甘さ
ヴァイゼンの刀は赤い炎を纏う。
眼前にそびえる巨大な『魔王の影』が彼に向かって拳を振るう。ヴァイゼンは地を蹴り、躱し、そして『魔王の影』へ斬撃を飛ばす。赤い一閃は黒い影に一筋の線を作る。しかし血が流れるようなことはない。わずかにその勢いに『魔王の影』は後ろに下がった。
その瞬間にヴァイゼンは右手を前に出し。掌に魔力を集める。呪文を紡ぎ。彼の前に魔法陣が展開される。一瞬の構築だった。彼の赤い目が光り、その身からすさまじい魔力が溢れる。
「ギガフレア・トールギス」
魔法陣が光る。閃光が奔る。
『魔王の影』の胸元に魔力が収束し、爆発する。熱線が空間を焼き、爆風が巻き起こる。ヴァイゼンはその中で刀を片手に敵の姿を見る。
「貴様がどういう存在なのかはわからないが。まるで伝承上の魔王のような姿だな」
彼は言う。
「……それが貴様の正体なのか?」
問いかける声に応えはない。『魔王の影』は胸がえぐれ、片膝をついている。だが、そこに苦しみや叫びはない。突然現れたそれはそもそも生物なのかどうかもわからない。ヴァイゼンは返事を待たずに語る。
「人間の勇者に倒されたという伝承上の魔王は巨大な姿をしていたといわれている。……強大で規格外の『魔骸』を形成されたと言われているが……ふっ、貴様が何をやったのかはわからないがあるいは近しいものだったのかもしれんな……いや、近しい……のではない。同じか?」
彼の思考は進む。今までに得たものを組み合わせて答えを出す。冷静さを失わない魔王ヴァイゼンの強さはそこに源流があるのかもしれない。
世界が崩れ落ちていく。
ヴァイゼンの魔力で作った空間はすでに彼の支配から切り離されている。魔骸とは魔力を結晶化させたものだ。それと同様に空間を作るために魔力を固定化させたものが彼の作り出した世界だった。本来であればヴァイゼン以外の干渉は受けない。
あのマオという少女がそれをやったのであれば魔力を使うというその練度は改めて驚異的だとヴァイゼンは感じていた。
――オオオォ……オオ
目の前の『魔王の影』が崩れていく。ただヴァイゼンにはあの中のマオがいるようには思えなかった。
「……?」
ヴァイゼンは違和感を覚えた。体の奥が揺さぶられるような何かを感じたのだった。
「……ぐっ」
膝をついた。体の中の魔力が逆流するような感覚。苦痛に表情をゆがめる。刀を手放すことはない。何かの攻撃かとあたりを見回す。
影があった。そのシルエットは一人の少女のようだった。魔力を纏った姿をしている。
長い髪をしている。そこにあるのは必要のような魔力の双角。整った顔立ちをした少女だった。
彼女は紅い目に魔力を灯して、その場にたたずんでいる。彼女はフェリックスの制服を着ているが少し窮屈に見えた。丈が足らずわずかに腹部が見えている。その片手には黒と白が文様がいびつに混ざり合った魔銃クールブロンがあった。
たたずむその姿は先ほどまでそこにいた『マオ』がそのまま成長したような姿にヴァイゼンには見えた。
☆☆
あたしは自分で作りだした過去の『魔王の影』がヴァイゼンに倒されるのを無感情に見ていた。強力な魔力の一部を分け与えて時間稼ぎに作っただけの傀儡だった。
過去に勇者と戦った時にあの姿になった。あの姿は『魔骸』の先にあるものだ。戦争の最後に編み出したその魔法は……あたしが死んだことで誰にも継がれることはなかった。それ自体は良かったかもしれない。
――『魔骸』。それは魔族の切り札。体の中の魔力をすべて出して強制的にすべての能力を引き上げるものだ。生み出した魔力を魔力の角という形で結晶化させることで戦闘中にその力を保持する。
あたしたちはあの戦争の最後に生き残った魔族の中で『魔骸』を使える魔族の力をあたしに集めた。複数の魔族が命と同等の魔力の放出をあたしは自らに取り込んで合成した姿が……あれだ。魔力はひとりひとり違う、冷たいものも温かいものも優しいものや激しいもの、魔族でも人間でもそれぞれを表すように少しずつ違う。魔法の向き不向きもそのせいなのかもしれない。
