邪悪【上】
弟の血【outlaw medicine】を飲んで意識を失ったカズをベットのある場所まで搬送する為、少し休息を取りたい俺と無線連絡がしたい相沢を残して、皆は施設の下層階へと降りて行った。
暫くすると屋上でマリアとの無線連絡を終えた相沢が、何やらブツブツと文句を言いながら戻ってきた。
「……あのアマ、あいかわず無茶難題をふっかけてきやがるぜ。人手不足で救出チームは送れないだと? ここを【アラモ砦】にする気かってんだ!」
アラモ砦……? 昔、米国南部で起こった戦争の際、孤立無援となって砦に立て籠り、大勢の兵士が徹底抗戦の末に亡くなった、と言う……あの有名な砦の事か。
この状況で「その例え」は気分がいいものではないな。
一体、どうなっているのか……俺は相沢に問いただした。
……どうやら、マリアはミストの極秘研究施設に「桜」と「狼犬部隊」と共に避難しているらしい。その場所は安全だそうだが、以前にガーランド・コーツ率いるパラベラム部隊に襲撃された時の被害は甚大で、コチラに人員を割く程の戦力は残されていないと言う。
相沢が依頼した研究所までの護衛輸送は断られた、との事だ。
「……下水道を使って施設から脱出するのはどうだ? これだけの大型施設だ。地下の広い処理場から安全に抜けられるんじゃないか……?」
「まぁ、それも考えたんだがな…………。相馬、1つ質問だ。戦地で1番出会いたくない物と言ったら何だと思う?」
…………俺は少し間をおいて「敵兵」と答えた。
「ま、普通はそう答えるよな……だがな、答えは【伝染病】だ。これが戦場で最も厄介なのよ。どんな兵器よりもな……」
伝染病…………感染拡大から何日経過したのか分からないが、人体にとって有害な伝染病に関しては、この街は危険な水準に達している、と相沢は言った。
この街の死者の数はどれくらいだろうか……?
ゾンビに変異せず死体となった者達が【腐敗】し、それを食べた小動物【カラス・ネズミ】や虫達が、街に伝染病を媒介していると言う。
ゼロウィルスは【人間】にしか感染しない。
人間以外の生物の体内に入っても自壊するのはミストの研究結果で分かっているが、死体の腐肉を食べた動物達が身体の中に【未知の病原菌】を持っている事も考えられる。
病気の【運び屋】の巣窟である「下水道」に自ら飛び込む事は賢い者のする事ではない、と言うわけだ。
「こう言っちゃなんだが、ファントムミサイルで感染区域を高熱で焼き払うのは理にかなっているってわけよ。細菌ごと死体処理も出来るわけだからな」
とりあえず、小野と脱出方法について相談すると言って下層階に降りようとする相沢を尻目に、俺は【この場】に残ろうとした。
「…………ん? どうした、相馬? 下に行かねぇのか?」
「………煙草が吸いたくなってな。先に行っててくれ」
「あっそう」と言いながら去って行く相沢を目で見送りながら、俺は胸ポケットから煙草を取り出し、吹き抜けの天井から見える青空を眺めて一服する。
何故、この場に残ったのか……? それには理由があった。
相沢が去った今、誰もいないハズの【この場所】で俺は独り言のように呟いた。
「高槻……そろそろ出てきたらどうだ? 人払いは済んだぞ」
奴は自分にとって有益かどうかで人を判断する。間違いなく先ほどの喧嘩を近くで見ていたハズだ。
大学で別れた後、俺が「どうなったか」を【品定め】する為に。
「フフ……どうやら気を利かせてくれたようだね。ありがとう葛城君、君のそういう所は嫌いじゃないよ」
背後から奴の声がした……一体、何処に隠れていたのか? あいかわず油断のならない奴だ。
俺は煙草を口に咥えながら振り向き、憎悪に満ちた目で睨み付けながら奴と相対する。
「……てっきり不意討ちを仕掛けてくると思っていたがな。正面から来るとは良い度胸だ。少し見ないうちに作法を覚えたか?」
俺の挑発を黙って聞いていた高槻は、不敵な笑みを浮かべると、メガネのズレを人差し指で直した。
「フフ……少々、勘違いをしているようだ。僕は君と【殺し合い】がしたくて姿を見せたんじゃない。平和的な話し合いがしたいんだ」
……あんな真似をして平和的に俺と話し合うだと? こちらには話す事など何もない。
ただ増すだけだ……俺の怒りが。
「そんな怖い顔をしないでくれ。僕は興味があるんだ……君と僕は似ている。以前、そんな事を言ったのを覚えているかい?」
「……それがどうした?」
…………高槻は粛々と語り始めた。
地獄を表したかような、この街で生き残る為には人の心を捨て、非情にならなければ死が待つのみ。
俺も生き残る為にゾンビや明確な殺意を向けてきた人間を数多く殺してきた。
だが、高槻から見れば、俺にはまだ「甘さ」が残っていると言う。
高槻にとっての戦いとは相手を完膚なきまでに叩きのめす事。 そんな考え方の人間にとっては、先ほどの喧嘩は腑に落ちないらしい。
「……葛城君、君はやろうと思えば弟さんに打たれずに勝利する事は可能だったろう? 何故、それをしなかったのか……僕にはソレが理解出来ないんだ」
「……さっきの喧嘩は勝敗が目的じゃない。ソコにいたるまでの「過程」が何よりも重要だった。お互いの【心】を確かめる為にな」
高槻は何かを悟ったのか、急に高笑いを始めた。
「…………心っ!!! ハハハ、そうかっ! ようやく理解したよっ! そうだっ! 心だよっ! ハハハっ!」
難解な試験問題を突然の閃きで解いたかのように、高槻は嬉しそうな声で笑い続けていた。
だが、目だけが笑っていない……その姿は心底不気味だった。
「葛城君、僕はね……君と話して、初めて自分と同じ思考を持った人間に出会ったと思ったんだ。それが凄く嬉しくてね……でも、君とは決定的に違う部分があると感じてもいたんだ。それがようやく分かったよっ!」
…………心か。
俺も誉められた人間ではないが、こいつには一握りの「心」も無い。
他者を慈しむ事など微塵も考えない。
あるのは圧倒的な【自己愛】……
他者は自分が有効利用する為の道具であり、人や動物などの生命を【物】としか見れない人間だ。
常に弱き者の立場で考え、寄り添う事をしていた善人・安藤武志とは真逆の人間……
つまり、悪魔のような【邪悪で狡猾な存在】だ。




