魔族
竜が空から落ちた時、
ドンファンとアリーは向かい合っていた。アリーは己の中にある魔力を体の全体に融かすように流す。ニナレイアの術式のはるか先をいく魔力操作だった。すべての感覚を開き、身体の奥底から強化する。
しかし、彼女の眼前にたたずむ男の力はその上を行く。魔骸の力を開放した圧倒的な魔力量。赤黒く迸る彼の力はただそこにあるだけで空間を圧倒するかのようだった。
アリーは過去に何度も強敵と刃を交えたことがある。ゆえに格上と戦うのはこれが初めてではない。危機的状況でも彼女の表情は凛々しい。その黒髪が風に揺れた。
ドンファンの戦斧が振るわれる。魔力をはらんだ斬撃。アリーはそれをわずかに間合いを取り躱す。かするだけでも命を狩る一撃は集中した彼女に当たらない。一瞬の動きのはずだったが、その優雅な所作がドンファンの目に映る。
感覚が時を圧縮したように緩やかに流れる。地面を蹴ったアリーは剣を振るい。数撃をドンファンに繰り出す。肩、首、胸に斬撃を放つ。しかしその魔力に強化された体には傷は入らない。
「おおおお!」
ドンファンの斧が横に薙ぎ払う。瓦礫が吹き飛ぶ一瞬にアリーは横に避ける。だがそれは彼も予想していた。すぐさまに踏み込む。踏み込んだ地面が割れる。目の前の女性の体を2つに切り裂く――。
「きしし、そーはさせませんヨ」
ドンファンの視界の端に小柄な影。チカサナだった。その手が黒く伸びる。魔力で作られた黒い手がドンファンの体を横から切り裂いた。
「ぬう」
その肌に傷はつかないがわずかに体勢を崩す。そのすきにアリーが飛んだ。彼女の剣に風を纏わせる。魔力を帯びた緑の風が吹き荒れる。
「手加減はできませんよ」
アリーの目が光り。彼女が剣を振るう。その瞬間にドンファンの体に猛烈な風の刃が叩きつけられた。魔力による斬撃を彼は斧を盾に構える。だが風圧に僅かに足がずざざとわずかに下がった。逆に言うとその程度だった。
――剣と斧そして影の戦いは続く。崩れた古城の瓦礫の中で彼らは死闘を繰り返した。アリーと技の限りを尽くして戦い。その身を横からチカサナが守る。だがドンファンの鉄壁の防御を破るに至らない。
しかし、ドンファンとしても目の前の二人の女性を仕留める決定打に欠けていた。休みなく攻撃され魔力による一撃を溜めることができない。強撃を繰り出そうとした時に絶妙なタイミングでチカサナが介入して体勢を崩してくる。
アリーとチカサナどちらか一人なら仕留めきれているかもしれない。しかし、彼女たちは掛け声をかけるわけでもなく。互いに必要なタイミングで連携を行っている。それは信頼などというよりは戦場の勘というものだろう。
「ぐはははは!」
愉快だった。ドンファンはただ強者と相対していることに心底うれしかった。彼が見上げれば空の戦いは終わったらしい。主の乗騎である竜のファーブニルが勝ったのかもしれないがそこにはいない。つまりはもはやここにいる必要はない。
「……小娘ども……吾輩と戦って生き残っていること心から賞賛しよう」
返答はアリーの斬撃だった。風の一撃をドンファンはその身に受けて笑う。黒髪の彼女は一度足を止める。
「まだこのアリーをなめているようですね。悪いですが貴方をここから無事に帰す気はありません」
「……くく、その言いぐさ……。だがな人間の強者よ貴様が放った無数の斬撃は我が肉体には届かぬ」
「……」
アリーは剣を手に答えない。その鷹のように鋭い眼光に闘志を漲らせている。そして少し離れれてチカサナが見ている。ドンファンの動き次第でいつでも援護できるようにだろう。
「いいでしょう」
アリーが前に出る。その白い剣にはひびが入っているが彼女はそこに魔力を纏わせる。
「何度試しても無駄ぞ……」
「どうですかね」
アリーの体から迸る魔力が勢いを増した。体中からあふれさせているように白い魔力が流れる。
