使徒【中】
宗教とは無縁の俺だが、世界には多種多様の宗教が存在する事は知っている。
だが、俺は神と言うものを信じない。
何故なら、それは実際に存在しないものだからだ。
人工衛星や航空機が無かった時代…人は空を見上げ、そこに「神」がいると想像していただろう。
今のように手軽に世界旅行が出来ない時代…まだ
見ぬ新天地に神の世界…まさに「桃源郷」のような世界があると、その時代の人は空想を抱いていただろう。
衛星を個人端末で利用出来る現在…空の上には神などおらず、世界には昔の人が思い描いていた「桃源郷」などは無い事は誰もが知っている。
神とは触れるものではなく、信仰する人の心の中にいるもの…
そう考えれば、信仰する人間にとって「神」とは実在するものなのだろう。
別に宗教に対して、全てを否定するつもりはない。
個人の拠り所に信仰する「神」がいて、その人間が安心して生きていけるのならば、それはその人にとってはいいのだろう。
ただ…その信仰というものが個人の「思想」で歪んでしまわないかぎり。
自らを「神」に選ばれたと言い張る、大学の同期の安西に狂気じみたものを感じてはいたが、俺の体は「感染者」として変貌はしてはいないものの、依然として酷い怠惰感があった。
実際に人間が感染者として変貌する過程を、俺は間近で見た…少なくとも感染してから3日で発病するはず、俺が発病しないのは体の中に感染に対する「抗体」があったからなのか?
とはいえ、このまま無理をして「感染者」がいる外に出たところで、今度こそ俺は奴等に「処理」されてしまうだろう。
安西が言うには「使徒として覚醒」するまで、少しばかり時間がかかるのだという…勿論、こんな事は信じてはいないが、体を休めなくてはならない事は分かっていた。
「相馬君…君は何故、こんな出来事が起きたのだと思う?」
「…アウトブレイクの事か?…さぁな」
安西が分けてくれた食料を口にしながら、俺は素っ気なく答えた。
何故、起きたのかは問題じゃない。
これからどう生き残るかが問題だ。
「僕はね…これは「神」が人間に与えた「審判」だと考えているんだ」
「審判だと?…終末論にある「最後の審判」ってやつか?」
どこかで聞いた覚えがある…神が善良な者と悪しき者を分けて裁きを下すという内容だった。
人間と感染者を神が分けていると安西は考えているのか?
「そう…「審判の日」が来たんだよ。人間がこれまで何をしてきたか、君にも分かっているはずだよ?終わらない戦争…環境破壊…もはや神の愛も尽きたと、そう感じないかい?」
「…その理屈なら俺達も死ななければ、ならないんじゃないのか?」
「…神は全ての人間を滅ぼすなんて望んではいないさ。僕達のように…神の「使徒」として使命を与えられた者もいるのが、何よりの証じゃないか」
…使徒だと?
俺が目覚めた時に安西は「選ばれた」と言っていた。コイツが言う「使徒」とは…この感染に対しての「抗体」があるものを指しているようだ。
という事は…
「お前も感染者に「接触」したのか?」
俺の問いに安西は右腕を見せた。
安西の右上腕には痛々しく爪で裂かれた傷跡があった…アウトブレイク後、避難先で発病した感染者につけられたものらしい。
安西もまた、今の俺と同じく頭痛と吐き気・全身の怠惰感に襲われたようだが、発病はしなかったとの事だ。
本人は「使徒」になるための神の試練と言っているが、安西にも「抗体」があるのは間違いないだろう。
「僕は喜びに震えたよ…本当の神の使徒として生きる事を許されたのだから。相馬君…早く君も、神の使徒としての使命に目覚めてほしい。その資格を得たのだから」
「あいにく、俺は無神論者でね…神様の姿でも拝めたら「悔い改めて 」もいいがな」
安西は俺の返答に苦笑しながら立ち上がり、部屋の中にあった荷物をまとめ始めた。
「時間はあるからゆっくり考えてみてくれ。これから僕は使徒としての使命を果たさなければならない。おそらく夕方には戻るよ…それからでも答えを聞こうじゃないか」
安西は荷物をまとめると俺に笑顔を送り、外へと出ていった。
俺は、夕方まで安西の説教を聞かなくていいと安心し部屋に戻って休む事にした。
…俺は無理をしてまでも、この家から出ていくべきだった。
信仰という名を借りた「悪魔の所業」と言わざるをえない行為を見てしまう前に…