白の18分(下)【2102/12/31】
近くの居酒屋で飲んで帰ると、それなりの時間になった。
一人で飲むのも、たまには悪くないものだ。
「――っと」
体がよろけ、そのままベッドに倒れ込む。
着替えずにベッドに入ったら、香織に怒られるかな……。
でもまあ、いいか。今日くらいは。
酔った頭で自分を甘やかし、ぱたりと寝返り。
大の字に横になると、腕に巻いたクロノスが勝手に起動した。
目の前に映し出されたホログラムを見る。
23時59分。
もうすぐ年が明ける。
「新年、かあ……」
あまり感慨はない。
小さい頃はやけに楽しみにしていた記憶があるが、今となっては昔の話だ。
金曜の夜が終わる時の方がよっぽど充実感があるし、日曜の夜が終わる時の方がよっぽど絶望感がある。
「あの頃はなんで、あんなに楽しみにしてたんだっけな……」
少し考えて、けれど何かを思い出すことはなかった。
単純に僕の感性が古びただけだろうと納得する。
誰もが、昔の思い出を、感情を、少しずつ失っていく。
人間なんてそんなものだろう。
クロノスの示す秒針が、すこしずつ12に近づいていく。
表示設定は自由に変えられるけれど、このアナログな設定から変えたことはない。
年が明けた後の18分、俗にいう「白の18分」の間、時計の針は動かない。
僕は、それを見るのが好きだった。
クロノスは毎日平均59秒のうるう時間を挿入し、世界時間を調整している。
しかし、それでも配り切れない「余った時間」が存在するらしく、その余分の時間、約18分を、一年と一年の間に挟み込むのだ。
理由は確か、年末年始が最も人間の体感時間が加速するためだと言われているが……まあ、詳しいことは分からない。
とにかく、一年の終わりと始まりの間には、毎年18分の余白がある。
今年でもなく、来年でもなく、時計の針すら動かない空白の時間。
ゆえに、白の十八分。
今年もまた、その時間が近づいてきている。
「3、2、1、……」
かちり。
三つの針が、同時に12を指した。
その、刹那。
「はいはい、あけおめあけお――」
【365日が経過しました。プロトコルに従い、ゴート・シンドローム治療プログラムを展開します】
腕に巻いたクロノスから、無機質な、意味不明のアナウンスが突如流れて。
脳内に大量のナニカが入り込んでくるのを感じた。
音はない。
痛みもない。
気配もなく。
兆候もなく。
唐突に、ただ唐突に。
膨大な量の情報が僕の脳内を蹂躙し、上書きし、いや――再生している感覚を味わいながら。
ただ、直観的に理解した。
これは――過去の記憶だ。
「……あ、あぁ」
大容量のデータを、一度にハードディスクに流し込んだような感覚。
コバルトブルーの奔流が、どこからともなく頭の中へと流れ込んでくる幻覚。
視界が明滅するほどの衝撃を味わった後。
「あぁ……あぁあああああっ……!」
僕は、少しずつ、思い出していく。
「あぁああああああああああああああああああああああああああっ!!!!!!」
彼女のことを、思い出していく。
次々とフラッシュバックする記憶はとめどなく。
走馬灯を逆再生するように脳内が満たされていく。
たっぷりとした黒髪。
夏の日差しに溶けそうなくらいに華奢な体。
控えめな、それでいていたずらっぽい光をたたえた大きな瞳。
淡い、聴色の唇がそっと開く。
何かを、僕に――
【警告:バイタル反応の異常を検知。鎮静剤を自動投入。同時に、現状説明によるカウンセリングを試みます】
女性の輪郭が歪む。
機械的な音声が強制的に介入する。
【まずは時間制御AI、通称クロノスの本来の目的についてご説明します。利便効率を考え、一時的に、一人称『私』を使用します】
うるさい……。
【私の機能は、
1:うるう時間のランダム的な挿入、およびタイムバランス制御による、年日数固定と安定化。
2:タイムキーピング機能と各種通信システム、および健康管理AIによる使用者の日常生活のサポートです。しかし――】
うるさい、うるさい……!
