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聖女の不条理

作者: 新在 落花

 聖女サラは九歳の第三王子アレクシスにとって、見返りを求めずに慈しんでくれるたったひとりの存在だった。


 珍しい光の魔力持ちを尊ぶこの国では、一定の魔力量を持つ者は聖女として扱われる。

 元孤児のサラは強い光の魔力を持っていたため、魔力を見出した教会に聖女と認定された。


 聖女と呼ばれるようになったサラは、あらゆる魔物退治へと派遣された。光の結界を張り、傷ついた仲間を治癒魔法で癒し、退治した魔物跡を浄化する、それが聖女サラの役割だった。


 サラの旅に同行するのが多かったのは、第三王子のアレクシス。優秀な兄達とは年の離れた末弟の王子。

 輝かんばかりの金色の髪に碧色の目をした美しい王子は、魔力を持つ者が少なくない世界でも、三つの属性を持つという希有な存在であった。

 それにも関わらず大人しい気性と第三王子という立場のせいか、家臣からは軽んじられ、母親の王妃ですら兄達ばかりに目をかけて第三王子はいないものとして扱った。


 魔物退治など本来であれば王族が行く必要のない危険な場所にも、第三王子は遣わされる。魔力に秀でた王族が魔物退治に同行することは、国民の王家への尊敬と畏怖、支持を集めることに効果的だからだ。


 自分の立場に悩み、独り膝を抱えて俯く王子をサラは常に気遣っていた。いつでも手をつなぎ、どんな些細な変化にも気づき笑顔でアレクシスに声をかけ続けた。

 内気だと思われていた王子は、サラと接する内に生来の明るさを取り戻し、旅の仲間や使用人達へと気さくに話しかけるようになっていった。王族特有の高慢さもなく、親しげに振る舞う王子の人気は身近な人を中心に高まっていく。


 数多かった魔物も幾度となく退治に赴き命がけの退治を行った結果、残存する魔物を山間に追い詰めることに成功した。しかし、最期の時を迎えた魔物は、その首を落とされる瞬間に辺り一面に捨て身の攻撃を放ったのだった。


 攻撃はサラの光の結界によって防がれたが、魔物が絶命した瞬間、サラもその場に崩れ落ちた。

 そして、どれだけ手を尽くしても、それからサラが目を覚ますことはなかった。




 目覚めないサラを連れ帰ったアレクシスは、王都に近づいたところで王宮ではない屋敷へと移動させられた。アレクシスが魔物退治に赴いている間に王宮内に伝染病が蔓延し、王族が悉く罹患しているのだという。

 国王や王太子すらも命を危ぶむ状況にあり、王位継承権を持つアレクシスが王宮に帰ることのできる状況ではなかった。


 それから数ヶ月後、本来であれば王位に手が届くことなどなかったはずのアレクシスが、十歳にして王位を継ぐことになったのだ。


 アレクシスに次ぐ継承権を持つのは、遠い傍系の伯爵家の男。伯爵家は国教会とは異なる教派を信仰していることで有名なため、国教会が警戒を強めた。

 そして、国が乱れることを懸念した宰相は、国教会と共に幼い王にひとつの取り引きを持ちかけた。





 それから二十年、幼かった第三王子は宰相と国教会の後ろ盾を得て、国王として在り続けた。


「宰相、俺はお前と約束したな! 国を安定させるため、お前を摂政とし娘を娶って世継ぎを設ければ、サラのことに口は出さないと」


 国王の執務室で初老の宰相に向けてアレクシスが声を荒げると、幼少の頃と変わらない金髪が声の勢いにつられてさらりと揺れた。ため息の出るような美貌の王は、渋い表情をした宰相を憎々しい目で睨んでいた。


