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第5話 全部、丸めて

 まさかの臨死体験に加え全力疾走により疲れはピークに達していた。

 自宅の門扉を開けると、千切れんばかりに尻尾を振った愛犬のモコが駆けて来た。


「モコ! おすわり!」


 築の命令はちゃんとモコに届いたはず。しかしモコは命令など無邪気に突っぱねて飛び付いて来た。いつもならスラックスが毛だらけになってしまうので距離をあけて接するのだが、今は泥だらけだしこの際どうでもよかった。


「ただいまー、よーしよしよし」


 夜も遅い中でモコと戯れる。ゴールデン・レトリバーのくせに少々落ち着きに欠けるモコだが、こんなでも一見様や不審者にはちゃんと吠えるので番犬としての責務は果たしている。近所の人やいつもの検針員のおばちゃん、家族の知り合いとかにはあんまり吠えないから優秀だ。


「うるさいっ、きずき! 帰ってきたんなら早く入ってきなさい。 モコだって眠たいんだから可哀想でしょ!」


 玄関から母のユウが怒鳴っていた。母の声量の方がどう考えてもうるさい気がするが、あえて火に油を注ぐことをしても得にならないので素直に従う。


「ごめーん! 今入る」


 モコは楽しい時間が終わることに気付いたのか少し寂しげにくうんと鳴いた。


「よしよしまた明日な、おやすみモコ」


 モコはトボトボと小屋に向かって行った。この瞬間はなんとも言えない悲しみがわいてくるので慣れないものである。 

 玄関を開きシャバシャバになった靴を脱ぎ捨てリビングに入る。

 泥だらけになったのがバイト用のスニーカーだったのが不幸中の幸いだった。これが通学用のローファーだったら母にどつかれ後にネチネチとお小言を喰わされていたところだ。

 リビングの扉を開けると、エアコンの冷気が火照った身体に染み入るように流れてくる。


「兄ちゃんおかえりー」


 そこには母と妹のワタリがいた。母は湯呑みを片手にテレビでバラエティ番組を見ていて、航は教科書とノートをテーブルに散開させ勉強をやっていると見せかけつつテレビを盗み見ていた。


「あんた何でそんなに汚れてるのっ! なんか変なことでもしてたんじゃないでしょうね!?」


 母は少しキレ気味であった。


「ほんとだー、兄ちゃん泥だらけじゃん。 あはは、ウケ狙い過ぎだよぉ」


「狙ってねーよ、リアクション芸人でも我が家ではオフだよバカタレ」


「もう早くお風呂入ってきなさい! あーあ、フローリングも汚して! ちゃんと自分で自分で掃除しなさいよ!」


 とりあえず遅くなったワケを話さなければ、ウケを狙って汚れたということになってしまうかもしれない。挙句の果てに母に叱責されるという残念な流れに呑まれることになる。

 しかし、赤裸々に語って信じてもらえる可能性は無いに等しい。ここは今まで培った家族の絆に賭けて語りかけるしかなかった。築は口を開く。


「母さん、帰宅途中に魔法使いのババアに襲われた」


「……はぁ?」


 賭けにすらなっていなかった。

 空気が凍った。それはエアコンの出力もテレビに映っているお笑い芸人のネタが寒かったのも原因ではないのは一目瞭然だった。MCを務める人気芸人は必死でその空気を打破すべく奔走している。

 一発屋と呼ばれる若手芸人に大切な場所を任せたMCが悪い。だがMCとしては一種の賭けでもあったわけだ。

 築も賭けが失敗してお茶の間がこうなることは想定の範囲内であったため、狼狽えたりなんかせず、言葉を繋げ母と航を畳み掛ける。


「なんか時間を止められてでっかい鎌で脅されて田んぼに突き落とされた。 いやー、まいったまいったー!」


 母と航は顔を合わせながら目を丸くしていた。


「納得してくれたかな?」


「きずき、あんたがバカってことは知ってたけど常識はある子だって思ってた。 それが常識も無いなんてあんたには一体何があるの?」


「いや、俺に聞かれても……」


 母はずばり酷いこと言う。


「兄ちゃん、怒られるのが嫌だからって何もかも失うのはリスクが大きすぎるとあたしは思うよ」


 航の方が傷を抉るのに長けていた。

 ここで諦めてしまうわけにはいかず、半ばむきになって話を続ける。



「マジなんだって! 嘘っぽいかもしんないけど本当なんだってば!」


「あーもう、いいからお風呂入ってきなさい!」


「なんなんだよチクショー!」


「兄ちゃん、お風呂でおもろい言い訳考えて来てねー」


「うるせーよ、ノートが真っ白だぞ。 口じゃなくて手を動かせ手を! なんだよ……やってらんねえよ……」


 築は悲壮感と敗北感を堪え、しぶしぶ風呂場に向かった。


「うりゃっ!」


 脱衣場の洗濯カゴに泥がこびりついているTシャツを溜まった負の気持ちを一緒に丸めてぶちこむ。乾いた泥が床に撒かれてザラザラする。

 どうやら時間的に、入浴するのは築が最後のようだった。 

 掛け湯をして湯船に浸かると疲れが湯にとけていくような心地よい気分になり、リラックスした築は大きな息をはーっと吐いた。風呂は命の洗濯、その通りだ。


「きずきー、母さんもう寝るからお風呂のお湯捨てないで残しておいて。 わたりも自分の部屋で宿題させるからリビングの電気もお願いね」


「りょーかい。 てか母さん! 何で泥だらけだったか聞かないのー!?」


 浴室での反響した自分の声はまるで別人の声のようであった。

 母からの返答は無い。築の話が下らなすぎて萎えてしまったらしい。

 築も不思議体験のことなどもうどうでもよく、手早く入浴を済ませリビングの電気を消し自室へと向かった。 

 その前に築は日課である仏壇を拝むために和室へと入った。

 熱心な仏教徒というわけではなくこれは小さい頃からの日課、ご飯を食べることや寝ることと何ら変わりない行為だと築は思っている。

 病気で床に伏して重篤だった築の父方の祖母・レイは、築が産まれるまで生きていられないと言われていたのだが、築が誕生する瞬間まで奇跡的に生き長らえてから往生したと両親から聞いていた。築の記憶に残ってはいない祖母だけど、自分が17年間無病息災なのは祖母の加護の賜だと築は思っている。


「今日もありがとうばあちゃん」


 そう感謝しながら仏具を鳴らし手を合わせた。

 自室に入りベッドに突っ伏す。どうやったら今日の希有なイベントを家族に信じさせることができるのかを考えようとしたが、何も思いつかない。やっぱり全て忘れて、夢だったことにしておくのが最善だと思われた。


「はーあ、どうせ信じてくれないよなあいつら」


 もう真実だろうが虚実だろうが今となっては関係ない。明日になったら忘れてるだろうし、寝てしまおう。それが築にとっては最善だと言えた。

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