包む者【中】
地下室から漂う腐臭は耐え難いものだった……街中で歩いていると稀に感じる下水の臭いの比ではない。
チーズと夏の炎天下で長時間放置した生ゴミを混ぜあわせたような腐乱臭。
そして大量の小バエが地下室の中を狂ったように飛び交っていた。
「オイオイ……ずいぶんとプレミアムな「熟成肉」を仕込んでるようだな。相馬……暗がりならアレを使え。やり方は教えた通りだ」
「あぁ……装着してくれた「ウェポンライト」を使わせてもらう」
地下室に明かりは無い……だが、借りていた拳銃【M1911A1】を相沢がカスタマイズしてくれていたのが幸いした。
銃口の下部に装着されたライトとライト下部から発光される赤いレーザーサイトにより、暗闇での戦闘に対処出来るようになっていた。
頼りない折り畳み式の階段を地下室の床まで降ろし、ライトで室内を確認する。
広さは12畳ほど……部屋の高さも十分にある。
俺達が感じた通りに、ゼロに感染した者が2名……「猿ぐつわ」をされ、両手両足を縛られて床に転がっていた。
「相沢……その人の娘と妻と思わしき感染者を発見した。どうやら人間の遺体をバラして2人に与えていたようだ。「残飯」が床に散らばっている……腐臭の原因はコレだな」
地下室の床は腐乱した遺体の部位の体液と血で黒く変色していた。
俺はレーザーサイトの照準を妻の額へと合わせて銃の引き金を引いた。
「1人始末した……なにっ!?こ……これはっ!?」
妻を撃った後、娘の様子が一変した。
身体を激しく波立たせ、まるで風船に空気をいれたかのように体が肥大していく……手足を縛っていた縄は、あっという間に千切れ飛んだ。
「……ゼロが変異したとでも言うのか?しかし……弱点は変わらないはず」
変異体は肥大した体で立ち上がったが、俺を攻撃してくる素振りはない。
先程と同様にレーザーサイトの照準を額に向けて、銃弾を撃ち込んだ…………だが
「何故だ……?ゼロは宿主に寄生する生物。宿主の脳を破壊すれば活動は出来ないはず……しかし、こいつは」
撃ち込んだ銃弾をものともせず、変異体は肥大を続けていた。
そして、身体が千切れそうになった瞬間……胸部が割れ、体内から赤黒いヘドロのような塊が飛び出し、さきほど始末した妻の遺体に覆い被さった。
スライム状の塊は遺体の表面を全て覆いつくした。
「これは……喰っているのか?いや……違う。取り込んでいる……「同化」しているのか」
遺体はミイラのように枯れ果て、文字通りに骨と皮だけになった。
そして変異体は同化した遺体を動かして立ち上がろうとしていた。
「オイ……相馬っ!何が起きているんだ?1人で楽しんでないで報告しなさいっての!」
「マズい事になった……今からそちらに行く」
俺は急いで折り畳み式の階段を駆け上がり、地下室の扉を閉めた。
「何を手間取ってたんだ?たかがゾンビくらいチャチャっと片付けてくれよ」
「あれは……単なるゾンビじゃない。理由は分からないが、ゼロが変異……いや、進化したモノかもしれない……っ!? 相沢っ!扉から離れろっ!!」
瞬間、地下室の扉が吹き飛んで天井に叩きつけられた。
変形した地下室の扉が床に転がる……スチール製の頑丈な扉が折れ曲がっていた。
「ひょえ~……どんだけパワフルなんだよ。こりゃ~俺も所帯を持ったら、嫁と娘だけは怒らせないようにするわ」
「軽口を叩くな……くるぞっ!」
変異体は、ゆっくりと「その姿」を俺達に見せた。
ミイラとなった妻の遺体の表面には、赤黒いスライム状の変異体が覆い被り、身体を操っている。
そして、眼球だけはギョロギョロと動かして周囲を観察していた。
「あぁ……昭子!お前なのか……?私だっ!健一だよ」
「オイ!おやじっ!ソイツに近づくんじゃねぇ!やべーぞ!」
拘束から解かれた初老の生存者は、変異体に近づいていく……相沢の制止も聞かずに。
「また一緒に暮らそう……私は何があってもお前達を見捨てたりはしないよ……さぁ」
手を差し伸べた初老の生存者に、変異体は勢いよく覆い被さった。
先程のように、取り込まれた男性の身体はミイラのように痩せ細り……逆に変異体は肥大した。
一方、抜け殻となった妻の遺体は、力なく地面に崩れ落ちると灰のように粉々になった。
「……コイツは人間の生命エネルギーを取り込んでいる。感染させようとは考えていない……自らを強化する為に喰っている」
「何でもいいぜ!ゾンビになろうがゲロンチョになろうが殺ることは1つだ!分かってんだろ?相馬っ!」
俺達は変異体に向けて銃を構えた。
【……イッショ……イッショ……パパ…………】
俺の頭の中に呟きに似た声が流れ込んできた。
これはゼロの声なのか…………?
ともかく、変異体として進化したゼロとの戦いは始まった。
思いのほか長くなってしまいそうなんで
3部に分けさせて頂きました。
次回、包む者は終了です