「確かにそう申し上げました。しかしあれからもう二十年も経つのです。王妃や殿下達にも目を向けてはいただけませんか」


 懇願するように告げる宰相に、アレクシスが氷のような視線を送る。


「言いたいことはそれだけか?」


 気がそがれたとアレクシスは宰相を残して部屋を出た。怒りの収まらないまま、用意させた馬に乗って王宮を出る。行き先はひとつだった。




「サラ。逢いに来たよ」


 アレクシスと一部の高位聖職者しか入ることのできない教会の最奥の部屋に、二十年前と変わらない姿で横たわるサラがいた。

 寝台の真っ白な敷布に横たわるサラは、眠っていても清楚で愛らしいままだ。いつもアレクシスを見守ってくれた紫色の目がもう一度見たいと、アレクシスはサラの眦に唇を寄せた。


 肌に触れれば体温を感じ、頬に触れれば柔らかな感触がその手に伝わる。今にも起き上がりそうに見えてもサラの目が開かれることはなかった。

 魔物の最後の攻撃はサラの時を止めてしまった。魔物の魔力に冒されたサラを光の魔力が癒し続けているが、いつになれば癒し終えるのか。


 サラは食事もせず、排泄もせず、起き上がることもない。アレクシスはあらゆる手段を講じてサラを目覚めさせようとしたが、その望みが叶うことはなかった。


 サラの髪を何度も撫でていた手を離すと、アレクシスは名残惜しそうに寝台から立ち上がった。そろそろ別れの時間のようだ。

 部屋の扉を閉める瞬間、もう一度サラを目にしたいと振り返ったアレクシスの目に映ったのは、二十年間開くことを切望した紫色の瞳だった。


「サラ!」


 寝台の上で身を起こしたサラが、怪訝そうな顔をしてじっとアレクシスを見ている。アレクシスはすぐさまサラに駆け寄ると、その身を強く抱きしめた。


「サラ! サラ! 目が覚めたんだね!」

「あなたは誰ですか?」


 耳朶をくすぐる鈴を転がすような声音が、アレクシスの心を震わせる。


 はっと気づいたアレクシスは柔らかな肢体から身を離して、サラと向き合った。片手でサラの背中を支え、もう片方の手でサラの頬を何度も撫でる。


 その仕草に可愛らしく顔を真っ赤に染めたサラが、アレクシスとの間に手を置いて、距離を取ろうと奮闘している。小動物が抵抗しているくらいの弱々しい反応にアレクシスがくすりと笑った。


「僕が分からない?」


 あえて幼い頃と同じ口調でアレクシスがサラに問いかける。切な気な目で見つめられたサラは、はっと顔を上げるとアレクシスの顔に手を触れた。


「……アレク?」


 二十年ぶりに愛する者が口にする自分の名。サラだけに許されたアレクシスの愛称。それを聞いたアレクシスの胸は歓喜に震えて、サラをかき抱いた。


「サラ、良かった。僕を覚えていてくれたんだね!」


 聖女サラが目を覚ましたとの報せを受けて、教会は蜂の巣をつついたような騒ぎになった。すぐにサラの元へ大司教がやって来て、蒼白の面持ちでアレクシスに探るような視線を送るが、アレクシスは気づかない振りをしてやり過ごした。


「聖女サラは王宮に連れて帰る。今日までご苦労だった」


 聖職者が多く集まっている広間で国王がそう告げると、王宮からやってきた豪華な馬車に乗って教会を後にした。





「母上!聖女が目を覚ましたそうです」


 王太子が王妃の私室へ飛び込んできた。報せを聞いた王妃はとうとうこの日が来てしまったと両手で顔を覆った。母親の肩を抱いた王太子が、力なく立ちすくむ王妃をそっと覗き込むと、真っ青な王妃と目が合った。


「あなた達に辛い思いをさせてしまうかもしれません」


 王妃は幼い王と夫婦となって王女と王子を授かった。

 端正な顔をした、まだ少年だった王に娶られてから、王妃はいつかは心を通わせることができるのではないかと希望を持ち続けた。


 少年はいつしか美しい青年となり、王妃よりも低かった身長もとうに追い越していた。二人が並ぶ姿に違和感がなくなり、王妃の視線が熱を持つようになっても、アレクシスが王妃を見ることは一度もなかった。