【私たちには第三の機能が備えられています。
一部の人間のためだけに作られた特別な医療機能であり、三年前からあなたはその対象者です】
うるさいうるさいうるさいうるさいっ!!
【私、クロノスがあなたに対して行っている医療的措置。それは――】
【使用者の記憶データの保持、およびその管理です】
「うるさいって言ってんだろっ!!」
クロノスを投げようとするが、なぜかうまく外せない。
バンドと手首を何度も何度もひっかいた後、机に思いっきり叩きつける。
10トントラックに踏まれても壊れないという触れ込みのクロノスには、当然、傷一つ付かなかった。クロノスのアナウンスは、止まらない。
【それではなぜ、記憶データを管理する必要があるのかをご説明いたします。
ことは36年前、クロノスが作られる前に起こった「誕生日革命」まで遡ります。誕生日革命と言えば、2月29日生まれの人間が揃って暴動を起こしたとされる、記憶にもまだ新しい事件ですが――】
【あの革命は、二月二十九日生まれの人間が起こした暴動ではありません】
【世間一般には知らされていませんが、あれは超ストレス性行動障害、通称『ゴート・シンドローム』を抱えた人間たちによる暴動です】
「ゴート……シンドローム……?」
繰り返す。
初めて聞いたはずの単語なのに……どこか既視感がある。
【はい。
ゴート・シンドロームに罹患した人間は、脳にある一定以上のストレスがかかった際に、正常な判断を下せなくなります。結果、感染者は非常に攻撃的・暴力的な行動を行うようになると報告されています。
突如現れたこの病気に関しては、まだ詳しいことが分かっておりません。ですが、患者の脳波を調べた結果、共通した脳波パターンを示しており、それが巨大隕石「GOAT」が通過した際に降り注ぎ、地球上に残存している宇宙線に由来している可能性が高いされております】
「宇宙、線……」
【発症率は低いものの、治療法は現在も確立されていません。
未知の病。
不治の病。
その原因が宇宙線という原因不明の物質に由来するとなれば、世界規模の混乱は免れません。
そこで各国首脳は秘密裏にこの病を処置することを決定しました。
そこで考えられた治療法が――記憶データの抽出、およびその復元です】
「なるほど、そういうことか……。いや――そういうこと、だったな」
この説明を、僕は前にも聞いたことがある。
それを今まで忘れていた。忘れさせられていた。
体中を、違和感がむしばんでいる。
自分が自分でないような、かきむしって皮膚を引きちぎってしまいたくなるような、強烈な不快感が、全身を苛む。
「お前らは、ゴート・シンドローム発症の原因となる『記憶』を一時的に保管して、それを毎年十八分間だけ僕たちに戻す。そうすることで、少しずつ少しずつストレスに慣れさせようとしていた……」
【肯定:その通りです。白の十八分に記憶を復元することは、時間学的観点から、最も効果が高いと言われています。具体的には――】
「ふざけんなよ……何が不治の病だ……何が記憶の復元だよっ……!」
【もともと記憶のデータ化、および一時的にバックアップする研究は進んでいました。長期的な保持は不可能ですが、一年に一度、海馬帯のax-06領域にアクセスすることで人体、および記憶の健康が――】
「うるせぇ、ちょっと黙ってろよっ!」
叫び声は、部屋の中にむなしく響く。
認めたくなかった。認められなかった。
僕の記憶は、三年前のある日を境に一部分がすっぽり欠けている。
ゴート・シンドロームを発症する引き金なったその記憶は、僕が転勤してくる前の話だった。
香織と出会う前の話だった。
僕が失っていた記憶。
僕が、失うことを望んだ記憶。
それは。
【記憶定着率、100%
報告:雨甲斐佐紀。あなたの高校時代までの学友であり、幼馴染。そして】
【三年前に亡くなった、かつての恋人だった女性の記憶の、再アップロードが完了しました】