第6話 回る回るよ
アラームをセットした携帯もまだスリープしているのに築のが一足先に目が覚めた。
寝起きの気分は普通、何か夢を見ていた気がしたが覚えていない。大した夢ではなかったのだろう。
ふんわりと漂う味噌汁の香りが築の部屋を充たしている。今日の朝食は和食であろうか。
疲れていたはずなのに携帯電話のアラームが起動する前に起床してしまったことを悔やみつつ時間を確認する。
時刻はAM6時を少し回ったところ、起床予定時刻より30分ほど早く起きてしまったようだ。
早朝とはいえ気温はうっすら汗をかくくらいに高く、もう少し眠りたかったが絶対に寝れないと思ったので、ちゃちゃっと登校準備をしてのんびりと朝食を楽しむという選択肢を選んだ。
「ふぁぁぁぁ~~」
盛大に伸びをする。猫は伸びをすると文字通り伸びて、目を疑うくらいに長くなるからびっくりだ。
夏服のスラックスは泥染めになってしまったので、生地が厚い冬服のスラックスを引っ張り出して穿いた。夏には必要ないと思われる保温効果は、もう既に発揮されていて、太ももからふくらはぎまで蒸れ始める。通気性も抜群に悪い。ジャージでの登校は禁止されているので、冬服を穿かない以外の選択肢は学校を休むしか残されておらず、制服が汚れたという不憫な理由で欠席するなど学校も親も認めてくれるわけがないので、実質は一者択一だった。
もう学校に行くしかない。築は置き勉をしているので、鞄は弁当箱を入れる為だけの箱と化している。空に近い鞄の中に携帯電話やら財布やらを放り込む。
先ほどから気になっていたのだが、壁越しに航の部屋からアラームと思われる着うたが聞こえていた。
あんなうるさい着うたが鳴り響く部屋で熟睡できる航は、歌唱力のある良い声を持った見知らぬおっさんが自分の部屋で流行りの曲を熱唱しても気付かないのではないだろうかと思える。
築の場合はいくら安眠していようとも、部屋に誰かが入ってきた時点で目が覚める。
気持ちよく寝ている妹を叩き起こすのはしのびないが、このまま放置していたら航は遅刻してしまうかもしれない。
「おーい、起きろー」
兄心が湧いた築は、扉越しに声をかけると同時に扉を数回蹴った。これで目覚めないのならばもう知らない、兄としての責務は果たした。
顔を洗いリビングへと向かう。
そこではクールビス仕様の服に身を包んだ父・東がモーニングコーヒーを片手に朝刊の地方欄に目を通していた。
テーブルには炊きたてご飯にシャケの塩焼きと味噌汁があり、コーヒーと和食は合うのだろうかと築は疑問を抱きつつ父に挨拶をした。
「おはよう、父さん」
「おはようさん、早いな」
「うん。 あれ? じいちゃんは?」
「さあ、散歩じゃないのか?」
「ふーん」
築の祖父・巌に限らずお年寄りは目が覚めるのが早い。東も巌程ではないが年々目が覚める時間が早くなっていると嘆いていた。
朝の散歩に出掛けている祖父が帰って来たら、みんな一緒に朝食を摂るというのがいつもの矢作橋家の朝の風景である。
「おーはーよー」
航が低血圧のだるだるオーラ全開でやってきた。
ボサボサの髪に眠そうな半開きの目を擦っている姿は年頃な女子中学生とは一体何なのだと疑問すら浮かんでくる。
「あーあー、彼氏には見せられないね」
「母さん、そんなのいないもん、だから困らないもん」
「彼氏に限らずそんなお疲れさまな顔を家族に対しても見せんなよバカわたり」
航はまともにしてればなかなかの美少女だ。身長も165㎝近くあり、今はボサボサのくせっ毛もしっかり手入れすれば端正な顔とマッチして、中高生向けファッション誌で活躍できそうな風貌である。
築も整った顔をしているのだが、ファッションとやらに無関心な為に宝の持ち腐れとなっている。眼力が非常に強いので、他校生に絡まれたりもよくしていた。
「兄ちゃんうるさいよーー」
「目ぇ半開きで応答すんな」
「あれ、きずき? あんた何のんびりしてんの? 今日は早朝テストない日なの?」
「えっ……」
早朝テストとは、築の通う県立の進学校・西康生高校で毎週火曜日の始業前に実施される小テストである。授業の復習と補填を兼ねていて、合格点を取得しない場合と遅刻をした場合は居残り補習となる西校生にとっては苦痛の仕様となっている。
「やっべぇぇぇ!!」
築は脱兎の如く和室へ向かい、仏壇に朝の挨拶を捧げる。
「ばあちゃん! いってきます!」
冷や汗タラタラで玄関に向かう。
「バカ! きずきー、お弁当忘れてる!」
「ありがとう母さん! それじゃ、行ってきまーす!」
庭に停留していた自転車に跨がると、ギアを一番重い6に設定して学校へと全速力で向かった。
「父さん母さん、兄ちゃん何で仏壇なんか拝んでたのかな?」
「さぁ?」
築が学校へと旅だった数分後、リビングの扉が開き2人の人間が入ってきた。
「おじいちゃんおかえりー」
「あぁ、ただいま。 レイさんや、朝食にしようかの」
「うむ……」
巌の後ろに立っていた黎は夏だというのに、全身に真っ黒な布を纏っていて長柄の何かを持っていた。