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黒の手

しごとがにくい


 無数の人の形をした影に囲まれた古城。


 崩れた壁を影たちはよじ登り、中に侵入しようとしている。


 彼らにはただ純粋な殺意だけがある。思考能力があるわけではない。彼らを操る魔族であるクリスの忠実な奴隷であった。思考がないということは恐怖もない。


 ――城の壁が轟音とともに崩れ落ちる。


 ガラガラと城壁が地面に音を立てて落ちていく。その瓦礫にシャドウたちは悲鳴もなく埋まっていく。崩れた場所に立ち込める砂煙から一人の男が飛び出す。巨大な体躯をした2つの結晶化した魔力の『角』を持つ男だった。


 ドンファンは手にした戦斧をぎりりと握る。赤い瞳を砂煙の向こう側に向ける。


 砂煙の向こうに揺らめく影。それは人の形にしてはあまりに歪だった。無数に分かれ、長く伸びた影がゆらゆらと蠢いている。


 影が動いた。


 煙の中から一人の女性が歩いてくる。その左手は黒い魔力に包まれて、その小さな体には似合わないほどに肥大化していた。それが砂煙の向こうの『影』の正体だった。


「きしし」


 左手から浸食した魔力がその肩、そして首、顔の半分を黒く染めている。チカサナは首をかしげて笑う。そして左手を上に向ける。周りのシャドウたちが体を崩して塵になり、その左手に吸い込まれていく。


 チカサナの手は魔力で生み出した『爪』を形成する。鋭く、鋭く、鋭く魔力が硬質化していく。5本の指の先に巨大な爪が伸び、きりきりと妙な音を立てた。


 それが横に振るわれた。伸びた黒い手とその爪が城を抉った。


 城壁に傷跡を残して。チカサナは笑う。


「あれ? 外しましたかね」


 そう言いながら間合いを詰める。


 対峙するドンファンの体から魔力があふれる。赤い魔力が体を覆い、筋肉が盛り上がる。チカサナが迫り、彼女の左腕が振るわれる。


「オオオオオ!!」


 ドンファンが叫ぶとともに斧を振るう。魔力を籠めた一撃と魔力で形成された爪がぶつかり合う。黒と赤の魔力がはじけてあたりに散る。


 チカサナはがれきの上に登り左手を右手でつかむ。その瞬間に彼女の左手が無数の鞭のように分かれた。触手のように分かれたそれらがドンファンに向けて襲い掛かる。ただの魔力の塊だからこそ決まった形を持たない。しかしひとつひとつが強い魔力を帯びていた。


 瓦礫の上にいる彼女を見たものは人間に想えないだろう。異形の腕を振るうたびに世界のどこかを削り取っていく。


 だが、ドンファンは吠えた。あたりを震わせる声。ばちばちと赤い魔力が空気を振動させる。それだけでチカサナの腕ははじかれる。別れたそれは元に戻り、黒い左手の形になる。


 チカサナはははっと笑った。


「本当に化物ですねぇ。あなた。きしし。普通私が本気を出せば……普通はひるむくらいしてくれるんですけどねぇ」

「………………面妖な力だが、なかなかに面白い」

「私は面白くはないんですけどね。ぐ」


 チカサナの顔に黒い文様が広がっていく。それに合わせて苦し気に彼女は顔をゆがめる。魔族にとって『魔骸』が無理な力の解放であるようにチカサナにとってこの力は『無理な力』であった。


 胸につけられた魔石が呼びせる異界の力が神経を通って痛みを増幅させる。チカサナはそれを無理に左手に収束させて支配している。だがあまり長い時間それを御することはできない。チカサナはだからこそ言った。


「悪いんですけど、かなりしんどいので勝負を急がせてもらいますよ」


 チカサナが跳んだ。がれきの上を走りドンファンに迫る。彼女が左手を振るうと城壁の残骸がバターのように切れる。ドンファンはそれを微妙な間合いでかわす。


 黒い手でチカサナは攻撃を繰り返す。一撃一撃が必殺の威力を持っている。それでもドンファンの魔力を帯びた戦斧はそれらをはじき返した。巨大な魔力とそして筋力だけではない、彼はそれを最適に動かせる戦闘技術も持っていた。


 黒い手と斧がぶつかる。赤い魔力がはじけ、チカサナの体が後ろに跳ぶ。彼女は荒い息のまま地面に手をつく。


「……く、く。わらっちゃいますねぇ。きしし。こう言う時は。どうすればいいのですかね」


 彼女の前にはたたずむドンファンの体からは魔力が炎のように見えた。


 彼は戦うほどにその力をあげていた。それはだんだんと本気をだしているのか、それとも戦闘中に成長をしているのかチカサナにはわからないが、どちらにせよ愉快なことではなかった。


 ドンファンの体が本当の彼よりも大きく見えた。チカサナは息を吸う。この男を倒さない限り、そもそも彼女がマオたちをこの島に連れてきた本当の目的も果たせないうえ、ドンファン一人で全員を全滅させかねない。


