魔王と剣の勇者
黒狼が地面をける、巨大な口を大きく開けてとびかかってくる。
「よけろ!」
ガオの一声でみんなが散る。あたしは木の陰にいて動けない。黒いローブのボラズが片手を黒狼に向けて光の矢を放つ。黒狼に当たったがその黒い毛並みに吸収されるように光が消えた。
「くそっ」
ボラズの悔しげな声。
「諦めんな」
ガオが叱咤する声。
それをかき消すように黒狼が唸る。ぐるると涎を垂らしながら、ガオに突進する。危ないとあたしはいいかけて、声が出ない。
「きやがれ犬!」
ガオは剣を構えて、地に伏せる。巨大な黒狼の突進に合わせて前に駆ける。
「おら!」
わずかに突進から軸をずらして斬撃を放つ。がきんと音がして、剣が折れた。それだけじゃないガオが吹っ飛ぶ。転がって木にぶつかる。その音、「何か」が折れた音が耳に響く。
「ガオさん!」
ミラが庇うように駆け寄る。黒狼はそれよりも前にボラズにとびかかった。
「ひ、ひいぃ」
彼は悲鳴を上げて逃げ出す。それを前足で黒狼は弾き飛ばす。爪に切り裂かれたローブから血が舞い散る。ああ、あたしなんでこんなに冷静になっているんだろう。ボラズは血だまりに倒れたまま動かない。
黒狼は盗賊っぽいお姉さんのグルさんに顔を向ける。グルさんはいつの間にかへたり込んでいた。なんでか笑っている。それでいて泣いている。どうしようない時に人はああいう風になるとあたしは知っている。
「あははは。弱ーい」
黒狼を連れてきた赤い髪の少女は手を叩いて愉快そうに笑う。
「いたぶって殺していいよー。腕とか足とか食べた後に首をねじ切った方が面白いわよ」
ほんとに愉快そうに言う。あたしはただ茫然とそれを見ている。なんで? あたしにできることはないの? だってあたしは魔王。子供のころから昔の記憶を持っているんだから。ずっと昔からいろんなことを知っていた。
黒狼がグルに近づいていく。
青い光があたりを包む。ミラが聖剣を抜いていた。黒い刀身に文様が浮かび、雷撃の力を纏わせる。
「こっちです! 私の聖剣が狙いなんでしょう。私からやったらどうですか!?」
ミラが必死に挑発している。ああ、必死なんだ、他の誰かにあの牙が向かないように自分に向かうよう声を張り上げている。黒狼はその声に振り向いた。
「ライトニングス!」
ミラが聖剣をふるう。青い雷撃が黒狼に襲い掛かる。魔力の雷撃は黒い毛皮に直撃した。
身を焦がす。僅かに煙をあげただけで黒狼には通用しない。やっぱりあの聖剣じゃ、いや今のミラスティアじゃ力不足なんだ。
ぐるるる
ミラの聖剣を握る手が震えている。カタカタあたしにも聞こえるくらい。黒狼が前足をふるう。ただそれだけでミラの体が宙に浮いた。聖剣で防御していてもそれくらい。
「あははは。ほんと雑魚バッカり」
赤い髪の少女の笑い声が頭に響く。ミラは聖剣を杖のようにして立ち上がろうとしている。ほかの3人はたぶんもう戦えない。
ここで全員死ぬんだろうか?
いやだ。
あたしは自分の手に力を籠める。きっと何かが起こるはず。
あたしはなんだ。
魔王なんだ。
魔王なんだ。
魔王なんだ。
あたしは魔王なんだ、何か特別な力があるはずなんだ。何かあるはずなんだ。今それを出してよ。あたしは自分に問いかけても、何も変わらない。こういう時に何か出してよ。あたしは魔力の扱いはうまいんだ、魔力自体が少ないから何もできない。
だからあたしが助けることができるはず。助けたいのに、
「なにもできないの……?」
地面を指で抉る。少しの土がとれただけ。小さい、爪痕をのこすくらいしか今のあたしにはできない? いや、きっと何かあたしの中にあるはずだ……じゃなきゃみんな殺される。ミラもガオもグルもボラズもあたしも、村のみんなも。
あれ、なんであたしは泣いているんだろ。ぽたぽたと何かあふれてくる。
「マオ」
その声にあたしは顔をあげる。ミラが黒狼の前で聖剣を構えている。でも、あたしを一度だけ振り向いていた。
「ごめんね」
そう言ったように聞こえた。声が聞こえたかどうかはわからないけど、そう言っているように思えたんだ。ごめん? 何に謝っているの。
…………ふざけんじゃないわ。なんで「あいつ」の子孫にそんなこと言われなきゃいけない、違う、言わせなきゃいけないんだ!
