兄弟
兄弟とは不思議なものだ……たとえ仲が悪く、性格が正反対でも、心の片隅では相手の事を想っている。
兄弟の互助行動は、自分と近い遺伝子を持つ者同士が、世に少しでも子孫を多く残そうとする動物的な本能である、と唱える者もいるが……俺の考えは違う。
兄弟とは、人生という長く苦難の道を支え合って共に歩く同行者だと思う。
だからこそ自分に足りない物を兄弟同士で補い、共に笑い、泣き……そして歩んでゆくのだ。
俺は兄として……葛城家の長男として、この危機的状況から弟を守ろうとした。
だが、俺は…………
ゾンビとなった母親を殺した罪悪感に負け、ゼロウィルスに感染した弟を前にして心底恐怖し、その場から逃げ出した。
正平は、そんな「情けない兄」を前にして、どう思うのだろうか……?
弟は俺と再会した喜びよりも、内に秘めた心の葛藤の方が勝ったのか……俺に背を向けて話し始めた。
「兄ぃ……無事だったんだなぁ~。とりあえずは安心したぜぇ」
弟の首筋には傷が1つも無かった。ゾンビとなった母親に噛み切られ、成人男性の握りこぶし位に首の肉が抉れていたはずなのに……
あの時の映像が脳裏によぎり、俺は反射的に謝罪の言葉を口にする。
「……正平。すまなかっーー」
「兄ぃっ! んな言葉はよぉ……聞きたくはねぇーんだよ。分かってんだよぉ~コッチはよぉ……そっちはどうなんだい?」
弟も馬鹿ではない……状況的に俺が母親を殺らざるをえなかった事は理解している。だが、仕方がなかったとはいえ、納得はしていないようだ。
つまり頭では理解していても心が許さない、というやつだ。
「……俺と拳で決着をつけたいんだろ? 納得がいくまで」
この言葉で弟は俺に振り向いた。
「……流石は俺の兄ぃだぜ。このモヤモヤをよぉ~振り払うには喧嘩しかねぇよなぁ。安っぽい言葉なんか聞きたくねぇしよぉ~」
すぐさま弟の目付きは鋭くなり、ニヤッと笑いながら着ていた短ランを脱ぎ捨てた。
「オイオイ……コイツが相馬の弟かぁ? 気合い入ってるとは聞いていたが、なんとまぁ……絵に描いたような不良スタイルだなぁ。モッサリな【リーゼント】に三角定規の角をあてたような【ソリコミ】、おまけに【短ラン】に【ドカン】と【エナメル靴】とはねぇ」
もはや絶滅危惧種と言われても仕方がない弟の服装と髪型に相沢は感心している。
そんな相沢を余所に、千月は俺達の喧嘩を止めようとした。
「若……っ!? い、いえ……相馬君。何故、弟さんと喧嘩などするのです。せっかく生きて出会えたのでしょう? 何か「わだかまり」があったとしても、ちゃんと話しあえば…………むぐっ!?」
説得しようとした千月の口を相沢が優しくふさいだ。
「そーそー♪ 一般的には千月ちゃんの言う通りなんだよねぇ。でもさ、世の中には不器用な男っているのよ。それが彼らってワケ、そういう子には言葉よりも効果的なやり方もあったりするのよ。ねぇ、おじたま♪」
同意を求める相沢の目線の先には、腕組みをしながら壁に寄りかかっている小野がいた。
「……当人同士が「立ち合い」に合意し、それで円滑に事が解決するのであれば、何も問題はない。とはいえ、「騒ぎ」が施設にいる者に悪影響を及ぼすかもしれん。私が皆に説明してこよう」
小野はカウボーイハットのツバを指先で触ると、「千月、後を頼む」と言い残し、その場を後にした。
ふと見回すと高槻の姿がどこにも見当たらない……たしか小野の後方にいたはずだが。
奴め……弟との会話の最中に姿をくらましたか。
まぁいい……奴との「個人的な話し合い」は後だ。
「……さっきからよぉ~、チョイチョイしゃしゃり出てくる奇妙なオッサンがいるよなぁ~。オメー誰なんよ? 喧嘩の邪魔はしねぇでもらいてぇよなぁ~?」
「オッサン」という言葉にカチンときたのか、相沢は弟に食ってかかった。
「……なにぃっ!? オッサンだぁ~? 【お兄さん】の間違いじゃねぇのか? へっ! テメーこそ格好は、イッパシにカマシてるがな。顔は女---」
「…………っ!? 相沢っ!!!」
俺は咄嗟に大声を出して相沢が言おうとしていた言葉を制した。
おそらく相沢は【顔は女みたいじゃないか】と弟に言うつもりだったのだろうが、それは禁句だ。
弟は自分の整った中性的な顔立ちを馬鹿にされると激怒する。
あの時代錯誤の服装と髪型は「女のような顔をしている自分」を少しでも隠す為にしているのだ。
誰にでも人には言われたくない【コンプレックス】はある……弟はそれが「自分の顔」なのだ。
その事を相沢の耳元で伝え、弟が俺と同じくゼロと「共生」している事も伝えた。
首筋には傷痕が一切ない……あれはゼロによる【超回復】によって治癒したものと思われる。
となれば、問題はここからだ。
これから弟と壮絶な殴り合いをしなければならないが、俺の血液が弟の体に混入した場合、意図せずに殺してしまう可能性がある。
俺の中の「ZEウィルス」はゼロに感染した者を消滅させてしまうからだ。
血液の混入を防ぐ為、喧嘩の際には手袋をはめる事にするが、殴り合いの最中にゼロイーターが発現する事も考えられる。
その場合は「あらゆる手段」を使ってでも俺を止めてくれ、と相沢に頼んだ。
「……りょーかいっ! そんじゃあ、ココで大人しく見守るとしますかね。ねぇ、千月ちゃん♪」
自分では俺達を止める事が出来ないと理解したのか、千月は顔を下に向けて頷いていた。
「……ひそひそ話は終わったかよ~? そろそろ始めてんだよなぁ~俺の心が冷めねぇウチによぉ~」
俺は両手に手袋をはめ、防弾素材の戦闘服の上着を脱いだ。
「…………待たせたな。さぁ、始めよう」
構えた俺に対して、正平は猛り狂った猪のように正面から突っ込んでくる。
「いくぜぇーーうおらあぁっっーーっ!!!」
弟は我流の喧嘩殺法で成り上がってきた。俺が相手でも無策の鉄拳攻撃をしてくる事は予想済み。
だが、俺は「あえて」弟の鉄拳を防御せずに受けた。
一撃のもとに地面に倒れた俺に対して、弟は罵声を浴びせてくる。
「……どういうつもりだぁっ! ワザとくらいやがってよぉっ! 俺をナメてんのか? あぁっ?」
口元から出た血をぬぐいながら俺は弟を諭した。
「……違う。これは俺なりのケジメだ。せめて一撃……お前の思いがこもった拳を何もせずに受けたいと思っていた」
「へっ! そうかよ……格好つけやがってよぉ。まぁ、兄ぃが言うとサマにはなってるがなぁ。だがよぉ~今度、手ぇ抜いたらマジでブチ殺すぜ」
ここからは手を抜くつもりはない、俺も本気でやらせてもらう。
そうでなければ、弟は納得しないだろう。
望んだ事ではなかったが、葛城家の兄弟喧嘩が始まった。




