魔族の策謀
あの男が持っているのは『魔導書』だ。
魔力を使って特殊な文字を刻みつけることでわずかな発動用の魔力を流すだけで魔法の発動を行うことができる。それは無詠唱と違って威力も落ちない。
それに魔力の『貯蔵』もおこなうことができる。
たしかそういうものだ。あたしは過去の記憶を探って思い出した。魔導書なんてあたしは使ったことがない。むしろ敵対していた人間が使っていた気がする。
ラナと一緒に立ち上がる。ラナの息は荒い、さっき殺されかけたんだから当たり前だ。
魔族の男……ロイの手にあるのは魔導書で間違いない。でも……たとえそうでも離れたところに魔法陣を展開して攻撃するなんてできるはずがない……。
かつんと音がした。
「ミラ!」
ミラがゆっくりとロイに近づいていく。……あ。なんだろ、なんとなく怒っているような。そんな気がする。
「ん? 何か用かな?」
ロイは魔導書を開いたままだ。油断している……? 違う、こいつは普通に話をしながらラナに氷の魔法を放ったんだ。
「気を付けて! そいつは離れたところに魔法を放てるんだ!」
後ろからじゃミラの顔は見えない。
「あいつ……何してんの……? ていうか、『ラミ』でしょ」
ラナの声に反応する余裕がない。ミラの周りに魔力の反応が起こらないか、あたしは精神を集中する。奇襲でミラを殺させるなんてさせない。
「貴方たち魔族はいったい何を目的としているのですか?」
「またそれ? しつこいなぁ。水路で何やってても大したことないでしょ」
「違います」
ミラの声から温度を感じない。何かを抑えているような、そんな声。
「魔族は魔王とともに何をしようとしているのですか?」
直線的な問いかけだった。ロイはいぶかし気な顔をしている。少し小ばかにしたように少し目線を上げる。天井の壁画を見ているんだ。
「……はあ? マオウ? マオウなら君たち人間が滅ぼしたって、自信満々にここに描いてあるじゃない。数百年前にさ、大丈夫? 頭おかしいんじゃないの?」
「……私はとある船に上で自身を魔王と称する方と会いました。いえ、襲撃されたといった方が正しいと思います」
ミラの言葉はとにかく短い。でも、その言葉はいろんな意味を持ってる。あたしはミラのことをどちらかというと無口な方だと思う。でも、それはきっと、まっすぐすぎるからだ。
的確に相手に伝わる言葉。それに金髪の魔族は顔をしかめた。
「ああ、なるほど。なるほどね。ああ、そうか、知っているんだね。くくく……あはは。でもさぁ、そんなことをいってもさぁ」
魔力の反応! 魔導書が青く光る。
「ミラ! 来る!」
「やっぱり殺すしかないじゃないか!」
ミラの足元に魔法陣が展……かい……。する前にミラの体は前に飛んだ。一足飛びにロイに蹴りつける。
「ぐっ」
蹴られたことに驚く声。あたしだって驚いている!
「うわっ」
一瞬遅れて氷と冷気が地面から湧きあがった。巻き起こった冷たい風があたしの顔を撫でる。舞い散る氷の欠片の向こうにミラは長いマントの中でシャっと剣を抜く音がした。
ミラが剣をつかんでいる。聖剣とは似ても似つかない細い刀身。白い剣だった。
「魔族にも何かの事情があるとは思います。……でも、私は短い間に何度も何度も友達を失いそうになったことに怒っています」
ロイが下がったと同時にミラが飛んだ。速い。ニーナよりも速いかもしれない。ミラは剣をマントの中に隠して走る。
そして突く。
「ぐ」
ロイの魔導書の端を切る。あれを失えばロイの戦力はかなり減るはずだ。
「お前、僕の本を狙っているのか! ぐぁ」
ミラは答えずにロイの胸を蹴る。よろけたところに斬撃。
「舐めるなよ人間が!」
身をかがめて避けた! そのままロイが地面に手を置く。瞬間に青い魔法陣が展開される。
「アイスエッジ! 串刺しになれっ!」
地面から突き出された氷柱がミラを襲う。それをミラは体をひねってよける。マントがひらりと動いて、なんか綺麗にすら思う動き。そしてしゃがんでいるロイの顔に膝をお見舞いした!
