第4話 なんでだろう、あなたを選んだ私です
自分が斬首される瞬間くらい目を瞑っていたかった。
しかしこの状況に至っても築は目を見開きババアを凝視した状態である。
斬首された瞬間というのは僅かに意識が残っているという。下手すると自分の首無し胴体を見下ろすことになりかねない。それはそれは凄まじい怨念が残っていてもおかしくない。平将門の霊を封じる為に山手線や中央線が利用されているという都市伝説もわかる気がする。
築は死を覚悟していたが、大鎌の刃は首に触れる寸前で停止していた。
「かなり死が近くまで見えた筈じゃのに、相も変わらず嘲笑を浮かべておる……なかなかの度胸じゃ。 気に入った」
平然と殺人行為を遂行しようとしていたババアは得物を引くとその石突き部分で地面をコツンと叩いた。
その瞬間、今までうんともすんとも言わなかった築の身体が自由を取り戻し、羽虫は羽ばたき始め、カエルは元気に輪唱を始めた。
片足が田んぼに嵌まったまま一時停止ボタンを押されたものだから、急に再生ボタンを押された築はバランスを失い田んぼに倒れてしまう。
「ぺっぺ!!うあぁ……ドロッドロ……」
「うむ……素質を見る為に周りの時を止めお前を試してみたが……やはりお前は選ばれた程の何かを持っておる。 誇って良いぞ」
今の築を見てどこに誇る要素が垣間見えるというのだろうか。田んぼに落ちて埃まみれの泥だらけだ。雨で水嵩が増した田んぼは、ちっぽけな人間の衣類を全て水浸しにするなんていとも容易い。Tシャツもスラックスもスニーカーも見事にお釈迦になってしまっていた。しかし鞄だけはエナメル素材だったので無事であった。
泣きたいし喚きたい気分だった。でもせっかく状況がが変わったのだからこの機会に謎のババアに聞きたいことを投げ掛ける。
「あんた一体何者だ? さっきのは何すか? てか何に選ばれたんだ?」
矢継ぎ早に質問をする。状況を理解した上で的確に逃げ出したい、謎のババアとこれ以上の関係なんて築きたくない、顔見知りにすらなりたくない、赤の他人のままでいたい。
「儂が何者であるかなどたわいもないことじゃ。 さっきのはこちらの世界では魔法と定義されているような物だ。 お主はこの世界を救う者。 この世界に生きる人類60億の中から儂がお前を選んだ。 その素質を試す為にお主の回りの時を止めたのだ。 首に鎌を当てがわれておるというのに、眉一つ動かさない。 なかなかの器じゃ」
「勝手に変なものに選ばないで下さい。 魔法で周りの時を止めた? 信じられません、そんなこと。 仮にそうだったとしても、それはあんたのミスじゃないっすか? 俺自身の動きも止まっててあんたの脅迫にも反応できなかったんだよ!!」
言ってやったぜとふふんと鼻を鳴らす。
「それでも構わぬ。 今はどんな奴であろうと早急に人員が必要なのじゃ。 光栄だと思え、お主はこの世界を救うのだ。 当然引き受けてくれるな?」
「そんな適当に選ぶとかどんなだよ、名簿番号1番だからクラス委員長やってくれ、みたいなそんな感じですか!?」
「何を一人で呟いておるのだ……受けてくれるのであろう?」
安請け合いはよくない。クラス委員長なんてものは、大して仕事は無いよとか言うくせにかなりチマチマした仕事が多いし真面目を一般生徒より強要されるしろくなことがない。
「やだっ! 断るっ! それではっ!」
築は短く拒絶すると踵を返し残っている体力をフル導入して泥水が染み込んだスニーカーをシャバシャバ言わせながらダッシュでその場を後にした。
またババアに何かされる前にこの場を逃げなければと思い、決死の覚悟で突っ走った。もう自分がどこを走っているかなんてわからない。慣れ親しんだ道をただただ感覚を頼りに自宅を目指して激走する。
どれだけ走ったのだろうか、築は意を決して後ろを振り返ってみた。
そこに人影は無かった。
どうやら追いかけて来る老婆というような怪談にはならなくて済みそうだ。口裂け女は凄い速度で襲ってくるが、ポマードと数回唱えると助かるらしい。そんな怪談よりも魔法で時間を止める鎌を持ったババアのがよっぽど怖い。
「ふぅ……まったく、体力測定でも何でも無い日にこんなに本気でダッシュするなんて思わなかったぜ。 中学以来まともにスポーツをしてない帰宅部の体力の無さを見くびんなよ」
心臓は16ビートでリズムを刻んでいた。
結構な距離を全力疾走したので身体は失った酸素と水分を欲していたが、さっきの騒動でせっかく買った炭酸飲料を放り出してしまっていた。だが、もうすぐ平穏で安全な我が家だ。
夏の夜は変質者が増えるので気をつけるようにとの警告を担任から伝えられた矢先に謎のババアと遭遇である。泥まみれで全力疾走する築もはた目からはなかなかの変質であるが。
「世界を救うとか何だ……まっ、バイト疲れと暑さのせいで幻覚が見えて幻聴でも聞こえたんだろ。 夢だな、うん、夢」
さっきの未知なる出来事を白昼夢扱いにして家に帰るのだった。