第15話 迫るー
曇天だった。空は今にも大泣きしそうである。
「豊田ぁ、いい加減離れてくれないか……。 暑いんですけど」
「なんだよきずきぃ、ノリ悪いな」
自分も暑いくせに離れようとしない豊田。汗を垂らしながら歩きにくいのも我慢して絡むとは、他人の色恋沙汰というのはそこまで人を熱心にさせてしまうのか。
「ヒナちゃーん、もうだめぇー、暑いぃぃ……」
暑さに耐えかねた刈谷は歩きながらシャツの上に着ていたベストを脱ぎ始める。
「危ないですよ? 止まって脱いだ方が……」
「大丈夫大丈夫! ……あ」
「どうしたんですか?」
刈谷は急にその場に立ち止まった。
日名も心配して聞く。
「つけてくるの忘れちゃったみたい、あははー」
「何をつけるの忘れたの?」
「ブラ」
「……。 梨華さん! ベスト着てくださいっ! 透けちゃいますっ!」
「あっはっはー」
刈谷は笑っているだけで脱いだベストを再び着ようとはしない。
下着装着を忘れた本人よりも日名が一方的に大慌てだ。
先を歩いていた築と豊田も、後続が来ないのに気付き振り返り声をかける。
「おーい、梨華ぁー、ヒナちゃーん、どうしたのー? 置いてくよー」
「何をしているんだ」
様子を窺いに豊田が引き返してくる。
「下着つけてくるの忘れちゃいましたっ! ごめんなさい! ちょっとこっちに来ないでくださいっ!」
「お、おう」
日名の叫びを聞いて豊田はまた引き返す。
「ちょ、ちょっと、ヒナちゃん? あたしは大丈夫よ」
「大丈夫じゃないですっ! 早く着てください」
「うぇ……、暑いから別に……」
「梨・華・さ・ん?」
「う、うん! すぐ着るっ!」
訴えかける日名の視線に刈谷は屈し、大人しくベストを着た。
「豊田、あいつらどうした?」
「日名さん、ブラしてくるの忘れたらしい」
「ありがとう」
勘違いした男連中は再び駅へと向かい、女子も後を追った。
朝の駅はどこから湧いたのかと思ってしまう程に人でいっぱいだ。
旧国道前駅は乗降者数など首都圏の駅の足元にも及ばない無人駅である。しかし車での通勤がメインである地方の私鉄駅でも、築達の様に通学に利用する者や都市部へ通勤する者などで賑わう。
今日はあいにくの気象からか、電車を使う人が多いようだ。
島式の構内は、前の電車が発車した直後だったので人はまばらだった。
「ちっくんちっくん、一番前に並べば座れるかも。 早く行こっ!」
「座れるって……、1駅だけじゃねえか」
冷房の効いた電車にもうすぐ乗れるので刈谷のテンションは高い、朝っぱらから高かったがそれ以上だ。
改札を通った刈谷は軽快なステップで先頭を奪取した。刈谷を挟むようにして築と豊田、築の後ろに日名が立つ。
築達の後ろには後続の人々が列を成した。
「間もなく、都心部方面行き普通電車が参ります。 危ないですので、白線の内側までお下がり下さい」
後ろで待っていた日名の胸元を気にしていると、アナウンスが流れた。
駅の真横にある踏切の遮断機がおりる際の警告音が聞こえ、徐々に近寄ってくる電車が遠くに見えた。
「ふぅ、やっと来たー。 座れますようにっ!」
「喋らないと思ってたらそんなこと願ってたのか」
「いいじゃん、どうせ涼むなら座ってたいじゃん?」
「気持ちはわかるけど、なんかバカっぽい」
「うっさいなぁー。 それで……」
その時だった。仲良く話していた刈谷の声が急に途絶え前方に吹き飛び築の視界から消えた。
「梨華ぁぁぁぁ!!」
刈谷は停車しようする電車が迫るホームに落ちたのだ。
その光景に周りは騒然とする。
すぐに設けられている退避スペースに潜り込めば問題ないのだが、刈谷はその場に突っ伏したまま動かない。
「おい! 何してんだ梨華! 早く逃げろ!」
築は声を張り上げ呼びかけたが応答はない。落ちた時の衝撃からか軽い脳震盪を起こしていた。
駅員も居らず周囲の人間も滅多に起きないアクシデントにうろたえ声を上げるのみで冷静な対処がされない。
列車は事態に気づかぬまま進行してくる。
「クソ!!」
築は鞄を置く。
「きずきくん! 危ないよ!」
築が何をしようとしているか感じ取った日名は、築のシャツの裾を掴む。
「放してヒナちゃん! 早くしないと梨華が!」
「ダメです! わたしはあなたを守るのが……」
「いいから放せぇぇ!!」
「きゃっ!」
日名の手を強引に振り解くと、築は線路へ飛び降りた。
「梨華! 梨華! おい! クソ!」
身体を起こして揺すり問い掛けるが、刈谷からの返答は無い。しかも強く頭部を打ち付けたらしく、真っ赤な血が額をつたっていた。
そうしている間にも電車は刻一刻と迫ってくる。
築は刈谷を抱きかかえる。両腕に刈谷の全体重がのしかかる。刈谷が見た目よりも幾分か軽かったのが救いだった。あとで体重は何キロあるのかどさくさに紛れて聞こう。
後はこのまま背後にある退避スペースに潜り込むだけだ。
「よいしょっと……。……。 くそっ!!」
刈谷を持ち上げ退避しようとしたが引き戻された。
刈谷が提げていた鞄のキーホルダーが線路の接合部に引っかかってしまっていたのだ。
無理やり千切ろうとするが、特殊な素材なのかなかなか切れない。
踏切の手前で異常に気付いた列車は警笛を鳴らし急ブレーキをかけるがそう簡単には停止できず、吸い寄せられるように構内に進行してきた。
刈谷を一旦置いてちまちまキーホルダーを外している時間などないし、今さら増援を呼んでも助けに来てくれる命知らずな人間なんていないだろう。
周りを気にしている暇などない築は、力を込めながら叫んだ。
「豊田ぁぁぁ! 来てくれぇぇぇ!」
「いいか、1回しかない、落ち着け。 せーので引っ張るぞ」
「豊田!? おうっ!」
「せーのっ!!」
既にホームに降り立っていた豊田は築と共に刈谷を抱えると、号令にあわせて渾身の力で引っ張る。
列車が迫る中でのたった1回のチャンスだった。
強情だったキーホルダーは観念してプツンと切れた。
「早く退避スペースに!」
迫ってくる列車を間近で、しかも正面から見るなんてこんな怖いことはない。人を轢き殺す為に製造された兵器のように見えた。
悲鳴のようなブレーキ音を響かせた列車は、築達がいたところをゆっくりと通り過ぎ停止した。