第8話 我らを狙う黒い影
分かってはいた、だからしょげるしかない。
「どういうこと? ちっくん、どんなババアに襲われたの?」
「死神が持ってるみたいな鎌を俺に突きつけて、何かに選ばれたから引き受けてくれって脅された」
「きずき、それは謎のババアっていうより危険なババアだな」
「危険な時点で十分謎なババアだろうが」
「確かに。 新手の宗教勧誘の類じゃねーの?」
「うぅ……、あれは神の力ってやつだったのか……」
世の中の宗教団体がいかようにして信者を増やしているかなど詳しくは知らないが、時間を止める神通力をこの身で体験してしまった築は強く否定できなかった。
「ちっくんちっくん! そんなことはどうでもいいんだよー! ヒナちゃんのことどう思う?」
「どうって言われても……」
「ヒナちゃーーーん! ちょっとこっち来てーーー!」
「うわっ!? 呼ぶなよバカ!」
刈谷は築と日名をカップルにする恋のキューピット役にでもなりたいのであろうか。しかしさっき説明した以外に語るべきことなどなく、日名を召喚したところで居た堪れない空気になってしまうのは明白なので刈谷の行為は悪女の深情けになりかねない。
「おーい、うるさいぞー! ホームルーム始められないぞー」
脂汗が浮いた額をハンドタオルで拭いながら担任がやってきた。
「あーあー、先生来ちゃった。 ちっくん、また後でね」
「後なんてねえよ、梨華。 ちょっと疲れたからマジで寝るわ。 バリケード役頼んだぞ」
重要な任務を刈谷に命じた築は再度机に突っ伏した。
刈谷は見た目はギャルっぽいが、根は真面目である。授業中に寝たりこっそり携帯をいじったりはしない。盾役に最適の人選だろう。
今までホームルームで重要な案件が語られたことはあまりない。このまま1時限目が始まるまで寝ていても差し支えないだろう。
学校の机で熟睡なんて簡単にはできない。姿勢や体勢を考え、顔を預ける土台の堅さをタオル等で和らげ、教師の目を盗み、指名を回避してやっと完成させられる物だ。
どうやら奇跡が起きたようで、築はホームルームを抜け1時限目の終盤まで眠れていた。
だがやはり最後の関門を突破するのは容易ではなかった。
「矢作橋! おい、矢作橋!」
「ちっくんちっくん、当てられてるよ」
刈谷は築の身体を揺すった。
「だから付き合ってねえよっ!!」
築は勢い良く立ち上がり大きな声で返答した。
「ほぉ矢作橋。 先生の授業には付き合ってられないってそういうことか?」
「え……」
教室のいたるところから失笑が漏れていた。
「矢作橋、お前寝てただろ?」
「え、いや……大丈夫です! もう起きましたから」
前の席の刈谷は必死で笑いを堪えている。
「大丈夫の意味がわからん。 とりあえずこの問題解いてみろ」
解けるわけないだろう。もう運にかけるしかない。
「-5?」
「……正解だ。 なんで-5という解が導き出せた」
こうなったら当てずっぽうだ。
「えと、解の公式を使ってその解を整理すると……」
「なんだ、わかってるじゃないか。 今日は少し早いがここまでにする。 クラス委員、号令!」
「すごくね、コレ。 今日の占い絶対俺1位だわ」
今日はかなりツキがあるみたいだ。宝くじでも勝ったら1等とか当たるかもしれない。
「アレ? もう1時限目終わったん?」
今起きた豊田のステルス能力に若干嫉妬した築だった。
休み時間に入った。豊田の女の子を惹きつける極意を刈谷と共に聞き流していると声をかけてくる者がいた。
「梨華さん……さっきわたしに何かご用だった?」
声のした方向を見ると、日名が立っていた。
「あ、そうだったそうだった! ねえヒナちゃん。 ちっくんのことどう?」
どうってなんだよどうって。いろいろ端折りすぎだろう。
「好きですよ。 おもしろいし、とても話し易くて」
好きという言葉は使い方が色々あるので早合点するとバカを見る。
「そうなのヒナちゃん!! こんなんが好きなの!? バカだよちっくん?」
「そうだよヒナちゃん、俺バカだよ?」
変に否定することもないので乗っておいた。
「あ、さりげなくヒナちゃんって呼んだよ、ちっくん」
「それでいいよきずきくん。 ふふっ、たまには遅刻もいいかもねっ」
恋愛感情なんてなくても女の子から好きと言われれば男ならば嬉しいに決まっている。それもお淑やかな美少女から言われたならばなおのことだ。前の席のギャルにバカだのアホだの言われても余裕綽綽で中和できる。
「日名さん、きずきはやめといた方がいいかもよー? 昨日謎のババアに変な宗教に勧誘されたらしいから! まあ、きずきなりに考えたネタだろうけどな」
「そうなのきずきくん?」
日名は心配するような視線を築に向けた。
「なんか神の力か魔法かで時間を止められてさー、お前はこの世界を救う者に選ばれたとか言われたんだよ、脅されながらさ。 でも大丈夫、逃げたから、ササッとね!」
そう築は語ると、非常口に描かれているような人型のマークのポーズをしていかに慌てて逃げたのかを表現した。
「……そうなんだ。 きずきくんが……。 居残りたぶん2人だけだと思うけど頑張ろうね! わたし席に戻るから!」
築は一瞬、日名の表情と日名を取り巻く空気が冷たくなったように感じた。
「きずきー、2人っきりフラグか? 激しいことすんなよ??」
「きゃーやらしー!」
豊田と刈谷の野次によって、日名が発した違和感など忘却の彼方へ旅立ってしまっていた。