あたしと一緒に戦ってくれた魔族みんなが命を捨てて預けてくれた魔力をあたしは『合成』した。いろんな魔力を集めて組み合わせると一人で生み出すものよりも力を増す。それを取り込んだ時、体が別のものに変化するほどの強化を施せる。それが……『魔神化』。人間へ神の与えた力に対抗するための力。
今あたしの中には『竜の魔力』と『ヴァイゼンの魔力』がある。この純度の高い二つを合成してあたしは自身を強化した。あたしは人間の体で『魔骸』は使えないけど、この力は使うことができる。
手を見る。少し大きくなっている。視界が少し高い。ただこの姿はそう長くは続かない。
ヴァイゼンが目の前にいる。この姿を作っても彼の力を上回っているわけじゃない。だけど彼の魔力を取り込んだことで彼の力に干渉することができる。あたしは右手を握りこむ。
「クリエイション・インテリトゥス」
「がっ!?」
ヴァイゼンが左胸を抑える。彼の中にある魔力に一時的に干渉することで『心臓を掴んだ』。だけど、抵抗を感じる。ヴァイゼンは立ち上がった。流石だね。
「貴様……何をした? その姿は何だ」
「今あんたの心臓をあたしはつかんでいる。無理をすれば死ぬよ」
「……くく。次から次へと貴様は」
ヴァイゼンはあたしの言葉に笑っている。楽しそうに見えた。
「……マオ、身体の強化ではなくその体そのものが変わるものは初めて見た。それに貴様の両眼は『紅い』。しかし、貴様は人間だ。……矛盾している。人間でも魔族でもないのか? それとも本当は魔族なのか?」
「さあ。あたしは人間のはずだけどさ」
あたしの目が紅い? 自分ではわからない。……今の自分は人間のはずだ。……いや、今はそんなことは後でいい。
「あたしの言うことは変わらない。この場は退いてほしい。下のクリスやあの大きなおじさんも一緒に」
「……ならば貴様の正体を言え。……私の推測ではない。貴様の正体を貴様の口から聞きたい」
「………………」
一度、考えてしまった。このまま心臓を……そう考えたことを振り払う。
「退いてくれれば……またどこかで教えてあげるよ」
そう答えた。逃げているのだろうか? ……ただ今はこの戦いの全体を終わらせたい。でも、ヴァイゼンは笑った。
「それもまたいいだろうが……。私はお前とまだ戦っていたい」
「あたしは戦いたいとは思ってないよ。これから先も」
右手に込める魔力を強める。ヴァイゼンが苦しそうに顔をゆがめた。それでもどこか余裕を感じさせるように笑う。頭に伸びた魔力の角がぱきりと割れた。あたしの干渉で『魔骸』が維持しにくくなっているはずだ。
ん……。抵抗が強まった。……ヴァイゼンは体の中の魔力の流れを操作してあたしの干渉をはぎ取ろうとしている。まだやる気か……あたしは一歩後ろに下がる。そして魔法を構築する。
「クリエイション」
黒い魔力が形を作り。剣士の姿になる。大柄なその姿はイグニスの姿だ。――剣を構えてヴァイゼンへ踏み込む。
刀と剣がぶつかる。ヴァイゼンの動きは制限されている。何度も打ち合っているうちにヴァイゼンは下がっていく。魔力で自らの感覚を最大限に強化する。今のあたしはイグニスの操作とともにヴァイゼンの魔力への干渉が行える。
二人の影が交差する。剣劇の音が響く。
「ヴァイゼン。あんたは強いよ、魔力量もその技量も…….あたしの造った影を簡単に倒したこともさ」
強力な力。圧倒的な魔力。それはすごいよ。
「でもね」
あたしは右手を閉じる。
「……っ」
ヴァイゼンがイグニスに押されて下がり、膝をつく。それをあたしは見下ろす。体の中の魔力を利用して糸のように心臓に絡める。派手な必要なんてない。人間も魔族も小さな力で倒すことができる。
ヴァイゼンは苦悶の表情をする。額の角が割れて地面に落ちる、やっぱり『魔骸』を維持することはできなかった。この魔力の操作する方法は相手の魔力を取り込んで理解しないと使えないし、対策されるとなかなか決まらない。
だけど、一度決まればそう簡単には抜け出せない。
