4話 世界を綴る
ウロボロスとは誰のことだ。
ここにいるウロという少年は、決してウロボロスとやらではない。たしかに彼は翼やら鱗やら色々と持ってはいるが、その伝説上の生き物とは似ても似つかない。
しかし、そこに映し出されているのは紛れもないウロの寝顔だ。その画像が被験者No.89として登録されている。
「リモサ、これって間違いじゃないんだよね?」
「あぁ、えっとな……」
ウロは極めて落ち着いた表情で聞いた。
それに対するリモサの答えは、あまり良いものではなかった。
「分析の結果に誤りはない。さっきAIに全て再計算させた。それで全て……間違ってなかったみたいだ。だけど──」
リモサは空中に浮いたキーボードを使ってコードを入力し、先ほどの計算に使われたファイルを片っ端から洗い始めた。
「(だから被検体No.89って何のことだよ……このマシン、急に俺たちの知らないデータを使って計算し始めたぞ……)」
「ウロ、ここはリモサに任せてみんなの所に戻ろうよ。なんか、怖いよ……」
シロンはウロのものと思われる寝顔を怯えながら見つめていた。
きっと、そこに映っているウロの顔が病的なまでに白く染まっていることに彼女は気付いてしまったのだろう。まるで体から血が抜かれてしまったかのようなその顔は、見る人に恐怖と不安を抱かせる。
「リモサ、これから先は任せていいかな? フェリスが怖がってるみたいだから。それに僕もその、気味が悪くて……」
「もちろん構わないよ。でもちょっと妙なんだ。今まで見たことも聞いたこともなかったファイルが次々と掘り出されてるんだ。それにAIの挙動もおかしい……もし分かったことがあったら教えるから、無線は切らないでおいて」
「助かるよ、ありがとう」
唐突に始まったウロボロス騒動はリモサに任せ、ウロとフェリスは仲間の元へ戻ることにした。
◆◆◆
そういえば、あのドラゴンの生態を知ることができれば死因が分かるかもしれない、とかいう話だったか。
残念ながら死因は分かりそうにない。それに謎がもう一つ増えただけだ。
「──でも逆に考えれば、あの生き物に特別なことは何もないってことだよね? もし本当に僕とウロボロスが同じ生き物なら、あれは普通に生きて、普通に死んだってことじゃないかな」
「普通に死んだって、つまり寿命だったの?」
フェリスは顎に手を当てながら聞いてきた。彼女はリモサのラボで少しホラーチックな画像を見てしまったからか、今は灰色の耳をペタンと伏せている。
「寿命ではないと思う。あの死体は落下の衝撃で血まみれになってたけど、よく見たら何かに切られたような傷口があったんだ」
「うぇ……もしかしてウロって血とか見ても平気なタイプなの? ボクは想像するだけでダウンしちゃうよ」
「平気じゃないよ、匂いも重たくてキツかった」
「その話やめて。もう吐きそう……」
リアリティのある話をしてやろうとウロが意気込むも、フェリスは少し耳に入れただけでダメになってしまった。
彼女は調子を悪くしたのか、今度は耳だけでなく尻尾までペタンと垂れ下がってしまった。
そんな時だった。
「あーっ、ウロにフェリスじゃん! どこに行ってたの? 帰ってこないから心配したよ!」
特徴的なトゲトゲしい髪の毛を後ろで束ねている少女が、こちらに大きく手を振りながら走ってきた。
この元気の良さは間違いなく彼女だ。
「ちょっとジオちゃん、みんなの所で待ってなって言ったじゃん!」
「にしても帰ってくるのが遅いよフェリスぅ〜! ほんっとうに心配したんだから!」
「う、うわぁ!」
ジオはウロたちの方へ猛スピードで駆けていったかと思うと、そのままフェリスの顔面に飛びついてゴロンゴロンと横転して壁にドカンとぶつかってしまった。
ウロはそんな二人を見て苦笑した。
「あはは……どうやらかなり待たせてたみたいだね。フェリス、すぐにみんなの所に帰ってあげよう。もう誰にも心配をかけたくないし」
「ちょっと、ボクの心配は!?」
「フェリスは喧嘩慣れしてるから痛くも痒くないでしょ〜。それとジオ、フェリスに抱き着くのはストップして。僕たちと一緒に帰るんだよ」
「だ、誰の体が喧嘩慣れしてるから頑丈だってぇ……? 弱くて儚い乙女みたいなボクの体を少しは心配してよ!」