すぐに態勢を立ちなおしたロイの前で、ミラは氷柱を切った。ぱぁとかけらが飛んだ。目つぶし!?
は!? いつの間にか少し魅入ってた。永いようだったけど、きっと数秒しか時間は立っていない。聖剣で戦う時のミラは重厚な構えをする。でも今は全然違う戦い方をしている。
「や、やってやれー! ミラー!」
す、少し情けないけどあたしは応援する。たぶん魔族のあいつとミラはかなり相性がいいんだ。
「あ、あいつなにもんよ。何今の動き」
「ラナ……それは後で話すよ。あ!」
突然に光が視界を満たした! 袖で顔を隠す。一瞬後にロイがかなり離れてミラとの間に壁画まで届きそうな大きな氷の壁ができてる。
部屋を冷気が包む。少し寒い。あたしの吐く息が白い。
「はあ、はあ。君、動きがすごいね。なんか子供ってことで少し油断してたよ。でも何度か僕の首を狙うことはできたんじゃないの? わざとかな?」
「……おとなしく降参してください。お願いします」
ミラの言葉はとにかく短い。しかも常に丁寧。あたしはミラの性格を知っているからわかるけど、きっとロイからしたら嘗められているように感じると思う。あいつの顔が怒りで歪んだ。
「自信家だね。いや、その身のこなしはすごいと思うよ。でもさぁ」
魔導書が輝く。その瞬間に部屋のぐるりと囲む巨大な魔法陣が青く展開されていく。
「この場所ごと凍らせてしまったらどうなるのかな。アイス――」
魔法を発動する直前だった。ミラがあたしを見た。わかっているよ!
「させない!」
両手を地面に置いた。
さっきの戦闘でこの部屋の構造はわかった。
さっきロイが地面に手を置いて魔力を流したのを見た。この地面には見えないように「あらかじめ魔法陣が刻まれている」んだ。後は魔力を流してやれば魔法が発動する。
魔法陣の刻まれた床はつながっている。だから魔導書からやロイの手で魔力を流してやれば遠隔でも魔法陣の展開もできる。
ロイは今すべての魔法陣を同時に展開しようとしている。それなら短時間で大きな魔法を発動できる。
だから、その魔力の流れを阻害してやればいい。あたしは両手に魔力を込める。地面を流れている魔力からすれば1000分の1くらいの。それでも。
「マオ様を舐めるな! ラナ、ミラよけて!」
青い火花があたしの周りでばちりと音を立てる。魔法陣の中の一本の線でいい。「余計な線」を追加して魔力の流れをめちゃくちゃにしてやる。
「なにっ!」
ロイが叫んだ。暴走した魔力が魔法陣から飛散した。
魔力が稲妻の様に奔る。ばちばちと音を鳴らして壁を地面をえぐる。こ、これはこれで攻撃しているみたいだ。
「危ない。馬鹿!」
あいた! 頭を叩かれてしゃがんだあたしの上を魔力の塊が飛んでいく。叩いたのはラナだ。それからあたしの耳元で叫ぶ。
「あんたねぇ。危ないのよ。何したのよ!」
「い、いや。魔法として成立する前に魔力を変な方向に流したんだけど」
「で、出鱈目な奴」
爆音がした。次の瞬間に強い風が吹いた。
「うわあ」
「きゃっ」
あたしひっくり返りそうになるのをラナが掴んでくれた。しりもちをついて。上を見ると濛々と煙が立ち込めている。
「大丈夫!? マオ! ラナ!」
ミラの声。ああ、なんかふわんふわんする。耳が少し痛い。仮面をしたミラがあたしの顔をぱちぱちと軽くたたいてくれた。
「大丈夫だよミラ」
「よかった」
目元だけでもミラが心底ほっとしていることがわかる。あたしは笑顔で返すくらいしかできない。
「あんたらー」
埃だらけのラナだ。
「2人揃ってめちゃくちゃ。あー、もう。それとミラ」
「……は、はい」
