第9話 兆しと報せ
微熱。
けれど、それは前回とは異なる質の熱だった。
イーヴは寝具と寝間着に含まれた微量成分を調べ、
匂い、染み、繊維の摩耗まで洗い出していた。
結果は、ほぼ確信に等しい。
――再び、毒が仕込まれている。
幻夢薬ではない。もっと微細で、もっと“仕組まれた”もの。
「……これはもう、単なる偶然じゃない」
寝具交換の帳簿を確認すれば、ローテーションの不自然な入れ替えがある。
誰が仕組んだかはまだ断定できないが、
“内部に動いている者”がいるのは確実だった。
(もう……時間がないかもしれない)
その夜。
イーヴは、再びサシャの私室を訪れていた。
部屋には、すでにカミーユも座っていた。
テーブルには茶ではなく、薄く色づいた果実酒。
だが誰も手をつけてはいない。
「……で、また毒?」
サシャが静かに問いかける。
イーヴは頷いた。
「はい。微熱が継続しており、解析の結果、
今度は揮発性の痕跡も検出されました。
寝具に加工された繊維からの拡散性毒です。
これは、計画的に再侵入しています」
カミーユは目を伏せ、
短く息を吐いた。
「……星の座がまだ口を閉ざしている間に、
“正しさ”の顔をした何かが、また彼女を刺しに来るのね」
「内部にいる誰かが、再び動き出したと考えていいでしょう」
イーヴの声には、焦りはなかった。
けれど、それはすでに医師の報告ではなく、
何かを守るために立つ者の覚悟に近いものだった。
そのとき。
部屋の襖が、無音で開いた。
入ってきたのは、銀の仮面をつけた天の砦の使者だった。
無表情。無音。無情。
カミーユもサシャも、声を発さず、
その出現を見つめる。
「――通達いたします」
その声は、機械的に整っていた。
「陪花候補である白雪シアノ殿に対して、
審査指名の申し出が四件、正式に受理されました」
部屋の空気が、わずかに揺らぐ。
「提出者は以下の通り――
天璣アドリアン、玉衡セドリック、開陽ロジオン、搖光ティエリ。
いずれも陪花の選定権限を保有する星位階であります」
イーヴの顔色が変わった。
「……まさか……申請された?」
「はい。審査規定に基づく、正式な申し出です」
サシャが、鋭く視線をカミーユに向ける。
だがカミーユはすでに、何かを見透かした目で使者を見ていた。
「――続けて」
使者は、少しも動じず、次の通達を読み上げた。
「追記事項――
本日付にて、天璣アドリアン殿より、
主花アーシュラ殿を解任する届け出が提出されております」
しん、と音が消える。
カミーユの目が細められる。
サシャは、ゆっくりと立ち上がった。
「緋の司が、檻から外れた……」
「違うわ」
カミーユが答える。
「“あの仕組み”に乗ってしまったの。
もう、アーシュラは止まらない。
そして――他の星の座たちも、もう黙ってはいられない」
イーヴは拳を固く握った。
(いま、星々の枠組みが、
彼女を“主花として囲い込もうとしている”。
その意味が、どれほど恐ろしいか――)
彼はこのとき、はじめて確信した。
毒はもう、薬草ではなかった。
刃も、もはや鋼ではない。
「白雪シアノ」という少女に向けられる殺意は――
いま、選定という名の名簿に姿を変え、
正しさを装って忍び寄ってきていた。