「アレク、どうなっているのか教えてくれない?」

「サラは最後の魔物の攻撃を受けてから、二十年も眠り続けていたんだ」


 王宮に戻ったアレクシスにサラは質問を繰り返す。錯乱しそうになるサラを、アレクシスは何度も宥めて、根気よく話をし続けた。


「……二十年。信じられないわ」

「そうだろうね」


 それでも目の前のアレクシスを見ると信じざるを得なかった。サラより十歳年下だった小さな少年が、サラよりも随分と年上の男性になっている。弟のように可愛がっていたのにまるで知らない男性のようだ。


「アレクはいくつになったの?」

「二十九だよ」

「私よりも随分と大人になったのね」


 サラの記憶は眠りに就いた十八歳のままだ。その頃のアレクシスはまだ十歳にもならない子供だった。


「父はどうしているかしら?」

「捜すように命じよう」


 サラの手を取って手放そうとしないアレクシスは、サラの望むことを何でも叶えるからと囁き続けた。


 サラの命を楯に取られた幼い国王は、宰相と国教会との取り引きの通り、七歳年上の宰相の娘を娶った。子を作ることを強要され、漸く子ができたと思えば生まれた子は王女だった。

 アレクシスは次の子が宿るまで、また王妃と寝台を共にする生活が続いた。


 次に生まれた王子は双子だった。予備の王子まで生まれ、これでやっと解放されるとアレクシスは王妃と宮殿を分けることにした。





 聖女の目覚めに国中が沸いた。二十年も眠り続けていたのに少しも変わらない奇跡の存在を見ようと、王宮にはひっきりなしに人々が訪れる。

 美貌の国王の横に並ぶ美しい聖女の姿に、国中が夢中になった。


 その様子に、睨みつけるような視線を注ぐ王女がいた。


 王妃がいるのに聖女の側を一時も離れない父王と、それを咎めない宰相と母親。いつも寡黙な父王が聖女の前では見たこともないような顔をしてよく喋り、笑っている。


「何が聖女よ。王妃であるお母様を差し置いて、どうしてサラがお父様の隣にいるの⁉」


 王太子の私室で苛立たしげに声を荒げているのは、アレクシスの最初の子である王女だ。


「誰に聞かれているかもしれません。姉上とサラが対立したら、一瞬の躊躇もなく父上は姉上を排除しますよ」


 王女と年子の王太子が周りを警戒しながら、潜めた声で姉を咎める。王太子の横では第二王子が心配そうな顔をして姉を見ていた。二人を交互に見た後、王女は眉をしかめて弟達に問いかける。 


「あなた達は悔しくないの? なぜ国王の子であるわたくし達がこんなにも蔑ろにされなくてはならないの?」

「姉上は父上に期待するだけ無駄だと、そろそろ気づいた方がいい」


 王太子の冷静な答えに逆上した王女は、踵を返して部屋を出て行った。残った双子の王子が大きなため息をつくと、しばらくの間、部屋には沈黙だけが続いていた。やがて王太子が口を開き、第二王子に一つのことを命じた。


「姉上が愚かなことをしでかさないように、お前がしっかりと見張っておいてくれ。姉上だろうとサラに何かしたら父上はきっと容赦しない。僕は立場上どこまで味方をしてやれるかは分からない」


 王女がサラに害を及ぼして父王が王女を罰すると言った場合、王太子の立場では無闇に味方をすることはできない。どうか短慮を起こさないようにと祈るしかなかった。





 ある日いつものようにサラの元へやってきたアレクシスが、半ば懇願するようにサラに言った。


「俺はどうしてもサラを守りたい。形だけでいいから、俺の側室になってくれないか?」

「何を言っているの? あなたには王妃様がいらっしゃるじゃない」


 驚いたのはサラである。アレクシスには宰相の娘という二十年近く連れ添った王妃がいる。王女と双子の王子、三人の子供にも恵まれているのに何を言っているのかと非難する。


「あれこそ形だけの王妃だ。サラが眠ってしまってから、宰相と国教会にサラを魔女として処刑されたくなければ国王となることと、後を継ぐ王子を作ることを強要された。俺はサラを失いたくなかったからそれを呑んだ」