「ラミって偽名は意味不明だし。ミラでいいでしょ。ほんとマオもあんたも意味わからない」
「う、うん」
少し笑ってしまう。まあミラの正体は後で説明すればいいや。
「そんなことよりもラナ。あいつがどうなったかわからないけど、ここから出よう」
「出ようってせっかく追い詰めたんだからふんじばって連れていく方がいいでしょ」
「引き際が肝心!」
魔族のあいつがもしも「奥の手」を持っているなら聖剣すらない今は相手にならない。ヴァイゼンもクリスもそれを見せなかったけど、魔王だったあたしには力のある魔族の本当の力を知っている。
ぱらぱらと音がした。どこからか空気が漏れているのかもしれない、土煙が少し収まってて天井が見える。魔王と3勇者の戦いを描いた壁画は崩れてなくなっていた。
「…………」
少し見てしまった。とにかく今は退こう。
「あー痛いなぁ。アームカつくなぁ」
ガラガラとがれきを押しのけてロイが立ち上がった。頭から血を流している。
その目はまっすぐあたしたちを見ている。憎悪……いや、ただ純粋な殺気みたいなものをびりびりと感じる。
「ここまで人間にコケにされるとは思わなかったよ。ああ、くそ」
ロイを無視して、あたしは2人に聞こえるように言う。
「さっき言った通り退こう。ゆっくりと後ろに下がって」
察したのかロイが言った。
「あれ、ここまで追い詰めておきながら逃げるのかい? ねえ、そこの変な格好をした剣士君。さっき魔族は何を考えているのかって言ってたね。教えてあげるよ」
「……!」
ミラ! 反応したらダメだ。
「君は船で僕たちの『魔王』に出会ったんだろう? 本来はそこにいた3勇者の末裔の首をとってそのままこの王都を燃やす予定だったんだよ。人間は皆殺しにしてね……妙な、そう妙な邪魔が入ってしまったけどね」
ミラの足が止まる。いや、ラナもだ。
「あ、あんたたち。ま、まだそんなことを考えてんの? 魔王戦争のまねごとをするつもりなんて、ば、馬鹿じゃないの!? 何百年前のことよ」
「何百年前……そうだね。僕たちは馬鹿なのかもしれない。でも君たち冒険者が一番知っているだろう? 魔族がどういう目にあってきたか、負けた方がどのように扱われているのかを」
「冒険者がって……何の話よ」
ロイはぺっと吐き出した。軽蔑したような目をあたしたちに向ける。
「勝者に敗者のことなど何も価値はないのかもしれないね。まあ、いいさ」
どろりと天井から紫色の液体が流れだしてきた。いや、違う、地面からも、後ろからもだ。な、なにこれ。
「この水路はもともと僕たちに襲撃を受けた際に逃げ込んだり籠城したりするために作られたらしいね。僕はここに罠を仕掛けるつもりだったんだ。逃げ込んできた人間どもを絶望とともに喰い殺すつもりでね」
紫の液体はぶよぶよとして塊になる。数は……何十いるかわからない。あたしとラナ、ミラは背中合わせに構える。
「な、なによこれー」
「……マオ。これはスライムだよ」
「スライム……」
ロイは両手を広げた。
「そうだ。カオス・スライムだ。こいつらは何でも食べるよ。物でも動物でも人間でもね……。街や村を喰いつくしたことのあるこいつらは人間的に言えば災害級の魔物だ、本来なら逃げてきた人間どもを美味しくしゃぶりつくしてもらうつもりだったんだけど。まあ、いいね、未熟な勇者様を殺せるなら」
未熟な勇者……? こいつミラのことに気が付いている。いやそれよりもこいつらが……黒狼と同等の魔物……? もしそれが本当ならやばいかもしれない。
ロイがぱらりと本を開いた。
「僕も殺しにかかるから。できるだけあがいてね」
やばいかも、しれない。




