第7話 触れられたもの
天權ロッジの回廊は、夜の静けさに包まれていた。
呼び出しは、緋の司アーシュラの私室。
天權ヴォルテは、格式に則った正装に身を包み、慎重に歩みを進めていた。
その顔には、わずかに紅潮したような気配。
天樞の裁きが下る前に――彼は、決断を迫られていた。
アーシュラの私室は、変わらず整っていた。
壁には格式ある書と、手入れの行き届いた調度。
花は季節の香を保ち、空気は凛としている。
そしてその中心に、彼女がいた。
姿勢を崩さず座るアーシュラは、無言のまま、
入室して礼を取るヴォルテを見つめていた。
ヴォルテは、緊張とともに、口を開いた。
「……アーシュラ様。
あなたの行為について、会議では処分の話も出ております」
アーシュラは何も言わなかった。
視線はわずかに動くが、表情に揺らぎはない。
「ですが、私は――それでも、あなたを必要としています。
私の主花として、私の傍にいていただけませんか」
言い切った瞬間、自分の声がわずかに震えていたことに、
ヴォルテ自身が気づいた。
沈黙。
アーシュラは、ゆっくりと立ち上がった。
背筋を伸ばし、何の音も立てずに、ヴォルテに近づいてくる。
そして――
その指先が、
ヴォルテの頬に、そっと添えられた。
冷たくもなく、温かくもない感触。
だが、それは確かに“意志を持った接触”だった。
そして――
唇に、何かが、ふっと、触れた。
それが彼女の指先だったのか、
それとも呼気だったのか、
あるいは――何か、それ以上のものだったのか。
ヴォルテは、その瞬間、意識の端が白く霞んでいくのを感じた。
(……ああ……)
その感覚を、彼は“幸福”と受け取ったのかもしれない。
アーシュラは何も言わず、
ただそのまま、部屋から静かに出ていった。
翌朝。
天權ロッジの一室で、
天權ヴォルテは死体となって発見された。
死因は明言されない。
記録には、「心停止」――ただそれだけが、淡々と書かれていた。
ヴァレリオンの制度は、それ以上を求めることはなかった。