幕間:夢?
ここは、どこだっけ。
月明かりの綺麗な夜。
窓の外を見ているあたしがいた……いや、違う。正確に言えば、これは……「あたし」じゃない。
窓辺にいて、月を見ている彼女は……長い黒髪に長い耳。あたしからは顔が見えない。ああもう、なんだろ、これ。
この部屋は知っている。本棚にはびっしりと高そうな表紙の本が詰まっていた。あたしはこれをたまにぱらぱらと読んでた記憶があるよ。
懐かしい? どうだろ、あたしにはわからない。わからないのはおかしいと思うよ。だってここ、あたしの部屋だった場所だ。…………もう今はどこにもないはず。何百年も昔に燃えて消えた場所だ。
あそこに立っているのは過去の魔王。
……つまり、自分の姿だ。たぶん夢だよね。これ。ほっぺたをつまんでみると少し痛いし……え、夢じゃないなんてことないよね。だってなんであたしは自分の姿を後ろから見ているのさ。
ああ、やだなぁ。この夜のことはちゃんと覚えてる。嫌な夢だよ。
この日は、父が剣の勇者に倒されたと聞いた日だ。遠い戦場で戦ったらしい。
悲しい気持ちがあった、かどうかは覚えてない。あたしにとっての父親は……一言で言えるような存在じゃなかった。気難しくて誇り高くて、それであたしには厳しいというか……ううん……どうせ、夢だからはっきりいうけど……冷たかった……。
だから戦死のことを聞いたとき、正直どう感じればよかったんだろう。
そういえば、この時の自分はどういう顔をしていたんだろう?
そうか、どうせ夢だ。だから、きっとこの時の顔だって見ても、いいはずだ。
あたしは黒髪の魔王に近づく。手を伸ばす。
その手を、誰かにつかまれた。
驚いて振り向くと、そこには黒い影があった、まるで炎のように揺らめく影。でも、人のような輪郭を保っている。そいつはあたしを見ていた。
『――。人間を殺せ。一人残らず殺せ。今まで魔族を殺してきたことの報復をしろ』
ああ、これはきっとあたしの記憶の中にある父親だ。さすが夢だなぁ。
そうだ、あたしは子供のころからこうやって言い聞かされてきた。何度も何度も。
でも、なんでこの場面に出てくるんだろう。めちゃくちゃだ。なんの脈絡もない。ただ、最初の方は聞き取れなかった。……前のあたし、魔王としての自分の名前だった、気がする。
振りほどこうとしたけど、すごい力だ。それどこから、その父親の影がどんどん広がっていく。月明かりの夜を染めていくことそれが、なんだかすごく怖かった。
目の前に顔がある。目と裂けた口。でもその表情は思い出せない。人間として生まれ変わってからだったかな。死んだ父親の顔が思い出せなくなったのは、いや……その前からだったかな。
どうせそれもあたしの記憶だ。体を包んでくるどす黒い影、まとわりついてくるそれ。どうせ消えるはずだよね。
『消えたりしない』
え? 前の前の影がわらった。
『お前は俺を殺した剣の勇者の子孫と何をしている? お前を殺した剣の勇者の子孫となぜともにいれると思っている? モニカとかいう小娘……魔族を責める人間の姿を見ただろう? いずれ、いつか、全部が壊れていく』
これは……記憶じゃない? 影の言っていることはきっと、ミラのことだ。
『俺たち親子だけじゃない。どれだけの魔族がその身を切り裂かれたかを思い出せ。あれは、憎むべき敵だということを思い出せ』
…………うるさい。
『すべては破滅するさ。だからすべてを壊せ。殺せ。魔族が人間として転生したとしても人間もどきに過ぎん、くくくくはあはははああ。いずれ魔族に戻る時が来る』
…………これはただの夢だ。なのになんでこんなに頭に響くんだろう。あたしの父親は死んだ。「お父さん」は元気だ。だからもう、この影とは関係がないはずだ。早く夢から覚めてほしい。
そう思った。だけど、ずぶりとあたしの足が地面に飲み込まれていく。暗い影があたしを取り込んでいく。
昔聞かされた父親の怨嗟の声が響く。もがけばもがくほど、苦しくなっていく。あたしはその中でもがきながら手を伸ばした。
誰かにその手をつかんでほしかったんだ。闇の中で、誰かに。
☆
手の先にぬくもりを感じる。
「ん」
目を開けると天井が見える。ああ、そうだ。ラナのベッドに寝かせてもらってたんだ。あれ、なんだろう右手があったかい。
「おはよう。……夜だけど」
銀髪の少女があたしを見下ろしていた。その両手であたしの伸ばした右手をやさしく包んでくれている。
「おはよ、ミラ」
「うん」
ミラはやさしくあたしに微笑んでくれた。少し泣きそうになる。……泣いたりなんかしないけど。うわ、汗でシャツがくっついてる。あとでお風呂に入ろ……。
あたしはベッドから降りる。
「嫌な夢をみたよ」
率直に言った。ミラは少し迷ったように言う。
「もしかして…………昔の夢?」
「…………そう。でもなんでわかったの? ……もしかしてあたし寝言とか言ってた?」
「いや……ただ苦しそうな顔をしてたから」
「そっか。あ、いてて」
くらっとして頭を押さえた。ミラは心配そうに駆け寄ってくれる。
「また無茶したって聞いたよ」
「そういうつもりだったわけじゃないけど……」
モニカが責められるのはおかしいって思ったんだ。ただそれだけだよ。
……ん、なんかいいにおいがする。
「マオがシチューを食べたいって言ったんだよね? 私も遅れてだったけど少し手伝ってよ。今ちょうど起こしに来たところ」
「……そういえばそうだったね」
ぐぅ。
「…………」
は、はずかしい。おなかがなるなんて。
「……ふふ」
ミラの笑い声。なんだろう、いつも思うけど……優しく思える。一瞬、夢のことを考えた。
「ねえ、ミラ」
「なに?」
「もしも、もしもさ」
一緒にいられない時が来たら。
「やっぱりなんでもないや」
「?」
ミラが不思議そうな顔をしている。そうだね。あたしにはまだ聞く勇気がないよ。
「そう……? でもマオ。なにを聞こうとしてくれたのかわからないけど、もしも聞いてくれると気があれば、私は……ちゃんと応えるよ?」
「………………………うん」
あたしは立ち上がってドアを開ける。おなかもへったしね。