「そーだよ! フェリスはか弱い……か弱い? まぁ、ちょっと強いだけで普通の乙女なんだよ! 心配してあげて!」
「元はジオが突っ込んできたのが悪いんでしょーが! どの口が言ってるの!」
「あいったぁい!」
その後もフェリスとジオは喧嘩という名のじゃれ合いをしばらく続けていた。リモサのラボで衝撃的なものを見せられて落ち込んでいた少女と同一人物とは思えない。
どうやらジオという親友を通じて、いつもの自分を取り戻せたらしい。
◆◆◆
ウロたちは少し早足で『大地の揺りかご』の中心にある生活スペースに帰ってきた。そこには居住者(総勢10名)が集まっており、ウロの帰還に気付くと皆揃って安心した表情を浮かべた。
「おーウロじゃん! やーっと帰ってきたか!」
こちらにブンブンと手を振っている金髪の少年はアシノだ。フェリスと近しい身体的特徴を持っている彼は、とても足が速くて軽快な人物である。今は長く伸びたブチ模様の尻尾をフリフリと揺らして嬉しそうにしている。
「アシノ、カリナは大丈夫だった?」
「それは俺たちがちゃーんと確認したから安心しな。今もしっかり生命維持装置に繋がれてるぜ」
「良かった……」
ウロはカリナという人物の安否を確認すると、次は近くにいた他の仲間たちに話しかけた。
「コロエ、さっきは大丈夫だった? 天井から大きな音がしたからビックリしちゃったでしょ?」
「わ、ワタシは問題ありません。ただ、その……あの音は何だったんでしょうか……? もの凄く気になっていて……」
「それは後で話すよ。いつもみたいに記録しといてくれると助かるかな」
「分かり、ました……」
アシノの後ろで縮こまっている気の弱そうなメガネの少女はコロエだ。彼女は黒と白が入り混じった珍しい髪色をしているため遠くからでも判別できる。
それにコロエは『大地の揺りかご』で起きた出来事を日記に書く趣味があるため、みんなにチョロチョロと取材して回ってはデータベースに記録を付けているのだ。
おかげでウロたちが目覚めてから何日くらい経ったのか、どんな事が起きたのか、それらは全て詳細に遡ることができる。
「ウロ、お前はどんな考えがあって外に出た? リーダーとしての自覚が足りないんじゃないか?」
「ごめんね、フィセター。僕の安全対策は万全だったとは到底言えないよ。でもリーダーとしての自覚はある。あるからこそ一番に外に出たんだ。あの死体の沈黙も確認した上でね」
「……分かってるならいい。お前が欠けたらオレたちは駄目になってしまうからな」
暗めの緑髪を伸ばしっぱなしにしている少年はフィセターだ。彼はロックスよりも遥かに身長が高く、ウロと話す時は首をわざわざ下に曲げなければならないほどである。
物静かな性格で思慮深い。仲間たちの中でもストッパーのような役割を果たしており、いつも皆から頼られている。副リーダーを決めるとするならフィセターが適任だろう。
「ウチの出番は無さそうだね。あーあ、せっかく『大地の揺りかご』を散歩してたのに、あの変なヤツがいきなり落ちてきたせいで中止になっちゃうなんて」
「この建物がいつまで無事でいられるか分からない以上、今後はスフェニスの力に頼ることがあるかもしれない。その時はよろしくね」
「大袈裟すぎだよ〜。ウチにできるのはみんなの体調を良くすることだけだからね」
スフェニスは明るい性格の少女だ。彼女は仲間たちの中でも特に医学や生理学に長けており、何かあった時は必ずカリナを守るようにとウロから言ってある。
口では散歩を邪魔されたとか言っているが、たぶんさっきまでカリナの部屋に籠もりっきりだったのだろう。
スフェニスとカリナは唯一無二の親友だ。
「アシノ、コロエ、フィセター、スフェニス、みんな無事みたいだね。とりあえず僕たちの安全が確保されるまで──つまりあの死体が片付けられるまではあんまり散らばらずに生活してほしい。夜もここで揃って寝ることにしよう」
「カリナはどーすんの? 俺的には結構心配なんだけど」
「僕が直接見に行く。何かあってもすぐ助けられるように生命維持装置ごと連れ出そう。もし大きな死体がまた落ちてきてあの部屋が崩壊したら、無事ではいられないからね」
「ウチがついていく。ウロには分かんないこともたくさんあるでしょ?」
