1話 揺りかご
お久しぶりです、赤秋の寒天男です
こちらは不定期更新になります
隣に誰もいない夜、見たくない夢を見てしまう時がある。
「──どうしても行かなきゃいけないみたい」
夢の中で懐かしい声がするのだ。どこか聞き慣れた優しい声。僕はその声をよく知っているし、声の主がとても焦っていることに気づいている。
しかし、肝心の事態を飲み込めないでいる。
「時間がない。ウロ、あなただけに伝える」
ウロというのは僕の名前である。お母さんから貰った大切な名前。ご飯の時間や寝る前になると、いつも「ウロ、こっちにおいで」と呼ばれたものだ。
正直、かなり気に入っていた。
「もうすぐ大変なことが起きる。これから私たちは『大地の揺りかご』に居られなくなるの。だから、お願い。私との約束を絶対に覚えておいて」
僕の頬を二つの大きな手が包みこんだ。温かい。お母さんの顔がいつもより近くにある。しかし、どうしてだろう。これはとても嬉しいことのはずなのに、なぜか悲しい気持ちにさせられた。
まるで二度と会えないみたいな──
「ずっと先の時代、途方もない未来に、ウロたちは長期の休眠から目覚めることになる。その時、もし無事に太陽を見られたら、外へ出て、私が残したメッセージを探して」
──僕が探さなければならないの?
「今はウロしかいない。他の子たちじゃなくて、ウロにしか頼めないの……こんな時に無茶を押し付けてしまって、本当にごめんね」
お母さんがそう言うなら、僕は従うしかない。まぁ、何をすれば良いのか見当もつかないが。とにかく外でメッセージを見つけさえすれば、お母さんが喜んでくれるらしい。
僕は約束を記憶に刻みつけた。
「もう行かなきゃ」
そう言うと、僕の頬はまた冷たくなった。たった一つの温もりが遠のいていくことが、僕をこんなに絶望させるなんて想像だにしなかった。とても寂しい。そして、心臓が潰れてしまいそうだ。
しかし、託されたからには頑張らなければ、必死に取り組まなければ、と僕は決意を固くした。
約束を知っているのは僕しかいないのだから。
「これからの世界は生まれたばかりのウロにとって厳しいものになるかもしれないけれど、きっと生き抜けるって信じてるからね。今までも、これからも、ずっと愛してる。どれだけ距離が離れようとも、どれだけ時間が経とうとも……みんなの無事を祈ってる」
◆◆◆
「──起きて、ねぇ、起きてよ」
僕の耳元で不満そうな声がする。これはアレだ。毎朝いつも繰り返される不快なアラームというヤツだ。
まったく仕方がない。どうやら無視して二度寝した方が良さそうだ。お母さんも昔は二度寝ばかりしていたし、少しくらい許されるだろう。
「もう起きろって……言ってるでしょうが!」
「ぐっ!? 痛ぁ!?」
そうして呑気に寝返りを打とうとした僕の腹に、朝から重たいボディプレスが炸裂した。体重を乗せた痛恨の一撃だった。
こんなことをされたら流石に起き上がるしかないので、布団にくるまれたまま僕はジタバタと痛みを訴えた。それも無様に叫びながら。
(この重さ、また太ったな……でもコレ言ったら殺される)
しばらくした後、僕がまばゆい人工灯の中で目を開けると、そこには雪のような白色と曇天のような灰色を混ぜた滑らかな長髪を後ろで結っている少女がいた。その少女は綺麗な瞳をギロリとこちらに向けている。
恐ろしくもあり、可愛くもある見た目だ。
「はぁ、ようやく起きる気になった? この流れを何度繰り返せば気が済むの?」
「……フェリスのイライラが止まるまで」
「このヤロッ」
朝からドスンと腹の上に乗ってきたフェリスは、僕の寝覚めの一言を聞くと、たちまち凶暴になって襲いかかってきた。
コイツ、無駄に整った顔つきしてる癖に喧嘩っ早い性格をしている。今日もこうしてすぐに手を出してきたのが証拠だ。
しかし、それが面白いのでつい挑発してしまう。僕はすぐに喧嘩の応戦をした。
「んっ、こら! 大人しく観念しなさい!」
「僕が打たれ強いのを知ってるのによく喧嘩しようと思ったね! 今日は負けないからな!」
「そっちが下なんだから、無理に決まって……!」
そうして布団を巻き込んで、僕とフェリスが組んず解れつの大乱闘を繰り広げていると、三メートルほど先の、開いたままのドアから呆れた声がかけられた。
