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第2話 私のお墓の前で

 仕事終わりの解放感、喫煙者ならここでタバコを取り出し火をつけるに違いない。仕事終わりの1本と言うのは喫煙者にとっては至福の嗜好品なんだとか。

 それは一体どんな感じなのだろうと築は、煙と共に疲れや鬱憤を吐き出す自分の姿を想像したが、あいにく法律を犯すつもりは無いしタバコを吸ってみようという好奇心も無かったのでさっき購入した炭酸飲料を飲みながら家路につくことにした。

 梅雨の時期には珍しく雲1つ見えない夜空には月が堂々と自分の存在をアピールするかのように淡くとも眩い光を放っている。

 月の明かりなのか街灯の拙い明かりなのか区別を付けづらい薄暗い初夏の蒸し暑い道を抜けて、近道をするべく選んだ農道を、炭酸飲料をすすりながら歩くことにした。

 農道の脇にある田んぼでは、発育著しい鬱蒼とした稲の森が見渡す限りに広がっていて、カエルが喧しくないている。


「立派な米になって日本の農業と食生活を支えてくれっ!!」


 誰も見てないのをいいことにビシっと人差し指を稲達に向けそんな事を言っているとなんかワサワサした不快な物が築の顔面を襲った。

 それは小さな羽虫の大群だった。

 心にも無いことを言った罰であろうか。羽虫の群れに強襲され月明かりしかない畦道で人知れず慌てふためく。道と田んぼの境界線などこの状況で目視することなど築にはできず、田んぼに右足が嵌った挙句に全身をつ釣ってしまった。

 七転八倒七難八苦七回転んで八回も起き上がる気力と体力を捻出できそうもなく、割と本気で泣いてしまおうと考えた。事実目頭が熱くなり一筋の軌跡が頬に描かれたことは秘密にしたい。


 「あーあ……あっはっはっはーー!!」


 なんかもう残念過ぎて逆に笑えてきてしまう。


「痛ぇ、身体が動かない。……あれ痛くない? 脊髄反射で痛ぇって言ったけど痛くない」


 それでも身体は全く動こうとしない。片足を田んぼに突っ込んでいるなんとも哀れな状態を解除したいのに身体が全く反応しない。応答せよ応答せよと全身にくまなく信号を発信するが沈黙を貫いている。

 まるで時の流れが停止しているみたいだった。

 早く田んぼから足を引き抜き羽虫からエスケープしなければ顔面のあらゆる穴から羽虫の侵入を許してしまうと懸念していたが、羽虫は襲ってくる気配がまるで無いどころかその場で停止したまま微動だにしていなかった。

 宙で羽ばたきなしで浮遊するなど羽虫が行えるわけがない。偉大なる人類が生み出したヘリコプターでもふわふわと小刻みに動いているし何しろプロペラやエンジンは動いているからだ。

 さっきまでうるさかったカエルの喧噪も止まり静寂が辺りを包んでいた。

 風の流れや星の瞬きも感じられない。

 時が止まっていた。正確には築の思考回路のみを残して全ての時が止まっていた。築の身体も羽虫もカエルも風や星といった大自然さえも時間の流れに乗れていなかった。それは誰かが一時停止ボタンを押したかのようであった。

 死ぬ瞬間というものは今までの記憶が走馬灯のように駆け巡り、全ての情景がスローモーションで見えるという話を築は思い出した。物語で見たのか誰かに聞いたのかはわからないが今はそれに近い状況のような気がした。


 「俺は死ぬのか?」


 これは死ぬ前に自分の軌跡を改めて受け止める為に神か閻魔かがお迎えが来る前に設けてくれたシンキングタイムなのだろうか。それなら美談に成りうる出来事をなるべく多くフラッシュバックするしかない。


「…………」


 脳の記憶を司る器官をフル稼動させたが、自分には今まで美談になりそうな事象がごく僅かしかなかったことを築はひどく後悔した。


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