第5話 盃の影
天璇の館。その夜、小さな宴が設けられた。
参加したのは四人。天璇エルネスト、天璣アドリアン、玉衡セドリック、開陽ロジオン。
いずれも母親が宗家姉妹の出で、星の座の中でも最も近しい血族とされる面々だった。
卓には季節の果実と、薫り高い葡萄酒が並び、
誰も口にはしないが――その場が**“天樞を除いた会議”**であることは明白だった。
最初に沈黙を破ったのは、アドリアンだった。
年若く、陽気な眼差しをした彼は、
盃を揺らしながら、穏やかに口を開いた。
「エルネスト兄上。……どうなさるおつもりです?
天樞カミーユ殿がああいうおっしゃり方をなさったというのは、
やはり……今回の騒動、手を下したのがロナ殿だったとしても、
真犯人は、緋の司殿――アーシュラ様なのでしょう?」
エルネストは一瞬だけ盃を置いた。
答えるまでに、少しの間を置いたことが、すでに答えだった。
「……考えてはいる。
アーシュラは、血統・資質・容姿、どれをとっても触媒候補の中で傑出している。
だが、こうした騒ぎを繰り返されては、我らも立場がない」
玉衡セドリックが、やや鋭い目を向ける。
「まさか……主花を降ろすというのですか?」
「場合によっては、致し方ない。
天樞カミーユ殿は、今や宗家奥向きの頂点――
いわば“絶対の王”の立場にある。
これ以上の不興は、命取りにもなりかねない」
明るい声で笑いながら、ロジオンが続けた。
「いやいや。あの穏やかで明るいカミーユ殿が、
そんな血なまぐさい手段を取るとは思えませんよ。
考えすぎでは?」
その瞬間、エルネストの表情が冷える。
「……ロジオン。
天樞はあの場で、セルジュ大公閣下とリュシール様の名にかけて、
“処断する”と宣言された。
あれは、我らヴァレリオン宗家において――死刑の告知だ」
静まり返る空気。
ロジオンが口をつぐむ。
代わりに、口を開いたのは天權、ヴォルテだった。
「では、もしエルネスト兄上が緋の司を主花から降ろされるのなら……
私が、頂いてもよろしいですか?」
エルネストの眉がぴくりと動く。
「何を考えている。
お前、連座して粛清されるかもしれんのだぞ?」
ヴォルテは微笑んだまま、盃を回す。
「……わかっていますよ」
その答えに、誰もそれ以上の言葉を重ねなかった。
宴は、そこでお開きとなった。
しかし、誰も気づいていなかった。
その夜の葡萄酒に――
ロナがかつてアーシュラに渡した幻夢薬の微量調合が、
ささやかな“観察用の量”として、ひそかに盛られていたことを。
誰がどの盃を取り、
誰がどの程度を口にしたのか――
その記録は、すでに帳簿から消されている。