「そんな……」


 初めて知らされた事実にサラが蒼白になる。まさか自分を守るためにアレクシスがその身を犠牲にしたとは考えたこともなかった。目の前でうなだれるアレクシスにサラが手を伸ばすと、アレクシスはサラの手にそっと頬を寄せた。


「精通してすぐに王妃と子をなすようにと、毎晩薬を飲まされるようになった。こんな俺をあなたは軽蔑する?」


 唇を噛むアレクシスをサラは胸に引き寄せて抱きしめた。あの小さな少年が、大人達に強要されて後継ぎを作らされた。どれほど傷ついて、どれほど辛い思いをしたのか。

 アレクシスを強く抱きしめるといつしかサラも泣いていた。


「私のためにあなたに辛い思いをさせてしまってごめんなさい。ずっと守ってくれていたのね」

「宰相達があなたに何もできないようにするために、俺の妃になって欲しい。側室となればあなたに簡単には手が出せなくなる。必ず守るから、俺の目の届くところにいて欲しい」


 アレクシスはふとサラから目を逸らすと、言い辛そうに口を開いた。


「実はもう一つ、サラに言わなくてはならないことがあるんだ」

「なに?」


「サラの養父はすでに亡くなっていた」

「……そうだと思ってた。二十年も経つのですものね」


 孤児だったサラを引き取ってくれた優しい養父母。養母はサラが聖女となる前に病ですでに死んでいる。聖女として魔物退治に参加すれば、国から高額な報奨金が手に入る。養父の生活を楽にしたくてサラは聖女となった。