ヴァイゼンにイグニスが切りかかる。あいつはそれでも刀を振るって打ち合う。息を切らして、左胸を抑えている。ヴァイゼンはあたしを見た。
「甘いな……苦しめるだけではなく殺すつもりでやらなければ私はやれんぞ」
「……」
殺すつもりはないなんて言えば弱みになるかもしれない。代わりに右手の魔力を操作する。それでヴァイゼンはさらに苦しそうにする。だけどあいつは言う。紅い目が光る。
「ククク、貴様の体から私の魔力を感じる。……あとはあの黒竜の魔力か? それが強力に混ざりあっている。融合……とでもいえばいいか、魔力の合成による強化か……どうやったのかはわからんが」
「よくわかったね」
「…………さらに複数の魔力を混ぜ合わせればどうなる?」
「……さあ?」
「……大勢の魔族の力を組み合わせれば、これからの人間との戦いに有効に使えるのではないか」
……! あたしは、その言葉を聞いたとき。心の奥底に冷たいものを感じた。過去の記憶がよみがえる。ヴァイゼンを中心にあの時のあたしと同じ方法を使うことがあれば、人間と魔族の戦いがまた……。
「殺す気になったか? 貴様の目に殺気が灯ったぞ」
ヴァイゼンの言葉に視線をやる。静かにあたしは彼を見ていた。右手の魔力の操作を全力でやれば始末できる。ここで……こいつを……それをしないと。あたしの『魔神化』をヴァイゼンが会得すれば多くの魔族を犠牲に力を得るかもしれない。そしてそれを止められる人間がいるだろうか?
「…………ヴァイゼン」
「いい目だ」
あたしがここでやらなければ。きっと大勢が犠牲になる。
「マオ。貴様は私を『信頼する』といったな。その言葉をお前に返そう。場を改めてお前の正体は明かしてもらうとしよう」
「……逃がすと思うの?」
「言っただろう? 信頼すると、私はまた貴様と会う。そしてお前もこんなところで死ぬことはない」
逃がさないよ……。……? 地面が揺れた、いや光った。ヴァイゼンの魔力で生み出した魔力の空間である黒の地面が光を放ち、盛り上がった。
青い竜。
クリスタルのように美しい竜鱗を持ったドラゴンが地面を突き破った。牙を剥き、あたしに向かって口を開く。……ヴァイゼン……竜の背に乗った。そうか、この空間を作るときに蒼竜ごと取り込んだんだ。
青い竜が口を開く。急速に魔力がそこに集中していく。空間が歪むようにすら感じる
――「竜の息吹」!!
刹那の時間が過ぎていく。この距離であたしに向けて直撃させる気か! だけど甘いよ。あたしは右手の指を動かす。イグニスを盾にして防御する。魔力の塊のイグニスはそのまま防護壁にすることができる。
盾に、する。
一瞬イグニスとの過去が脳裏をかすめた。あたしを庇って死んだ彼ことを思い出す。ばか、ばかばか、自分で作り出した人形、魔力の塊でしかない。迷っている時間なんてない。イグニスを見る。
そこにあるのは黒いけど過去のままの姿をした彼の姿。唇を噛んであたしは、止まってしまう。
「ぷ、プロテクション!!!」
1から防護壁を構築する。クールブロンを前に出して白い防壁を展開す――
そこに蒼い竜の息吹が放たれた。閃光に目の前が染まる。至近距離からの魔力の放出。不完全なプロテクションを全力で支える。魔力を全力でつぎ込む。
「ぐ、ぐぐ」
プロテクションがひび割れる。あたしの体が衝撃に浮いた。そのまま壁に叩きつけられる。息が停まる、背中の衝撃を制服に魔力を通して軽減する。それでも竜の息吹は変わらない。壁に押し込まれる。プロテクションを維持するためにそれ以外を考える余裕がない。
浮遊感が体を支配する。ヴァイゼンの空間が解除されたのか、青い空が見える。落ちる。
「く、クールブロン」
クールブロンを見る。白い銃に黒い色が混ざって、魔石にひびが入っている。そこから魔力が溢れている。
落ちる。空中では姿勢も取れない。空の上に蒼い竜が飛んでいるのが見えた。そして黒い空間が霧散していく。
「くそっ」
落ちながらあたしはそういうしかなかった。自分の甘さに歯噛みした。




