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7/13

きみと二人だけの場所 【2095/8/1 - 2104/8/3】

【時間は永遠を模倣する】

 Aurelius Augustinus 354-430



 都会とは違って、セミの声に包まれているような夏だ。

 約半年ぶりに帰省した僕は、そんなことを思った。


 石垣を乗り越えて、庭に降りる。

 そっと辺りを確認し、できる限り姿勢を低くして走った。

 無事に誰にも見つからず、目的の窓の下までたどり着く。

 こんこんと手の甲でノックすると、出迎えるように窓が開いた。


 空気が循環したのだろう。

 黒髪がはらりと顔をのぞかせた。

 嫋やかにたなびいた純黒の髪が、引き寄せられるように戻っていく。

 やがて黒髪の主がひょっこりと顔を出して、


「おかえりなさい、カズ君」

「ただいま、佐紀」


 僕たちは数か月ぶりの挨拶を交わした。


 

 僕たちは同じ大学を受験した。

 彼女の志望校は、当初の僕なんかの学力では到底追いつかないところで、学校の先生なんかは『今からでも遅くはないから考え直しなさい』と、口を酸っぱくして何度も僕を説得しようとした。


 だけど僕は、愚かにも先生の忠告をすべて無視し、そして愚か者というのは、時に常識の壁を破ってしまうことがあるようで。

 僕は、彼女と同じ大学に通うことになった。


 都内の学校。首都圏にある大きな大学。

 地方に住んでいた僕たちにとって、そこに通うということは、住みなれたこの街を離れるということに等しかった。


 それでも構わなかった。

 佐紀と一緒なら、どこに行ったってかまわなかった。

 これでようやく、佐紀を縛り付けていた叔父叔母からも解放される。

 在学中はちっとも「らしい」ことができなかったけれど、きっと大学に入ったら――

 


 佐紀の体の調子が悪くなり始めたのは、大学合格発表があった、その月のことだった。

 


「どう、体の具合は」

「今日はだいぶ調子がいいです。きっとカズ君が帰ってきてくれたからですね」

「調子のいいことばっかり言って」

「あら、嬉しくないんですか?」

「とても嬉しいです」

「素直でよろしい」


 佐紀は口元に手をあてて、上品に笑った。

 少し、やせたような気がする。


 佐紀の病気について、僕は詳しいことを何も知らない。

 とにかく、自宅での療養が必要で、月に何度も大きな病院に足を運ばなくてはならなくて、とても一人で大学生活を送れるような状態ではないそうだ。


 いったいどんな治療をしているのか、いつ頃病気が治るのか。僕には見当もつかなかった。

 しかし……今日は調子がいいということは、普段はあまり良くないということだろう。


 回復に向かっているとは言えないけれど、僕を悲しませたくはない。

 そんな微妙なニュアンスを感じ取ってしまいそうになって、慌ててやめる。

 僕が考えても……仕方がないことだから。


「どうですか、大学は」

「代り映えしないよ。前に話したろ? 講義受けてレポート書いてバイトして。その繰り返しだ」

「サークルとか部活とか、行ってないんですか?」

「行ってないよ。新歓とかは、ちょっとだけ顔出したんだけどさ」

「ふうん」


 佐紀は窓枠に肘を置いて僕を見つめた。


「彼女としては安心ですが、人としては心配ですね」

「ひどい言われようだな」

「いえいえ、褒めてるんですよ」


 佐紀はご機嫌な調子で言った。


「遠距離恋愛はうまくいかないと言いますからね。他の女性の影が見えないのはとても良いことです。ですが、仲良くしている友達の名前が一つもあがらないのは、いかがなものかと思います。円滑な人間関係を進めるうえで必要なのであれば、異性の友人の一人や二人、作ったって構わないのですよ?」

「男の友達くらいいるよ」


 一緒に遊びに行くほどの仲ではないけれど。


「では、この夏はどこかにお出かけに?」

「ないよ。休み中は、ずっとこっちにいるつもり」

「では、オンラインでお話したり」

「そこまでして喋りたいような相手は、特にいないかな」

「……カズ君」

「なんだよ」

「私は心配です」


 佐紀は、眉を八の字に落とした。


「私は、カズ君の足かせになっていませんか?」

「……」


 僕の交友関係が浅いことに、佐紀は関係ない。

 一緒に来るはずだった佐紀がいないことに、すねているわけではない。

 病と闘っている佐紀が脳裏にちらついて、自分だけが手放しに楽しいキャンパスライフを送ることに罪悪感を抱いているからではない。

 ままならない運命に腹が立って、意固地になっているわけでもない。


 ただ、周りのノリに僕がついていけないだけで。

 ただ僕が、人付き合いが苦手なだけで。

 それ以上の意味合いは、ない。


「馬鹿なこと言うなよ」


 僕は佐紀の頭を、少し乱暴に撫でた。


「あんまり変なこと言うと、さすがの僕も怒るぞ」

「……ふふ、すみません。少し弱気になっているみたいで」


 話題を変えよう。

 僕はふと、大学で漏れ聞いた噂を思い出した。


「そういえば、医療AIっていうのがもうすぐ出来るらしいよ」

「医療AI、ですか?」

「ああ。僕も詳しいことは良く知らないんだけど、こう……腕時計みたいに巻き付けてさ、基礎的なDNA情報から毎日変動するバイタル情報まで事細かに記録して、現存している医療データーベースから最適な治療法を算出してくれるらしいんだ」

