説得
【他人との信頼関係を築くのは時間がかかる……だが、その信頼を失うのは一瞬。
そして失った信頼を再び取り戻す事は極めて困難である】
誰もが1度は聞いた事がある人生の教訓だが、それを身をもって体験する事になるとは思わなかった。
武装解除の証を求める人間に対し、「弾倉から弾を抜いた銃」を渡す行為は、受け取った側に余計な疑念を抱かせる……この異常事態の最中なら尚更だ。
(何故、弾を抜いた状態の銃を渡してくるのか?)
(抜き取った弾は何処にやった? どこかに隠し持っているのではないのか?)
(他に銃は? 騙し討ちをするつもりだったのか?)
…………俺達に対する疑念は、そんなところだろう。
こちらとしては用心の為の行動だったが、施設側の人間にとっては「騙した」と受け取られてもおかしくはない。結果、相手の「信頼」を失った俺達に残された選択肢は限られたものとなった。
成功する可能性は限りなく低いが、施設側の人間の説得をこの場で試みる事。
このゾンビ達の包囲網を強引に突破し、乗ってきた装甲車を使って施設へ強引に突入する事。
この2つの選択肢しか残されていない。
だが、選択肢はあれど後者を選ぶ事など俺には出来ない。
もし弟が施設内にいたら、無関係な避難民を巻き込む非人道的な行為をした俺を一生許さないだろう。
そうでなくともゾンビに変異したとはいえ、俺が母親を殺した事は状況的に理解しているはず……俺に対しての怨恨はある。
「……相馬っ! ボンヤリと考え事をしてる暇はねーぜ! 弾倉交換は完了した。お前はコレを使えっ!」
俺が投下された爆竹の処理をしながら考えをめぐらせている間に、相沢は実に的確な行動をしていた。
銃弾が入った弾倉を懐に忍ばせていた相沢は、3階の窓から投げ捨てられたライフルを素早く拾い、大急ぎで弾倉交換をしていたのだ。
「初弾装填は済ましてあるっ!弾倉は2つしか持ってきてねぇ……ライフルの弾はこれっきりだ。バースト射撃から単発射撃に射撃モードを切り換えろっ!……無駄弾は撃つなよ!」
もう1丁のライフルの弾倉交換をしながら相沢は俺への指示を出した。
以前の経験を生かし、俺は最初から「片膝撃ち」の体勢で光学照準器を覗き込んだ。
今度は死神と戦った時のような悪条件(夜間で視認性が悪い)ではない。
初弾こそ外したが、横1列で迫り来る10体のゾンビの頭部に次々と弾丸を撃ち込んで倒した。
「……やるじゃない♪ 優秀な生徒は教えがいがあるってもんだぜ。さて、これからどうする? 時間は余り無いようだがなぁ~」
俺は所持していたライフルを相沢の足下に置いた。
「……もう賭けに出るしかない。俺が中の人間の説得を試みる。その間、アンタがゾンビ達を食い止めてくれ……ライフルの弾を撃ち尽くすまでが制限時間だ。説得が失敗した時は拳銃を使って脱出する。それまでは拳銃は使用しないでくれ」
「……了解だ。良い結果を期待してるぜ? 交渉人さん♪」
俺達が背中の服の中に忍ばせている拳銃の存在は最後まで隠しておきたい。
説得の最中に隠していた拳銃を使用したら「信頼」を取り戻すどころか「殺意」を向けられてしまうだろうからな。
俺は深呼吸をして3階の窓に向かって叫んだ。
「……まだソコに居るんだろう? ライフルの弾倉を空にして渡した事は謝る。盗用を防ぐ為だった。こんな状況だ……俺達も自分達の身を守らねばならない。此方に敵意はない……それは信じてくれっ!」
まずは俺達の行動の理由を嘘偽りなく伝えた。
……反応はない。 だが、必ず聞いているはず。
相沢は俺の事を交渉人と呼んだが、これは互いに妥協点を探し出す討論ではない。
相手に納得してもらう為の「説得」だ……中途半端な嘘は相手に不信感をもたらす。
「俺達は人を探している……この町で行方不明になった俺の弟だ。ここに避難民が大勢いると聞いた。この施設に近づいたのはソレが理由だ」
成功する可能性が低い説得を俺が続けている間、相沢が撃ったライフルの銃声が断続的に辺りに響きわたる。
「……どーやら、奴さんは曲げたヘソを戻さないようだぜ? こっちの制限時間は近かそうだがなぁ~」
相沢は俺が足下に置いたライフルを拾いあげた。
弾は残りあと僅か……もう時間はない。
説得は失敗か……こうなったら仕方がない。
「俺の名前は葛城相馬っ! 弟の名は葛城正平だっ! もし弟がソコにいるのなら信号で教えてくれるだけでいいっ! あと1日、「あのビル」の屋上で待つ!」
「……相馬っ! そろそろ限界だぜっ! このままじゃ突破も出来なくなっちまうっ!」
ライフルの弾を撃ち尽くした相沢が叫んだ。
目眩がするくらいの大量のゾンビ達が俺達に向かって行進してくる。
さながら生態系ドキュメンタリーの番組で虫の死骸に群がるアリの大群のようだ。
「……行こう。やるべき事はした」
残された選択肢であった説得を諦め、この場からの脱出を開始しようとした時……突如、上の方から声が聞こえた。
「 待てっ! 葛城相馬と名乗ったな! 顔をコッチに向けろ! 本人かどうか確認したいっ!」
黒色のカウボーイハットを被った人間が双眼鏡で俺を見ている。
あの声……何処かで聞いた事があるような。
「オイオイ……あの西部劇野郎は、お前の知り合いかぁ~? なんにせよ助けてくれるなら早くして欲しいぜ。挽き肉にされちまったら笑い話になんねぇからよっ!」
相沢の心配は杞憂に終わった。
カウボーイハットの男は確信を得たのか、引き上げ用のロープを窓から降ろして「早く上がってこい」と手招きをした。
垂れ下がったロープの元にたどり着いた俺は、あの男に聞こえないように小さな声で相沢に話す。
「相沢……このロープでは2人同時に上がる事は出来ない。ここはアンタが先に行ってくれ……理由は説明しなくとも分かるな」
「そうだな……俺が行くしかねぇな。だが、ヤバくなったら俺を置いて逃げろ。無理すんじゃねぇぞ」
ロープを掴んだ相沢は重力を感じさせないような速さでよじ登っていく。
相沢に先に行ってもらう理由はハッキリしている。
あの男は一般人ではない……少なくとも軍に関係している人間だ。
俺達が所持していたWSAR-8は、まだ流通していない最新型の突撃銃だ。
単純に銃の知識があるだけの人間では、あの銃の弾倉を簡単に取り外す事は出来ない。
あの男はミスト部隊……あるいはパラベラム部隊の残存兵の可能性がある。
両部隊の捕獲対象である「葛城相馬」の名前に反応した事も説明がつく。
……上の状況がどうなっているか分からないが、相沢に頑張ってもらうしか選択の余地がない。
「……とはいえ、地上に残った俺も安心できる状況ではないな」
迫り来る大量のゾンビ達に向き直り、俺はダマスカスナイフを抜いた。




