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8/13

きみと二人だけの場所 【2095/8/16】

【刻限的な時間は、有限である】

 Martin Heidegger 1889-1976


 夜になり、暑さはわずかに和らいだ。

 暗闇を赤い提灯がぼぉっと照らし、和太鼓と笛の音がゆるやかにかき混ぜる。

 石畳と下駄底がかち合う音がして、僕は視線をそちらに向けた。


「お待たせしました」

「……おぉ」

「……な、なんですか? どこかおかしいですか?」

「その、なんていうか……」


 僕の視線は、佐紀の姿を頭からつま先までを、二回半ほど往復して、


「可愛すぎてびっくりした」

「……もう」


 とん、と巾着袋を僕に当て、佐紀は恥ずかしそうにうつむいた。


「ずるいですよ、そういうの」


 なんだどうした。今日は随分としおらしいな。

 僕は内心ドギマギしながら、軽口を叩いた。


「いやいや、ほんとに可愛いよ。うん、三十分待った甲斐があったってもんだ」

「着付けに時間がかかってしまって。ほとんど叔母様にやってもらいました」


 着物なんて普段着ないもんなと、僕は納得した。

 これだけ綺麗な彼女の姿が見られるなら、二時間でも三時間でも待てるというものだ。


「そういえば、着物なんて持ってたんだな」

「実は、今日のために買ってもらいました。これ、今年一番流行ってるコーディネートなんですよ」

「へえ……」


 服の流行り廃りは、僕には良く分からない。着物なんて特殊な衣服であればなおさらだ。

 けれど、周りの同年代の女性と比べても、佐紀が頭一つ抜けてあか抜けていることは、僕にも分かった。


 それにしても……あの厳しい叔母さんがねぇ……。

 人って変わるもんなんだな。


「カズ君? どうかしました?」

「ごめん、可愛すぎてフリーズしてた」

「もう、変な冗談よしてください……。ほら行きましょう?」


 淡い浅葱色の袖から、手が伸びる。

 僕はその手をそっと握って、屋台の立ち並ぶ祭りの中へと足を踏み入れた。



 それから数時間後。

 屋台の間を練り歩き、一通りの出店を楽しんだ後。

 歩き疲れた僕たちは、祭りの雑踏から少し離れたベンチに腰かけていた。 


 祭りの賑わいは最高潮に達し、広場では元気な若者たちが踊りに興じ、じいちゃんばあちゃんは休憩所で赤ら顔になりながら酒をあおっていた。


「やっぱりいいですね、お祭りは」


 佐紀はその様子を楽しそうに眺めながら、ぽつりとつぶやいた。

 両手にはいちご飴が握られていて、口元に少し、赤が写っていた。

 僕はティッシュを取り出して、佐紀に渡した。

 ちょんちょんと自分の頬をつつくと、佐紀はへらっと笑って口元をぬぐった。


「活気があって、明るくて。すごく元気をもらえます」

「ほんと、他には何にもないのに、夏祭りだけは規模がでかいよな。ウチの地元は」

「いいじゃないですか。何か誇れる行事があるのは、素晴らしいことです」

「そうだな。他県からわざわざ足を伸ばしてくる人がいるくらいだし」

「私は、もうすぐここを離れます」

「……え?」


 ティッシュを受け取ろうと伸ばした手が、はたりと止まった。


「……どういうこと?」

「本格的な治療を受けるために、東京に出ます。しばらく帰って来られないと思います」

「そう、なのか……」

「はい、だから最後にカズ君と一緒に来られて良かったです」

「……ばか」


 僕は赤くなったティッシュを引き取って、ゴミ袋の中に入れた。

 がしゃがしゃと、ビニールの袋が乱雑な音を立てる。


「最後ってなんだよ。治ったらまた、一緒に来られるだろ」


 佐紀はその言葉を聞いて、小さく笑った。


「ふふ、そうですね。失言でした」

「ほんとだよ」


 治療が本格化する。

 きっとそれは、喜ばしいことなのだ。


 こんな田舎街ではできない治療を施してもらえるだろう。

 設備も人員も、ずっとずっと潤っているはずだ。

 それに佐紀が東京にいるなら、地元にいるよりもずっと会いやすくなる。

 いいことだらけじゃないか。


 だから大丈夫。

 大丈夫なんだ。


「すみません、少し場違いな話をしてしまいましたね」


 僕は首を横に振った。


「そんなことない。話してくれて、ありがとう」

「転院先の病院が決まったら、真っ先にお伝えします。会いに来てくださいね?」

「当たり前だろ。毎日行く」

「毎日は困ります」

「どうして」

「……だって」


 佐紀は、にへらと笑った。


「そんなに会えたら、幸せ過ぎてどうにかなってしまいますから」

「お、お前……」


 僕はわなわなと手を震わして、佐紀の肩をつかんだ。

 そして。


「しばらく見ない間に、あざとさが増したな」

「せっかく彼女が愛らしいセリフを言ったのに、そのコメントはいかがなものかと」

「……」

「……」

「ぷっ……」

「ふふ……」


 僕たちはしばし互いに見つめ合って、そしてたまらなくなって吹き出した。

 しばらく大きな声で笑い合って、だけどその笑い声は祭囃子の中に消えて、誰の耳にも届かなかった。


 心地よかった。

 佐紀と共に笑い合う今が愛おしかった。

 この時間が、永遠に続いてくれればいいのにと。

 形を変えつつも、連綿と続く時間の果てに、今と同じ二人があればいいと。

 そんなことを願った。


 やがて。

 ぽーんとアナウンスの音が鳴り、僕たちはそろって顔をあげた。

 佐紀がとなりでつぶやいた。


「そろそろ花火の時間ですね」


 祭りが終わろうとしている。


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