あたしは立ち上がった。もうどうにでもなれ。頭で考えていたってどうしようもない。
「こらぁあ!!」
あたしは物陰から出て叫んだ。黒狼があたしを見る。それにあの生意気な赤い髪の少女もこっちをみる。
「なに、あんた?」
「あんたこそ何だよ! いきなりでてきて好き勝手やってんじゃないわよ」
「はあ? くそ人間風情が粋がってんじゃないわよ」
人間? そう、あたしは人間。子供のころから無力だって嫌と言うほどわからされてきた人間。赤い髪の少女をあたしは見る。まっすぐ、その見下した瞳によーくわからせてやる。こいつ「魔王を復活させる」なんて言ってたけど、あたしはもうここにいる。
「あんたのいう魔王なんてのは大したことないやつよ。ひとりじゃ何にもできないし、勢いでしか物事を進めることができない馬鹿。そんなの復活させたいなんてなにかんがえての!? ばーか!!」
ぴりっと魔力がほとばしる。少女を中心に赤い魔力の奔流が起こる。少女の周りに集まった魔力は尋常じゃない。でも、まあ。ここまでやっちゃったらもう、どうにでもなれ。
「人間の分際で……魔王様に対して出鱈目を言うなんて、万回殺してやる……」
――ぐおおおお
黒狼が赤い魔力を纏って咆哮を放つ。
どうやら魔王に対して夢を見ているみたいだけど、今のあたしはパンを焼くのも焦がすような奴よ! あたしは後ろを振り向いて走りだした。
「バーカ! バーカ!」
挑発しながらあたしは走る。
「殺せ」
少女の冷たい声。それに黒い狼は呼応した。あたしは必死に逃げる。息が切れる、ぱきぱきと地面に落ちた枝を踏んで、くしゃりとはっぱを踏んでいく。その後ろから地響きをたてて黒い狼が迫る。
木を打倒し、喰い倒し。凄まじい勢いで向かってくる。
あたしはもう、前しかみていない。死ぬかもしれない。というかただの賭けでしかない。何も言ってないんだから。木の間とか、岩の間とかとにかくこすっからくにげまわる。黒い狼は体が大きい、だから逆に森の中で追うのは得意じゃないかもしれない。
「ほら、こっちこっち!」
後ろ何て振り向けない。あたしはついてくるように挑発してみる。そして、その場所についた。子供のころから何度も遊びに来た場所だ
。
茂みを抜けた先に泉がある。あたしはその泉に飛び込む。浅い。黒狼もあたしを追って水に飛び込む。ばぁーんと大きな音がして、化け物が飛び込んだ波にあたしは巻き込まれる。
「げほっげほ」
岸になんとか体を引きずって後ろを振り向くと、泉の中からあたしを見る黒狼の姿。あたしは右手に魔力を集めて水面に付ける。普段なら絶対にうまくいかない。ただ、あたしは自らの生命力を魔力に無理やり変換する。
「アクア!」
わずかな水流が起こる。黒い狼の顔に水がかかる、それでもできることなんてその程度だ。
――ぐおおおおお!