 しかしその養父もすでにこの世にいない。


「サラのために昔の仲間を呼び寄せることにしたよ。養父のことはどうにもできなかったけど、彼らだったらサラに会わせてあげられる」


 涙を流すサラを覗き込んで、殊更明るい声でアレクシスが言った。


「私のためにありがとう」


 アレクシスの心遣いが嬉しくて、しかし宰相達の企みや、養父のことからまだ立ち直りきれないサラは力なく笑った。その夜、泣き続けるサラをアレクシスは一晩中慰め続けた。





 とうとう国王はサラを側室にすると宣言した。降って湧いた醜聞に王宮が揺れた。沈黙を守り続ける王妃と、誰の声にも耳を貸さない国王。


「お父様はひどい。なぜ三人も子をなしたお母様がこのような辱めを受けなくてはならないの?」

「父上とお祖父様の密約を、姉上はご存じないから。僕は王太子になった時にお祖父様からこの話を聞きました」


 いつになく真剣な面持ちで王太子が王女に話を切り出した。


「宰相だったお祖父様と国教会が、聖女サラを楯に父上を脅したんです。サラを魔女として処刑されたくなければ、国王となり国を守れと」

「まさか!?」


 初めて聞く手酷い話に、王女が言葉を詰まらせる。


「その時の条件が、宰相の娘である母上を娶り世継ぎとなる王子を設けること。そうすれば眠り続けるサラを国教会が守ると」

「お母様はそれをご存じなの?」

「もちろんご存じです。不幸なのはそれを知っていたのに父上を愛してしまったことです。母上が僕達を身ごもってから、お二人の間に夫婦と言える関係はありません」


 弟の話を聞いて興奮状態の醒めた王女は、力なくソファにその身を沈めた。


「お父様はそんなにサラがお好きなの?」

「出逢った時からずっと、二十年以上も愛し続けていらっしゃる」

「……二十年」


 途方もない長い時間にめまいがした。そんなに長い間同じ人を愛し続けることができるのか。しかも二十年間眠り続け、触れ合うことさえできなかった相手だ。


 聖女サラが正式に王の側室となったのは、それからすぐのことだった。王は周りのいかなる説得にも応じず、宰相達にも密約を盾に取り迫った。


 サラが側室となった後も、公式な場には決して出さず妃としての役目は王妃が担った。





 サラのために当時の仲間と呼べる者達が王宮へ集められた。懐かしい顔ぶれに涙を流して喜んだサラはすっかり皺の増えた仲間達と話を弾ませた。


「俺もとうとう三人目の孫が生まれたんだよ」

「まあ、おめでとう。三人もお孫さんがいるのね」


「私の娘もつい最近妊娠が分かったのよ」

「それは生まれてくるのが楽しみね」


「最近はすっかり足腰が弱くなって、昔が懐かしいよ。若い頃はもっと機敏に動けたのにな」

「そういえば、麓の町で町長さんの屋根修理を請け負ったこともあったわね」

「そんなことあったっけ?」

「勢い余って屋根から落ちちゃったじゃない」

「どうだったかな?」


 皺を深くして笑うかつての仲間に、サラの表情が凍り付いた。誰も気づかない小さな変化だったが、離れた席で見ていたアレクシスだけはそれを見逃さなかった。


 誰もが会えて良かったと言って王宮を後にした。見送るサラの沈んだ様子を見て、アレクシスはサラの顔を両手で包むと優しく問いかけた。


「どうしたんだ?何か言われたか?」


 サラは何度も首を振って否定する。何かを言われたのではない。誰もがサラに再び会えたことを喜んで、二十年振りのサラを昔のように受け入れてくれた。しかし、かつての仲間との関係は昔とはまるで変わってしまった。


 サラの知らない人生を歩んだ仲間との会話は、まるで親世代と話しているように感じられた。サラが昨日のことのように覚えている事柄も、彼らにとっては昔のこと。記憶の片隅にすら残ってはいなかった。


 困ったことがあれば必ず助けに行くからと誓い合った仲間は、すでに他に大切な家族を得ていた。今の彼らが守るべき者は仲間ではなくその家族だ。


 養父もサラが眠っている間にこの世を去ってしまった。


「私は取り残されてしまったのね」

「サラには俺がいるから。ずっとサラの側にいるよ」


 その夜初めてサラはアレクシスと夜を共にした。





 サラがいつものように離宮の庭園で花を摘んでいると、侍女を伴った少女に声をかけられた。高貴なその少女が王女なのだと、ひと目見てサラは気づいていた。驚いて礼をとったサラに王女も淑女の礼を返すと、王女は侍女を下がらせた。


「はじめまして。聖女サラ様」


 何ともいえない沈黙が二人の間を流れた。王女はサラの持っている花束に気づくと、静かに問いかけた。


「その花束をどうなさるの?」

「養父のお墓に供えてもらいます。王都から少し離れた場所に養父のお墓があるのだそうです。私はお城から出られないので、誰かに預けようと思っています」

「お亡くなりになったの?」

「私が眠っていた十年前に亡くなったそうです。昔は死にそうにないくらい元気だったんですけれど」


 何となく遠くを見つめるサラが気になって、王女が問いかける。その様子は国王の寵愛を受け、この世の春を謳歌しているようにはとても見えなかった。


「サラ妃、あなたは今幸せですか?」

「……目が覚めたら二十年経っていたんです。養父は亡くなり、仲間だった人ともすっかり関係が変わってしまいました。私一人だけが取り残されてしまって。これからどうしたらいいのかすら分かりません」

