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何も知らない少女


 最初に感じたのは痛みだった。


「うぅ」


 両目が焼け付くように痛い。目を抑えて呻く。閉じた視界は真っ暗だという当たり前が彼女は孤独を感じた。だが、その気持ちを言葉にできるほど大人ではなかっただけだった。


「痛い……痛い」


 何かに手を伸ばした。暗闇の中で少女は小さな手で誰かを探した。だが、その手を掴んでくれるものは居なかった。……ただどうやらどこかに寝ているということだけはわかった。ベッドの上ということを思い浮かべたが『ベッドの上』ということを自分が理解できることも違和感があった。


 だんだんと痛みが治まり、視界が開いていく。


 目の前には見知らぬ天蓋があった。いや正確にはここは自分の部屋で自分のベッドの天蓋だとはわかった。それが実感を持つことができなかっただけだった。少女は体を動かして周りを見る。ここは「自分の部屋」だが「初めて見る」というわけのわからない感覚があった。


 大勢の人影が見えた。ぼんやりとそれを見れば屋敷のメイドや『父』や『母』ということが分かった。目が慣れていないのかその顔はよくわからない。ただ少女は無性に寂しさを覚えて、なんとかその顔を見ようとした。


 二人のひきつった表情が見えた。


「……!……っ」


 少女は何かを言おうとしてそれが言葉にならなかった。ただ二人の親の顔が自分を見て落胆していることだけはありありとわかった。なんでそんな顔をするのかは彼女にはわからない。体を起こそうとしてもうまく起き上がれない。


 何があったのかも思い出せない。


 ただ、自分の名前が「ソフィア・フォン・ドルシネオーズ」だということだけは知識としてあった。


 ――


 初めて自分の姿を見た。鏡を見たのは目が覚めて翌日だった。


 透明な紫がかった長髪。年相応の幼い少女の顔。だがその耳は少しだけ長い、そして隠しようもなく赤みがかった目。それは忌み嫌われている魔族としての特徴のように思えた。……そして胸元には魔石が埋め込まれていた。それもなんなのかわからなかった。


 『ソフィア』はその姿に最初は何も思わなかった。それでも周りはそうはいかないのだろう。すれ違う従者たちは彼女の姿を見て表面上では敬っているがその実はソフィアという何かを感じていることはわかった。


 それは彼女の両親も同じだった。


 ソフィアの寝室にどちらかが訪ねてくる。少しの間だけ話をして出ていく。しかしどこかぎこちない。何かを取り繕っていることがソフィアにはわかった。両親はたまにイオスという青年を一緒に伴ってきた。彼の渡す薬を飲まなければ胸元の魔石が暴走することがあるとだけ言われた。


 そんな日々が続いた。


 彼女にはなぜ自分が魔族のような特徴があるのかわからなかった。それどころか様々なことを知っている自分がそこにいるのに、すべてのことが初めてのように感じる違和感が彼女をいらだたせた。何もわからない状況の中でやり場のない怒りに彼女は暴れた。


 周りに当たり散らした。物を投げることやメイドなどに対して辛く当たった。


 孤独感は広がっていく。自分のやっていることはおかしいと感じることのできる良識が彼女の中に「備わってしまっている」ことも彼女を苦しめた。その反面不安感が日に日に増していくことで彼女の行為はエスカレートしていった。


「ああ、あの魔族もどきのことね」


 ある日の夜、眠れなかった。


 ソフィアは廊下を歩いているとそんな声が聞こえてきた。誰かが話をしているのが聞こえた。少しだけ扉が開いて、中の灯りが漏れていた。そこから複数人の声が聞こえる。顔はみなかった。ただ聞き覚えのある声がする。


「前のお嬢様はあんなにやさしかったのに、最近のあれは……」

「この前私はひっかかれたのよ、世話をするのは嫌……あーあ。だれか代わってくれないかな」

「まあまあ、どうせ旦那様たちも養子をおとりになるんじゃないかしら。ドルシネオーズ家の跡取りが魔族もどきじゃ無理よ」


 くすくすと声がする。


 ソフィアは壁に背をつけて両手で口元を抑えている。何も漏れないように。中にいるのは顔を知っている大人だろう。彼女はそれを見ることはできなかった。しかし声が聞こえる。


「でも……いきなり魔族のような姿になるなんて……これは私の考えなんだけど……もしかしてお嬢様は偽物なんじゃないかしら」

「は? どういうこと? 偽物って昔話に出てくる化物みたい」

「化物? そうかも、だっておかしいでしょ。容姿が違うだけじゃなくて性格だって全然違うのだからもしかしたらお嬢様はあの化物に乗っ取られたのじゃないかって」


 ソフィアはそれを聞いていた。中から抑えた笑い声が聞こえてくる。


「…………」


 紅い瞳からぽたぽたと涙がこぼれていく。口元を両手で押さえて彼女は逃げるように寝室に戻っていく。一人ぼっちのベッドの上で枕に顔をうずめて彼女は誰にも見られないように泣いた。


