第12話 素直にお喋りできない
リビングに着くと、父と祖父が野球中継を見ながら互いに熱弁を奮っていた。
天寿を全うされたブラウン管テレビに代わって、最近やってきた薄型ハイビジョンテレビは白熱した試合を美麗映像で茶の間に届けている。スポーツもバラエティも変わらぬ美しい映像で送っているこのテレビは1番の働き者なのかもしれない。縁の下の力持ちとはちょっと違うが。
そんな中、航は人知れずキッチンから食卓まで料理を運搬していた。
「ちょっと兄ちゃん、手伝ってよ!」
「はいよー」
兄だけサボることは許されなかった。
東は一番テレビが見やすい位置でもある上座、その左隣に築・航、右隣に巌・黎、優はキッチンに近い下座という配席である。長方形をしたダイニングテーブルはこうしてバランス良く埋められていた。
黎の席は最もテレビが見づらいので一昨日の夜までは空席になっていたはずなのだが、今は黎と名乗る老婆が鎮座している。
その光景に、築を除いた家族は何ら不審がることもなく、よく効いた冷房のもとに暖かな食卓が広がっていた。
「いただきます」
「いただきます」
一家の大黒柱の号令で晩御飯はスタートした。
今日のメニューは大皿に盛られたみんな大好き唐揚げ、小皿に取り分けられたサラダ等。
航の目の前に調味料が集中して置かれていることはとても便利なので喜ばしい。
「きずき、マヨネイズをとっておくれ」
マヨネーズは航の手元にあるのに、黎はわざわざ築に頼んでくる。
「だから気安く呼ぶなって! 航の方が近いんだから航に頼めよ!」
「兄ちゃん、何怒ってるの? それくらい取ってあげなよ。 はい、おばあちゃん!」
「ありがとう、航」
「……」
築は手渡されるマヨネーズの赤色のキャップをジトッと一瞥し、唐揚げに箸を突き刺しかぶりついた。
「きずき、刺し箸は御法度じゃぞ?」
「モゴモゴ……。 うっふぇーな! ふぇふにいいふぁろ!」
「きずき、口に物を入れながら喋ってはならぬ」
「はぁぁ!? ババアがいちいち俺に喋りかけてくるからだろうが!!」
築にとっては、見ず知らずの人に食事マナーを指摘されている感覚であって、鬱陶しいことこの上ないのだが。
「きずきっ、何よその態度は! お義母さんに向かってそんな口の聞き方して!」
「父さんもお前が怒る意味がわからん。 いい加減にしないと、父さんも怒るぞ」
「そうだよ兄ちゃん。 どうしたの?」
「くっ……」
マイホームなのにアウェイって。ホームの球場で戦う我らがチームのサポーターの多いこと多いこと。スタンドは我らがチームのシンボルカラーたる水色のユニフォームやタオルでいっぱいだ。普通はホームといったら、テレビに映っているように過剰贔屓されるものなのに。
「……ババア、あれだろ? みんなを懐柔する魔法とか使ったんだろ!? おかしいもんっ!」
「……」
家族全員の可哀想な物を見る目が築に集中する。
「兄ちゃん? 頭でもぶつけた?」
「きずき……、あんたどうしたの? 病気?」
「学校で嫌なことでもあったのか?」
今度はひどく気遣われる。いたって健康なのに心配されるなんて、一周回って嫌味に聞こえる。
中継に釘付けになっている祖父の立場が羨ましい。
「もういいや……。 うん、ごめんなさい、俺がおかしかったです……」
家族の中での自分のの立場が危ぶまれつつあったので築は冷静にになることにした。
冷めた食べかけの唐揚げは、なんとも味気なく感じた。
ひっそり食事を終え自分の部屋に戻り、ベッドに身を投げ天井の継ぎ目を無意識に追う。
満腹になったはずなのに、空腹時に湧くような虚無感はなんなのだろう。野球中継なんかもうどうでもいい、ババアのことはもうどうしようもない。今の現実を受け入れるしかないのか、それとも現実逃避行を無理矢理敢行するのか。
もうどうしたらいいのかわからない。今日からこの人が新しいお母さんだよ、といわれた子供はこんな気持ちになるのだろうか。
なんだかんだ言って結局は受け入れざるを得なくなるのが世の常なのだろうか。
「おわっと!?」
不意にポケットにしまっていた携帯が震えた。ディスプレイには番号が表示されている。
メールではなく電話だった。
嫌な予感しかしなかったが、通話ボタンをプッシュし耳に当てる。
「もしもし? 矢作橋築ですけど。 ごめん、誰?」
「こんばんわです。 急に電話してごめんねっ! あの……、日名桜子です」
「ヒナちゃん!? こ、こんばんはっ! どうして番号知ってるの?」
挙動不審になってしまうのは仕方ないだろう。いくら電話越しでも相手は女の子だ、面と向かってでなくても緊張するし、まさかの不意打ちだったし。数時間前に言葉通り不意打ちされたが、笑えない。
「梨華さんに教えてもらったの。 今時間大丈夫かな?」
刈谷の名前がでて少しホッとしてしまった自分がいた。もし豊田や他の男の名前がでていたのならば、様々な疑問にやきもきするところであった。
「うん、大丈夫だよ」
「良かったぁ。 ……今日はホントにごめんなさいです。 謝って許されることじゃないけど……」
「何か謝られることあったっけ?」
「きずきくん……、ありがとう。 それでね、きずきくんに伝えたいことがあります……」
「え……?」
母みたいに1トーン上がった声でなく、日名のおっとりした地の声にはグッとくるものがある。今度こそ告白が来るのか。
「きずきくんは……、これから命を狙われることが頻繁に起こる。 貴方が『駒』の中でも重要なポジションであるという話が流れてるの。 デマかもしれないけど気をつけて欲しいんです」
「あ、うん。 ウチに来たよ、この前言ってた謎の異世界ババア。 なんか同じようなこと言ってた」
事後に説明されても遅かったが、さっき聞いたことだ。
「えっ! ……そうなんだ。 それでね……」
「うん?」
「わたしは……、きずきくんを守りたいなって……。 おこがましいかもだけど……」
話が飛躍している気がした。なぜそんな結論に辿り着いたのだろう。
築は携帯に耳を強くあてて問う。
「うん? どうして?」
「わたしは、きずきくんのことが……。 ……。 わたしがきずきくんを狙ったのは、わたしと繋がりのある異世界人のミスだってことが判明して」
「……」
ミスで殺されそうになっていた過去の自分にがんばったで賞を進呈したい。
「わたしはあのまま見捨てられて死んでしまっても文句は言えないことをしてしまったのに、きずきくんは救ってくれた……、身も心も」
別に罪滅ぼし的なことなど望んではいない。それは彼女にとって枷となるのではないだろうか。
「気にしないで。 ちょっと急用ができたからもう切るね。 おやすみ」
もちろん用事などない、あっても風呂に浸かることくらいだ、予習復習なんていつでもできる、今日はやらないけど。
「うん……、おやすみなさい」
別れの常套句を聞いた築は携帯を折りたたみベッドに置いた。
「言えなかった……。 わたしってホントに……」
日名は誰もいない発信先に向けぽつりと呟いた。
「あれは、告白……、じゃないよなぁー?」
天井の継ぎ目の数をどこまで数えた忘れてしまっていて、築は再び端からそれ数え始めた。