「……ごめんなさい」


 王女は視線をサラから落とし、足下に咲く背の低い小さな花を見る。そのまま小さく別れを告げて、王宮へと足を向けた。



 その夜、王太子が王女の私室にやって来た。王太子は話してもいないのに、王女とサラが会ったことを知っていた。

 王女は漸くこの王宮におけるサラの存在が分かった気がした。恐らく父王もこのことを知っているのだろう。


「サラ妃に会ったんですか?」

「わざとではないわ。本当に偶然なの」

「どうでしたか?」


 王太子が見極めるように王女を見ている。


「私サラを、突然現れた愛人だと思って憎んでいたの」

「むしろ王妃の座をかすめ取ったのは母上の方です」

「そう言う言い方はやめて。でも彼女は自分の立場に戸惑って混乱している。お父様のことよりも、何より今の自分の状況に絶望している」


 王女がサラと話した内容をそのまま王太子に伝えると、弟の顔をした王太子は辛そうな顔をして大きなため息をついた。


「母も聖女も、どちらも不幸ですね」




 執務を終えて夫婦の部屋へやってきたアレクシスが心配そうにサラを見ている。


「王女に会ったそうだな。何か言われたか?」

「優しい王女様ね。本当なら罵倒したいだろう私を慰めてくれたわ」


 サラは何度も首を横に振ると、ぎこちない笑顔を浮かべてアレクシスに声をかけた。


「ねえアレク。私がここにいるのはやっぱり不自然だわ。私をここから出してくれない?」

「そんなことは絶対に認めない。あなたが目障りだと思うなら、王妃でも王女でもここから追い出してやる」

「やめて! そんなことを望んでいるんじゃないわ」


 サラは激昂したアレクシスに抱きつくと、アレクシスの背中を何度も撫でて落ち着くように促した。


「愛しているよサラ。昔からそしてこれからも。死ぬまでずっと愛している」

「それでも私達の関係は色んな人を傷つけるの」





 離宮の外をよたよたと幼女がおぼつかない足取りで歩いている。王太子が驚いて近くを見回すが、いるはずであろう従者の姿がない。


「危ないよ」


 王太子が声をかけると幼女は声のした方に顔を向けた。くりくりとした紫色の目を微笑みの形に細めたその顔は、一目見てサラに似ていると思った。


 これが僕の異母妹か。


 父王が目に入れても痛くない程溺愛している、聖女サラの生んだ王女ディアナ。


 王宮よりも手をかけられ建てられた荘厳な離宮。王妃や王太子を守る騎士よりも、より修練された騎士に守られている側室とその娘。王の寵愛がどこにあるのかは明白だった。


 王女を抱き上げて離宮を歩く王太子は、目の前に見覚えのある後ろ姿を見つけた。


「おとうさま!」

「ディアナ、どうした?」


 王太子の腕から降りて小走りに駆け寄るディアナを抱き上げると、アレクシスはその果実のように瑞々しい頬にキスをした。きゃあと声をあげて喜ぶディアナに、これ以上ない程の愛情のこもった表情を浮かべる。


「父上のそんなお顔は初めて拝見しました」

「そうだろうな」

「そんなに可愛いですか? サラ妃の娘は」

「何が言いたい? 心配せずとも王位は早々にお前に継承させるつもりだ。ディアナには何も与えない」


 側室の子であっても継承権を有することができるこの国で、父王はディアナに継承権を与えないことを決めた。王妃の子を慮ったのではない。


「継承権を与えて、苦労させたくないからですか?」

「分かっていることをわざわざ言わせたいのはなぜだ? そもそもお前達が生まれたのさえ、政治的判断だ」


 身も蓋もないことを実の息子に言ってのける父王に、落胆でもなくただ乾いた笑いしか出なかった。

 愛されているとは思っていなかった。ただ少しの情くらいは持ち合わせているのかと淡い期待をしていたが、それすらもなかったようだ。


「おとうさま、おにいさまはだあれ?」

「エドガーだ」

「エドガーおにいさま?」

「……それでいい」

「エドガーおにいさま。はじめまして、ディアナです」

「王太子殿下!」


 ふっくらとした腹部を無意識に撫でながらサラが姿を現すと、アレクシスはごく自然に手を差し伸べた。


「ディアナが離宮を逃げ出したようだ」

「まあ!」


 目の前で繰り広げられるのは、仲睦まじい夫婦のありようだ。父と母の間にはなかったもの。


 王太子は簡単に礼をするとそのまま離宮を後にした。

 なんとも苦い思いを抱きながら。





 考えても仕方のないことをサラは何度も考え続ける。


 あの時魔物の攻撃に遭わなければ、もっとちゃんと攻撃を防いでいれば、サラの人生は変わっていたはずだ。


 密かな恋心を抱いていた見習い騎士との恋が成就したかもしれない。養父の元へ戻って二人で楽しく暮らしたかもしれない。仲間達と共に年を取って笑い合った人生があったかもしれない。