「それはすごいですね」

「だろ? それがあれば、佐紀の病気もすぐに治るかもしれないよな」


 佐紀は自分のほっそりとした手首を見つめた。


「そうですね。そうなれば……いいですね」

「なるって、きっと。そしたら――」

「そしたら?」

「こうやって、こそこそ会いに来る必要もなくなる」


 僕と佐紀は顔を見合わせてくすくすと笑った。


「それは魅力的ですね」

「だろ? こっそり忍び込んで窓越しに会話とか、どこのロミオとジュリエットだよ」


 佐紀が病に倒れて以降、佐紀の叔父叔母はますます厳しくなった。

 僕が会いたいと正面切ってお願いしたところで、決して許してはもらえないだろう。


 けれど……あまり責める気にはなれなかった。

 思えば昔から彼らが佐紀に厳しかったのは、佐紀の体が弱いことを知っていたからではないだろうか。厳格なように見えて、過保護だったのではないだろうか。


 真相は分からないが、なんとなく、僕にはそう思えた。


「あ……太鼓の音」


 ふと、佐紀が虚空を見上げた。

 耳を澄ませば、とんとんと弾くような音がする。


「ほんとだ。そういえば、もうそんな時期か」


 一年を通して一番大きな催し物、夏祭り。

 その準備をしている音が、遠くからセミの声をかき分けるように耳に届く。


「もう何年も、一緒にお祭りに行っていない気がします」

「結局、高校の間は機会がなかったもんな」

「私は一度、誘ったんですけどね?」

「ぐっ……それは……」

「ふふ、冗談です」

「冗談に聞こえないんだよ……」


 窓越しに、佐紀の頭が肩に乗った。

 甘い香りが鼻腔をくすぐり、胸の奥を鷲掴みにされるような愛おしさがこみ上げる。


「一緒に行きませんか?」

「……大丈夫なのか?」

「たぶん、お願いすれば。昔から、夏祭りだけは特別でしたし」

「そっか、じゃあ……」


 サッシに置かれた白い手に、そっと重ねる。


「行こうか、一緒に」

「はい」


 ぴんと張られた太鼓の皮を、バチが小気味よく弾いている。

 とんとん、とんとんと、リズミカルに打ち鳴らす。

 僕たちの鼓動は、きっとそれよりも少しだけ早かった。



 ※



「なあ、香織」

「なんでしょー、先輩」


 特別、熱い日だった。

 体中にまとわりつくような蒸し暑さはなりを潜め、代わりに容赦のない日差しが照り付けるようになった。


 僕たちは、なんとなくエアコンをつける気が起きなくて、扇風機と団扇、そして冷たい麦茶で涼を取りながら、床の上に転がっていた。


「暑いなあ」

「暑いですねえ」

「もうすぐお盆だなあ」

「お盆ですねえ」

「ウチ、来ない?」

「……はい?」


 団扇をあおっていた香織の手が止まって、わずかに頬を撫でていた微風が消える。


「いや、さ。結局僕たち、結婚式挙げてないだろ?」

「です」

「仕事が忙しくて、ウチの両親ともまだ会えてないだろ」

「ですです」

「で、そろそろ帰ってこないかって、うちの母さんが――」

「行きます」


 一も二もなく、香織は即答すると、僕の腹部に腕をとすんと乗せた。

 そしてそのままジタバタと動かす。


「行きます行きます行きますー!」

「お、オッケーオッケー。分かったからちょっと落ち着けって」

「だって嬉しいんですもん。ずーっとご挨拶したいと思ってましたし!」


 僕たちは式を挙げていない。

 それは、僕が香織のご両親に認められていないということに起因するのだけれど。

 とにかく僕たちの生活は、大きく変わってはいなかった。


「っていうか、お盆ってもう一か月もないじゃないですか! どうしよう、髪とかちゃんとしていかないと……」


 さっきまでのゆるい空気はどこへやら、香織はそわそわとせわしなく髪を撫でた。

 けれどその落ち着かない様子からは、ネガティブな雰囲気は伝わってこなくて。

 僕は香織を誘って良かったと思った。


「そういえば、そろそろ夏祭りの季節だな……」


 床に転がったまま窓の外に視線をやると、そこには能天気な青空が広がっていた。

 和太鼓の音が聞こえた気がした。


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