2話 空から
お久しぶりです!
とりあえず食卓にたどり着いた。まあ、食卓といってもキッチンに併設された食堂っぽい空間にみんなでテーブルを持ち込み、それを勝手に食卓にしているだけだが。
天井まで吹き抜けになっており、窓ガラスの向こうには水色の空と白色の雲が見える。そして、今は僕たち以外は誰もいない。
つい先月に目覚めた赤子同然の僕たちでも、生活に困らない程度には『大地の揺りかご』は充実している。
食料なら自動的に栽培された野菜や培養肉で足りるし、飲料水なんて地下水や雨水が浄化されて施設内を循環しているから確保する必要はない。それに施設は基本的に半透明のガラスで覆われているから自然光の調整も簡単だし、壊れた物は工房に突っ込んでおけばAIが勝手に直してくれる。
「ウロ、フェリス、やっと来たか。君たちが最後だぞ。他の皆はもう飯を食って活動を始めている」
「そんなことより今日は何を食べられるの? ボク、お腹が減って死にそう。ロックスの料理が食べたい」
「僕も。これがないと一日が始まった気しないもん」
もちろん、テクノロジーを享受してばかりだと時間を持て余してしまうから、僕たちの内、何人かは暇つぶし感覚で人工知能によるレッスンを受けて、それぞれの得意なことを伸ばしている。
その例がロックスだ。彼女は目覚めてからたったの三日で、ロボットが提供してくる単調な食事に嫌気が差し、率先して調理学について学び始めた。おかげで僕たちは毎日の食事を楽しめている。
「今日はハンバーガーというヤツを作ってみた。昔はよく食べられていたらしくて、調理も比較的容易だった。だけど、ソースを作るのとバンズを焼くのには苦労させられたな」
「あははっ、そういえばこの前、キッチンでたくさん焦がしてたもんね。あの試行錯誤がこれに繋がったんだ」
「わぁ……すごく良い匂いがするよ。ロックスってやっぱり天才だ」
小さな皿に乗って運ばれてきたのは、二枚のパンで新鮮な野菜と厚みのあるハンバーグ(作ってもらったことがあるので知ってる)を挟んだ色鮮やかな料理だった。
どうやって食べればいいのか分からないが、その匂いから美味しそうだということはすぐに分かった。
「人工知能に聞いたんだが、豪快にかぶり付くのが正しい食べ方らしい。アタシは失敗して服を汚してしまったけどな」
ロックスは胸のところピンピンと摘んでみせた。確かにそこにはソースらしきものがシミを作っている。
「手で掴むの? これを?」
「変わってるね。フォークとかナイフを使わないなんて」
「まぁ、とにかく食ってみろ」
フェリスがハンバーガーにガブッと噛み付いたのを見て、僕も覚悟を決めてかぶり付いてみた。すると──
「……っ! これ、めちゃくちゃおいしい!」
「ははっ、そうだろ? 結構がんばって作ったんだ。もっと褒めてくれたっていいんだぞ」
食べた瞬間、中から濃厚な肉汁が溢れてきて、それがレタスやトマトの水気と混ざり合って今までにない味わいをもたらしてくれた。しかもバンズの香ばしさが味に深みを足しており、とても調和の取れた料理に仕上がっている。
朝からこんなものを口にできるなんて、これ以上の幸福はあるだろうか。こんなに美味しい料理を再現したロックスは天才だ。
僕はガツガツとハンバーガーを食い尽くし、フェリスに至っては無言でおかわりを要求して、それも胃袋に収めてしまっていた。充実した最高の朝食だ。
「ロックス、ごちそうさま。これで今日もがんばれるよ」
「ありがとね、ロックス!」
「いいさ。ほら、皿をシンクに入れといてくれ。あとはアタシが洗っとくから」
僕とフェリスは小さな皿を持ってシンクに向かい、それからロックスに手を振って別れを告げた。
「じゃあね、ロックス。僕たちはこれから『大地の揺りかご』を巡回しに行くよ。何かお願いとかある?」
「あー、それならジオに伝言を頼む。もし面白い野菜が採れたらこっちに回してくれってな。アイツは作ったものを片っ端から丸かじりするからな」
「分かった。伝えとくよ。でもジオは人の言うことを聞かないからな〜……」
一抹の不安を抱えつつも、僕たちは満を持して食卓(らしき場所)を後にした。お腹がいっぱいになったから眠くなりそうだが、まだ寝てはならない。今日という日は始まったばかりなのだから。
