6*森にて②
たいして奥まで入り込んでいなかったためか、少しずつ近付いてくる魔物の唸り声を気にしつつも数十分程で森の入り口へと戻ってきた。するとタイミング良くオレンジ色の髪の少年が馬で駆け寄って来るところだった。
「あ、隊長!アレス様!ご無事で何よりです!」
ほっとした表情でタローは二人の隣に馬を止めた。
「村には魔物は現れていないか?」
「はい、村人に聞いても森辺りでしか見たことないと言ってたっス。それにアオイはジャック先輩が護衛しているので、万が一のことがあっても大丈夫だと思いますし。あ、命令違反でここに来てしまったのはすみません」
「いや、今回ばかりは助かった、タロー、弓を構えろ」
その時、月光に照らされた三匹のキメラがカインデルに向かって突然襲い掛かってきた。しかし彼は冷静に振り向きざま抜き去った剣で先頭のキメラの喉笛を切り裂き、振り上げた力を利用して二匹の首目掛けて降り下ろした。三匹目はとっくにタローの的確な早業で口から矢を生やしている。二人の後ろですごいねと、のんきな拍手が上がった。しかし続々と森から飛び出てくる。先ほどよりは数は少ないが、逃げ切ることは出来なかったようだ。
「うわー、キメラっスか。面倒くさいなぁ…」
「ねぇ、その剣使わないなら僕に貸してくれないかい?」
「え?ア、アレス様?!」
カインデルを援護するため馬上から矢を放っているタローの腰から、半ば勝手に虎鉄は片手剣を拝借してカインデルに向かって走り出した。初めて触ったはずなのに、炎の精霊同様懐かしくて手に馴染むような感覚だ。全て、あいつの魂の記憶なのだが。背後からカインデルの首目掛けて飛び上がったキメラを、真横から真っ二つにした。鮮やかな真紅が虎鉄に降りかかった。
「さぁ、精霊が帰ってくるまで頑張ろう」
やはりこの場に似つかわない能天気な虎鉄の口調に、カインデルはため息を付きたかったが残念なことに暇がなかった。二人とも似通った、流れる水のように無駄のない剣筋で次々キメラをほふっていく。地面にいくつもの骸が転がり緑色が赤黒い色へと染まっていく様子を、葵には見せたくないなと虎鉄はふと思った。流石に少々息が上がってきたその時、キメラたちがまるで我に返ったかのように動きを止め、きょろきょろと辺りを見回したと思ったら一目散に森へと逃げていくではないか。
「あ、あれ?何が起こったっスか?」
思わず弓を下ろし、汗だくのタローが不思議そうにキメラたちの尻尾を巻いた後ろ姿見ていたら、突然三人の目の前に火の気も無いのに炎が上がったのだ。タローが驚きのあまり馬から滑り落ちた。
「ご苦労さま、どうだった?」
炎はすぐに雄々しい獅子の姿になり、申し訳なさそうに虎鉄に頭を垂れた。
『申し訳ございません、あれは私だけでは捕らえることが出来ず、魔獸国へと逃げられてしまいました』
「…へぇ、そっか。まぁ別に良いよ。今日はありがとね」
少々驚いたかのように虎鉄は目を丸くさせたが、すぐに意味有りげな笑みを浮かべた。確かに魔族には獸牙族の魔術師にさえ使えない、このように魔物を意のままに操れる高位魔術師がいる。しかし、世界の常識とはかけ離れた炎の精霊でさえ捕らえられなかったなど、どんなに素晴らしい魔術師でも無理な筈だ。そう、二人を、聖獸王と並ぶ、あの人を除いては。思い当たったカインデルはハッと表情を変えた。
「まさか…魔獸王だったのですか?」
「そうみたいだね。僕が本当に聖獸王の生まれ変わりだって確認でもしに来たのかな?」
『はい、あれは水と地が仕える魔獸王に間違いはありません。私を見てとても嬉しそうに、次はアレス様に会えるのを楽しみにしていると、言っていました』
炎の精霊が決定的な一言を残し、再び会釈をして溶け入るかのように消えた。虎鉄は何でもないように軽い調子で言うが、とんでもない大問題だ。
