの中東の傭兵国家の元首か。こりゃまた、とんでもない国に……い、いや横から失礼した」
笹本さんは目を丸くして驚いていた。
カイゼル・ハウザーは独裁政治を行っていた中東の「とある小国」を国家転覆によって打ち倒した人物だ。
カイゼルが推し進めた政治方針は【資本主義】でも【共産主義】でもなく【戦争主義】。
国を1つの傭兵企業として立ち上げ、戦争による利益で国民を養う武装国家だと言う。
「まだハウザーの組織が駆け出しの時に、私の両親は金銭目的で殺されたわけだ。その真実を話したハウザーの弟は、私に撃たれる事を承知で拳銃を渡してきた」
……親父は銃の引き金を引く前に、男に1つだけ質問をした。「何故、こうなる事が分かっていながら自分を育てたのか?」と。
「赤子を殺す事はどうしても出来なかった、と彼は言ったよ。ハウザーは禍根を残すな、と言ったらしいが……そして、時が来たら全てを話し、私から粛清を受けるつもりだったと」
懺悔を聞いた親父は、男を撃つ事が出来なかった。
目の前にいる人間は本当の両親の仇、だが自分を育てくれた恩人でもある。
やるせない感情を内に押し込み、親父は組織から抜け出し、自分の本当の故郷である日本に向かう事にした。
「……風の噂で男は殺された、と聞いた。私が組織から抜け出すサポートをしていた事が兄に知られたらしい。ハウザーは肉親にも容赦がない人間だ」
そして日本に着いた親父は、残酷な現実を知る事となる。