 どれもすでにサラが失った人生の可能性だ。


 弟のように可愛がっていたアレクシスの側室となって娘を生んだ。生まれた子は大変可愛く、お腹にいる子が生まれるのも楽しみにしている。


 しかしいつも考える。これは自分が求めた未来なのだろうかと。


 幼いアレクシスを可愛いと愛しいと思ってはいたが、青年となったアレクシスはサラの知っているあの少年ではない。今のアレクシスは昔と変わらない愛情をサラに向けているが、それを受け入れるほどの情はサラにはない。


 アレクシスは幼い身でありながら、その身を犠牲にしてサラを守り続けてくれていた。その献身には報いたいと思っている。

 すでにサラには帰る場所も、頼るべき相手もいない。宰相と国教会からも命を狙われていては、どこへ行くこともできない。アレクシスに頼るしか道はないのだ。


 しかし、サラは国王の側室になりたいなどと大それたことを考えたことはなかった。魔力を活かした仕事をして、少しでも養父を楽にしてあげたかっただけだ。


 できることならあの日に戻りたい。

 今のようにただ流されるままの人生ではなく、自分で切り拓きたかった。





「サラ愛しているよ」


 今日もアレクシスはサラを抱き寄せて何度も愛を囁く。


 アレクシスはサラが側にいるだけで、こんな幸せがあったのかと信じられない気持ちになる。サラだけがアレクシスに幸せも悲しみも孤独も絶望すらも与える事ができるのだ。サラに関することだけ感情が動くのだから。


 彼女を抱きしめてその身に自身を沈めている時が、生きていて一番安心する。この身を彼女から離す時にいつも絶望する。もっとずっと彼女の中に居続けたい、ふたつの身が一つになって溶け合ってしまえばいい。もう二度と離れたくない。




 アレクシスがサラに宰相や国教会との取り引きを伝えたのは、城を出て行けば命の危険があると知らせたかったから。今更彼らがサラに何かするとは考え難いが、あくまで事実を伝えただけ。


 サラの目が覚めたらすぐに退位するつもりだったため、譲位を円滑に進めるためにどちらにせよ子は必要だった。宰相の娘というのは業腹だったが仕方がない。

 生まれた子は王妃が生んだ、王妃だけの子だ。


 子を作る過程は屈辱ではあったが、サラが勘違いしたように特段傷ついたわけではない。だが、サラの罪悪感につけ込むにはちょうど良かった。


 養父の死を伝えたのも、命の危険があると知って動揺しているところを狙った。それで帰る場所がないと悟ったようだった。


 かつての仲間と会わせたのも、もう昔の彼らではないと分かって欲しかったから。もうすでに道は分かたれてしまっている。二十年の年月は思った以上に長い。


 そして、ようやくサラを手に入れた。


 サラが恋心を抱いていた見習い騎士は、適当な爵位と領地を与えて遠くに追いやった。すぐに結婚相手も斡旋して、最近三番目の子が生まれたらしい。二十年前に少しの時を共有したサラのことなど、もうとっくに忘れているだろう。


 サラがアレクシスに抱いている気持ちが愛情ではないと分かっている。それでも構わない。


 可愛い娘も生まれた。ディアナはアレクシスの子だ。サラによく似た、見ているだけで幸せになれる愛おしい存在。


 もしアレクシスが急死した場合、眠っているサラの命を絶つよう秘密裏に命令を下していた。もし自身が病に倒れた場合は、死ぬ前に自らの手でサラの命を絶つつもりだった。


 サラを誰にも渡す気はない。自分が死んだ後にサラを残す気もない。自分のいない世界で誰かと心を通わすサラを想像しただけで、嫉妬で狂いそうになる。




 今、サラはこの手の中にいる。もうひとりの愛しい存在と共に。


 今日もアレクシスは幸せに包まれている。

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