「ま、魔獸王って!そんな馬鹿な話あるんスか?!」
しばし尻餅付いて呆けていたタローが、それを聞いて我に返り立ち上がった。
「魔獸王がアレス様を襲ったなんて広まったら即戦争っスよ!ヤバいッス!」
「でも、僕は戦争するために喚ばれたんじゃないの?」
「いいえ違います。貴方は戦争を防ぐために喚ばれたのです」
表情では分かりづらいが熱の入った感情的なカインデルの返答に、虎鉄は少々意外そうな顔をした。彼はハッと口をつぐみ、すみませんと顔を反らした。
「…聞かなかったことにしてください。しかし幸いでした。何が目的か分かりませんが、魔獸王はここにはいない。アレス様は怪我一つありませんし、それで今は十分です」
「そ、そんな簡単にすましていいんスか?」
「第一、確定的な証拠がない。勿論大聖霊を疑っているわけではないですが、魔獸王がいたなど誰も信じないでしょう。一応王には報告しますが」
「まぁ、もうどうでもいいよ。過ぎたことだし、早く帰ろう」
待ちきれないと言わんばかりに、虎鉄
は剣をタローに返し、さっさと馬に跨がり駆け出していってしまった。
「ま、待って下さいアレス様!」
その後をタローが慌てて馬を走らせ、どう報告をしようかと頭を悩ましているカインデルがその後を追った。
*
夜はさらに更け真夜中近くになってきた頃、虎鉄は再び宿屋へと帰ってきてすぐさま大切な彼女のいる部屋へと向かった。すると物思いに更けるように窓の外をじっと見つめる、栗色の髪の青年が扉の横の壁に寄りかかって立っていて、彼はすぐに虎鉄に気付き姿勢を正しくした。
「ご無事で何よりです」
「うん、君もご主人を守ってくれてありがとね」
にこにこ笑顔なのが少々異質なほどの虎鉄の格好を見て、ジャックは顔をしかめた。髪や顔は洗ってあったが、服には暗がりでもはっきりと分かるほど赤黒い染みが広範囲にこびりついている。
「心配しないでも大丈夫だよ。魔物は追い払ったし、みんな怪我一つないから」
「それを聞き、安心しました」
言葉通りにジャックはほっと胸を撫で下ろした。
「後は僕がいるから、君は戻ってていいよ。カインデルもなんか話があるって言ってたし」
「ですが…」
「別に逃げたりしないさ。まぁ、ここにいたいならいればいいけど」
おやすみと虎鉄は穏やかに笑ってドアの取っ手に手をかけると、何か言い淀んでいたジャックがあっと口を開いた。虎鉄は思わず彼に視線を向ける。
「どうしたの?」
「いえ…何でもありません」
暗い廊下ではジャックの表情は分からず、目を合わさずに彼は頭を下げ、虎鉄の横を通り過ぎて行った。少し気になったが、あまり深く考えず虎鉄は魔力を使い鍵を開け取っ手を回した。ドアを開くとすぐに、テーブルに突っ伏して眠りこけている彼女を見つけた。音を立てないようにドアを閉め鍵をかけ、彼女を上から覗き込む。半分口が開いたあどけない寝顔に虎鉄は破顔しつつも、彼にとっては見慣れた姿で、葵はよく勉強しながら机で寝てしまうことが多かった。頑張り屋さんだと微笑ましく思いながらも、この体勢はあまり良くないとテレビで見たので、いつもつついて彼女を起こしていたのだ。だがもう起こす必要はない。汚れた服を脱ぎ捨て、葵をそっと抱き上げベッドに寝かせた。よほど疲れていたのか、身動ぎもせず全く目を覚まさない。
「…ごめんね、でも、後悔してないんだ」
葵に訳を話してもきっと許してくれる。嫌われることはない。彼女はとても優しくて、己が深く愛されていることを虎鉄は知っているから。虎鉄も勿論葵を愛していた。だが、同じ愛でも全く違うものだというのも分かっている。少し寂しい、だけど今は、十分満ち足りている。
「もうどこにも逃がさないよ」
彼は葵の額に口付けを落とした。