斥候【下】
地上に降りる手順は単純明快。
倉庫から持ってきた「バスケットボール」で化物を陽動し、その隙に地上に降りる。
だが、それを実行するにあたって「必要な人材の確保」と「約束事」を、武志に頼まなければならない。
俺が武志に頼んだ事は3つある。
まず、1つ目がロープを支える人間が必要な事。
この体育館の窓際には、ロープを結わえる場所がない。
その為、俺が地上に降りるまでにロープを支える必要がある。
俺1人の体重を支えるとはいえ、武志だけの力では心もとない……最低でも、あと2人は欲しいところだ。
2つ目が、地上で俺の身に何が起きても、又は戻って来なかったとしても「決して助けに来たり、探しに行こうとしない事」だ。
「木乃伊とりが木乃伊になる」
と言う言葉があるが、俺の救助のために二次被害を出してしまっては元も子もない。
3つ目が、俺が日暮れまでに戻らなかった場合は、死亡したものと考え……バスでの脱出プランを放棄し、新たな脱出プランが無い場合、体育館に留まる事を選択する事。
この体育館の窓からは、バスの車体の上部は見えるものの、壁の向こう側がどうなっているかは確認出来ない。
つまり、大学の敷地外に化物が彷徨いているのかどうかは、まったく分からない。
俺が壁を越えて戻って来なかった場合……すなわち、それは壁の向こう側に化物が大量にいると言う事だ。
そうなれば、バスを利用しての脱出プランは白紙同然となる。
最悪な一手ではあるが、体育館に籠城して助けを待つ他ない。
強行手段をとろうにも、俺以外に化物と戦う術を持つ人間は、いないのだからな……
俺の話しを聞き終えた武志は、落ち込んだ表情を浮かべていた。
「ごめんな……相馬。お前にだけ危険な事をさせちまってよ。俺が、お前みたく強かったら……。でも、俺が一緒に行っても、足手まといにしかならないのは分かってる……それが悔しくて堪らないんだ」
俺は項垂れていた武志の肩に手を乗せた。
「武志……自分を「足手まとい」だなんて言うのはよせ。俺には俺の……お前にはお前しか出来ない事がある……そうだろう?」
「……あぁ……そうだな。ありがとう…………相馬」
武志は頷くと、ロープを支える人手を確保するために生存者達に声をかけに行った。
俺は窓を開けて地上の様子を確認する。
地上には化物が5体……
いずれも、何をするわけでもなく、ただ徘徊しているだけのようだ。
化物達を注意深く観察していた矢先、武志が男の生存者を2人連れて戻ってきた。
2人とも「武志の頼み事」ならばと、快く承諾したそうだ。
3人にロープを持つように指示をすると、俺はバスケットボールを手に取った。
俺は壁の方から化物を、出来るだけ遠ざける位置へボールを投げた。
投げたバスケットボールは、コンクリートの地面に何度もバウンドしながら音を立てる……地上にいた化物達は、ボールが落ちた位置へと一斉に歩き始めた。
3人の顔を見ながら無言で頷き、俺はロープを手に取って地上へと降り始めた。
ロープの繋ぎ目の部分に不安を感じたが、問題なく地上に降りた俺は、すぐに戦闘態勢に移行する。
右手には「レンチ」
左手には「ドライバー」を持った。
化物達は、俺に背を向けて歩き続けている。
戦闘態勢を維持しながら、俺は足音を極力立てずに壁の方へと歩を進めた。
壁まで…………あと10メートル。
正直、こんなに上手くいくとは思っていなかった 。
あとは壁を登るだけ……そう考えていた刹那、
壁の手前に植えてあった大木の陰から、化物が現れた。
何故だ……この位置なら、バスケットボールのバウンド音に反応しないはずがない。
まさか……待ち伏せていたとでも言うのか?
まてよ……「用務室」と「渡り廊下」で遭遇した化物……今考えると、コイツらは「待ち伏せ」ていたように思える。
……少数だが獲物を捕らえる「ハンター」のように、辛抱強く「待ち伏せる」化物もいるのか。
化物は白く濁った目で俺の顔を凝視し、だらしなく開いた口を歪ませて、あたかも笑っているような表情を浮かべた。
俺は動揺する心を押さえながら、化物の懐へと飛び込む。
アッパースイング気味に放った「レンチ」の一撃は、奇声を発しようとした化物の顎を下から打ち抜いた。
顎を打ち砕いたのと同時に「小さな肉片」が地面に転がる…………それは化物の「舌」だった。
開いた口を「強制的」に閉じさせた為、化物は舌を噛みきったようだ。
化物の口からは大量の血が流れ落ち、地面を赤く染める。
幸いな事に「舌」を失った化物は、声をあげる事も出来ずに朦朧としていた。
俺は止めをさす為、ドライバーで化物の脳天を全力で突き刺した。
脳に致命傷を負った化物は、手足を激しく痙攣させながら絶命する。
振り返って確認したが、陽動をかけた化物達は俺に気付いていない。
消音殺人は成功だ。
俺は一足飛びで壁を登り、反対側へと着地した。
壁の反対側は化物達の気配はなく、辺りは静まり返っていた。
目の前には目標としていた都営バスがある……少し離れた位置から見ているが、車内には誰もいなそうだ。
客が乗車する前部扉も開いた状態……運転席にも人影はない。
俺は細心の注意を払いながらバスに乗り込んだ。
車内に誰もいない事を確認し、俺は運転席を調べる。
エンジンキーは差したまま……化物に襲われて運転手や客は慌てて逃げた出したのか?
事故や故障によって立ち往生したのでは無いようだ……これなら、脱出に使える。
脱出する算段が出来たのを確信し、バスから降りようとした時……
車内の奥から、何かが転がるような物音がした……
咄嗟に身構えた俺が見たのは……5、6歳くらいの小さな子供だった。
残念な事に「生存者」ではない……
先程の化物と同じく「待ち伏せ」ていたのかは分からないが、その小さな体で椅子の下に隠れていたようだ。
立ち上がる事が出来ないのか、小さな手を使い……ペタペタと這いずりながら、にじり寄ってくる。
「……子供」
今までは俺と同年代、または年上の化物を相手にしてきた。
単純に年齢の問題だが……子供を殺さなくてはならないのか。
殺るのは簡単だ……頭を踏み潰せばいい。
しかし……
俺は、足元に来た子供の頭を踏み潰そうとしたが……直前で足を止めてしまった。
子供は俺の靴に小さな手をかけ、足首に喰らいつこうと上体を起こす。
「くっ……!!」
俺は足に力を込め、足首に喰らいつこうと上体を反らしていた子供の頭を、容赦なく踏み潰した。
子供の上半身はエビ反りになる。
俺の足には頭蓋を割った感触が残った……
子供は無言のまま息絶えた。
「……最悪な気分だ。身を守るためとはいえ……な」
今後も「このような事」は頻繁に起こるだろう。
化物になるのは「大人だけ」ではないのだから……
次回の更新と、今回出たゾンビの補足は「活動報告」にて行います。