 左手を右手でつかむ。チカサナの瞳の光冷たく沈んでいく。今体にかけているリミッターを外して黒い魔力で全身を包めば――化物になってしまえば勝機はあるかもしれない。


 ゆらりとチカサナは立ち上がる。


 ――ドンファンは斧に魔力を込めた。赤黒い魔力が渦を巻き斧を包んでいく。空気が振動している。魔力は魔力を呼び、巨大化していく。彼が振り上げたその刀身に奔流のように魔力が流れていく。


「強者には敬意を払う」


 ドンファンの赤い瞳が彼女を映している。その声はむしろ静かだった。チカサナは胸元の魔石を掴んで息をのんだ。収束した魔力で空が『曲がって見える』光景を彼女は初めて見た。ははと笑った。


「これは化物になっても微妙ですねぇ」


 黒、それがチカサナの体を包んでいく。それに染まりきる前にドンファンは斧を振り下ろした。


 ――その一撃に城が割れた。赤い衝撃波が城郭を文字通り吹き飛ばし、天に巻き上げる。


 ――島全体が揺れた。地面が割れ、衝撃波に巻き上げられた城の残骸が海まで飛ぶ。


 ドンファンの前にあるものは全て消し飛んでいた。彼の前にあるのはえぐり取られた地面と城壁もその向こうの森の木々も姿を消した一直線に伸びた瓦礫の道だった。彼は息を吐く。その周りで魔力が唸る。


「ぬううん」


 斧を握りしめた。彼の赤い目が動く。


 彼の見た先にチカサナの小さな体を抱きしめてドンファンを睨みつける黒髪の女性がいた。アリーは圧倒的な力を見せたドンファンへ闘志を秘めた瞳を向けている。あの攻撃の一瞬でアリーはチカサナを抱いて回避したのだろう。


「あの一瞬での動き、賞賛する」


 ドンファンが短く言う。ごきごきと首を鳴らし。一歩一歩アリーに近づいていく。アリーの腕の中でチカサナが目をぱちくりさせる。彼女はアリーを見た。


「助かりましたよ。しかし流石のアリーさんでもあれの相手はきついでしょう」


 チカサナは彼女の手を優しく払い。黒い左手を見せつけるように上げる。


「まあまあ。ここは化物には化物ということで見ててください。いや……というか、貴方はむしろミラスティアさんたちと合流して逃げてくれた方がいいですね。きしし」


 そうやって前に行こうとしているチカサナの肩をアリーが掴む。チカサナは振り返らない。


「アリーさん。冷静に考えてみてください。こんな体をしている私がまともな人生を歩んできたわけないじゃないですか。それよりも……」

「黙っててください」


 アリーがチカサナの前出る。白い剣を抜く。わずかにひびの入った刀身に魔力を込めた。彼女の黒い髪が風に揺れる。


「人生は思いもよらないことは普通にあることです。……あなたはありますか? 気軽に受けた相談でドラゴンを預かることになったことが」


 アリーの言葉にチカサナは首を傾げた。


「なに言ってんですか?」

「私だって自分で何を言っているかなんてわかりませんよ。ただ事実を事実のまま言えば、意味の分からないこともあります。……ですが、ちゃんと聞けば事情は何にだってあるものです」


 アリーは言う。彼女は振り向く。


「自分を化物なんて言うのはやめなさい。貴方の昔の事情を私は知りませんが、ここで冷静になるべきは貴方です。犠牲になるのではなく、私と貴方で力を合わせて――」


 アリーは白い剣をドンファンに向ける。


「彼を打倒すること。それがこの場の最適解です。このアリーを見くびらないでください」


 チカサナは一瞬惚けた顔をして、それからぷっと噴出した。


「きしし、きししし。前々から思っていましたが相当に底抜け、お人よしでおバカさんですよね」

「おばか……!? ……いえ、善人であることは心掛けるべきものです」

「この手を見てまともと思いますか?」

「人を見た目で判断するべきではありません」

「限度があるでしょー。ほらほら。きしし」


 チカサナが左手を振る。アリーが「やめなさい」と返す。


 二人は近づいてくる魔族を見ながら肩を並べる。チカサナが言う。


「それで、何か勝算があるんですか?」

「あります。私を誰だと思っているんですか」

「アリーさんってそのうち胃に穴があきそうですよね。きしし」

「胃薬はちゃんと持ってます」

「すでに開いてましたか」


 アリーが前にでる。


「チカサナはその手を使って私を守ってください。私は攻撃のみに集中します」

「守る?」

「私は切り込み、貴方は支援。私は貴方に背中を預けます。彼の攻撃をなんとかして防いでください。Sランクならできるでしょう」


 アリーの剣が風を帯びる。鮮やかな緑色に光る。


 そして、黒髪の女性剣士は歩き出す。巨大な魔力を帯びるドンファンを一直線に睨みつける。


「この私を前にして、ただで済むと思わないでください」


 


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