 ――


 捨てられるかもしれない恐怖。


 自分は『ソフィア・フォン・ドルシネオーズ』を乗っ取った化物だという自己への嫌悪感。


 様々なものに押しつぶされそうになっていた彼女は感情的に人に当たることすらもやめた。答えの出ない問に一人だけで何度も自問自答した。少女だという自分、それなのに自分の中には様々な知識があった。これも化物だからだろうか、と自嘲すらした。


 それは偶然だった。屋敷の庭先のことだった。


 彼女は無詠唱での炎の魔法を繰り出した。


 鮮やかに魔力が炎に変わり、彼女は自在にそれを操って見せた。『知の勇者』の子孫であるドルシネオーズは魔法の権威でもある。その知識からなんとなくソフィアは魔法を練習していた。そして捨てられたくないという気持ちもあったのだろう。


 その時ふとソフィアは屋敷を見た。そこには父親が立っていた。その目はまっすぐに彼女を見ていた。その表情は期待と喜びを讃えたような顔だった。その表情だけでソフィアは泣きそうになった。初めて自分のことを見てくれた気がした。


 それから彼女は魔法の修練に明け暮れるようになった。なぜか魔法の知識はあった。だが屋敷の書庫にある書物を読み、実践を繰り返す。うまくいったときだけ両親は彼女を見てくれた。少なくともソフィアはそう思っていた。


「化物……」


 ぽつりと自分のことをそういうソフィア。


 自分がどこから来たのかはわからない。ただ魔法だけが自分自身を誰かが見てくれる居場所だと感じていた。


 修練の日々とともに彼女は自らのことについて多くの人々から理解のない言葉を聞いた。貴族の集まりにも顔を出した時のことだった。


 魔族の混血なのではないかと、あるいはどこからか拾ってこられたのではないかなどというものもいた。誰も彼女には直接聞いてこない、ただただ周りで勝手に言葉が流れていく。ソフィア自身のことよりもそれぞれが納得できることで彼女を決めつけていた。


 その折に同じ勇者の一族というミラスティア・フォン・アイスバーグと初めて会ったが、特に親しくはしなかった。ソフィアからみれば彼女は愛されていると感じた。だが、それにミラスティア自身無理を感じることがあるとも見ていた。


 ソフィア自身余裕はなかった。


 ドルシネオーズ家には養子の話が逆に様々に舞い込んでいた。分家からも話が合った。必死にソフィアは居場所を守るために魔法の修練をつづけた。同年代の誰にも負けるわけにはいかなかった。無能なら『化物』の自分は捨てられる恐怖が常にあった。それ以上に誰かに負けて、自分が両親から見向きもされないという強迫観念が常にあった。


 その先に彼女は『聖杖』を継承することになる。彼女は彼女の居場所を努力と生まれ持った才能で守ったと嬉しかった。




☆☆


 殺す?


 あたしはソフィアの言った言葉が頭に反芻する。ソフィアが偽物だとか、過去のことといきなりいわれたことを全部処理しきれない。


 彼女はそんな惚けているあたしの前で聖杖を空に掲げている。そこに急速に魔力が集まってくる。はめ込まれた魔石に魔力が集まり、増幅していく様。杖の周りの空気が鳴って、あふれ出した魔力が迸る。


 ――思い出す。


 『知の勇者』と言われていた人との戦いを。あの人とも何度も戦った。


 何度も巨大な魔法の打ち合いをした。『剣の勇者』や『力の勇者』との一緒に攻めてくることもあったけど、あの聖杖『オルクスティア』は魔族の多くの町を滅ぼした兵器だ。それだけじゃない、戦場で多くの同胞を屠った。


 所有者の魔法を強化するあれは……過去の魔族にとって『聖剣』とは比べ物にならないくらいに忌み嫌われた武器……。それをソフィアが使っている。……ううん。ちがう、変な気を持つな、思いだすのは後だ、神が作ろうと何だろうと武器は武器だ、使い方でしかない。


「ソフィア! まってよ。あたしは」

「…………さっきの話を聞いていませんでしたの? わたくしは『ソフィア』などではありませんわ。精霊イフリートに命ずる」


 ! 魔法陣が展開される。ソフィアの魔力が形を成して炎になる。それを『聖杖』が増幅する。


 炎が渦を巻く、ソフィアを中心に灼熱の風が巻き起こる。


 体の中の魔力は……正直に『聖杖』を持っているソフィアと戦うほどは残っていない。右手にあるクールブロンを見る。……黒に変色した銃身とひび割れた魔石……。銃弾を撃つことができるかも怪しい。少なくとも魔力を吸収する魔法陣の展開は難しいと思う。


 手持ちの魔力だけで戦える?


「フレア・ストーム」


 ソフィアの言葉にはっとした。増幅された炎。殺意を込めたそれがあたしに向けて放たれる。避けないといけない。そう頭が言っているのに体が言うことを聞かない……ヴァイゼンとの戦いで無理しすぎた。足が……重い。


 グオオオオ!!


 巨体があたしを包む。黒い鱗に覆われたぴーちゃんがあたしの盾になって……!! 


「ぴーちゃん!!」


 あたしの声、ぴーちゃんは炎を全身に受けて苦し気な声を出す。炎が四散してぴーちゃんがぐったりと地面に倒れる。その目だけではソフィアを見ている。あたりは熱された空気で熱い。



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