咆哮に波紋がおこる。あたしはここで死ぬんだろうか、それはどうだろう。あたしにはわからない。走ってきて足が重い、意外と命がけのダッシュはきついんだなぁ。とりあえずもう少し後ろに下がろう。
「やあああああ!」
青い光が見える。雷光がほとばしる。ああ、そう。来てくれたんだ。あたしが顔をあげるとミラが雷を纏った聖剣を構えて黒狼の真上にいた。振り下ろした剣から青い雷撃が放たれる。
稲妻が宙を奔る。
黒狼の体中を雷撃がほとばしる。泉の水に濡れた体だ。たまったものじゃないだろう。黒狼の悲鳴がとどろいて、こいつが泉の中に倒れこむと同時にミラが岸に降りた。それもあたしの傍に。
「来てくれたんだ」
何も言わずに来たからどうなるかわからなかった。あたしだけだったら黒狼を濡らしたところで何も意味はなかっただろう。ミラはあたしを見た。その瞳に大粒の涙を湛えていた。
「ばか。来なかったらどうする気だったの?」
「ごめんって」
ああ、たぶんミラはあたしに「死んだらどうするのか」って言っている気がする。それはお互い様じゃん。でも、来てくれたのはうれしかったよ。駄目だなぁ、剣の勇者の子孫とこんなにわかりあってどうするのさ。
「あー」
その声が響いた。あたしとミラが見るとあの赤い髪の少女が泉の向こうに立っている。わ、すごい怒っている。憎悪と怒りが混ざり合ったその顔。
「……あたしのかわいいペットをよくもいじめてくれたね」
赤い魔力を纏っている。その周りにの風景がゆがんで見える。少女が右手を前に掲げると赤で描かれた魔法陣が宙に現れる。そこから赤い光が泉の中で倒れている黒狼に放たれて、
――グルるる
何事もなかったみたいに立ち上がった。いや、たぶんあの赤い魔力がさっきよりも黒い体を覆っている。たぶん強くなってる。
「今みたいに水にぬらしたくらいじゃもう効かないよ。あはは。頑張って戦いなよ……人間は虫けらみたいに這いずり回っているのがお似合いなのにさぁ」
あたしの前に立つミラ。聖剣を握る手が震えている。
「降参したら許してやるよ。モンスターに犯させながら殺してやる、それとも胃袋に入る方がお好き? きゃはは、好きな方選びなよ」
あんな少女の声はどうでもいい。あたしは立ち上がってミラの手を取る。
「マオ?」
不思議そうな顔であんたはあたしを見る。
「ねえ、ミラ。あんたはあたしを信じてくれる?」
「…………うん」
「…………ありがと」
ミラの手を片手をぎゅっと握ってから、あたしも聖剣を握る。ミラとあたしの二人で聖剣の柄をもって、構える。うまくいくかはわからない。でもあたしには何の力もないけど、1つだけあるものがある。
魔王としての知識だ。あたしが子供のころから少ない魔力でも魔法を遣えるのはただ、それだけ。使い方とか、魔力の性質を知っているから。だからきっとミラがあたしを信じてくれるならできることがある。
「ミラ。おもいっきりやって」
「……うん!」
ミラの魔力が唸る。あたしたちの周りを青い光が包んでいく。聖剣の力を引き出すにはまだ足りないけど、そもそもミラの魔力の流れはまだ粗い。だからあたしが調整する。自分の力なんて何もない。
「すごい。マオ。いままで感じたことないくらい力があふれてくる」
聖剣の光が増す。勇者と魔王でやることにしちゃあ、ちょっとへんかな。ミラの魔力をただ無駄のないように聖剣与えるだけ。あたしはただそれだけしかできない。だから聖剣を握っていない手はミラの手を握っている。
「な、なに? この光は。さっさと殺りなさい!」
黒狼が唸り声をあげてとびかかってくる。でもなんだか怖くない。聖剣の輝きに泉が反射してあたり全部を煌かせている。あたし視界いっぱいに光があふれていく。
あたしはミラの手を強く握り、ミラもあたしの手を握り返す
「「ライトニングス!!」」
あたしとミラの振り下ろした聖剣。一瞬の閃光。聖剣から放たれた雷撃はただ一直線に黒狼の体を包んだ。
音も何も聞こえない。でも握っている手の感触だけはわかる。ほんとは、前の魔王もこうしたかったはずだ。詳しくは恥ずかしいから言わない。
視界が開けていく。目のにあった泉は形を変えて、黒狼は跡形もなく消えていた。周りの木々も倒れている。ただ、向かい側にへたり込んだ赤い髪の少女がいる。
「な、なによ今ののの……ああ、あんなのまるでほんとの剣の勇者みたいじゃない」
震えながら何か言っているから。あたしは前にでて、叫ぶ。
「がおー!!」
「ひいぃ」
赤髪はそんなあたしのてきとうな威嚇で逃げていった。まあ、わからなくもない。まだまだ威力は足りないけど一度は魔王を消し飛ばした聖剣の一撃なんだから。泉の中を見ると黒狼の足とかがある、いやー。嫌、グロい。
「はあぁあ」
ミラが膝をついた。あたしも疲れた。実際はあたしはほとんど何もしていないんだけど。ミラの横に座って。握った手を差し出す。
「ん」
そういうあたしの顔と手をミラは交互に見て、こつんと手を同じように握って当ててくる。あ、そこであたしは自嘲した。魔王と勇者の末裔がこんなふうにしていいのかなって。ま、あたしがいいって思うならいいんだと思う。
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