慟哭【上】
包帯を替えた後、お袋は緊張の糸が切れたように気を失い、眠りについた……
だが、寝息が明らかに異常だ……過呼吸のような苦しい寝息を立てていた。
「なぁ……アニィ。やっぱり病院に連れていくべきじゃねぇかなぁ~?俺のバイクは修理中だからよぉ~……アニィの単車なら何とかなるだろぅ?」
「……病院だと?冗談を言うな……奴等の巣に飛び込むようなものだ。それよりも、国から何か情報は出ていなかったのか?」
正平は首を横に振った……
俺が大学に向かった後、程なくしてテレビは映らなくなったらしい……スマホが使えなくなったのも「同時期」、ラジオから流れていた緊張放送は「自宅待機」を促す内容だけだったそうだ。
……まるで、意図的に「情報を閉ざす行動」に出ているとしか思えないが……いや、俺の考えすぎか。
「……俺じゃ頭が悪くってよぉ~、どうした方がいいか分かんなくってよぉ。アニィ~何とかしてくれよぉ~」
「……俺がどうこう出来る物だったら、今すぐ何とかしているっ!お前は少し黙っていろ!」
苛立った俺は、情けない声を吐き出す弟の襟首を掴んで恫喝した。
「す……すまねぇ。アニィ……」
……このままでは、朝を迎える前にお袋は死んでしまうだろう。
いや、正確には化物となって、俺達に襲いかかってくる。
そうなれば、俺の手で殺るしかない……
母親を敬愛している弟の正平には出来ない事だ。
だが、本当に俺が殺れるのか……?
赤の他人を殺す事とは訳が違う……女手1つで苦労をして俺達を育ててくれた母親を、実の息子である俺が殺るなんて事が……
「正平……お前は台所に行け。決して部屋に入ってくるんじゃないぞ……いいなっ!」
弟を寝室から追い出して、俺は静かに扉を閉めた。
お袋の呼吸は次第に小さくなっていく……
そして、俺の心臓の鼓動は徐々に大きくなっていった。
俺は部屋の隅に座り込み……これから、実の母親を殺さなくてはならない現実を必死に受け入れようとしていた。
しかし、頭では理解しようとしても体が拒否をしている。
バタフライナイフを持った手は小刻みに震え、全身に鳥肌が立ち……額からは汗が滴り落ちていた。
そして……
お袋は首を絞められたかのような声を出すと……静かに息を引き取った。
「……死んだ。……すまない。俺は……俺は何も出来なかった。許してくれっ!」
俺は母親の遺体に向かって、無意識に土下座をしていた。
少しの静寂の後、ベッドが軋む音が響いた。
そして、小さな唸り声を耳にする……
お袋はベッドから上半身を起こし……小刻みに体を揺らしながら俺を凝視していた。
いつも、俺達に見せていた優しい顔ではない……目は血走り、顔面は黒い血管を浮き上がらせ、大きく開いた口からは血が滴り落ちていた。
そう……お袋は化物となった。
俺を捕食対象と認識した「化物」は、ゆっくりと起き上がろうとしたが、ふらついてベッドから転げ落ちた。
その音を聞いた正平が、部屋に飛び込んできてしまった。
「お……お袋っ!大丈夫かよっ!?」
正平は、たった今「母親」が化物になった事を知らない。
このままでは、化物となった「お袋」に正平が襲われてしまう……俺は立ち上がろうとした「化物」の体を蹴り飛ばし、正平の腕を掴んで部屋から飛び出した。
「なっ!? アニィっ!何て事すんだよっ!」
「お袋は死んだっ!あそこにいるのは俺達の母親じゃねぇっ!お前は玄関に行ってろっ!」
「何を言ってんのか分かんねぇよっ!様子を見させ…………ぶぐっ!?」
指示に従わず寝室に行こうとした弟の顔面を、俺は思いっきりブン殴った。
吹っ飛んだ正平はリビングに置いてあった食器棚にぶつかり、大量の食器が割れて辺りに散乱した。
俺は倒れた弟を尻目に、台所から包丁を取り出した。
「これから先は……俺がやる。お前は見るな」
……そして俺は、生涯忘れる事が出来ない罪を犯す事となる。
2部のクライマックスに突入しましたので
上下とさせて頂きます。
出来るだけ早めに投稿できるように頑張ります