やかましいフェリスの声より一段と低めだが、それでも女性から放たれたと分かるものだった。
「朝食できたんだけど……何やってんのさ朝から。そういうのは人がいない時にやりなよ」
合成素材によって作られたスライド式の自動ドアに背中を預けているのは、料理が得意なロックスという少女だ。ウェーブのある青っぽい黒髪から覗くトゲトゲしい視線が、彼女の心の内を代弁している。
それに気づいた僕たちは顔を赤くすると、急いで離ればなれになって互いを指さした。
「フェリスが先に!」
「いや、ウロが!」
「へいへい、仲がよろしいこと。それが済んだらいつもの所に来てよ。待ってるから」
ロックスは大きなタメ息を吐き出すと、手に持ったオタマをフラフラと回しながら廊下へ去っていった。
そして、シンと静まり返った部屋で僕たちは──
「「そっちのせいで怒られたじゃん!」」
などと意味のない争いを続けた。
どうやら普通に起きることすら難しいらしい。
◆◆◆
しばらくすると流石に腹が減ったり疲れたりで喧嘩を続けられなくなったので、僕はフェリスと手を取り合って休戦協定を結び、トボトボと廊下へ出た。
どこまでも続く強化ガラス製の無機質な廊下は、地平線から飛び出してきたばかりの朝日に照らされて暖かくなっている。
そういえば忘れかけていたが、そろそろ春だ。以前と比べて少しは暖かくもなるか。
「そういえばボクさ、また夢を見たよ」
「へぇ、どんなの?」
「ママに置いていかれる夢。フェリス、元気でねって言ってた。綺麗な顔してた」
「……そう」
唐突なカミングアウトになるが、僕たちが目覚めたのはつい先月のことだ。
もちろん起床した、という意味ではない。装置による擬似的なコールドスリープから目覚めたという意味だ。約十年もの間、僕たちは狭いカプセルのような場所で栄養と紫外線だけを与えられ続け、今のような体に成長した……らしい。
だから、たまに感覚を誤ることがある。自分の力が思ったより強くて驚いてしまったり、逆に昔より大きくなった自分に感心したり、とにかく変化に心がついていけない。
まぁ、その中でも一番の変化はお母さんが僕たちの前からいなくなったことだ。彼女がいなくなった理由も、帰ってこない理由も、未だに分かっていない。
「フェリス、今は悲しい?」
「もちろん悲しいに決まってる。でもウロたちが近くにいるから泣かない。これから何があってもね。ウロとジャレ合ってる時だけは心がスッキリするから」
「あれでジャレてるつもりだったんだ」
「当たり前じゃん。ああでもしないと起きないでしょ」
実は僕も、よく夢を見る。それもフラッシュバックに近い形で。
だから、お母さんから最後に言われたことをまだハッキリと覚えている。しかし、あのメッセージをどう探せばいいのかまだ分からないので、今は仲間たちと相談して住居内に留まっている次第だ。
ここにいれば、いつかお母さんが帰ってくるかもしれないから。
「……それにウロも寝ながら泣いてるもんね」
「え? フェリスってば何か言った?」
「べっ、別に! とにかく急いで! みんなが待ってるし、ボクも腹ペコだよ!」
「それは僕も一緒だ。お腹が空いて倒れそ……って急に引っ張るな!」
「ウロがボケっとしてるのが悪いんだよ! ほら、早く!」
僕はフェリスに腕を引かれ、長い廊下のその先へ向かった。ドタバタと体を揺らしながら。
「わぶっ、フェリスの尻尾がフワフワしてるから邪魔なんだけど! それどうにかできないの!?」
「ウロの背中にある翼と同じで、自由にさせておくことしかできないよ! まだ手みたいに動かせない!」
「そうなの!? それはそうとどうにかして!」
数十メートルの透明な区画を走り抜けると、朝日の反対側に大きな半球状のドーム郡が見えるようになった。とても巨大で丸っこい、ツルツルしたものだ。
あれらの透明な建築は廊下で繋がっており、僕たちの生活を支える重要な施設として活躍している。水も食料も空調もエネルギーもテクノロジーも、全てがあそこに集約されているのだ。そして、僕たちはそんな主ドームを取り囲むように建設された副ドームを居住区として利用しているに過ぎない。
この閉ざされた空間を繋ぎ合う大規模なネットワークこそが、僕たちを十年間も生かしていた『大地の揺りかご』の全貌であり、かつて僕たちのお母さんが研究の拠点として使っていた施設なのだ。