ゼロ【上】
……風になびく葉音が聞こえる。
ゆっくりと目を開けた先には、緑豊かな森林と、底が見えそうなほど透き通った湖が広がっていた。
……この場所には見覚えがある。
陰惨とした「灰の世界」だった以前とは、あまりにも風景が違うが……ここは女が創造した架空の【精神世界】。
現実の世界では、相沢が手配した救出部隊と共に「研究所」に向かっているはず。
極度の失血状態だった俺は、輸送トラックの中で輸血を受けていたが、どうやら激戦の疲労で治療中に寝てしまったようだ。
……大方、意識が途絶えた時、ゼロが脳組織を支配したのだろう。
【……待ちわびたぞ、葛城相馬。この美しい景色を眺めながら、此度の勝利を祝おうではないか】
背を向けて椅子に座っていた女は、自分が作り出した創造物の景観を楽しんでいるようだった。
「相変わらず現実感はあるが……偽物と分かっていてはな。同じ偽物なら「こちら」を選ぶ」
俺は洋服の胸ポケットから煙草を取り出し、女の側で紫煙をくゆらせた。
この煙草も創造物ではあるが……俺の経験と記憶から作り出した物だけに「香り」と「感触」は本物と変わらない。
【……情緒のない奴め。貴様は「自然」を見慣れているから何も感じぬのだ。我が母星には同胞以外の生命体は存在せん。生命が創造る「美」に感動する我の心情を、人類では到底理解出来ぬだろうな】
……他の生命体が存在しないだと?
【……葛城相馬よ。何故、我々がこの星の大気に順応出来ぬのか不思議に思わなかったのか? その理由は1つ……我が母星には、この星の生命体に必須な【酸素】が無いのだ】
……続けて女は、自分達の身体の構造について話した。
俺達と同様に人型で歩行する生物だったようだが、人類のように皮膚はなく……金属質の身体で構成され、中心部に動力炉のような心臓が存在するとの事だ。
「……酸素と金属は接触すると酸化反応を起こす。つまり【錆びる】……ゼロが地球の大気に弱いのは「そこ」なのか」
……しかし、人類が長年追い求めていた地球外生命体の姿とは程遠いものだな。
人間の価値観からすると、生物と言うより「無機質な機械」に近い物を感じる。
【フフフ……我らが機械だと言いたいのか? それは人間の傲慢に他ならぬぞ。我々とて感情があり【意志】がある。貴様達と同じ文化を育み、芸術を愛する心もある。ただ、姿と構造が違うだけだ】
「……大気がない星は岩石や砂しか存在しないと思うが、そんな星に生まれ育っていても、地球の自然を美しいと感じるのか……?」
……女は、この質問に対して即座に返答しなかった。
暫く重苦しい沈黙が流れ、誰に聞かせる事もなくポツリと答えた。
【…………この風景は、我が記憶の奥底に眠っていた物を思い出させるのだ。かつて我が母星は「この星」と同じく生命に溢れた星だった。大規模な地殻変動により、我ら以外の生命体が死に絶えるまではな……】
……生物の絶滅、それを【星の帰還】と女は呼んでいた。
その後の世界に順応する為、ゼロ達は身体を金属に作りかえて生き延び、悠久とも言える年月を平和に過ごしていたが……ついに星の寿命を迎える事となる。
【……いま思えば、我らは滅びの摂理に逆らったのかもしれぬ。故に星がそれに耐えきれなくなり寿命を早めた。残った同胞達は星と共に滅びた……ある意味それは、星に対しての「贖罪」だったかもしれぬな。しかし、我々は生を求めて脱出した】
「……耳が痛いな。出来る出来ないは別として、人類も同じ状況になれば、似たような選択をとるだろう。誰しもが醜く生にしがみつこうとする姿が目に浮かぶ」
……遠い星に住む生物同士が似通った行動をするとは、これほど奇妙な話もあるまい、と女は笑っていた。
【……この身体を創造した時に不思議な感覚に包まれた。それは懐かしさ……もしかしたら、我の以前の姿だったのかもしれぬ。貴様を前にして、そうであって欲しかった願望かもしれぬがな】
……願望。それは一体、どういう事だ?と訪ねると……ゼロは一笑しながら「朴念仁」とだけ言った。
【さて……他愛のない話は、これで終わりにしよう。ここからは、貴様が知っておかなければならぬ事を話す】
……女は再び語り始めた。