白の18分(エピローグ) 【2114/12/31】
12月31日、23時59分。
今年こそは起きていると意気込んでいた穂香は、また睡魔には勝てなかったようだ。
もう六歳になり、赤ん坊のころに比べてすっかり体は大きくなったけれど、一緒に年を越すのは、まだまだ先になりそうだ。
クロノスを起動する。
アナログ時計が投影された。
一秒を刻む秒針が、円の外周の軌跡をなぞり。
やがて、12の数字と重なった。
――また、この時間がやってきた。
一年間忘れていた彼女との記憶が、脳内をあっという間に満たしていく。
僕は膝の上で眠っていた穂香をそっと抱きかかえ、ソファの上に横たえた。
間を置かず、香織がそっと毛布をかける。
僕たちは互いに視線をかわし、人差し指を口の前までもってきて、声を出さずに笑った。
「そろそろ時間でしょ?」
「うん。ちょっと行ってくるよ」
僕は小声でそう言うと、足音を立てないように気を付けながら、静かにリビングを後にした。
――が、どうやら周囲の変化に気付いたらしい。
背後から穂香の寝ぼけた声が聞こえて来た。
「おとぉさんはー?」
「んー? お父さんはね、自分のお部屋に行ったよー」
「いっしょにとしこしするって言ったのにー」
「大丈夫、すぐ戻って来るから。それまで歯磨きしましょうね」
「もうしたー」
「お、えらいえらい。じゃあちょっとだけ、目をつぶってなさい」
「おとぉさん何してるのー?」
「お父さんはねえ、とっても大事な用事があるの。だからちょっとだけ、待っててね」
僕は心の中で香織にお礼を言って、そのまま自分の部屋に入った。
電気はつけなかった。
クロノスだけを起動して、動画データを再生する。
ぼぉっと浮かび上がった女性の顔が、僕を見て微笑んだ。
『去年ぶりですね、カズ君』
「うん、久しぶり」
あれから、十年が過ぎた。
僕の周りの環境は、穏やかながらも、それでもやはり劇的に変わっていて。
九年の間にあったこと。十年前にあったこと。それよりも前に、あったこと。
いろんな記憶が風化して、淡く脆く、崩れ去っていった。
いろんな新しい記憶が、僕という一人の人間を作り上げていた。
そんな中で、ずっと変わらない記憶がある。
ずっと苛む記憶がある。
『私に何か、言うことがあるんじゃないですか?』
「うん、あるよ」
僕は言う。
いつもの通り。
「365日の間、君を忘れてごめん」
彼女は笑って、「許します」と言った。
そしてこう続ける。
いつもの通り。
「今年も私を思い出してくれて、ありがとう」