「素晴らしいものだな。人の身、女の身でここまで練磨するとは」
「だから」
ドンファンの放った勝算の言葉にアリーは青筋を立てた。
「このアリーをなめるなと言っているんです、上からものを言っているんじゃないですよ!」
アリーの体からあふれた魔力がすべて剣に納められていく。光が収束して刀身が白く煌めいている。すべての力を込めたアリーの生み出した魔法剣。逆にいえば諸刃の剣でもある。
「この技を放つと自分でも立っていられなくなるんですよ。だから人がいないとどうしようもないのですが……幸いチカサナがいますからね。安心して貴方と刺し違えることができますね」
「やってみるがいい……」
アリーとドンファンはその殺意をぶつけ合う。わずかな間合い。アリーの手にあるのは一撃のための必殺の剣。
チカサナは手を抑えて次の行動を考える。
「きしし、どうやら私はどうしてもアリーさんっていうバカ善人を死なせたくはないらしいですね」
自分の心の中に生まれた言葉に苦笑しつつ、チカサナは集中する。アリーの攻撃が成功しても失敗しても自らが盾になると思った。アリーは彼女を振り返らない。指示を送るでもなく、ただ背中を預けている。
「ほんと、バカな人だなぁ」
だから損をするんですよ、って小さくつぶやく。
戦場の空気が収束していく。アリーは全神経を集中させている。息を吸い、わずかに胸が動く。死が目の前にある気がする。ただ、彼女は迷わない。その剣で今まで何度も『敵』を倒してきた。自分にその番が来たとしても恨みむことなど何もない。
魔法剣を構える。
「――ルミナス」
それは解放の言葉だった。一瞬で踏み込んだアリーの剣が振るわれる。白の魔力を含んだ斬撃がドンファンの体に食い込む。血が噴き出る。彼の顔が歪んだ。
ばきん――そう剣が折れた。
アリーが駆け抜けた後ドンファンは直立して倒れない。彼の方に刻まれた赤い線。それはアリーの一撃が通った証だった。だが彼女の手あるのは半分に折れた剣だった。
「はあ、はあ、はあ」
肩で息をするアリーをドンファンが振り返る。赤い目が彼女を映す。
「やはり素晴らしい敵だな貴様は。吾輩の体に傷をつけるとは」
「く、く」
アリーは足が動かない。全力を使っての一撃で仕留めきれなかったが、彼女の目は前をまっすぐに睨みつけていた。
「私はまだ、倒れていませんよ」
「…………」
ドンファンは無言で斧を高く構えたが、その眼前に一人の小柄な女性が舞い降りるように立った。チカサナだった。くすんだ金髪の下から見える眼光はやはり強かった。
「悪いですけどネ。この人を殺させるわけにはいきませんね」
「チカサナ……はあはあ。私はまだ、うっ」
チカサナはアリーの首を片手で叩いた。それでアリーはぐったりと彼女に寄りかかる。
「まあ、そういうことです。きしし。貴方のボスも退いたようですし。このまま引いてもらえると助かりますね」
チカサナはアリーを抱えたまま後方に跳んだ。ドンファンは追ってはこない。そのまま駆けて距離を取る。
崩れた古城の中を走り、あたりを見回す。まだここにはシャドウは来ていないようだった。あるいはアリーとドンファンの攻撃を受けて消えてしまってるのかもしれない。
アリーを地面に下ろして自分の魔力を収める。それで自らの腕も普通の人間の手に戻った。それでぐったりと疲労感が広がるのを感じた。一瞬気絶しそうになったがチカサナは踏みとどまった。
「アリーさんもそうですが、あの子たちも大丈夫ですかね。逃げ帰るまでが任務だって言いますからね。きしし……し?」
チカサナは背中から衝撃を受けた。彼女の胸から剣の先端が突き出ている。口の中に血が溢れてくる。チカサナは後ろを振り返ろうとする。
「だ、だれ」
閉じていく視界の中。紅く輝く瞳だけをチカサナはみた。