「あぁ、是非教えてほしい」
ウロはそう言うとフェリスとジオを残し、代わりにアシノとスフェニスを連れて行くことにした。他のメンバーにはここで待機してもらい、カリナを安全に合流させるために。
◆◆◆
中央にある生活スペースを抜けて、カリナの部屋へ向かっているところだ。
「にしてもウロにしては慎重だな。上で見たのがそんなにヤバいもんだったのか」
「ね、意外だよ。ウチがこんなに真面目なウロを見たのはいつぶりだろう」
「……僕ってそんなに不真面目そうに見える?」
「あぁ、いつも寝坊してるしな」
「うん、いつも寝坊してるんだもん」
「……」
寝坊ってそんなにいけないことだったのか、と睡眠マニアのウロは思った。
それはともかくとしてカリナの状況が心配だ。というのも彼女は、生まれ持った毒素で自身を蝕んでしまうという体質を抱えているからだ。
カリナはウロと同じように鱗を備えているが、他の仲間たちと違って自分という存在が最初から不完全に作られているのである。
「ところでさ、スフェニスってカリナの解毒薬を作れると思う?」
「うーん、時間がかかるだろうけどTCTEから技術を学べたらいけるかも」
「本当に?」
ウロは尻尾を揺らして喜んだ。
カリナのあの苦しみを解いてやれるなら、解毒薬だって何だって作ってやるつもりだったから、本当にそれが叶うなら嬉しい限りだ。
カリナは部屋から出たいと言っていた。病気が治ったら外の世界を自由に見て回りたいとも。夢を見る権利は誰にでもある。それを叶えてやるのは仲間たちの義務だろう。
「でも毒素を作り出している器官を取り除かないと根本的な解決にならなくて、それをするには大規模な手術が必要だよ。少なくとも今のウチには無理。やりたい気持ちはあるんだけどね」
スフェニスの脳裏に浮かんだのは、自室でただ食事を待つだけの生活を強いられているカリナのやつれた表情だった。
「言ってもしょうがねーさ。とにかく今は行かなきゃだろ、カリナの所に。あいつビックリしてたぜ。この施設がいきなり揺れたもんだから」
アシノは軽くスキップしてウロたちの前に出た。
彼が持っている考えは良くも悪くも(というか大体は良い方向だが)前向きなものであるため、たまにウロは元気を貰っている。もしかしたらアシノのこういう明るい部分がカリナを今日まで生かしてきたのかもしれない。
「悪いことの後には良いことがあるって言うし、ウチが医療の真髄を学んでカリナのことをちゃちゃっと治療しちゃうよ。そうすればみんなハッピー、みんな笑顔でしょ? それでウチらがおじいちゃんおばあちゃんになるまで幸せが続いてほしいな」
「確かにそれが一番だよ。みんなで笑い合って助け合って、最後にはお母さんと一緒に幸せになりたい。家族みんなでまたご飯を食べるんだ」
ウロたち家族が思う幸せとは、まさにそれだ。
お母さんを含めた全員が笑顔で揃うこと。また一緒にご飯を食べてぐっすり寝て、明るい朝を迎えることこそが最高の幸福なのだ。
だから、今は立ち止まっていられない。ウロは母の優しい言葉を思い出し、決意を新たにしたのだった。
◆◆◆
その頃、『大地の揺りかご』の天井にて。
カサ、カサ……と揺れ動く影があった。
「シュアァァァ……カキキッ……」
人間ではない何かが、そこにある血まみれの死体を見て回っては突いたり噛んだりしている。どうやらそれが食物となり得るかどうか自分の目で確かめているのだろう。
やがて濃厚な血の匂いを嗅ぎ分けると空腹に耐えられなくなったのか、ついにガブッと死体に食らいついてしまった。
とろけた死肉をカプリ、ゴクリと飲み込んで口の周りを血で染め上げた後、そいつはドームの中にいる人間たちに目を向けた。
「……ゴクッ」
その生き物は何かを食べる。
生きるために食べなければならない。
目の前にいるのが家族だろうと仲間だろうと、食欲というものはそいつを獰猛に変えてしまう。
「キカカカッ……カチカチッ……」
たった一つ。
自分という生き物はたとえどんな状況であれ、目に映ったものを襲って捕食しなければならないのだ、と本能が囁いた。
この瞬間、ウロたちとこの不可思議な生き物が衝突し、競争し、どちらかが淘汰されることになると決定づけられてしまったのだった。