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ざんがいと団欒

 玄関に踏みこむと、いつもより靴が多いことに気付く。季節感を無視した分厚い革靴。お父さんの仕 事用の靴だ。

 無言で居間に顔を出すと、スーツ姿のまま睦月くんと対峙しているお父さんがいた。

 「帰ってたのか。おかえり弥生」

 「弥生ちゃんおかえりー」

 私に気付いた二人がこちらに振り向く。わざとらしい笑顔のような気がした。

 「ただいま。お父さん今日はずいぶん早いんだね」

 「ああ。たまにはな」

 ぎこちなく目を逸らすお父さんを不審に思っていると、ふいに両手を掴まれた。睦月くんだった。

 「弥生ちゃん、すごいよ、今日の夕飯、お寿司だって」

 睦月くんの声は明るく弾んでいる。なぜか胸がざわつく。

 「お寿司?何かいいことでもあったの?」

 説明を求めて辺りを見渡すと、お父さんはもう居間からいなくなっていた。スーツ姿では暑いから着 替えに行ったのだろう、きっとそうだ。そうに違いない。

 ふと見ると、テーブルに何も載っていない小皿が出しっ放しになっていた。汚れているようには見えない。これから使うんだろうか。

 「あ、ごめん。片づけるね」

 私の視線の先に気付いた睦月くんが慌てて小皿を流しに運ぶ。ということは、もう使ったあとなのだろう。

 もしかして。

 台所に設置されたゴミ箱に駆け寄る。急ぐあまりに、靴下がフローリングの床を滑った。態勢を崩しかけた私に驚いた睦月くんが「弥生ちゃん!?」と上擦った声を上げた。

 躊躇わずにゴミ箱に手を突っこむ。後ろで睦月くんが息を呑むのがわかったけど、かまわず続けた。

 目標は、ほどなくして見つかった。スーパーで取り放題の、半透明のビニール袋だ。口は縛られている。

 「睦月くん、これ・・・」

 声が掠れた。肺が引き絞られるような痛みに、頭が真っ白になる。

 ビニール袋から透けて見えたのは、卵の殻だった。しかもかなりの数だ。

 真っ二つに割られたのではなく、ヒビをつけて少しずつ剥いでいったものであることは、大小様々な欠片からわかった。

 睦月くんは、ゆで卵を作っていた。それも、たくさん。

 「弥生ちゃん怒らないで!」

 見開いたままの目で睦月くんを見ると、鼻の前で両手を併せていた。ごめんなさいのポーズ。何に?

 「一人で作っちゃいけないって話を忘れていたわけじゃないんだ。でも、お父さんが早く帰ってきたから、火の管理はしてくれるって言うから、だから」

 がさっ、と音を立てて袋が落ちた。膨らみに反して軽い袋だったから、重みに耐えかねたわけではない。指から力が抜けてしまったのだ。

 使い終わったあとなのに汚れていない小皿。睦月くんがゆで卵を食べるのに使ったからだ。

 この暑い中、スーツから着替えもせずに睦月くんと話していたお父さん。私が帰って来た途端、逃げるように部屋に引っ込んでしまった。

 夕飯はお寿司。なんで?

 大量に作られたゆで卵の残骸。どうして?

 何でもないことのはずのパーツが目まぐるしく思考を苛み、やがて1枚のモザイク写真となってはっきりと姿を現した。

 睦月くんは自由研究を一人で終わらせる気だった、と。

 「ごめんなさい。弥生ちゃん、怒ってるよね」

 怒ってる?私は、怒っているの?

 「どうして、そう思うの?」

 隙間風のような声だった。胸を塞ぐあらゆるものをやっと通り抜けたものだからだろう。

 だって、と睦月くんは言った。頬を掻く指の動きが、やけに鮮明に映った。

 「宏くんに1日1個より多く食べるのは体に良くないって言われてたのに、食べちゃったから」

 「違うよ」

 「え?」

 違うよ。私は怒っているんじゃない。

 むなしいんだ。笑ってしまうほど。



 夕飯のお寿司は、睦月くんのお別れ会のためのご馳走だった。

 睦月くんのお母さんから連絡があったらしい。明日、睦月くんを迎えに来るそうだ。だから自由研究の完成を急いだのだろう。その熱意を、私は喜べなかった。

 「これが、最後のバンサンってやつだね」

 睦月くんはそう言ったきり、黙々とお寿司を口に詰め込んでいる。私もそれに倣い、米の塊が胃袋に落ちていくのに任せていた。

 久しぶりに一緒に食卓を囲んだお父さんは、運転中を思わせる一途さで、テレビから決して目を離さなかった。脇見すなわち死であると肝に銘じているのがありありとわかる。

 腹を満たすために食べているのか、団欒への諦めを呑みこむために顎を動かしているのか、よくわからないまま味わうお寿司は、どのネタを食べても似たような感想しか持てなかった。噛むのが億劫だな、と。

 ごちそうさま、と最初に手を併せたのは睦月くんだった。

 空になった桶を流しに運び、その足で「お風呂入ってくるね」と言い置いて、私とお父さんがまだ残る食卓を通り過ぎていく。

 ああ、何かが終わってしまう。私は目をつぶった。黒くなりきらない瞼裏に、守らなくてはならなかったはずの何かを探す。

 睦月くんがドアを閉める、バタンという音がした。


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