思わず寝室へ向かいそうになったところをフェリスに抓られて、渋々ジオがいるところを目指すことにした。彼女は菜園にいることが多いから、そこに行けば会えるだろう。わざわざ館内放送で呼びかけるまでもない……というか、あの古ぼけた放送室は誰か使ってるのだろうか。
「フェリス、ちゃんと歩くからそろそろ放してよ。隙を見て逃げたりしないから」
「だーめ。ウロはそう言っていつも昼寝しに行くじゃん。ちゃんと起きて、働いて、みんなと交流して。一応ここのリーダーは君なんだから」
「……リーダーかぁ」
食堂と菜園は離れた場所にある。それに向こうは植物を育てる関係上、こちらより少しだけ暖かい。僕たちが目覚めてから最初に設定をいじった時、もの凄く温度を下げてしまって植物を枯らしてしまったのを覚えている。ジオは絶望のあまり号泣してた。
それからジオはAIで栽培技術を学び、今では『大地の揺りかご』の中で一番の植物博士になっている。彼女もロックスと同じ努力家だ。
それに比べて僕は──
「なんかリーダーっぽくないね。お母さんから重要な役割を託されたはずなんだけど。もっと何かした方がいいのかな」
「ボクは別にウロのことをダメな奴とは思ってないよ。リーダーって存在がいるだけでボクたちは安心できるわけだし。ほら、シンボル的なね?」
「そうかなぁ……そうかも」
僕は僕だ。悩んでても仕方ない。
ああ、そうだ。僕は僕でしかないんだ。誰かと比べるまでもないだろう。
「やっぱり僕は『大地の揺りかご』の立派なリーダーだ。それだけは自信を持って言える。何があってもみんなを引っ張って行くからね」
「相変わらずポジティブなところだけは誰にも負けてないね」
まあ、悩んでも仕方ないのは事実だ。
実際ここはただの陸の孤島で、僕たちはお母さんから託された使命を理解できないままフラフラと館内をうろついているに過ぎないのだから。これから僕たちの運命を大きく変えてしまうような何かが起きるわけでもなさそうだし、食料が尽きて餓死する未来も見えない。
ボーッと生きてれば、いつかお母さんも帰ってくるだろう。そんな感じで考えている。
「よしっ、気分転換できたし、このままジオのところまで行こう! まずはドームの端から端まで競争だ! スタートはここ! ゴールはあそこに見える菜園の入り口!」
「えっ、いきなり!?」
これまた誰もいない、だだっ広いだけの用途不明なドームに出てきた。この先にジオがいるのだが歩くだけじゃつまらないので、フェリスを誘ってかけっこすることにした。
今度こそはフェリスに大差を付けて勝利し、リーダーとは何であるかを存分に教えてやりたいところだ。
「よーい」
「ちょっと待っ──」
「ドン!」
僕は大きく叫んで合図を出した。それに合わせてフェリスも焦って駆け出し、二人だけの戦いが今ひっそりと幕を上げた。
その時だった。
──ドチャン! ベチャベチャベチャ!
鼓膜を激しく揺さぶってくるほどの轟音が響いてきた。それも僕たちの真上から。何だろう。今までに聞いたことのない音だ。
水を含んだものが連続してドームの天井に落ちたようだが──僕は何事かと思い、すぐにガラス張りの天井を見上げた。そして、フェリスも僕と同じように顔を上げた。
すると、そこに見えるはずの空が真っ赤に染まっていると分かった。いや、目を凝らしてみると、それは何かに染まっているのではなく──
「あ、あ……っ、ふぇ、フェリス! 今すぐみんなを一箇所に集めて! 何が起きたかハッキリ分かるまで移動しないように! 僕は『アレ』を確認してくる!」
「えっ、でも……」
「いいから早く!」
「わ、分かった! でも気をつけてね!」
フェリスが来た道を急いで引き返していったのを確認した後、僕はまた恐る恐る天井を見上げた。そして、見た。
ああ、やっぱりそうだ。見間違えなんかじゃない。さっき見たものは変わらず、そこにグッタリと横たわっている。
「(何だよ、これ……)」
ギリッと歯を噛み締めたが、不安は消えてくれない。
なぜなら僕の視線の先には鳥とも蛇とも判別できない巨大な異形の生物が、真っ赤な血をドームの一面にベットリと撒き散らし、ビリビリに裂けて無惨に死んでいたからだ。
図鑑でも見たことないし、仮に見たことがあったとしても大きすぎる。僕の何十倍、何百倍はある。
「(というか、この生き物……いや、生き物なのか? これは──)」
これは一体なぜ空から落ちてきたのか。
どこで生まれ、いつ、何によって殺されたのだろうか。