曇天
最近、文学にはまりまして、書いてみたのがこの作品です。自分の人生を脚色しております。
私の心中は曇天である。
今思うと、私の人生には後悔が多く有った。私は生まれてこの方十年と半十年である。年を取り、経験を積んだ玄人なら、私の人生十五年はまだ未熟で短いものだと言うだろう。しかし、私の人生には後悔ばかりであった。
つい先日、父のPCをいじっていると、デスクトップに「携帯 動画」というファイルを見つけた。疑いの目を向けながら中を見てみると、十個ほどの動画があった。
父の古い携帯で撮った動画のようだった。私や妹、母、親戚が映っていた。日頃の不殺生からか、視界が揺らぐ、と思えば私は泣いていた。大粒の涙で頬を濡らし、声をあげ、泣いた。
涙が止まると、今度は言いようのない後悔の念が溢れてきた。どうして。どうして私はこれほど堕ちたのか。それから、自分を思い出した。いや、思い出そうとした。
私は琵琶湖畔の静かな町で生まれた。今は枯れてしまったが、近くには有名な天井川の跡があり、川跡の周りには田畑が広がっていた。父母、祖母と妹と私、叔母の七人家族で裕福ではなかったが、ひとまず幸せに暮らしていた。祖母と父は怒ると手をあげる日で、私はよく叩かれた。今でも祖母と父にいやな思い出があり、たまに思い出す。
私は幼少の頃、と言っても十一年ほど前であるが、よく人を泣かせた。幼少の私は、いたずら好きであった。家でもその頃通っていた幼稚園でも、よく悪さをして怒られた。そのおかげで私の心の芯はぐにゃりと曲がってしまったのかもしれない。そして、私は弱虫なくせに、人の気持ちを分かろうとしなかった。いや、解れなかったのかもしれない。
私はいじめをした。人に暴力を振るったのだ。
いじめをし、怒られ、またいじめをし、怒られる。そして犯罪に手を染めた。一度だけ破壊への誘惑に駆られ、自動車のガラスを割った。割って割って割りまくった。次の日、園に知られ、親に知られ、こっぴどく怒られた。それ以来、私は犯罪を恐れた。
そして、私は小さい頃からずっと死を恐れた。というより、すべてが無くなり無に還る事が恐ろしかった。死を考えると、腹の奥からよく解らない暗いもやもやとした不安が全身へと回る。とても恐ろしい。考えるだけでも震えそうになる。十五になった今も、恐れ恐る。
私の小さな反抗期は十歳の頃まで続いた。何故だかは解らないが第四学年に上がった途端に終わった。それまでに一体幾度悪さをし、何人もの人を泣かせたのだろうか。気付けば、五年たっていた。荒れに荒れた日々を五年もおくっていた。
途中、私は小さな疾患を負ってしまった。顔の疾患だった。
その疾患が出来たのはほんの小さなきっかけであったが、私に変化をもたらし、十三歳になった私を悩ませ苦しめた。
中学一年生の頃の私は、幼稚園の頃の反動のように、いじめられた。一言にいじめ、と言っても、私の場合は暴力的な物であった。必ず週に一度は殴られた。着替えの時囲まれ殴られた。何もしていないのに腹を蹴られた。疾患を罵られ、髪を引っ張られ、持ち物を捨てられた。私は、毎晩、彼らへの復讐を願った。願い願い、眠りについた。
しかし、私は復讐などする勇気さえなかった。私にできたのは教師への告げ口だけであった。だが、いじめの暴力に対して、教師の説教など何の意味も持たなかった。
いじめも一年もすると終わっていた。しかし、私の持っていた疾患は大きくなっていた。いやしくもいじめの終わりとともに新たな障害が発生したのだ。
新たな疾患ができ、私は人さえも恐れた。人の目さえ見れなくなっていた。学校では髪が目にかかる長さの髪の私は気味悪がられた。そして、さらに堕ちた。暗い所へ。
その頃の私は、欲に溺れていた。夜は遅く、自分をなだめすかし、空虚な妄想をした。それを毎日のように繰り返した。私はもう嫌になっていた。そんな私にも、転機という物は有った。
あれは調度12月31日だった。私がテレビ番組を見ていると、ふと思った。禁欲しよう、と。そこからの私の起死回生は順調だった。禁欲が、一週間、、、二週間、、、一か月と続き、私の第一黄金期が始まった。
黄金期はすべてが明るく見えた。楽しかった。恋もした。体の強化にも努めた。しかし何か足りない。具体的な目標が無かったのである。取り留めも無い事に囚われ、全く変わらない親の喧嘩。今思うと、黄金はただの鉄面皮に金メッキを施しただけの物だったのだ。その後しばらくで黄金期は終わった。
黄金期が終わったとはいえ、私は半身黄金期の余韻に浸ったままだった。それなのに、もう半身は堕ちかけていた。たまに自身をなだめすかした。よく本を読み、文学にふけり、洋楽を聞いた。あの「携帯 動画」のファイルに出会ったのは、そんな時だった。
父の古い携帯で撮った動画のようだった。私や妹、母、親戚が映っていた。日頃の不殺生からか、視界が揺らぐ、と思えば私は泣いていた。大粒の涙で頬を濡らし、声をあげ、泣いた。
涙が止まると、今度は言いようのない後悔の念が溢れてきた。どうして。どうして私はこれほど堕ちたのか。第二の転機がやってきた。
そうして今に至る。まだ変わりきれてはいないけれども、今なら少しだけ変われそうな気がする。三つ子の魂百までと言うが、少しくらいなら変わっても差支えないと思う。
これが私の十五年である。あまり詳しくはっきりとは語れないけれども、だいたいは伝えきれたかと思う。私はまだ中学生であるから、これから高校に行き、大学に行き、働くか、何かする事になると思う。たった十五年の人生の中でこんなことがあったのだから、これからの人生は何があるか少し楽しみだが、それ以上に不安である。しかし、必ずすることが一つある。自転車で京都に行くことだ。
人生山あり谷ありというもんだからどんと落ちてもいつか山があると楽観的に信じておこうと思う。その方が前を向いて生きてゆけるんじゃないか。もし、また落ち、上ることがあったら、どこかに書こうと思う。
ああ、いい天気だなあ。
私は、以前から文章の酷い小説を莫迦にする節があったのですが、書いていると、よくこんなに長いものかけるなと、思いました。初めての作品なので、うまくかけていないです。読んでくださった方は、ありがとうございます。